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この場にいること

 改めて大学の講義に出席してみると普段の自分が一人部屋にこもっているよりも簡潔でその場に適切な情報が来ているのだなと思う。分かってはいるが無我夢中にあれこれ調べたり歯止めも知らずに闇雲になっているよりかはいいだろう。
 しかし、どれだけ集中を注ごうにも講義中に必ずと言っていいほど横槍は入る。専門科目ばかりの学部だから仕方のない部分はあるのだろうが、自由な発想を生むこととやりたいことだけをやるために空間を無法にすることの分別が付いていないのだろうと感じる。僕には馬鹿に見える。自らこの大学で学びたいと受験し、毎日眠たい身体を起こして残暑の中学校に来てまでやることがその講義の阻害なのだから。
 一度こういう思考になるともうその場には存在できないような予感もするし、口に出してしまえば排斥されていくので言わないように言わないようにしてきた。そして、他人、ここにいる人間たちがおそらく言われたくないことは言わないでおこうを繰り返す余りに自分の言いたいことが分からなくなってしまった。
 一つ、僕はもうここにはいられない。この前提は気持ちとしても存在するし、もう僕の裸足はその円から抜けてしまっている。

 講義中に暇になるとようやく学校が始まったのかと窓の外を見ながら考えたりするのだが、もう9月19日。スマホを見るたびに目に付く日付にここ1ヶ月ほど何度も震え、今文字を打ってみると心臓に鳥肌が立ったような感覚すらする。
 もう時間がないのだ。僕は何をすればいい。今、この場所で僕は何をすべきなのか。最近うまく寝付けない。疲れ切って眠った日でもまだ月が明るい時間に目が覚めてしまう。頭は痛く、風邪も長引いているのに一向に脳は眠ろうとしない。全てを一旦忘れようと目を閉じても頭の中の僕は次から次へとタスクを提示してくる。
 早くこれをしろ、これをやってないんじゃないか。明日には彼にこれを伝えないといけないだろ。作品は作るべきだろうが今のままで本当にいいのか、この環境で本当に作れると思っているのか。でも、やらないと自分のスタイルもなくただ東京にぽっと出になってしまう。でもベストな環境ではないだろう。この2年間、舞台芸術だと言うと嫌な顔をされ、演劇だと言うと変な人だと言われ何かしようものなら吊し上げられ、十分痛い目も見ただろうに。それでも環境が腐ってることも、周りを切り捨てていくように自分がなっていくことも放任してここまで来たのに何を今更学校の公演で自分のやりたいことを表現しようなんて考えているんだ。劇場もなく、照明音響もろくに使えない。もう一ヶ月と少ししかないの学祭の話は全く進んでいない。去年の二の舞になるんじゃないか。自分の大切な時期にこんなことをするのは間違っているんじゃないか、今は切り捨ててでもちゃんと万全の準備をして受験に臨めるようにするべきじゃないか、そうだろう。そう考えたのは今だけじゃなくて半年前から何度も考えていたことなのに何故今は君は作品を作ろうとしている。ただやりたいからやってる。
 もう何度も考え、その度にまた1から考え直して答えを出して。それでも状況が変わるとまた同じようなことを思いついて考え直して。そんなことを繰り返してもう十分だとわかっていて、もう引き下がれないことは分かっているのに頭の中の僕はまた同じように説得してくる。
僕がこの場所に来て唯一決めたことは言葉よりも行動に信頼を置くことだった。それは周りの人を見ていて思ったことなのだが、今の自分にもそうだろう。頭の中で話し合って説得して解決したと思ってもどうせまた明日の午前5時にはまた同じことを考えている。だからまずは今日のための、そして一ヶ月後のための行動を僕が自分に対して示せれば今の選択を後悔することはないだろう。
もう漠然的にこの環境を憎むのは今回で最後にしたい。自分の過去の選択もその
時々からすればベストな選択であったのだろうから自分であっても後からぐだぐだ言うのは無し。きっとこれが最後だから。それだけは今分かっていることだから。なら今はとりあえずやれることをやるしかない。正誤は後の自分が決めてくれるかもしれない。

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