コロナ禍で存在を消された私たち 繰り返される過去の事例

日本において「不可視化」される現象は、特に災害時や公害等に、「被災者」「被害者」等という大きなカテゴリーに括られることで顕著に表れやすい。その事例として、東日本大震災の「区域外避難者」、公害である水俣病の「実態的水俣病患者」、広島被爆者の「未認定被爆者」の3つを挙げながら、私たちとの類似点について考えたい。

2011年に起こった東日本大震災を取材し続けている朝日新聞記者の青木美希氏は、東日本大震災後、政府が3年5ヶ月もの間「避難者」の定義を定めなかったことにより、実際には区域外避難者の多くがカウントされていなかった(*1)と指摘する。
実際の避難者数は、2020年10月時点において国が公表している避難者数4万人ではなく、その倍近い7万人になる(*2)と明らかにしている。区域外避難者の一人、森松明希子さんは、「こうやって避難者は消されていくんだ」と述べ、恐ろしさを感じたそうだ(*3)。
避難者の数字を少なく計上すれば、一見、復興は進んだように見える。これはコロナ禍でも同様の事が起きており、PCR検査で陽性となった者のみが「感染者」として認められ公表される。検査数を低く抑えたことで、陽性者と同じ症状があるにも関わらず検査難民や偽陰性となった私たちは感染者から排除され、感染拡大が抑えられたように見えるということと同じ現象である。

次に、水俣学研究者の井上ゆかり氏は、政治的社会的過程の中で認定されてきた水俣病被害について、その実態はかけ離れていることを明らかにし、水俣病認定制度により認定された水俣病被害を「権力的水俣病」と呼び、権力的水俣病から意図的・非意図的に隠蔽され排除された水俣病を「実態的水俣病」と呼んで区別した(*4)。
現在でも、水俣病訴訟が「何が水俣病なのか」という病像をめぐって診断や認定基準が争点として争われており、2019年末までに熊本県だけで、水俣病認定申請を行い結果待ちの方は496人、うち3人は自分の病いが何なのか知らされないまま人生を終えたという。このように、行政認定の狭間で苦しんでいる患者たちが存在している(*5)と指摘している。「日本モデル」によって「認められた」感染者を「権力的コロナ感染者」と呼ぶならば、「日本モデル」から除外された私たちも、「実態的コロナ感染者」と呼べるだろう。

また、原発事故の被災者にも通じるものがあるが、「低線量」被曝の政治について広島に焦点を当て、「黒い雨」未認定被爆者について研究する向井均氏と湯浅正恵氏は、非科学的、不合理的な行政対応の連鎖が、「黒い雨」未認定被爆者というマイノリティ・カテゴリーを構築し、苦しめている(*6)と指摘する。 「黒い雨」未認定被爆者とは、原爆後に放射性物質の一種である泥やほこり、すすなどを含んだ重油のような粘り気のある黒い雨を浴び、急性症状や晩発性障害を患いながらも、被爆者として認定されてこなかった人たちである(*7)。 その後、被爆75年目の2020年7月にして、ようやく「黒い雨」未認定被爆者の全員を被爆者と認定される判決が下された。政府に求められるのは、自らの科学的見地を正当化しようとすることではなく、「科学的・合理的」対応だ(*8)と述べている。

その矛盾した科学的合理的な対応について、ウクライナの人類学者であるペトリーナ氏は、「政治的な封じ込めの科学」(*9)と呼んだ。ペトリーナは、チェルノブイリ原発事故時も健康影響における調査そのものが不確実なだけでなく、科学が政治的利用されていることを指摘している。つまり、公にされている「エビデンス」とされているそのものが、そもそも正確ではなく、権力側で作られ、不確実性を帯びている可能性があるのだ。
日本でも、この政治的な封じ込めの科学が幾度も使われ、その実態はうやむやにされ、時間だけが過ぎていく中で、実態的水俣病患者の方々も、未認定被爆者の方々の高齢化が進み、多くの方が、結局、自分が何の病いなのか知らされないまま、認定されないまま亡くなられた。

また、同じく朝日新聞社の青木美希氏によると、東日本大震災時、厚生省による避難者の自殺者数の統計の中に、区域外避難者の自殺者数は含まれていないことを指摘している(*10)。
私たちの中にも、症状を病院に訴えるもたらい回しにあったり、後遺症の存在自体も否定され続けたりと、孤独に陥り、希死念慮がひどくなった者、自殺企図や未遂まで行った者もいる。
コロナ後遺症外来のあるヒラハタクリニックの平畑医師によると、「あなたはコロナ後遺症じゃないと否定され、家族や友人、職場でも認められない人」がおり、「後遺症を苦にして自殺した患者もいる」(*11)と話している通り、実際に自ら命を落とされた方が、少なくとも2人いることが分かっている(*12)。平畑医師の診察を受けていた仲間の一人は、平畑医師が夜遅くまで診察する理由の一つとして、「自殺する人をなくす為」だという信念を聞いたと言う。各自の記録からも分かる通り、家族を感染させたしまったという加害者意識や罪悪感、しかし、その感染や後遺症ですら家族に信じてもらえないという絶望感、経済的な切迫感等私たちはそれぞれ個人の事情や背景を抱えている。それをただ単に「個人的な死」として捉えるのではなく、そのような状況に追い込まれる「社会問題」として受け止め、そのような悲劇を招かないよう、一刻も早い後遺症への理解が不可欠である。

更に言及しておかなければならないのは、私たちの中には、不可視化される現象が「第三次」まで及んでいる可能性がある。「第一次」が「感染証明」、「第二次」がなかなか後遺症を認めてもらえなかったという不可視化現象とすれば、「第三次」は、ウィルス感染後の慢性疲労症候群や線維筋痛症へと症状が移行した者たちの存在である。記録者の中にも、慢性疲労症候群と診断されている者が6人、うち、線維筋痛症も患っている記録者が1人いるが、これらの診断を受けている者を「第三次」とすれば、診断に至らず同じ症状を抱える者の存在は「第ニ.五次」の不可視化現象と言える。
記録者の中の記述に、医師から「医師の観点からは現状では障害年金の対象にはならない」と言われた者がいるように、慢性疲労症候群や線維筋痛症は難病指定にならず、「障害年金」取得までの道のりが厳しいとされる制度の谷間に置かれ、制度上、見えにくい病いとされている。

記録者の記録の中には、「PCR検査を受けられなかったため、コロナ後遺症だという証明もできないので、国による後遺症の救済制度ができたとしても対象外だ」との記述があった。イギリス医師会雑誌であるBMJ(ブリティッシュ・メディカル・ジャーナル)には、「患者である医師より:COVID-19の持続する症状に取り組むためのマニフェスト」と題した論文が投稿されている。その中で、治療や研究が適切に行われるよう複数の条件をあげ、その一つに「医療が切迫していた中で自宅療養せざるを得なかった多くの患者も調査対象に含めること 」という条件を挙げているように、今後、経済的に困難なコロナ後遺症患者に対する救済制度ができたとしても、それは「疑い」を含む後遺症患者に対しても救済制度の対象として開かれるべきである。
仮に救済制度すらできる余地がないならば、現行の制度に頼るしかない。しかし、慢性疲労症候群や線維筋痛症は、未だ研究途上の論争中の病いとされ、医師の認知度次第で見解が異なるため、その診断に行きつくまでに多くの患者が振り回されているのが現状である。
記録者の中にも「適応障害」と診断されていたが、その後「慢性疲労症候群」との診断がついたように、診断に振り回されている間に、経済的や心身的への負担から病態は悪化の一途を辿る可能性がある。

ひとたび、「東日本大震災被災者」「水俣病」「被爆者」等という、政府や組織が作り上げた枠組みで括ることによって、実態として同じ被害があるにも関わらず枠組みから外れたことにより、表に出てこない存在がいることをお分かり頂けただろうか。
特に災害時に、大きなカテゴリーに括られることで、消される存在が生まれることを何度も何度も繰り返してきたのである。
私たちも、公式発表の「陽性者」という感染者数の統計を土台にして語られる政治家、専門家、メディアによる型にはまった見解によって、更に周縁に追いやられ、見えなくさせられ、第三次的な不可視化まで起きている。

私たちは陽性という肩書きがなかった苦難の道のりがあるということに加え、それぞれの人生がある。私たちはTwitterで情報共有し励まし合ってきたが、水俣病などが発生したSNSのなかった時代、同じような状況に追いやられた人たちのことを思うと、いかに孤独で、いかに苦しく辛い毎日を送っていたかと思うと、心が痛む。
本書の役割とは、ただ単に「陽性」という肩書きのない私たちを浮き彫りにすることだけでなく、Twitterで各自行っていた当事者研究により、自然と定着した私たちのことを表す言葉が「検査難民」「偽陰性」「Long COVID」などのカテゴリー名であるように、コロナ禍で生まれた少数派の一つのカテゴリーを確立する一端を担うことでもある。

今まで述べてきたように新聞記者や研究者による研究を待つのではなく、症状のある自らが自分たちに起こったことを研究することで、いち早く世の中に自分たちの存在と社会の問題を示したいと考えている。私たちのように、第三次までの不可視化現象が起こるようなことは、このコロナ禍で終止符を打たなくてはならない。

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