フェミニズムやマイノリティって言葉への違和感

現実的ではない話ですが、私が人類でなければなぁと思うときが多々有ります。

バラエティやトーク番組、全部ではないけど。

男性と女性、別々に見ていたら楽しい。

そう感じることが多い。ネットニュースの炎上でも目につくことが圧倒的に多い。フェミニスト論争や色恋沙汰のゴシップ。

なんて言えばいいのか上手く表現出来ないが、男女一緒のコミュニティではお互い求める楽しさや幸せが違うから違和感を感じる。

例えばテレビ番組で、かわいい女子アナに対して男性芸人かがブスって言ってそれを笑いにする、楽しんだりする。みたいなノリって今までの社会やテレビで刷り込まれてるから仕方ないだろうし演出でもあるから全てがダメとは言わないが、見ていて不快な方も多いと思う。

女性に対してではなく、男性芸人だけで悪口言い合っててもそこまで批判されないし、要は同じ力関係であれば、同じカテゴリの人間ならあまり違和感を感じない。

そもそもフェミニストだとか、マイノリティだとか、自分が自分であることや自分でいることを主張しているだけなのにレッテルを貼られて議論されることすら謎である。

皆同じだ、同じにならなければいけないという文化、風調、教育自体が人を批判したり差別するように出来ている。

他の国のことは知らないが、この国の教育を受け風潮の中で育ったならそれは皆、差別をして人と違う個性、考え方を持つ人間を目ざとく見つけだし、徹底的に批判し差別する人種なのだ。

だって人と同じが素晴らしいと、飛び出る者は悪だと刷り込まれる環境で生きているのだから。

そして人を批判し差別することで強い快感を覚える唯一の動物が人間なのだ。

脳から、文化から、教育からそういった人間が生み出され続けているのが我々の住むウツクシイ国、日本なのだ。

男女の共存=共生?


そもそも違う生き物であり、わかり合ったり共存するのは無理だし意味ないのでは?とすら思う。

魚に歩き方を教えても時間の無駄だし、猫に泳ぎ方を教えても無駄な様に、魚は海で楽しく泳ぎ、猫は陸で楽しく生活するみたいな適材適所に生きたほうがいいと感じる。


昔から一夫多妻制とかあって今も不倫だなんだで必ず話題になるけど、あれは普通の男が色んな女をこませるってゆう話ではない。

地位や権力があり、財力もある男が妻をたくさん取る。優秀で豊かな家柄の血を残す。

権力があり裕福な家に嫁げば、妻は金と生活に困らない。

時代や国によっては、夫そっちのけで妻達が皆で子供を育てていた場合もあったそう。

金も権力もなければ最初から選ばれない。女性もそう。

平民、農民の層で、働き手が欲しい村などは、女が夜這いにきた男の中からマシなのを選ぶ形が古来の風習であったりする。もちろん食い扶持も増えるから子を作る意味があるのかはわからない。娯楽として子作りする場合も多いだろう。

貧困なのに子を作るなんてと言われるかもしれないが他の娯楽もなく、知識もなければ人口は増えていってしまうからだ。

アフリカのある民俗では、なにを決めるにも会議で4代先の子供達や環境にとって得策であるかという所まで突き詰めて考えて決めるのだそう。かなり思慮深い。

食べれる分だけ。必要なものだけ。自分にとってだけじゃなく先の代の、未来にとって良い物事かを基準に考える。

彼らは高度な科学や文明を持ち合わせていないが数万種類の薬草を把握し、薬膳として治療に用いたり、先々代から脈々と受け継がれてきた生きるための知恵で自分たちの集落を保持している。



現代の日本では、経済を大きくしていくことで、国や地球規模で確かに文化は発展したかもしれない。

それと同時に国を支える平民の負担は重く苦しいまま改善されず長い歴史を築いてきた。

現代日本のように資本主義社会にするならば本来は、国が国民を養わないなら破綻するのではないか、矛盾があるのではと感じる。

納税、労働、教育という国民の三大義務をなんの抵抗もなく受け入れている時点で刷り込み教育が行き届いており、皆一様に洗脳された平民なのだ。

日本の歴史を紐解くと、この平民と税収、貧困。の3セットは平安、江戸~の古くから変わっていない。これからもまず変わらないだろう。

我々平民は、ただ納税し貧困民として死にたえるのか。

自分達で未来を作り出せるように、先の代の為に後押し出来る世界を作れるのか。

今の社会情勢も、平安や江戸〜明治大正と、我々には関係ないと目を瞑り、耐え忍んだ我々平民の怠惰が招いた貧困なのかもしれない。

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