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RECOMAN経営陣それぞれの生い立ち 兎来栄寿編

産まれた時から、自分がマンガ読みになる運命は決まっていた

by RECOMAN CMO 兎来栄寿

こんにちは。株式会社RECOMANのCMO兎来と申します。
CMOは一般的にはChief Marketing Officer(最高マーケティング責任者)ですが、弊社においてはChief Manga Officer(最高マンガ責任者)です。

現在RECOMANは、
「マンガの力で世界を変える」
というヴィジョンを持ち
「人生を変えてしまうような、人とマンガの出会いを一つでも増やす」
「世界中の人々が、マンガを読める・描ける世界にする」
というミッションに挑むため、新しいマンガアプリ「RECOMAN」を開発しています。

そんなRECOMANにはどんなメンバーがいて、どんなことを考えているのかを知っていただくためにこのノートを立ち上げました。

今回は、コアメンバーであるCEOの細川とCMOの私による対談形式で、私の生い立ちに迫っていきます。



『ドラえもん』から始まったマンガ人生


兎来
マンガの原体験ということで言いますと、月並ですが『ドラえもん』です。未就学児だったころに近所の幼馴染もそのお母さんも結構マンガを読んでいて、そのお母さんから『ドラえもん』の単行本を20冊くらいプレゼントとしてもらったんですよね。

細川
おー、すごいですね。

兎来
アニメで『ドラえもん』を観ていて親しみがあったこともあり、のみり込むように読みまして。子供のころはルビも振ってあって『ドラえもん』は読みやすかったと思うんです。
両親は遅くまで家にいない日が多くて、母親の職場の待合室などで夜遅くまで待っているときに『コロコロコミック』を買ってもらい隅から隅まで通読していました。同じような経緯で『コミックボンボン』なども読み始めまして、そこからいろんなマンガの存在を知っていったという感じですね。

細川
『ボンボン』も読んでたんですね。どっちかじゃなくて。

兎来
最初は多分交互とかだったと思うんですけど。その後『ドラゴンボール』のアニメを観ていたんですが、単行本はアニメよりも先に話が進んでいるということを知って。単行本を読み尽くした後はさらに『週刊少年ジャンプ』というものを追えばその続きまで読めるらしいということを知って、それから『ドラゴンボール』目的で『ジャンプ』も読み始めたという感じですね。

細川
それが何年生くらいですかね?

兎来
1年生ぐらいですね。

細川
早いですね。なるほど。

兎来
児童館にもよく行っていて結構マンガがいっぱいある児童館で、『ドラゴンボール』全巻が置いてあって最初から全部読むことができたのはすごくありがたかったですね。

細川
そこで追いつけて、最新話は『ジャンプ』で読めたと。

兎来
小学校低学年のころは『コロコロ』と『ボンボン』と『ジャンプ』をとにかく読みたかったんですよね。『ジャンプ』が1冊200円ぐらいで『コロコロ』と『ボンボン』が400円ぐらいだったんですけど、全部買うと1600円弱。だからどうにかそれを買えるだけのお小遣いが欲しくて、お手伝いをいっぱいしたりして。

細川
もう今の僕らの金銭感覚から言うと1500円ってすごく安いですけど、物価も若干違いますし、子供にとっての1500円って結構ですよね。

兎来
すごく大きいですよね。

細川
多分小学校1年生ぐらいだと500円ぐらいですもんね。そこをだいたいみんな『ボンボン』が『コロコロ』から二択を迫られたわけですけど、そこはもうネゴシエーションで突破したと(笑)。その時点で普通の子供の三倍近く読んでますよね。

兎来
そうですね(笑)。近所の駄菓子屋は月曜日は朝5:30開店で『ジャンプ』を売ってくれて、コンビニでも『コロコロ』と『ボンボン』は朝6:00くらいに行くと売ってくれたので朝イチで自転車で買いに行って読んでから小学校に行っていました。

細川
すごいですね。『ジャンプ』はもう当然子供のころって大体全部読みますよね?

兎来
最初はさすがに全部は読めなくて、一番最初に読んでたのは『ドラゴンボール』と、ゲームの『ドラゴンクエスト』が大好きだったのもあって『ドラゴンクエスト ダイの大冒険』という絵的にも読みやすいものから入って。やっぱり最初は『ジョジョの奇妙な冒険』とかは絵が怖くて読めなかったですね。

細川
いやー、わかります。僕も5年生のときには全然良さがわからなかったです。徐々に歳を重ねるにつれて読める作品も増えていって、みたいな。

兎来
あとはお正月に親戚の家に集まる行事が毎年あったんですけど、その親戚の床屋に『北斗の拳』とか『キャッツアイ』とか『課長島耕作』とか『美味しんぼ』、『ガラスの仮面』や『王家の紋章』などの少女マンガも結構置いてあって。巻数が多い作品ばかりがたくさん(笑)。 従姉妹もマンガが好きで『りぼん』『なかよし』『ちゃお』『花とゆめ』なども時々読ませてもらっていました。

細川
床屋にありがちなやつですよね(笑)。数年かけてみんな通うから。

兎来
大人の話はものすごくつまらないので(笑)、ひたすら朝から晩までマンガの世界に没頭してお正月から10時間ぐらいずーっとマンガを読む生活を毎年送り、そこで結構大人向けのものも読んだりして。

細川
だいぶ早いですよね。

兎来
そうですね。3年生になるころには『ゴラク』系などの青年マンガも結構読んでいた気がしますね。

細川
すごいですね。小学3年生のときに公文式を全部終わらせたみたいな話ですよね(笑)。

兎来
(笑)。やっぱり3年生になるともう『ジャンプ』は全部読めて。当時は特に『こち亀』がすごく面白く感じていたところがあって。

細川
割と時期的には全盛期ですもんね。

兎来
『こち亀』1冊読むだけでものすごい知識量が詰まっているので当時それがすごく楽しく感じて。とりあえず『こち亀』は全部読もうと古本屋に行って、1冊何十円とかのをなんとか探してお年玉などで買い集めて読んだんですよね。『らんま1/2』とか『栄光なき天才たち』とかも30円くらいで売っていた古本屋が近所にあって、とても助けられていました。

4年生になると転校生が隣の席にやってきて、その転校生がすごくマンガ好きで「まんだらけに行こう」と誘ってくれて初めて渋谷の『まんだらけ』まで行って。

細川
渋谷店の方にいったんですね

兎来
そうですね。それで行ってみたら「なんだここは!」と。

細川
『まんだらけ』最高ですよね。

兎来
最高でしたね。もう何万冊あるのかわからないんですけど入った瞬間に「ああ、ここにあるマンガを自分は人生で読み切ることはできないんだろうな……」と感じて圧倒されたというのが現体験としてあって。ただ、今考えると10万冊ぐらいなら1年で2000~3000冊読めればまあまあ読めちゃうなとは思うんですけど。

細川
まあまあ、でも小学生からしたらとんでもない量ですよね。

兎来
そうですね。小学生の財力には限界があるので、中古であっても全部買うなんてもちろん無理ですしね。ただ、そうして『まんだらけ』に行ったことがきっかけで手塚治虫さんや萩尾望都さん始め著名な作品との多くの出会いも果たせて。文庫化などで安く売っているものもあって、小学生の懐には優しかったです。

そういった形で、小学生中高学年のころには『火の鳥』などとも出会い、マンガってなんてすごいんだろうと感動に打ち震えながらマンガの深淵にズブズブと浸かっていった感じですね。お年玉を握りしめて神保町に通い始めたのもこのころです。小学校5年生くらいのときにはクラブ活動が必須だったんですが、マンガクラブというのがあってそれにも入って。

細川
マンガクラブがあったんですね。すごいですね。

兎来
そこの何が良かったかって、そのクラブに入っている人だけはマンガを学校に持ってきてもよかったんですよ。

細川
それすごいですね。みんな普通は頑張って隠し持っていくわけですからね。先生が来たら「隠せ隠せ!」みたいな感じで(笑)。

兎来
そうなんですよ(笑)。ちょうど月曜日がクラブ活動の日だったので、『ジャンプ』最新号とかも持っていけたんですよね。なので鳥山明さんの絵を模写したりして過ごしていましたね。

細川
それはめっちゃいいですね。マンガを学ぶ上では。へえ~。

兎来
当時は『ドラゴンクエスト』が大好きだったので『ガンガン』や『ドラゴンクエスト 四コママンガ劇場』なども読みつつ。

細川
うーん、時代ですね。ありましたね。

兎来
実はそのころ『四コママンガ劇場』に投稿したこともあったんです。

細川
小学生にして。

兎来
はい。ただ絵を描く才能がないということは、そのころから薄々解っていて。

細川
アハハ。ありますよね、向き不向きって。


人生の指針を固めた中学生以降


兎来
中学は3年間テニス部で『テニスの王子様』や『Happy!』の必殺技を真似しながら生徒会長や合唱の指揮者などもやっていたんですけど、1度過労で肺炎を患ってしまって。小学生のころは運動は全然だったんですが、高学年のころから『ドラゴンボール』の影響で重い靴を履いてトレーニングしていたら中1のころには長距離走も短距離走もクラスで一番になっていて(笑)。でも肺活量がガタ落ちして運動を本気でできなくなってしまったので、 もう人生を文化系に全振りしようと。秋葉原やコミケに初めて行ったのもこのころですね。

高校では漫研はもちろんなんですけど。新聞部、文芸部、パソコン部、放送部、光画部、園芸部、明日の物理を考える会と文化系を8つ兼部して生徒会活動やボランティア活動もしていました。

細川
すごいですね。

兎来
ただうちの高校は定時制との兼ね合いで全ての部活動を17時で終わらなければいけないというのがあって。なので放課後や土日で清掃やPC作業や飲食店やスーパーなどでのバイトもたくさんして、マンガを買うお金もためつつ。

細川
バイト大事ですよね。バイトできるようになると一気に買えるマンガが増えますからね。

兎来
そうなんです。バイトは大学時代含めると30種類以上はやったと思います。最初のバイト代で買ったものは絵を描くためのコピックでした。その後にマンガもたくさん買いましたけど(笑)。

大学でも活動が活発な漫研に入って。そのころに数十ページのマンガを何本か描いたんですが、やっぱり描くのって本当に大変で。マンガを読むのも含め趣味も全部我慢して夏休み2ヶ月近く本当に朝から晩まで毎日死ぬ気でやって、それしか描けなかったんですよね。

絵を描くことを楽しんだりネームを描いたりする才能が自分にはないな、というのをはっきりと思い知らされたのがそこですね。

細川
実際に描いてみると、話を考えるのと、絵を描くのってどっちが大変だったんですか?

兎来
キャラクターとか世界観とか話を考えるのは大好きなんですよ。ただ、やっぱり絵を描くというのが本当に難しくて。私は絵をどうしても平面的に捉えてしまうんですけど、上手い人は二次元の中に三次元を視ているんですよね。自分の頭の中で自在にカメラを動かせるようなんですけど、その能力はなくて。

細川
あーなるほど。

兎来
何より本当に絵を描くのが好きな人って、もう何も言われなくてもペンと紙と暇があったらもう本当にずっと描いてるし、それを絶対に苦とは思わない。楽しいし好きだからやっているという。周りでプロになった人も結構いるんですけど、そういうことを息をするように続けられる人がやっぱり漫画家になれるんだろうと思いますね。

でもやっぱりマンガは大好きなので、なにかしらマンガに関わることをできたらいいなとは漠然とずっと思いつつ。

そのころ母方の祖父が重い認知症になってしまって、自宅で介護しなければならずフルタイムで働くのが難しかったので、在宅でもできるPCを使った仕事だったり日程調整がしやすい仕事をやったりしつつ過ごしていました。

母方の高祖父がとある大学を創立した人で、本を何万冊も持っていたそうなんですよね。その血筋を受け継いでるなと感じるんですが、祖父も非常に博識で動植物や美術、文学や音楽などさまざまなことを教えてくれて。認知症になる前も元々ガンで余命3年と宣告されていたんですが、毎日健康な食事を自炊して散歩を1時間以上するなどストイックに節制して、10年以上そこから生きました。

「何事も経験」「面倒くさいと思うことほどやりなさい」「常に体は鍛えておきなさい」「誰もやろうとしないことをしなさい」「人のために何ができるか考え続けなさい」などの教えを幼いころから受けて、私の中にずっと支えになっています。誰がどんなことをしても決して怒ることはなく穏やかで、ただ大事なことはしっかりと諭してくれた、人生で最も尊敬していた人です。


マンガHONZからマンガサロン『トリガー』誕生


兎来
そんな折に「HONZ」というノンフィクションの書評サイトがあるんですけど、それのマンガ版である「マンガHONZ」というを作りたいと堀江貴文さんと『宇宙兄弟』の担当編集の佐渡島さんという方々が始めていて、その最初期のメンバーに加わりまして。

『マンガHONZ』の理念が「『ONE PIECE』や『進撃の巨人』のように誰もが知っているマンガじゃない中にも素晴らしい作品が世の中にはたくさんあるから、そういうものを掘り起こしてお薦めして世に広めていこう」というものだったんですけど、その理念は今もずっと持っていて。

その活動を数年やっていたときに、メンバーの中で「オンラインで広く薦めるのもいいけどもっと個々人に向き合ったおすすめをリアルな場を作れないか」という話が出てきて「マンガサロン『トリガー』」というお店を作ろうということになったのが2014年ぐらいですね。

2015年には当時のマンガ・アニメ関係のクラウドファンディングでは最大額であった1千万円以上のお金が集まって、皆さんのお陰でお店を開くことができました。マンガを読んでお酒を呑んで語れる場所というコンセプトで、1万冊のマンガを置いてお客様にマンガソムリエとして私がお薦めのマンガを差し出したり、漫画家さんを始めいろいろな方をお呼びして日々イベントを開いたりしていました。

『トリガー』は自分で言うのもなんですけど、すごくいい場だったなと今でも思っているので本当にまたやりたいですね。

細川
やりたいですよね。僕と兎来さんの出会いのきっかけも『トリガー』ですよね。

兎来
『トリガー』が2018年の12月で閉店することになって、そのタイミングで声をかけてくださったのが弊社代表の細川です。

細川
ちょうどRECOMANが立ち上がるタイミングだったんで。

兎来
お店にも何回か来ていただいて。一番印象的だったのはペッパー君を使ったマンガプレゼンでしたけど(笑)。

細川
あっはっは(笑)。

兎来
元々の理念でもあったんですけど「いろいろな物事の『きっかけ』になるお店でもありたい」という想いが『トリガー』という名前には込められていたので。ただ、その後コロナもあって飲食店が全般的に厳しくなってしまい、特に『トリガー』は対面して話すことがコンセプトなので難しいところがあって。ようやくここ最近落ち着いてきたので、またリアルな場もやりたいなという思いはありますね。

そんな紆余曲折もありまして、今現在はRECOMANでCMOとして唯一無二のマンガデータベース構築やそれを用いたレコメンドシステムの開発などをやらせていただいております。他にもお声がけくださった方や企業もあったんですが、一番理念に共感したのが細川さんでした。

細川
RECOMANをやりながら、他にもマンガソムリエとしての活動も。

兎来
そうですね、本当にマンガ関係の何でも屋みたいな感じで。雑誌や新聞やWEBに書評を書いたり、テレビやラジオで語ったり、番組の監修やマンガコンサルをしたり、イベントやワークショップを行ったりなど表に出るもの出ないものありますが、ありがたいことに本当にいろいろとやらせていただいています。

お仕事は随時募集中なので、いつでもお気軽にお声がけください(笑)。


マンガで「聖地就労」も


兎来 
「マンガサロン『トリガー』」で働く前は、『咲-Saki-阿知賀編 episode of side-A』の影響で奈良県吉野山にある天皇陛下もお泊りになった300年の歴史がある最古の旅館で働いてた時期もあります。元々聖地巡礼で通い詰めていたのですが、山全体が世界遺産で風光明媚で、空気は澄んでいて人も暖かく、ゆくゆくはそこで隠棲したいなと思い始めていたところで働き手を募集していたので、これ幸いと「聖地就労」しました。

細川
桜がすごく有名なところですよね。

兎来
そうです。日本一とも言われているぐらいで、秀吉なんかも何度もお花見をしてた場所ですね。

細川
『ブラタモリ』で一回見ましたけど、行きたいなと思いました。

兎来
交通のアクセスは本当に悪いんですが、ぜひ一度来ていただければと。吉野に興味のある方はご案内するので連絡してください(笑)。辺鄙な山奥でも夜にマンガをポチると翌日の午前中にはもう届けてくれるという現代のシステムのお陰で、旅館で働きながらオフの時間にマンガを読み続け紹介を書くという生活が成り立ちました。

聖地で働きながら、訪れてくれるファンのためにイベントを開いたり観光案内をしたりしつつ、地元の方々とも交流を深めて行って。後醍醐天皇の南朝皇居でもあった格式高い神社があるんですが、そこの宮司さんと仲良くなったことで「結婚式をするときはぜひうちで!」と言われ、数十年間で3回しか執り行われたことがないらしいんですが、そこで式も挙げさせていただきました。

あと、私は実家というものが長年ない状況だったんですけど、働いていた旅館では本当に実の子供のように扱ってもらって、いつでも帰ってきて良いよと。実家があるということはすごくありがたいことだなと。

マンガをこよなく愛していたら、世界遺産の中に就職先と実家と結婚式場ができましたという本当にマンガのようなお話です(笑)。


終わりに


細川
マンガ好きな人はいっぱいいますが、兎来さんって多分日本でトップクラスにマンガを読んでる人だと思うんですけど、そうなったターニングポイントってどこなんでしょう。

兎来
なんでしょうね。でも、それこそ空気を吸うように絵を描いている人の横で、空気を吸うようにマンガを読んでいたんですよね。3歳くらいから絶え間なく読んでいる気がするので。

細川
その時には運命は決まっていたと。なるほど、いいですね。

兎来
1万時間やればその道のプロになれるみたいな話がありますけど、マンガに触れている時間は本当に何万時間にもなると思うので。本当にずっと積み重ねてきた道がこうなっていたという感じですかね。あえてターニングポイントというなら、3歳のときに『ドラえもん』をもらえたことでしょうか(笑)。

細川
純粋に好きで好きで読んでいたらこうなりましたってことですよね。マンガを一番読んでる人になろうとかゴール設定があって読んでるわけじゃなくて、ただただ好きで。

兎来
そうですね。ただただ本当にずっと好きでいただだけです。『天牌』というマンガで「人生の中で麻雀に没頭する男と、麻雀の中で人生を送る男」とキャラクターを対比する場面があって、私は後者の「マンガの中で人生を送る男」だと言われたことがあるんですが、まさにそういうことなのかもしれません。



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