リヴァイアサン(脚本)のこと

松本シネマセレクトでの「サクリファイス」の舞台挨拶前、みんなで入ったご飯屋さんで、青木柚さんにはじめて「リヴァイアサン」のことを話した。「サクリファイス」と同じ登場人物たちがでてくること、その中の一人の平凡な死から物語がはじまること、だけど続編かどうかは別にどうでも良いと思ってること。だけどだけど沖田という人物はできれば同じ人に演じてほしいと願っていること。なぜか途中「仮面ライダー電王」の話になったりもして。何度も頷きながら聞いてくれている青木さんの目が、お芝居している時の冷たいナイフみたいな光とは少し違う穏やかな光り方をしていて、うわあ綺麗だなと思ったことをよく覚えている。お店をでて劇場に向かって、辛いことの多かった劇場公開の日々のなかでその日がどれだけ宝石だったかはまた別の話。

それよりもっと前、コロナ禍でどんどん人が消えていくアップリンク吉祥寺でのある日の上映の後、一人の観客の方が声をつまらせながら「まだ映画をつくりたいと思いますか?」と質問してくれた。「今はまだ—空っぽなんですが—」と言ったきりかなり長い間黙ってしまった。挙句「でも、はい、また……」とへろへろな返答をした。あれはもしかしたら、その観客の方にさせたくない顔があって、咄嗟についた嘘だったかもしれない。でも、その嘘と沈黙の中に確かに「リヴァイアサン」の一回目の鼓動を聞いた気がする。目に涙を浮かべて笑いかけてくれて、書かなきゃって思った。少しずつ壁に色んなことを走り書きした付箋を貼るようになって、松本シネマセレクトを経て、実際に書き始めたのはそれから一年以上後のこと。もし、もしもこの脚本が映画になったらその人は観に来てくれるだろうか。

「リヴァイアサン」を書き切る力を伊藤計劃さんと津原泰水さん(の特に「ルピナス探偵団の憂愁」という作品)にもらった。二人とももうこの世界には居ない人。「リヴァイアサン」がひとつのきっかけとなって、大学でシナリオの授業を受け持つことになったけど、そこで二人の作品の話を何度もした。もしかしたらその中の誰かが物語を読んで、影響を受けて、また新しい物語を紡いで……
「そして、いったん物語として記憶された現実は、当人の生のみならず他者の生へも波及し、影響を及ぼしてゆく。母の作る朝食の味すらもひとつの物語であり、舌はその物語を受けとめて個人の一部となる」(伊藤計劃「人という物語」)
「毎日の食卓にも、誰かの物語が生きている。
この世界は、そんなささやかな物語の集合体なんだ。」(伊藤計劃「メタルギアソリッド ガンズオブザパトリオット」)
これらは「リヴァイアサン」のテーマでもある。

第一稿を書き上げたのはいつのことだったろう(2021年の……ちょっとこの頃の記憶が曖昧)。全然、ダメだった。しかも長すぎた。でもとにかく一度最後まで書き上げたんだ、それが大事なんだ、そう自分に言い聞かせた。心が壊れるようなことが起きた。このことはもう一生誰にも話したくない。病院ですら全部は話したことない。だけど今でも毎日思い出して身体が石の様に重く冷たく動かなくなる時間帯がある。乗っていた電車からおりて呼吸が落ち着くのを待たなきゃいけない時がある。つくり話みたいだけど本当に月が大きくて赤くて、帰るには南多摩の是政橋という大きな橋を渡らなきゃいけなくて、その日偶々傍に居てくれた友人が渡りきるまでずっと見守ってくれていた。終電はなくなっていたから橋の向こうの東横インにひとりで泊まった。トイレで何度も吐いた。それでも頭の中で「リヴァイアサン、リヴァイアサン」と繰り返してた(そういえばタイトルはいつ決めたんだっけ、書きはじめる前にはもうあった、海の怪物の名だけど自分にとっては優しい御守りみたいになってる)。

心は今もあの暗い橋を行ったり来たりしている。

もう一度ゼロから書き直すことにした。夜中から明け方にかけて毎日書いてた。ある日、職場の前まで来て足が動かなくなった。電話して面談もして何ヶ月かお休みを貰えることになった。パソコンだけ持って静岡に行った。着いてすぐ柗下さんが靴を買ってくれた。アシックスの黒いランニングシューズ。靴紐をぎゅっと結んだ瞬間のこと、夕方の海の匂い、今でも鮮明に覚えてる。毎日堤防を走りながら書いた。遠くに清水の港の明かりが見えてそれが勇気だった。脚本の冒頭、メインタイトルが出る直前に「遠くに街の灯りが見える。走り出す。」と書いた(主人公の翠は陸上部の女の子だ)。
ご飯もよく食べるようになった。毎日、朝になると柗下さんがおにぎりとあったかいお茶を持ってきてくれた。脚本に翠があったかい食べ物を食べてほっとして泣くシーンを書いた。
走る速度があがって距離もどんどんのびた。書くのは相変わらず辛いけど幸せでもあった。人生でいちばん幸せな日々だったかもしれない。

夜中、半分まで書いたところで読み返した。面白いかどうかまったく分からなかった。もうダメかもしれないと思った。全部無駄だったかもしれない。柗下さんが起きてきて「こうたい」と言ってくれた。布団に入って泣いた。いつの間にか寝てた。起こしてもらった。「読んだよ、最高」と言ってくれた。「あたまおかしくなるほどいい!」とも言ってくれた。これは作家のジョー・ヒルがパートナーに言われて嬉しかった感想で、それを好きなのを知ってて言ってくれたのだ。コンビニで何か奢ってあげようとも言ってくれた。コンビニ着いて、柗下さん財布忘れてきてて、自分が奢った。夜中に甘いものを死ぬほど食べてそのまま眠るという禁断の術をつかった。次の日から朝も走るようになった。書いた。走った。書いた。走った。身体がちょっと筋肉質になって、物語は大きく逸脱し自分の予想もしなかった場所にたどり着いた(〈くじら館〉という場所だった)。そこからはあまり苦しくなかった気がする。誰が何を言うか何も知らないけど、全部知っているみたいに書けた。どうしても詰まった時は柗下さんと一緒にその動きをやってみると突破できた。そうすると、拾った本がとつぜんナイフにかわるみたいな不思議なことも起きた。楽しかった。僕はもう大丈夫、きっと生還するだろう、そう思った。

書き上げた。東京に戻った。事情があって12月31日までと期限を決めて映画化のために必死に動いた。これはまた(あまり書きたくないような)辛いことの連続だった。渡してすぐに脚本を読んでくれた篠崎誠監督と、酒井善三監督の激励の言葉がなければ乗り切れなかったと思う。あの言葉たちがあったから、何が起きても「いや、この脚本があるから大丈夫なんだ」って思えた。いまも思う。結局期限までに映画化には至らなかった。一旦引くことを決めた。無理して面白くない映画をつくってしまったり、何より誰かを無理させて傷つけてしまうよりずっと良い。協力してくれていた人たちに謝って(みんなずっと待ってますって言ってくれた)、脚本を製本したものを約束の証として渡した。表紙は青にした。

その約束を持って、再びできることをやろうとうろうろしてる。書き上げてから随分経ってしまった。あの頃傍に在ってくれたものが今はもうなかったりする。ランニングシューズはボロボロすぎてもう履けない。清水港の明かりも見えなくなった。すべては自分だけが覚えている遠く擦り切れた約束なのかもしれない。
でも、体調がどんどん悪くなって、もうそんなにたくさんのことは出来ないかもしれないと思ういま、最後に「リヴァイアサン」という物語だけをどうしても果たしたい。その気持ちを自分自身に確認したくてこの文章を書いた。

「かしこにぞ、レヴィアタン、
生きとし生けるもののうち最も魁偉なる身を、
岬角のごとくながながと海原に横たへて、
かつ眠り、かつ泳ぎ、はた動く島かと見まがはれ、
大海を鰓もて呑みて吐く息に潮と噴きあぐ」(「失楽園」)

だけどすごく平凡な愛の物語でもある。

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