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もう一度、サクリファイス のこと

この文章は2019年9月、東京国際映画祭での『サクリファイス』上映にあわせてTumblrに書いた文章の再掲になります。
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第32回東京国際映画祭にて、映画『サクリファイス』が上映されることになった。上映が決まるたび、報告したいと思う人がいる。いまはもう会えない人。

最近よく、サクリファイスの脚本をずっと書いていた部屋のことを思い出す。芦花公園にあった小さな部屋。ねじが緩んでがたがたと揺れるテーブル。深夜に突然やって来てギターを弾き始めるあいつ(集中できないし、隣の部屋の人に怒られる)。近所のサンクスのコーヒー牛乳。

そこで一文字目を書きはじめた時のこと、はっきりと覚えている。大学のゼミの課題だった。まずはメモを書いてくるように言われたけど、いきなり脚本に取りかかった。どうしてそんなに前のめりだったのだろう。未だ見ぬ物語に胸が躍って……というわけでは決してない。僕にとって物語は救いで、なくては生きていけないものだけど、だからこそいつだって死に物狂いで探さなくてはならないものだ。書くことは、降りていくこと。深くて暗い井戸の底では、巨大なミミズみたいな化け物が蠢いていて、それが自分自身の一部でもあるのだという事実に打ちのめされながらも、暗闇で光るたったひとつの「何か」を見つけて、掴んで、再浮上して来なければならない。何も掴めず帰って来てしまうことだって勿論ある(むしろそっちの方が多い)。ただ心の空洞を拡げてしまうだけ。いつか、帰って来られなくなったりすることもあるのだろうか。そのことに少し焦がれたりもする。とにかく、その時はいつもよりほんの少しだけその光る「何か」の存在を強く感じて、それを逃さぬようにと必死だったのかもしれない。
篠崎先生から「東日本大震災」というテーマを与えられて、自分に書けるだろうかと悩みはしたけど、それが(ポケットの中の折り畳みナイフみたいにずっと隠し持ってきた)「サクリファイス」という言葉と結びついた時ーー暗闇の向こうで、冷たい眼をした若者たちの姿が閃光のように瞬いた気がした。その姿は、写真家の柗下知之さんが撮ってくださったメインヴィジュアルにそのまま写っている。

脚本の第一稿を書き上げた。大学を休学することになった。工場で働きながら、時々、映画にならなかったサクリファイスのことを思い出していた。悲しいことがあった。映画どころではなくなった。最期の知らせを聞いた時、夜間清掃アルバイトの帰り道で、雨が降っていた。電話を切って、自転車を漕ぎながら、どうしてどうしてと問うことしかできなかった。芦花公園の部屋は引き払うことになった。空っぽになった部屋の隅で、まっちゃんが泣いていた。あれが人生でいちばん悲しかった日だ。あれよりも悲しい景色を、この先見ることはあるだろうか。かける言葉が見つからなかった。僕が信じてきた物語など、何の役にも立たないのだと思い知った。東日本大震災が起きた時もそうだった。ギターのあいつとは、その少し前にくだらないことで喧嘩して、それ以来二度と会っていない。

篠崎先生から連絡があった。大学でスカラシップ制度が始まるから、何か脚本を出してみるといいよと言ってくれた。休学してても応募できるからと。サクリファイスを出したかったけど、最初に書いた時とは自分も時代も大分状況が違って(ますます悪くなって)いて、最初から全部書き直すことにした。前よりもっと深いところまで降りていった。そこでずっと、いなくなってしまった人たちのことを考えていた。戻って来た時、最初は脇役だった女の子が、もう一人の主人公と呼べるほどの存在になっていた。名前も変わって、翠になった。その頃、石の図鑑とかをよく眺めていて、翡翠が好きだと思ったからそう名付けた。そうしたらまっちゃんが、宮澤賢治の詩の中から「ひすい」という単語が出てくるものを探してきてくれた。

海があんまりかなしいひすいのいろなのに/そらにやさしい紫いろで/苹果の果肉のような雲もうかびます(「三原 三部」)

僕は、この期に及んでまだ信じたかったのかもしれない。自分自身に言い聞かせたかったのかもしれない。現実ではあり得ないとされることでも、物語の中では起こり得るんだと。そのことが、逆に、一ミリくらいかもしれないけど現実を変えることだってきっとあるんだと。

映画が完成した。エンドロールに映し出される波の写真は、先述した写真家の柗下知之さんの作品集からお借りしたものだ。夜の海に印画紙を浮かべて、特殊な方法で海面を焼き付けた写真。タイトルは『 I'm going to go to the sea, too.』。知之さんはまっちゃんの実のお兄さんだから、まっちゃんにとっての大切な人は知之さんにとっても大切な人で、だから知之さん「も」海に向かっているのだとしたら、先に行ってしまった人とは誰のことなのか、僕は知っている。勿論、色んな解釈ができると思うけど、やっぱりそれはたった一人のことを言っているのではないか。そのことは、もしかしたら最後まで映画のタイトルを『SACRIFICES』という複数形にできなかった(そうした方が良いという意見を何人かの方から頂いていた)ことと関係しているかもしれない。サクリファイスは、先に行ってしまった人たちの物語でもある。おこがましいとは思いつつ、この写真を使わせてくださいとお願いした。つっぺさんが作ってくれた曲に、その写真と、みんなの名前を載せて、ぐみさんに見せた。ぐみさんが詩を書いてくれて、歌もうたってくれた。彼女はそれを、遺書のような歌だと言った。

空が沈む/怖くはない/だからあなたはどうか/翡翠の向こう側を/抱きしめておやすみ/どうかおやすみ(「小譚歌」)

そのような時間の積み重ねの先に、この映画はある。あの日、芦花公園のあの小さな部屋で書き始めた一文字目が、いまこのような時間に繋がっているなんて想像もできなかった。嬉しいことも、悲しいことも。
あの頃、少しも知らなかった人たちのことをいまは知っている。別に仲良しなんかでは少しもないけど、その人たちの行く先がとても気になってしまうくらいには、多分好きだ。いま、あの空っぽの部屋で泣いていたまっちゃんに声をかけてあげられるとすれば、僕はきっとそのことを話す。僕らはこれまでずっと二人きりで映像をつくってきたけど、次は違うんだよ。いつか登場人物のたくさんいる映画をつくってみたいと言ったことを覚えているかな、それをやるよ。たくさんの人たちに出会うよ。その人たちと一緒に、いまはまだ荒削りな第一稿があるだけのサクリファイスを完成させるよ。たくさんの人がそれを観て、たくさんの言葉をかけてくれるよ。信じられないかもしれないけど、全部本当のことだよ。
いまはただ涙することしかできないけど、僕らはもう一度立ち上がって歩き出すんだ。時間が経っても、傷は少しも癒えない。悲しみは悲しみのまま、悲しみ尽くすことしかきっとできない。多分死ぬまで。それでも証明して見せるんだ。まるで物語みたいに。全存在を懸けて。世界の果てのように思えるこの寂しい空っぽの部屋だって、必ずどこかに繋がっているのだと。

あれからもうすぐ丸三年が経つ。

2019.9.26

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