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明日も明後日も生きていたくなる、そんなものがあればいいのに

最近教習所で仲良くなったママ友さんに、数年前に亡くなった息子がいるという話を聞いた。5歳で、交通事故だったようだ。

おもむろに取り出したスマホで、その子の赤ちゃん〜5歳までの写真をまとめている動画を見せてもらった時、画面の中で幸せそうに笑う、この可愛い子はいないのだと思うともう、どうしようもなく悲しくなった。

その場で堪えきれず泣いてしまった私を見て、ママさんに「悲しい気持ちにさせてごめん」と謝らせてしまった。でも、どうしても無理だった。堪えきれなかった。こんな身近に、最愛の子供を失った人がいるということがもうショックだった。私も人の親なので、我が子の大切さだけは身に染みてわかる。それがある日突然奪われる。そう考えただけで、脳がバラバラに壊れていく感覚に陥ってしまう。


強くてすごい、と言った私に対して彼女は笑顔で「時間が経ったから」と言った。
今は可愛い女の子のママである彼女。そうやって笑えるようになるまで、どれだけの絶望感を味わってきたのかと思う。それは私の想像を容易に越えるだろう。

その夜、夢を見た。

息子が誰かに何かの理由で連れて行かれて、何かの生贄にされるというとても恐ろしい夢だった。

息子を取り返そうと私が必死になっていた事だけ印象に残っている。

どうしてこんな悲しい別れがこの世に存在するのだろう。色んなパターンを考えるけど、やっぱり息子がいなくなった世界なんて私にとっては何の興味も価値もなくなって、その絶望は比喩でも何でもなく私を殺すと思う。

なのに今、そうやって悲しい顔も見せず人と話して、外に出れていることかもうすごいし、今の娘さんの為に運転免許を取ろうと思える事も本当に心が強いと思うし、そこまで私だったら強くいられないかもしれない。

昔読んだ金城一紀の小説で、こんな事が書いてあった。

「クリフォード・ブラウンは二十五歳で死んだ。
 ソウルが強すぎたんだ。
 ソウルの強すぎる人間は神様のレーダーに引っ掛かっちまう。
 神様はそういう人間を近くに置きたがる。
 だから、ソウルの強すぎる奴はみんな早く天にのぼっていく」

要約すると、素敵な人は神様に気に入られて一足先に天国へいくという事。残された人間の為にある慰めだけと、少なくとも私はこれで少し救われた。

小学生の時、2つ上の幼馴染の男の子が亡くなった。
最後に会った日、一緒にゲームをしていた。頭が痛いと言って彼は先に帰ってしまった。その夜すぐに救急車に運ばれて、亡くなるまではもう、あっという間だった。原因は当時は分からなかったらしいと、記憶している。

彼はとても優しい男の子で、小学生だけど疲れた母親にコーヒーを入れてあげるような、精神年齢的にはもう大人顔負けのステキな少年だった。

20代前半の時、上記のセリフを小説で読んだ時、私は真っ先に10代で亡くなった彼の事を思い出した。同時に彼の両親の事も。

決して本人の意思でなく、若くして亡くなってしまう人がいるという現実がある中で、
せめてそうだったらいいなといつも思っている。あくまで私の中でのみ、だが。

実際、息子が何らかの理由で私より先に亡くなってしまったら、私はそう思えるだろうか。誰かに殺されても、そんな呑気な事が言えるだろうか。

何より、私は打ちひしがれている人に対してスピリチュアルで対応しようとする人間がクソほど嫌いである。

そんな何のエビデンスもない寝言で、誰かの心に付け込もうとする奴はもっと嫌いだ。壊れそうな人ほど、曖昧で不確かなものに縋りたくなるという心理はとてもよく理解できる。スピリチュアルが全てそうとは言わないし、それで救われる人がいるのも解る。でもそういった洗脳に使われる手法の一つとして、スピリチュアルが多く利用されているのも現実だ。


はっきり言って分からない。想像すら追いつかない。そういう「わからない自分」でいられている事が有り難い。今ある平凡をなによりも愛している。

彼女と彼女のご家族がこの先はどうか平凡で幸せな人生を。差し出がましいことは重々承知だけど、願わずにはいられない。








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