シナリオ「半分少女」

〇東京上空
  青空の中、鳥の群れが飛んでいる。
語り部「人は誰でも一度ぐらいは人であることがつらいと思ったことがあるのではなかろうか」

〇職業安定所内
  求人広告を眺めている青年から中高年までの人々。
  老若男女問わず仕事を探している。
語り部「とくに不況に喘ぐ先の見えない時代、こんな状況からいつ脱却出来るのかさえ誰も知らないそんな世の中・・・」

〇公園
語り部「動物だったらいいのにとか、動物になりたいなぁとか、弱気になってそう思ったことはないだろうか・・・そう、動物に・・・」
  上空をハトやカラスが飛んでいる。
  その空の下でホームレスの人や覇気の感じられない営業マン、サラリーマンがベンチに腰掛け時間をつぶしている。
  その公園の一角にユキ(16)とジロウ(35)とカズ(27)がいる。
  ユキはショートヘアで華奢で色白の少女である。
  ジロウはいかにもフェロモン全開、黒髪にはポマードたっぷりのジゴロ風の男である。
  カズはジロウの子分で茶髪で身軽く俊敏そうな感じの男である。
  ジロウもカズもテンションの高い話し方をする。
  ユキはベンチに腰掛け、カズはベンチをまたぐようにすわり、ジロウは二人の前に立っている。
  そして、カズは黄色い錠剤の入った小さなビンを手の平で軽く宙に浮かせてもてあそんでいる。
  ビンの中でぶつかる錠剤の音。
ジロウ「ああ。どうやら今夜、家族でスキーに行くらしい」
カズ「じゅあ、家には誰もいないんですね?」
ジロウ「いや、ばあさんと犬がいる」
カズ「犬ですか・・・ばあさんはともかくそれは厄介ですね」
ジロウ「だからさ、お前とユキの二人で犬の注意を引きつけて、その隙に俺がいただく」
カズ「なるほど」
ジロウ「やっぱり犬を相手にするには一人より二人の方がいいだろ」
カズ「そりゃもう。一人は辛いっすよぉ」  
 カズは経験上、強くうなずいている。
ユキ「・・あたし悪いけどやっぱり止めとく」
  ユキは覇気がなく、目はまぶたが重いのか常に半開きの状態である。
  カズは座りながらユキに近づき、
カズ「なんで!?どうして!?別にいいだろ!どうせ日がな一日プラプラしてるだけだろ」
ユキ「なによその言い方。感じわる」
カズ「ほんとじゃねぇーか」
ジロウ「ユキ。初めてだからって別に怖がることはない。お前は運動神経抜群だし、その点、全く心配することはない。楽しくやれるさ」
カズ「そうそう、それに俺たちプロがついているんだから大丈夫だよ!なっ、一緒にやろうや」
  ユキはカズを見る。
カズ「手に入れたときの充実感なんかそりゃもうたまんないよ!」
  カズは小さなビンを手元から軽く投げ上げて、胸の辺りで横からすばやく掴む。
ユキ「・・・」
ジロウ「それに冬はなにかと物入りだからね。不況の冬は寒いぜぇ~。寒さが身にしみるぜぇ~。それはわかってるだろ?」
ユキ「・・・」
  ユキはジロウの目を見て、そして、うつむく。
カズ「俺たちと一緒に来たほうがいい。なっ、ユキちゃん」
  カズはユキの肩に手をかけながら説き伏せるようにささやく。
  カズの手には黄色い錠剤の入った小さなビンが握られている。
  ユキはそのビンを見てから、ふと公園の外を見る。そこには下校中の螺羅英(つぶらえい・16)が、歩きながらユキたちを見つめている。
  ユキと英は目が合うがお互い気まずそうに目をそらす。
  公園のハトが一斉に飛び立つ。

〇幸せのアパートの2階の部屋(夜)
  そのアパートは2階建ての木造アパートである。
  部屋は2LDKである。
  そして、その部屋には夫の高橋直人(27)と妻の香澄(25)と赤ん坊のゆき(1)が暮らしている。
  家族はストーブで暖をとっている。
  ストーブは暖かい光を放っている。
  香澄は編物をしている。
  そこへ夫である直人が帰ってくる。
直人「ただいま」
香澄「おかえり」 
  香澄はは直人のカバンを受け取る。
直人「ゆきは?」
香澄「寝室で静かに眠ってるよ」
  すると突然、寝室からゆきの泣き声が聞こえる。

〇同・寝室
  夫婦が寝室に明かりをつけて入ってくる。二人はベビーベッドのところへいって、直人がゆきをあやしながら抱きかかえる。
香澄「今、ミルクの用意するね」
  と言って香澄は台所へ。
  直人もゆきをあやしながら居間の方へ行く。
  部屋の中を歩きながらゆきをあやしている。

〇同・アパートの外(夜)
  直人がゆきをあやす姿がカーテン越しにかすかに見える。
  その姿をユキは外から一人さびしく立ち止まって見上げている。
ユキ「(ポツリ)・・いいなぁ・・」
  ユキがさびしげに目を閉じるとジロウの言葉が脳裏をかすめる。
ジロウ「今夜、必ず来いよ!」
  ユキは静かに目をあけ、ジャンパーのポケットから黄色い錠剤の入った小さなビンを取りだす。
  そして、歩きながらそのビンに入っている黄色い錠剤を口の中に入れて、路上駐車している車(バン)と壁の隙間に入る。
  すると、車(バン)の陰に隠れたとき一瞬光が放たれる。
  そして、車(バン)の陰から出てきたのは人間のユキではなく、白い猫に変身したユキ猫だった。

〇大きな家の塀の前(夜)
  3匹の猫が中庭にいる。
  白い猫のユキと黒猫のジロウと茶色い猫のカズがいる。
  黒猫のジロウが鳴く。
ジロウ猫「(字幕)よく来たな」
  そして、ジロウ猫は塀を飛び越える。
  それに2匹の猫が続く。

〇同・浴室の窓が見える外
  浴室の窓が半開きになっている。
  そこに鉄格子があるが、ジロウ猫はジャンプしてスルリと入っていく。
  それに2匹も続く。

〇同・家の中(1階)
  家の中は薄暗い。  
  ジロウ猫はカズ猫の耳元で鳴く。
ジロウ猫「(字幕)俺は2階にいく。1階は犬がいるから気をつけろ」
  そういって、ジロウ猫は階段を上って2階にいく。

〇同・玄関
  何か気配を察したのか、1階の玄関に寝ていた犬が目覚め、顔を上げる。

〇同・家の中(1階)
  カズ猫がユキ猫に耳打ちする。
カズ猫「(字幕)俺はそのあたりを物色する
 から・・犬には気をつけろよ」
  と言ってカズ猫はさっていく。
  ユキ猫も家の中を歩く。
  そして、洋間の扉が半開きになっていたので洋間に入っていく。
  その姿を忍び足であとをつけている犬がいる。
  
〇同・洋間
  洋間にはサーフボードや海外で買ってきた大きな盾とか壷とかのお土産が壁に沿って置いてあってかなりカラフルな荷物置き場である。
  窓にカーテンがされてないせいか、月明かりで部屋の内がよく見える。
  ユキ猫は警戒しながら不思議そうに部屋を見渡す。
  そして、ソファーに飛び乗る。
  するとユキ猫めがけて犬がひと吠えしながら飛びかかってくる。
ユキ猫「(字幕)キャー」
  ユキ猫は慌ててソファの背もたれの上に飛び乗り、そこからさらに部屋に置かれているピアノの上のところまでジャンプする。
  犬も同じようにジャンプするもピアノに激突して痛がっている。
  そして、犬はユキ猫に向かって吠えている。
ユキ猫「(字幕)助けてー」

〇同・2階の寝室
  その犬の声は2階の寝室の化粧台の上で金品を物色しているジロウ猫の耳に届く。

〇同・台所
  犬の声は台所の食器だなあたりを物色しているカズ猫にも聞こえる。
  
〇同・おばあさんの部屋
  おばあさん(70)深い眠りの中にいるのか聞こえず、寝返りをうつだけ。

〇同・洋間
  ユキ猫はニャーニャー鳴いている。
ユキ猫「(字幕)あっちいってよ!」
  ユキ猫はピアノの上から、下で吠えている犬にめがけて写真たてや一輪挿しの花瓶を落とすも、犬はそれをかわしながら飛びつこうとする。
  写真たてや花瓶が割れる。
  
〇同・おばあさんの部屋
  おばあさんは、寝返りをうつだけ。

〇同・洋間
  犬がなんとかピアノの椅子に飛びのる。
  そして、そこからユキ猫に噛み付こうとピアノの上に飛びのってくる。
  ユキ猫は間一髪ピアノから飛び降りる。
  するとそこへ、カズ猫とジロウ猫が入ってくる。
  そして、カズ猫がユキ猫を救うべく犬に向かって鳴きながら挑発する。
  犬は3匹の猫めがけて吠えながら突進し、犬と猫は追いかけっこをする。

〇同・おばあさんの部屋
  さすがに犬の吠える声が聞こえたのか、おばあさんは寝ぼけまなこをこすりながら起きあがる。
おばあさん「もぉ、なに・・」
  犬の吠える声が聞こえる。
おばあさん「ん!?・・泥棒!?」
  ばあさんは起きあがり、アフリカ土産のカラフルな杖を掴む。
  そして、ゆっくり部屋を出る。

〇同・廊下
  おばあさんは忍び足で廊下を歩く。
  犬の吠える声が聞こえる。
  洋間の前までくるとおばあさんは「ゴクリ」とつばを飲み、杖をしっかり握り、振り上げながらそっと洋間のドアのノブを回す。
  そして、明かりをつけた瞬間
おばあちゃん「コラァ!」
  と大声で叫びながら、杖を振りかざして部屋に飛び込む。

〇同・洋間
  するとそこには犬と3匹の猫が追いかけっこをしていた。
  部屋はひどく散らかっている。
  壁に立てかけてあったものが全て倒れている。
  猫たちはビックリして止まる。
  すると止まっているユキ猫めがけて犬がひと吠えしながら飛びかかろうとする。
  しかし、ユキ猫は間一髪よけると、犬は部屋に置いてある高さ1メートルの壷に頭からぶつかる。
  すると壷はガラス窓の方向へ倒れ、ガラス窓が割れる。
  犬は頭をぶつけたせいか軽い脳しんとうを起こしている。
  おばあさんはジロウ猫がくわえている金のネックレス等を見て思わず叫ぶ。
おばあさん「あ、こら!」
  ジロウ猫はわれたガラス窓の隙間から外へ逃げる。
おばあさん「待て泥棒!」
  と言って杖を振りかざし慌てて近づこうとするも部屋は散らかっていて近づけず。
  その隙に、カズ猫、ユキ猫が割れたガラス窓の隙間から逃げる。
  おばあさんは見送るだけ。
  そして、振り上げていた杖をおろす。
  部屋を見渡しながら
おばあさん「あ~あ、こんなに荒らして」 
  ピアノの上にかけてある白い布が床に落ちている。
  その布に血痕のついた猫の足跡がある。
  おばあさんは、その白い布を拾い上げて、ため息混じりに、
おばあさん「全く、なんて猫たちなんでしょ・・あれがうわさの泥棒猫かい?」

〇おんぼろ安アパートの外観(夜)
  木造の風呂無し6畳一間の安アパート。

〇同・アパートの2階
  ユキ猫は片足を怪我しているらしく、足を引きずりながら階段をのぶり、部屋の前まで来る。
  ユキ猫はドアの隣にある小窓を見上げる。
  その窓はトイレの窓である。
  その窓に向かってジャンプするも足が痛くて届かない。
  ユキ猫は痛がっている。 
  ユキ猫はあきらめてドアの前で体を丸めて傷ついた足をなめている。
  そして、静かに眠りにつく。
    ×    ×    ×
  やがて空が白みかかって来る。
  その時、アパートの階段をのぼってくる6人の足音が聞こえる。
  その6人は20代~30代でホステスをしているお姉さま方である。
  身なりはみんなゴージャスで、酒によってほろ酔い気分で上機嫌である。
  その内の一人、アケミ(27)がドアの前で寝ているユキ猫に気がつき、
アケミ「あ・・おいユキ!こんなところで寝てると風邪ひくぞ!」
  ユキ猫の反応が鈍い。  
  アケミはユキ猫を抱き上げるや、足の傷に気がつく。
ホステスA「あれ怪我してんじゃん」
アケミ「ユキ、どうしたん?」
ホステスB「とにかく寒いから中に入ろうよ」
  と言って鍵をあけて入る。

〇同・部屋内
  部屋は六畳一間で洋服かけが幅をきかせている。
  そこにかかっている洋服は全部ホステスとして店で着る洋服ばかりである。
  それでも、やはり女性の部屋。壁には写真が沢山貼ってあって内装もアパートの外観のボロさとは比較にならないほど艶やかである。
  でも、ここに7人が寝るには明らかに狭い。
  アケミは台所で洗面器にポットの残り湯を入れる。
  ホステスCは部屋のすみに積んである7人分の籠を床に敷き詰める。
  その籠はちょうど洗濯物を入れる大きさで藤で編んで作ったようなお洒落な籠である。
  その籠の中には籠のサイズくらいの毛布が入っている。
  ほかのホステスは服を脱ぎ、下着姿になる。
  そして、黄色い錠剤の入ったビンを次々と回している。  
  アケミはユキ猫の足をぬるま湯で洗ってやる。
  ホステスAはくすり箱をアケミのそばに持ってくる。
  ホステスAがアケミに声をかける
ホステスA「それじゅあケミ、悪いけどさき寝るよ」
アケミ「ああ、そうして」
  ホステスAはユキ猫の頭を撫でて、そして、アケミの頬にキスをして、
ホステスA「おやすみ」
  と言って薬を飲む。
  ほかのホステスもアケミの頬にキスして「おやすみなさい」とか「お先」とかいって薬を飲む。
  すると順々に光を放って猫になって、それぞれ自分の籠の中に入っていく。
  そして、眠りに入る。
  アケミはユキ猫の足を消毒している。
アケミ「これでよし!」
  アケミは後片付けをしながら、
アケミ「ユキ。ガラスの破片とったと思うけど念の為、螺羅さんとこへみせに行きな」
  アケミは服を脱ぎ始める。
  そして下着姿になる。
  アケミも棚に置いてあった小さなビンから黄色い錠剤を出すも残りわずか。
  アケミはその小ビンを振りながら、
アケミ「ああ、あとこれ、残り少ないからももらっといて・・」
  と言って錠剤を飲む。
アケミ「ユキ、あんまり無理すんじゃないよ」
  といい終わると同時にアケミは光を放ち、次の瞬間、猫になって籠の中に収まる。
  そして、眠りにつく。
  しばらくするとユキ猫は光を放ち、次の瞬間、人間のユキになる。
  ユキはみんなが眠る籠に背を向け、体育座りの格好で体を小さく丸めている。
  半べそをかいてるのかユキは静かに洟をすすって泣いている。
ユキ「(ポツリと)・・・あたし、なにやってんだろ・・・」
  ユキの背中が物悲しい。
  その背の後ろで6匹の猫が籠の中で静かに眠っている。

〇螺羅幸福堂の外観
  繁華街の路地裏にある古びた建物が螺羅幸福堂である。
  その繁華街のイメージとしては、台湾のようななんでもありという感じの色彩鮮やかな街。
  その中でも幸福堂はいかにも怪しそうで儲かってなさそうな店である。
  
〇同・幸福堂内
  この幸福堂は理科の実験室をさらにグロテスクにしたような部屋である。
  色んな珍しい標本がいっぱいある。
  ユキは診察台にうつ伏せになり、ここの研究所の螺羅総一朗(つぶらそういちろう・55)博士が拡大鏡でユキの足の裏を見ながらガラスの破片を取って手当てをしている。
  しかし、その光景には何処となくエロチシズムが漂う。
博士「よし、これで大丈夫・・しばらくは麻酔がかかっているから痛くないとは思うが、もし我慢出来ない痛みだったら痛み止めもあげるからそれを飲みなさい」
ユキ「ありがとう、博士」
  ユキは診察台の上に座る。
博士「それと・・はい」
  と言って、黄色い錠剤の入ったビンをユキに渡す。
ユキ「すみません」
博士「まぁいつか、そんな薬の魔法が必要なくなればいいんだがなぁ」
  そこへ博士の息子の英が勢い良くドアを開けて入ってくるなり開口一番、
英「父さん、また出たらしいよ」
博士「また出たってなにが?」
  英はユキをちらりと見る。
英「え、ああ。泥棒だよ、泥棒」
博士「泥棒」
英「そうだよ、泥棒する猫がまた出たんだよ」
博士「それがどうした」
英「それがどうしたって、全部父さんのせいじゃないか!」
博士「なんで」
英「なんでって、父さんの作った薬を飲んでいる連中が猫になってやっているんだよ。
 でなきゃただの猫が計画的に金品だけを盗むわけないじゃない。ことわざにだって猫に小判っていうのがあるし」
  英はハイテンションでまくしたてる。
博士「ホォ、うまいこと言うな」
英「そんとこで感心しないでよ・・・まさか父さんが猫を操って盗ませてるわけじゃないよね」
博士「おいおい」
英「大体、なんであんな薬なんか作ったんだよ!もうやめなよ」
博士「いや、それは出来ん。やめるわけにはいかん」
英「どうして」
博士「んん・・ん~・・・英、それにユキちゃん、まぁ、いい機会だからこの薬のことについて話そう」
  博士は薬の入ったビンをもって感慨深げに、
博士「この薬にはね、ちゃんと存在意義っていうものがあるだよ」
英「存在意義?」
博士「そう、存在意義・・この薬を口にする人は皆、人として生きることが苦しい人や辛い人。そういう『人間としてありたい、生きて行きたい』という人としての免疫力が極端に低下した人にだけ効く魔法の薬なんだ・・・だからこの薬が効く人がいる以上はこの薬は必要なんだ」
  と博士は熱弁をふるう。
  博士はちらりとユキを見て、静かな口調で語りだす。
博士「とくに今のご時世、不況で職を失い家族を養っていくことさえも大変な時代だ」
  英はちらりとユキを見る。
  ユキはその言葉を聞き思わず下唇を噛み、悔しさをこらえている。
博士「でも、この薬を飲めば、人でいる時は人として働き、人でいる必要のない時はこの薬を飲んで猫になって少しでも出費をおさえることも出来し、そうやって何とか家族を養うことも出来る。お金をためて人生をやりなおすことだって出来るだろう」
英「・・・」
博士「こういう人余りの時代にはこの薬は必要なんだ・・・そう、この薬はまさに作られるべくして作られた魔法の薬なんだ」
  黄色い錠剤の入ったビン。
  何処となく黄色い光沢を放っている。
博士「だからやめるわけにはいかない」
ユキ「・・・」
英「でも、その薬を悪用している人がいたら?」
博士「それでも、その人がこの薬を飲んで猫になる以上はやめるわけにはいかない。それにその人にこの薬が必要かどうかを決めるのは私じゃない。この薬を服用している人自身の問題だ。その人が『人間でありたい、人として生きて行きたい』という活力に満ち溢れれば、抵抗力は向上しこの薬はなんの効力も持たない無用の長物になるだろう」
ユキ「・・・」
博士「英、人には人それぞれ、口に出来ないわけがあるもんだ」
ユキ「・・・」
英「でも、だからといって父さんはこのまま泥棒を容認するの?」
  ユキは心当たりがある為、どことなく俯きかげんである。
博士「その気はないが、なにか証拠でもあるのか?」
英「証拠、証拠はないけどこんなことする奴のめぼしは大体ついてる!」
博士「おいおい、なんの証拠もなくめぼしだけで犯人扱いするのか?そんなことはできん!そうでなくても人としての気力が低下している人にたいして疑いをかけることはできんなぁ!」
英「んん・・」
ユキ「・・あのぉ、博士」
博士「ん」
ユキ「あたし、そろそろ帰ります」
博士「ああ、そうだね」
ユキ「色々ありがとう」
  英と博士はユキの後ろ姿を見送る。
  ユキは螺羅幸福堂を後にする。
  英も慌てて博士に一言。
英「・・じゅあ、証拠をもってくればいいね」
博士「そうだなぁ、なにか証拠があるんならな」
英「わかった!」
  英も幸福堂を後にし、ユキを追う。

〇歩道
  ユキは少し足をかばいながら歩く。
  後ろでユキを呼ぶ英の声が聞こえる。
英「ユキ」
  ユキは振り向くことなく歩く。
  英はユキに追いつく。
英「おい、待てよ」
ユキ「なに?」
英「なにって・・・」
  ユキは英を警戒している。
  そんな雰囲気を察してのか暫く英はユキの隣を静かに歩く。
  ユキの横顔をチラチラ見ながら歩く。
  そして、英は静かな口調でユキに質問する。
英「お前、あいつらと付き合ってるのか」
ユキ「別に・・・」
英「あいつらと離れろよ」
ユキ「別に、そんなのあたしの勝手でしょ」
英「・・・」
  そして暫く無言が続くも、やはり英はユキが気になるのかついしゃべりだしてしまう。
英「・・あの薬、いつまで飲むんだ?」
ユキ「いつまでって?」
英「・・ユキは俺と同い年だろ。それなのに・・・」
ユキ「・・・」
英「確かにユキには同情するよ・・でもいつまでもそれじゃいけないと思うし、それにあんな薬に頼っていたらほんとに駄目になっちゃうよ」
ユキ「そんなのあんたに言われなくたってわかってるわよ。あたしだってどうすればいいか色々考えてるのよ!でもね、あたしはあなたのようには生きられないのよ。あなたのように自信に満ち溢れた人間じゃないの!だからほっといてよ!」
  瞳に涙がたまっているも、ユキは毅然とした表情をしている。
  英はハッとしたじろぐ!
  ユキはその場から逃げる。
  足の痛いのも忘れ逃げる。
  一人残された英に追う勇気はない。
英「・・・別に、自信なんかねぇーよ」
   
〇雑居ビルとビルの隙間
  ユキは英から逃げ、英の視界から消えてビルのかげに隠れて休む。
  息を切らせながら
ユキ「ああ、いやだいやだ」
  と頭を振りながら嫌なことを忘れ去ろうとしている。
  そして、息を整えながら呟く。
ユキ「ああ、こんなときは・・ゆきちゃんのとこに行っちゃおうかな・・・」
  ユキはポケットから黄色い錠剤の入ったビンを取り出す。
  ユキはビルの隙間から顔を出して人がいないのを確認する。
  そして、顔を引っ込める。
  一瞬、ビルの隙間から光が見える。
  その後、白猫のユキが出てくる。

〇幸せのアパートの外観

〇同・アパートの2階のベランダ
  ユキ猫は隣の家の庭に植えてある木をつたって赤ん坊のゆきちゃんが住む部屋の小さなベランダに飛びうつる。
  部屋のなかには香澄と赤ん坊のゆきがいる。  
  ゆきはお気に入りのぬいぐるみと遊んでいる。
  ユキ猫はガラス窓を手でひっかく。
  すると赤ん坊のゆきが気がつきハイハイしてくる。
  香澄は赤ん坊がストーブがおいてあるガラス窓の方へ歩いていくのを見て慌てて赤ん坊を抱きかかえる。
  すると赤ん坊が「ニャーニャー」といったので香澄がガラス窓を見るとユキ猫がいる。
香澄「あら、ニャーニュー遊びに来たね」
  と言ってガラス窓をあける。 
  ユキ猫は暖かい部屋の中に入り赤ん坊のゆきとじゃれあう。
ユキ(ナレーション)「ああ、なんかいいなぁ・・」 
   ×    ×    ×
  赤ん坊のゆきは香澄の腕の中でミルクを飲んでいる。
  そして、ユキ猫もミルクを飲んでいる。
ユキ(ナレーション)「この家はいつ来てもあたしを暖かく迎えてくれる」
  赤ん坊は遊びつかれてウトウトしている。
香澄「ああ、ゆきちゃん、遊び疲れちゃいましたかぁ・・それじゃもう寝ましょうね」
  香澄は赤ん坊を寝室のベビーベッドのある部屋につれていく。
  ユキ猫もついていく。

〇同・寝室
  赤ん坊を寝かす香澄。
  幸せに満ち満ちた表情をしている。
  そして、香澄は赤ん坊を残し、寝室のドアを半開きにして部屋を出る。   
  ユキ猫はベッドにのってベビーベッドで眠るゆきを見る。
ユキ(ナレーション)「わたしと同じ名前のゆきちゃん・・やさしいお父さんとお母さんがいて・・わたしにもそんなときがあった・・・でも・・・」
  ユキ猫は体を丸めてうずくまり遠い記憶を呼び覚ます。

〇回想・苦悩する父
  テーブルの前で頭を抱えてうなだれる父(55)ビル掃除をする父。
ユキ(ナレーション)「父さんは会社から突然リストラを宣告され、仕事を探すも高齢のため見つからず、ビル掃除をしながらなんとか生活費を稼いでいたけど、ある日、母は不倫の末、失踪してしまった。希望を失った父は・・・」
  ビルの屋上に立つ父。
  そして、体を前に倒す。

〇回想・螺羅幸福堂
ユキ(ナレーション)「わたしは一人ぼっちになった。そして、人でいることがイヤになった・・人である意味がわからなくなった・・人である幸せが見えなくなった・・・」
  生気をなくしかけているいる中学生のユキ(14)がいる。
  そのユキの目の前に黄色い錠剤を一粒出す博士こと螺羅総一郎(53)がいる。
  博士はユキの苦しみを悟っているかのようなやさしい眼差しでユキを見ている。
   
〇同・寝室(夜)
  薄暗い部屋。
  ユキ猫はベッドから起きあがりゆきの寝ているベビーベッドのそばに行く。
ユキ(ナレーション)「・・あなたにはあたしの分まで幸せになって欲しい」
  ユキ猫は寝室を出て行く。 

〇同・居間(夜)
  ユキ猫はガラス窓を手でひっかく、
香澄「あら、もうお帰り?」
  ガラス窓が開く。
香澄「また遊びに来てね」
  ユキ猫は木に飛びうつり、もと来た道を帰っていく。
  そして、夜の闇に消えていく。

〇螺羅幸福堂の前
  英が自転車にのってやってくる。

〇同・幸福堂内
  博士は薬品の調合をしている。
  そこへ、英がいきなり入ってくる。
英「父さん、証拠を持ってきたよ!」
博士「ん、証拠!?」
英「ああ、泥棒に入られた家からもらってきたんだ」
  と言って、博士の前に白い布を見せる。
英「ほら!ここに猫の血痕のついた足跡があるでしょ。これを照らし合わせれば誰が盗みに入ったかわかる」
  博士は拡大鏡でその血痕の足跡を見る。
博士「う~ん」
英「あるんでしょ?薬を渡している人たちの肉球手形」
博士「んん、まぁなぁ」
英「貸して」
博士「ん~ん、どうしても探すのか?」
  博士はなにか思い当たるふしがあるのか渋っている。
英「もうこれ以上あいつらの好き勝手にはさせない」
  博士は頭をかく。
    ×    ×    ×
  英は拡大鏡を使って血痕の足跡(肉球)と博士からもらった肉球手形ファイルを照らし合わせている。
  肉球手形には足跡と一緒に写真が貼ってある。
  英はジロウとカズの写真が貼ってある肉球手形をじっくり見ている。
英「・・違う、これじゃない・・じゅあ誰」
  英は診察台の上で足をいたわっていたユキの姿を思い出す。
英「・・・まさか・・」
  英はユキの肉球手形を探しはじめる。
   
〇安アパートの外観(夕暮れ)

〇同・2階の部屋の前
  英は血相かえてやってくる。
英「すみません」
  と言って英はドアをノックする。
  するとドアが開きアケミが顔を出す。
  アケミは下着の上にお店に来ていくブラウスを羽織っているだけでボタンはとめてない。
アケミ「あれ、英ちゃん、なにどうしたの」
英「え」
アケミ「ユキに会いに来たのかい?」
  英は目のやり場に困る。
英「はい」
アケミ「ユキなら今、買出しに出かけてるけど、もうそろそろ帰ってくるんじゃないかな」
英「そうですか」
アケミ「どうお、中で待つ?狭いけど外より暖かいよ」
  アケミは英を招き入れる。
英「ほかのみんなは?」
アケミ「ああ、もう出かけたよ。あたしもユキが帰ったら出かけるから、ゆっくりしてって」  
  部屋にはセクシーな下着が沢山干してあって目のやりばに困る。
  アケミは気にせず鏡をみながら化粧をしている。
  英は壁に貼ってある色んな写真をチラチラ見ている。
  そんな英のしぐさが鏡ごしに見える。
アケミ「そういえば博士のやっていること、気に入らないんだって?」
英「え」
アケミ「そりゃまぁ、あんたのいう通り、中には悪い奴もいるけど・・でもね、あたしにとっては大助かり」
英「・・」
アケミ「だって、借金取りから逃げ延びることも出来たし、こうやって生活費も最小限に押さえることも出来る。イヤなお客が店の出口で待ち伏せしえたって、猫になって逃げることも出来るわ・・あたしにとってはこれ以上ないとってもいい薬よ」
英「・・」
  アケミの手に薬の入った小ビンが握られている。
アケミ「これでこのままクラブで稼いで、借金返してお金を貯めて、もう一度人生をやりなおす、一から人間として出直す・・・ほんといいチャンスを与えてくれたと思ってる」
  アケミは小ビンをテーブルの上におく。
英「・・・」
アケミ「でも、ほんとに可哀相なのはユキよね。ユキは別に借金とかそういうもんじゃなくて、自分のせいじゃないからね。人として生きる喜びも知らず、人間不信になって、人として生きていく自信もなく、かといって猫として生きていくことも出来ず、なんか中途半端でほんと可哀相だよ」
  壁にはアケミと一緒に写っているユキの写真がはってある。
アケミ「まぁ、でも、あの子が18になったら私と一緒にクラブで金しこたま稼いで人生のエンジョイの仕方でも色々教えてやるつもりだけど。まだ未成年だからね」
英「クラブ・・ですか?」
アケミ「いいと思わない。あの子可愛いから結構人気出るよ。そうなったら遊び来てね」
  アケミは英をからかう。
  英は複雑な顔をしている。
  アケミは含み笑いをして
アケミ「まぁそれは先の話だけどね。それまでになにか、元気になるいいきっかけでもあるといいんだけど」
英「・・・」
アケミ「まぁ、ユキになんの用があるのか知らんけど、あんまりいじめないでね!そうでなくても、あの子、最近猫になっている時間が長いっていうし。普通ね、大体6時間ぐらいで人間に戻るんだけど、あの子最近9時間ぐらいは平気で猫になりっぱなしにらしいから。これ以上免疫力がなくなったら一生猫だよ」
  と言って、アケミは笑ってみせる。
  そこへ、ユキがドアを開けてやってくる。
ユキ「ただいま」
アケミ「ユキ、英ちゃん来てるよ」
  アケミはバックを持って
アケミ「それじゅあたしは行くから、ごゆっくり」
  と英の耳元で囁く。
  そしてアケミは玄関でユキの肩に手をかけて一言。
アケミ「まぁ、仲良くしいや」
  アケミは家を出る。
  部屋の奥に英が座っている。
  二人っきりになる。
  ユキは英の目の前にぶら下がっているセクシーな下着に目が行く。
  そして、ユキは干してある下着を慌てて隠しながら
ユキ「なにしに来たのよ」
英「なにしにって・・」
ユキ「こんなとこに来るなんて、ほんとデリカシーのない人ね」
英「別にそんなんで来たんじゃないよ」
ユキ「じゅあなによ」
英「・・どうしてあんなことしたんだよ」
  英は困ったようにユキにいう。
  それは決して怒ったような言い方ではない。
  ユキはハンガーにぶら下がっている下着を無理やり押入れに隠しながら、
ユキ「あんなことって?」
英「盗みにはいっただろ。ほら」
  英は血痕のついた猫の足跡の白い布を見せる。
英「これ、ユキの足跡だろ」
  ユキはその白い布についた血痕の猫の足跡をしばらく見る。
  ユキは恥ずかしさを感じ目をそらして、
ユキ「やめてよ。そんなの見せないでよ」
英「盗みに入られたおばあちゃん、泥棒猫は3匹いたっていってた」
  ユキは押入れの中に顔を突っ込んでいる。
英「ほかの2人はあいつらだろ?」
ユキ「・・・」
英「どうして、どうしてあいつらなんかと一緒になってそんなことすんだよ」
  ユキは押入れの中に顔を突っ込んだまま、口をとんがらせてブスっといじけた顔をしている。

〇雑居ビルが立ち並ぶ町の外観

〇同・ビルとビルの隙間
  ユキと英はビルとビルの隙間にいる。
  隙間は人一人が入れるぐらいである。
  ユキが中の方にいて英が道路側にいる。
英「こんなところに隠してあるのか」
ユキ「うん、全部ここにあるって言ってた」
英「とってこいよ」
ユキ「とってきたら、どうするの?」
英「どうするのって、警察に渡すよ」
ユキ「あたしを?」
英「違うよ。盗んだものを出すだけで誰も警察に突き出したりはしないよ」
ユキ「ほんと?」
英「ああ」
ユキ「わかった・・・」
  そういってユキはポケットから黄色い錠剤の入った小さなビンを出す。
  そのしぐさを英が見ているのでユキは注意をする。
ユキ「ちょっと、こっち見ないでよ」
英「え」
  英は後ろを向く。
ユキ「ほんとデリカシーのない人ね」
  ユキは英と背中を合わせる。
ユキ「ちゃんと見張っててよ」
  と言って薬を口の中に入れる。
  すると、英の背後で光が微かに広がる。
  英は自分が光に包まれたと感じる。
  そして、光は消える。
  英が後ろを振り返ると一匹の白い猫のユキが尾っぽを立てながら歩いている。
  そしてビルの土台にある小さな隙間から中へもぐりこんでいく。
  英ははじめてみたせいか、あっけに取られながら呟く。
英「・・ユキ!?」
  英はビルの間から顔を出して見張りをしている。
  暫くすると、ユキ猫が小さな隙間から顔を出す。
  ユキ猫は「ニャ―」と鳴いて英に知らせる。
  口には白い布袋をくわえている。
  英はその袋を手にして中身を開けてみる。
  袋からは宝石やら金のネックレスやらが沢山出てくる。
英「こんなに沢山・・・」
  ユキ猫はそんな英を尻目に英の横を通って去っていく。
英「ユキ、どこに行くんだよ!」
  ユキ猫は英の声を無視してただ歩く。
英「ユキ!」
  通りすがりの通行人が不思議そうに英の顔を見ている。
  ユキ猫は道を歩きながら、
ユキ(ナレーション)「ああ、もうイヤだイヤだ」

〇幸せのアパートの外観

〇同・アパートの2階の部屋の玄関先
  香澄はいらない新聞紙や雑誌を紐で結わえている。

〇同・寝室
  ベビーベッドの中で赤ん坊のゆきが眠っている。

〇同・玄関
  香澄が新聞と雑誌を持って玄関のドアを開ける。
香澄「あら、ずいぶん空気が悪いわね」
  香澄は部屋の空気の悪さに気がつき、雑誌を玄関において家のベランダ側のガラスドアを少し開ける。
  そして、再び新聞を持って外に出て行く。
  ドアのそばにはカーテン、そして少し離れところにはストーブがついている。
  煌煌と炎を燃え立たせている。
  危険な雰囲気が流れる。

〇資源ごみ回収置き場
  香澄は新聞をもって資源ごみ置き場にやってくる。
  すると先に資源ごみを持ってきていた主婦(35)がいたので挨拶をする。
  この主婦はとっても厚かましい主婦である。
香澄「こんにちわ」
主婦「あら奥さん、ちょうどいいとこであったわ」
香澄「はぁ?」
主婦「あのね、今度町内会の皆でバリ島に行くのよ。ぜひ一緒にいかない」
  と言いながら、ポケットにしまいこんであるパンフレットを広げて見せる。
香澄「ええ、でもお金が」
主婦「あら、それが大勢で申し込むとかなり、
 安く行けるらしいのよ。ちょっと見て見て」
  香澄はしぶしぶパンフレットを見る。 
主婦「寒い冬に暖かいとこに行くなんて最高でしょ!どぉ、行きましょうよ」
  とかなり厚かましく言う。
香澄「ええ、まぁ」  
  香澄は苦笑いをしている。

〇幸せのアパートの部屋の中
  カーテンが風にゆれている。
  ドアが少ししか開いてないせいか、風が余計に強く入ってくる。
  そして、そのカーテンの前にはストーブがある。
  とっても危険な雰囲気。

〇同・寝室
  ベビーベッドでスヤスヤ眠るゆき。

〇道路
  ユキ猫は赤ん坊のゆきがいる幸せのアパートに向かって歩いている。
ユキ(ナレーション)「あ~あ、このまま猫のままだったらいいのになぁ。そしたらゆきちゃんちの飼い猫になって、もうなにも考えずゆきちゃんと一緒に幸せに生きて行けるのになぁ」
  すると突然「火事だ!」という叫び声が聞こえる。
  慌てて見ると、幸せのアパートがある辺りから煙が立ち上っている。
  ユキ猫は慌ててその叫び声の方に走っていく。

〇幸せのアパート
  赤ん坊のゆきが住むアパートの部屋が燃えている。
  冬は空気が乾燥しているせいか物凄い勢いで燃えている。
  時間が夕暮れ時だけに主婦の野次馬が多い。
  そこへ、慌てて香澄もかけつける。
  顔面蒼白である。
香澄「ゆき!」
  そして、燃え盛るアパートの部屋に向かおうとするも周りの人に止められる。
  そこへユキ猫も走ってやってくる。
香澄「部屋にゆきがいるんです!ゆきが」
  周りの人はおろおろするだけ。
野次馬「消防車はまだなの!」
  ユキ猫もただ身動きできない状態。
香澄「ゆき!」
  悲痛な面持ちで泣き叫ぶ。
  するとその香澄のゆきを呼ぶ声で、ユキ猫は我に返ったのか、隣の庭にある木に飛びのってアパートのべランダへとジャンプする。
野次馬「あ、猫が!」
  そして、そのまま燃え盛る部屋の中へと入っていく。
  ゆきの泣き声が聞こえる。
  ユキ猫は炎の中を走りそのままゆきちゃんが寝ている寝室へ直行する。

〇同・寝室
  部屋は煙が充満しているが寝室はまだ燃えていなかった。
  ユキ猫はゆきを助けようとベビーベッドの中に入って両手をサッと出して抱き上げようとする。
  しかし、差し伸べる手は猫、とてもじゃないけど抱き上げられない!
  炎が近づいてくる音が聞こえる。
  居間と寝室の壁が燃え出している。
  ユキ猫は何度も泣き叫ぶゆきの上で手をサッと差し出すが、やはり猫の手、ゆきを抱き上げることなんて出来ない。
ユキ(ナレーション)「ああ、どうして!どうして猫なの・・・駄目だ!さっき薬を飲んだばっかりだから人になんて戻れない!・・・あああ、どうしよう」
  ユキ猫はその哀れな猫の手を見る。
ユキ(ナレーション)「まったくなにをやっているのよユキ!猫になっていいわけないじゃない!猫になったって、ゆきちゃんを助けることだって出来ないじゃない!もぉバカバカバカバカバカ!」
  ユキは余りの自分の情けなさに思わず爪を立てた猫の手で額を物凄い勢いでかきむしる。
  すると、奇跡が起こる。
  このときユキの人間でありたいという免疫力が上昇し、薬の効力を吹き飛ばした。
  ユキ猫は炎の中で、ベビーベッドの中で強い光を放ち、そして人間のユキに戻る。
  赤ん坊のゆきもその瞬間、泣くのを止めて見ている。
  ユキは自分の人間の手を見て、そして、その下にいるゆきに手を差し伸ばし、歓喜の声で呼ぶ。
ユキ「ゆきちゃん!」
  ユキは赤ん坊を人間の手で、胸の中に力強く抱いて窓をあける。
  野次馬たちは赤ん坊を抱くゆきの姿に驚き、歓声を上げる。
  そこへ英もかけつけ、その光景を見る。
  ユキはなんの躊躇いもなく赤ん坊のゆきをしっかり抱いて外に向かってジャンプする。
  そしてなんとかゆきをかばいながら着地する。
  香澄が慌ててユキのところにやってくる。
  ユキは香澄にゆきを渡す。
  香澄は、ユキに向かって「ありがとうございます」と何度も何度も言っている声と英の「ユキ!」と呼ぶ声を薄れゆく意識の中で聞いている。
  ユキは物凄いエネルギーを一瞬にして消費したせいか、その場で意識を失う。
  消防車と救急車のサイレンの音がやっと聞こえてくる。

〇螺羅幸福堂の外観(夜)

〇同・幸福堂内
  英はうれしそうに博士に話をしている。
博士「そうか、それは凄い!人でありたいという気持ちが薬の効力を一瞬にして打ち消したなんて、そんなこと、初めてだよ!」
英「そうでしょ!」
博士「もぉ、当分の間あの子にはこの薬は効かんな・・・いや、もうこのまま必要なくなればいいんだがなぁ」
英「大丈夫だよ、きっと」 
  博士は嬉しそうに頷く。

〇病院の一室
  ユキが赤ん坊のゆきちゃんのいる部屋に顔を出す。
ユキ「ゆきちゃん無事ですか?」
香澄「ああ、あなたのおかげよ、ほんとにありがとう」
ユキ「そう。よかった」
香澄「それよりお体の方は、大丈夫なの?」
ユキ「ええ、まぁ」
香澄「その額の傷は?」
ユキ「え、ああ、これは」
  と言って額を触りながら、猫の時、顔をかきむしったことを思い出す。
ユキ「この傷は、あたしがあたしになるための、あたしの産声・・なぁ~んてね。へへ」
香澄「はぁ??」
  香澄はゆきのいる小さなベッドへ案内する。
  ゆきは大きな瞳をあけて静かにしている。
  香澄はゆきを抱き上げて、ユキに渡す。
香澄「ゆき、あなたを助けてくれたお姉ちゃんよ」 
ユキ「わぁ、ゆきちゃん、かわいい」
  ゆきはユキを見てやけに反応する。
ゆき「ニャ―ニャ―」
香澄「いやぁねぇ、この子ったら猫じゃないのよ、お姉さんなのよ」
ゆき「ニャ―ニャ―」
  ユキは赤ん坊のゆきが私のことを知っていると思う。
ユキ「ニャ―ニュー」  
  と言ってユキは赤ん坊のゆきをいとおしく思う。
ゆき「ニャ―ニャ―」
ユキ「また遊びにいってもいいですか?」
香澄「え、また!?」
  と言って小首を傾げる。
ユキ「ええ、また」
香澄「(笑顔で)もちろん遊びに来てくださいな」 
  ゆきを愛おしそうに抱きつづけるユキであった。    

              おしまい


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