シナリオ「楽園」

○繁華街の風景(夜)
高層オフィスビルの所々の窓に明かりが見える。


○居酒屋の店内(夜)
スーツ姿のサラリーマンやOLで賑わっている。
阿部あゆみ(21)はテーブル席で一人サワーを飲んでいる。
あゆみ、紺のワンピースに白いネックリボンをしている。
そこへ、ジャケットにパンツ姿の伊月吾朗(25)がやってくる。
吾朗 「お嬢さん、一人?」
あゆみ、吾朗を見る。
吾朗 「もし良かったら、僕たちと一緒に飲まない?」
あゆみ、吾朗についていく。
店内は賑わっている。
阿部ひとみ(30)は、シャツにタイトスカートのカッコで、一人、カウンターであゆみ
と一緒にいる吾朗を観察している。
ひとみ 「(呟く)……雑魚か」
あゆみ、吾朗たちの席に行くと、林陽次(25)が飲んでいる。
陽次 「ほんとに誘ったのかよ」
陽次、ニヤニヤする。
吾朗、あゆみを隣に座らせる。
吾朗 「何でも好きなの注文して。おごるから」
ひとみが、あゆみの傍にやって来る。
陽次、ひとみを見る。
陽次  「何?」
ひとみ 「何してるの? その子、私の妹だけど」
吾朗、陽次、ひとみを見る。
    ×    ×    ×
岸田純平(25)が化粧室から出てきて吾朗たちの席にやってくる。
純平  「どうしたの?」
ひとみ、純平を見る。そして、腕時計を見る。
高級ブランドの腕時計。ひとみの目が輝く。
吾朗  「一緒に飲まないかって誘ったんだよ」
ひとみ「いいわよ。少しぐらいなら」
吾朗「そりゃ、良かった」
純平、陽次の隣に座る。ひとみ、あゆみの腕をつかみ、
ひとみ 「席変わって」
あゆみ、立つ。ひとみ、あゆみとすれ違いざまに耳打ちする。
ひとみ「(小声で)遅れてきた端の男よ」
あゆみ、頷く。
ひとみとあゆみ、腰掛けて、
ひとみ 「あなたたちのお仕事は?」
吾朗  「ん、俺たちはたいしたことないけど、彼は東京聖和銀行の行員だよ」
陽次  「そう、融資してもらってるから逆らえません」
純平  「よしてくれよ」
ひとみ 「凄いじゃない」
吾朗  「同期じゃ、一番の出世頭さ」
ひとみ 「じゃ、仲良くしないとね。あゆみ、ちゃんと接待しなさい」
あゆみ 「はい」
ひとみ 「そそうのないようにね」
吾朗  「いいなぁ、純平は」
陽次  「お前はいつもそうだ。ルックスといい、頭と良い、結局、可愛い子を持っていくな」
純平  「変なこというなよ」
ひとみ 「じゃ、私は可愛くないっていうの?」
陽次  「いえいえ、俺はお姉さんのような大人の女性の方が好きだな」
ひとみ 「そう。じゃ、行員さんの相手はあゆみに任せて、あなたたち二人、私が面倒見ちゃう。楽しくやりましょう」
ひとみ、陽次、吾朗、乾杯をする。
純平  「じゃ、僕たちは僕たちで楽しく飲もう」
純平、あゆみのグラスにグラスを軽く当てる。


○高層マンションの外観(夜)
静寂。
タクシーがマンションの前で止まる。
ひとみ、泥酔している純平を抱えて、マンションの前に放り投げる。純平、寝ている。
ひとみ、待っているタクシーに戻る。


○タイトル「楽園」


○東京聖和銀行の外観
ひとみと、パーカーを被り、マスクをつけているあゆみが銀行に入っていく。


○同・相談窓口
相談窓口は店内の端にある。ひとみとあゆみが座っている。そこへ、純平がやって来る。
純平  「お待たせいたしました」
ひとみ 「こないだは、どうも」
純平  「え?」
ひとみ 「あれ、憶えてません?」
純平  「すみません」
ひとみ、純平の名刺を純平の前に投げ出す。
ひとみ 「先週の金曜、一緒に飲んだって人、あなたでしょ」
純平、名刺を手に取る。
ひとみ 「今日は渡したいものがあってね」
ひとみ、カバンからA4サイズの封筒を出して、純平に渡す。
純平、封筒から書類を出す。書類は医師の診断書。純平、ひとみを見る。
ひとみ 「全治四週間。相当やってくれたわね」
純平  「何が!?」
ひとみ 「何がって。憶えてない。それを見ても思い出せない?」
純平  「申し訳ありませんが、あの晩のことは全く憶えてなくて」
ひとみ 「しゃーない。じゃ、コレを見れば思い出せるんじゃないの。あゆみ」
あゆみ、被っていたパーカーを外し、マスクを取る。あゆみの両頬はアザになって腫れている。
純平  「え!?」
ひとみ 「あなた、相当悪酔いしたみたいね。あゆみの顔、こんなになるまで殴るんだから」
純平  「え!?」
純平  「僕が!?(動揺)」
ひとみ 「そうよ。あの後、ウチで飲んだのよ。そこであゆみの発言が癇に障ったのか、出来る男のプライドを傷つけたみたいで、ほんと大変だったのよ。修羅場ってああいいうことをいうのね。憶えてない?」
純平  「全く。ただマンションの前で起きたってこと以外は」
ひとみ 「ほんと、大変だったんだから」
純平、愕然としている。
ひとみ 「でも安心して。警察沙汰にはしてないから。あなたの将来のこと考えて被害届も出してないのよ。穏便に事を済ませようと思って。あんな目にあっても気使ってんだから感謝してよ」
純平  「いや、ちょっと!?」
ひとみ 「あれ、それとも被害届出した方が良かった? 余計なお世話だった?」
純平  「いや、それは」
ひとみ 「でしょ。だから、あなたに相談しにわざわざ来たのよ」
純平  「……」
ひとみ 「お互い示談で治まるのなら、その方がいいでしょ。あなたの将来のためにも。それとも正式に慰謝料を請求した方が良かった?」
ひとみ、店内を見渡す。
ひとみ 「慰謝料の相談窓口は何番にいけばいいの?」
純平  「慰謝料って、いくらです?」
ひとみ 「(手で三を示し)三百万」
純平  「三百万!」
ひとみ 「あれ、安かった?」
純平 「そんな!?」
ひとみ「そうよね。警察にも会社にもばれなければ将来安泰なんだから。そう考えればと
ってもリーズナブルな示談金よ」
純平  「そんな、三百万なんて、そんな用意できません」
ひとみ 「なら、お金かしてくれるとこ、紹介しようか? (笑って)ああ、行員さんに紹介することもないか。確か子会社にローン会社があったわね」
純平  「いや、ほんと、何も憶えてないんだ! ほんと知らないんだ!」
ひとみ 「しらばっくれる気?」
ひとみ、テーブルを叩いて、立ち上がり大声で叫ぶ。
ひとみ 「ふざけんじゃないわよ!」
純平  「ちょっと!?」
純平、動揺しながら周囲を見る。ひとみも回りを見て、冷静になって椅子に座る。
ひとみ 「どうする? このまま行けば良い生活が待ってるんでしょ? それとも将来、潰す?」
純平  「……わかりました」
ひとみ 「そうね。正しい判断だわ。こんなことで人生潰しちゃもったいないもんね。私も被害者だけど、あまり気持ちのいいいもんじゃないから」
純平  「……」
ひとみ、メモを出す。
ひとみ 「じゃ、お金はここに振り込んで頂戴。あ、東京聖和銀行の口座だわ(笑う)」
ひとみ、あゆみを見て、
ひとみ 「行こうか」
あゆみ、マスクをつけ、パーカーを被る。
純平、項垂れたまま首を左右に振る。
ひとみ 「ああ、その診断書。あなたにあげるわ」
純平、ひとみを見る。
ひとみ 「(捨て台詞)酒は飲んでも飲まれるなってね」


○古びた雑居ビルの外観
風俗の看板もある中に宇賀井医院の看板も小さくある。


○同・非常階段
ひとみ、非常階段の踊り場でタバコを吸っている。


○同・診察室
宇賀井浩(55)があゆみの顎関節に手を当てて診察している。後ろに看護師(45)の女性がいる。


○同・非常階段
ドアを開けて、宇賀井がひとみのところにやって来る。ひとみ、タバコを吸っている。
宇賀井 「もういい加減辞めた方がいい。このまま続けると自分の口で食べることが出来なくなる」
ひとみ 「そうならないようにするのが、あんたの仕事だろ」
ひとみ、封筒を宇賀井に渡す。宇賀井、封筒の中身を見ると万札が数枚入っている。
宇賀井 「(卑しく笑う)クックック」
ひとみ、宇賀井を横目に見る。
宇賀井 「普通、示談金をせびる奴らは皆、
自分の体を傷つけて来るもんだが」
ひとみ 「……」
宇賀井 「いつから鬼になった?」
ひとみ 「……」
宇賀井 「心は痛まんのか?」
ひとみ 「……」
宇賀井 「こんなことを続けていても、泥沼から抜け出せないぞ」
ひとみ、宇賀井を睨む。
ひとみ 「いっちょまえのこと、あんたが言うな」
宇賀井 「まぁいい。(卑しく笑う)クックック」
宇賀井、ドアを開けて、雑居ビルの中に入っていく。
ひとみ、一筋のタバコの煙が空に上がっていく。


○回想・部屋
病床の阿部久志(62)。傍に、ひとみ(27)とセーラー服のあゆみ(18)がいる。
久志、ひとみの手を握って、
久志  「ひとみ、あゆみを頼む! 彼女のように、あゆみにもこれ以上、肩身の狭い思いはさせたくない。私が死ねば頼れるのはお前だけだ。私の最後の我が儘と思って聞いてくれ」
ひとみ 「……」
あゆみ、泣いている。
ひとみM「そういって父は死んだ。父は死ぬ間際まで愛人に生ませたあゆみのことを心配していた。しかし、母は違った。母は何かにかこつけてグチをこぼしていた」


○回想・居間
ひとみと香織(55)、洗濯物をたたんでいる。香織、小さな下着を手にする。香織の手が止まる。
香織  「あの子はきっと男を狂わせる。あの女がパパを狂わせたように」
香織、手に持っている下着を引き裂く。
ひとみ 「……」
香織  「気をつけるんだよ! 清純そうに見えて本性は違うからね。親子共々汚い女だよ! 私にはわかる。あの顔に騙されるんじゃないよ! それがあの親子の武器なんだからね」
ひとみM「あゆみは母にとって苦痛そのもの。身よりもないあゆみと一緒に暮らしてくれ、と泣いて頼んだ父への怒りもあったのだろう。母は死ぬまであゆみを憎んでいた」


○現在・非常階段
ひとみ、タバコを消して、吸い殻入れに入れる。
ひとみM「けど、私は憎めなかった。全ては父がしたことであって、あゆみには何の責任もない。私は母のようにあゆみを憎めなかった。このときはまだ……」
あゆみ、非常階段のドアを開けて、
あゆみ 「お姉ちゃん。もう終わったよ」
ひとみ 「……」
ひとみ、あゆみの頬の包帯を見て、
ひとみM「憎めないと思っていながら、あゆみを傷つけている……そう、私は鬼だ」
ひとみ、虚しく微笑む。
あゆみ 「どうしたの?」
ひとみ 「なんでもない」
二人が出て行き、非常階段のドアが閉まる。


○マンションの外観(夜)


○同・リビング
棚に久志と香織の遺影が置いてあり、離れたところに、あゆみの母、白石史代(24)の遺影がある。
ひとみとあゆみ、ご飯を食べている。ひとみはコンビニ弁当を食べ、あゆみはプリンを食べている。
ひとみ 「あゆみ」
あゆみ 「……」
ひとみ 「もう辞めにするかい?」
あゆみ 「どうして?」
ひとみ 「あゆみが辞めたいっていうなら、
終わりにしていいよ」
あゆみ 「大丈夫。まだやれるよ」
ひとみ 「遠慮することないんだよ」
あゆみ 「大丈夫。お姉ちゃんについていく」
ひとみ、棚に置いてある久志の遺影を見る。


○回想・部屋
久志 「あゆみを頼む」


○現在・リビング
ひとみ 「あゆみ」
あゆみ 「……」
部屋のカレンダーは六月。
ひとみ 「夏のボーナスやったら、そのとき、先のことを考えよう」
あゆみ「……」


○街の風景
ジャケットを脱いで歩いている人たちがいる。


○マンションのリビング
カレンダーは七月。
ひとみ、あゆみの頬を両手で触って、
ひとみ 「もう大丈夫だね」
あゆみ 「(笑顔で)うん。大丈夫だよ!」
ひとみ 「とりあえず、これが終わったら、暫く休むから、辛抱してね」
あゆみ、屈託ない笑顔で頷く。白い歯が見える。
○オリエンタル石油本社ビルの外観(夜)
高層ビルである。
ビルから退社してくる社員たち。


○同・玄関ロビー
ロビーの片隅のソファにひとみとあゆみが座って、エレベーターから出てくる人を伺っている。すると、黒岩毅(28)と小沼優紀(24)が出てくる。
ひとみ 「行くよ」
ひとみとあゆみ、毅と優紀の後をつける。


○レストランの外観(夜)
○同・店内
毅と優紀が入ると、その後ろをひっつくようにひとみとあゆみが店に入る。
そして、毅と優紀が座った隣の席にひとみと
あゆみが強引に座る。
女店員 「四名様ですか?」
毅   「いえ、違います」
優紀、あゆみを見る。あゆみ、思わず会釈する。ひとみ、毅と目が合い、
ひとみ 「あの、もし良かったら一緒に食事しません?」
毅   「え!?」
毅、ひとみとあゆみを見る。
ひとみ 「(あゆみを見て)二人で食事するのもいつもと同じで。どうです?」
毅   「まぁ、かまいませんよ。な!」
優紀  「先輩が良ければ」
毅とひとみ、テーブルをつなげる。
    ×    ×    ×
毅の腕時計は、高級腕時計。
ひとみ、二人の名刺を見て、
ひとみ 「黒岩さんは、あのオリエンタル石油の係長なんですか! 超エリートじゃないですか!」
毅   「そんなことないよ」
ひとみ 「いや、そんなことありません。ほんと二人とも凄いんですね」
優紀  「いや、僕はちょっと」
毅   「本当はね、今日はこいつにお灸を据えるつもりだったんだ」
ひとみ 「あ、じゃ、お邪魔でした?」
毅   「いや、そんなことないよ。こいつも重々承知してるみたいだから。な!」
優紀  「はい。僕がもっとしっかりすれば良いことですから」
毅   「わかってるなら、しっかりやってくれよ」
優紀  「はい」
あゆみ、静かに三人のやりとりを見ている。
毅   「ほんとにわかってるのか?」
ひとみ 「わかってるわよ。ね、小沼さん」
優紀、ひとみに見られて、優紀は目を逸らす。
    ×    ×    ×
四人とも酔っている。
ひとみ 「ウチなんかボーナス、1.5ヶ月
ですよ! やっぱオリエンタル石油ともなるとだいぶ違ってくるんですよね」
毅   「そんなことないよ」
ひとみ 「いや、何ヶ月よりも額が違いますか(微笑む)」
毅   「参ったな」
毅、上機嫌。
ひとみ、あゆみに目で合図する。
あゆみ、毅にも優紀にもビールを注ぐ。
優紀、あゆみを見ている。
毅のスマホが鳴る。毅、立ち上がって、
毅   「ちょっと待って」
毅、席から出て行く。
ひとみ 「黒岩さんってやり手なんだ」
優紀  「先輩、大学のときから凄かったから」
ひとみ 「そうなの?」
優紀  「ラグビー部の主将だったんだ」
ひとみ 「へぇ、じゃ、小沼さんは?」
優紀  「僕? 僕はずっと補欠だったから」
優紀、苦笑する
毅、席に戻ってくる。
毅   「悪い。彼女に呼び出された」
毅、カバンと上着をとって、テーブルに二万円置いて、
毅   「悪いけど先帰るわ」
ひとみ 「でも、これは」
ひとみ、毅に二万円渡そうとする。
毅   「いいって。じゃ、悪い。優紀、後頼むわ」
優紀  「え、先輩!」
毅、出て行く。ひとみ、額に手を当てて、
ひとみM「カモに逃げられた」
ひとみ、優紀を見る。優紀、誤魔化すようにビールを飲む。
ひとみM「仕方ない。こいつにするか。こいつも天下のオリエンタルの社員だ。まぁ、軽く落としてやるか」
ひとみ 「小沼さんには黒岩さんの分まで飲んでもらうわよ」
優紀  「え!? 僕、そんな強くないです」
ひとみ 「いいの、いいの」
あゆみ、優紀にビールを注ごうとする。
ひとみ 「全部飲まないと、あゆみが注げないって」
優紀、あゆみを見て、ビールを飲み干す。
あゆみ、優紀に微笑む。
優紀、一気飲みする。
ひとみ 「お、いいね。いい飲みっぷり」
優紀、かなり酔っている。
ひとみ 「じゃ、せっかく三人になったから、ウチで飲む?」
優紀  「へ?」
優紀、両脇をひとみとあゆみに掴まれる。


○マンションの外観(夜)


〇同・リビング
あゆみと優紀、酔いつぶれて寝ている。
テーブルには缶ビールの空き缶が置いてある。


○同・ひとみの部屋
ひとみ、両手に拳を守るオープンフィンガー
グローブをつける。そして、鏡を見る。鏡に過去が映る。


○過去・浴室
ひとみ、髪を洗おうとシャンプーのノズルを押すもシャンプーが出てこない。
ひとみ 「あれ、カラか」
ひとみ、体にタオルを巻いて、脱衣所に出て戸棚を開ける。
ひとみ 「あれ、ない」
ひとみ、ふと、耳を澄まし、リビングの方に顔を向ける。
ひとみ、ソッと浴室を出て行く。


○過去・リビング
棚にひとみと元(33)の結婚写真や二人の写真が沢山飾ってある。
ひとみ、ソッとリビングを見ると、寝ているあゆみに、元があゆみの体を触りながらキスしている。あゆみ、気づかず寝ている。
ひとみ、怒りが込み上げてきて、眉間に皺を寄せて、拳を強く握る。
ひとみ 「(叫ぶ)何やってんのよ!」
元、ハッとして、ひとみを見る。
ひとみの拳が飛んでくる。


○現在・ひとみの部屋
鏡に映るひとみ。
ひとみM「母は言っていた。あゆみはきっと男を狂わせると」
ひとみ、リビングに向かう。


○同・リビング
ひとみ、あゆみの頬を軽く突いて、あゆみを起こす。
優紀、寝息をかいて寝ている。
あゆみ、寝ぼけながら、
あゆみ 「……お姉ちゃん」
ひとみ 「行くよ」
ひとみ、あゆみを連れてベランダに行く。


○同・ベランダ
ひとみ、あゆみにマウスピースを渡す。
あゆみ、マウスピースを口に入れる。
ひとみ 「いいかい?」
あゆみ、頷き、そして、目を強く瞑る。
ひとみ、あゆみの頬を手で強く叩く。一発、二発、三発と何度も両頬を叩く。
ひとみ、あゆみが倒れそうになるとあゆみの胸ぐらを掴む。
あゆみ、目を閉じ、必死に堪える。
ひとみの表情は曇っている。
ひとみM「あゆみには恨みはない。悪いのは夫だ。それはわかってる。わかってるけど」
ひとみ、あゆみを叩く。
あゆみ、目を閉じ、声を上げずガマンしている。
    ×    ×    ×
ひとみ、肩で息している。
あゆみ、口からマウスピースが落ちる。
ひとみ、あゆみを見る。
あゆみ、両頬を腫らしながら弱々しい声で、
あゆみ 「これで、また、お金いっぱい稼げるね」
ひとみ 「……」
あゆみ、微笑む。


○同・リビング
優紀、一人眠っている。


○優紀の住むマンションの外観(深夜)
タクシーが止まる。
タクシーからひとみが優紀をかかえて降りる。そして、ゴミ捨て場のゴミの山に優紀を放り捨てる。
優紀、気づかない。
ひとみ、タクシーに戻る。
タクシー、走り去る。


○オリエンタル石油本社ビルの外観
○同・ロビー
ソファに、ひとみとパーカーを被り、マスクをしているあゆみが座っている。
エレベーターから優紀が降りて、キョロキョロする。
ひとみ、手をあげて、手招きをする。
優紀  「こないだはどうも」
ひとみ、無言で会釈する。
優紀、あゆみを見る。
優紀  「今日は何か?」
ひとみ、A4の封筒を優紀に渡す。
優紀、受け取る。
ひとみ 「見て」
優紀、封筒を開けて書類を出す。
医師の診断書。
優紀  「これは!?」
ひとみ 「この子の診断書よ」
優紀  「え!?」
ひとみ 「えって、こっちがえって言いたいわよ」
優紀  「……」
ひとみ 「あんたがあゆみをぶん殴った診断書!」
優紀  「(大声)ええ!?」
優紀、あゆみを見る。
ひとみ 「何、驚いたふりしてるの。こっちは気を遣って、穏便に済まそうと思ってるのに、あんたが大声出してどうするの」
優紀、あゆみを見て、
優紀  「いや、そんなわけない! そんなわけない!」
ひとみ 「そんなわけないって、そこに書いてある通りよ」
優紀  「いや、違う! 絶対違う! 僕じゃない!」
ひとみ 「金曜の夜、一緒に飲んだの、憶えてるよね」
優紀  「はい」
ひとみ 「わかってるじゃない」
優紀  「いや違う! 僕じゃない!」
ひとみ 「あんたがやったんだよ。あゆみ、見せてやりな」
あゆみ、パーカーとマスクを外す。
あゆみの両頬はアザになって腫れている。
優紀  「そんなわけない! そんなわけない!」
ひとみ 「じゃ、これは誰がやったんだい?」
優紀  「僕じゃない! 断じて僕じゃな
い!」
ひとみ 「じゃ、誰が」
優紀  「虫も殺せない僕が殴れるわけないでしょ! それに人なんて殴られたことはあっても殴ったことなんて一度もないんだ! 殴り方だってわからないんだ! そんな僕が、こんなになるまで殴れるわけない!」
ひとみ 「でも、こんなになっちゃったんだよ」
優紀  「違う! 僕じゃない! それに僕は、僕は彼女を殴れない!」
ひとみ 「なんで?」
優紀  「なんでもです!」
ひとみ 「しょうがないね。じゃあ、このままあんたの上司にでも言うかい」
優紀、立ち上がって、
優紀  「かまいません! 上司にでもなんでも言ってください! 僕は絶対してませんから!」
ひとみ 「何? 開き直り?」
優紀、ひとみを力強い目で睨む。
ひとみも睨み返す。
あゆみ、二人を見る。
優紀  「では、ほかに要がないなら僕はこれで失礼します。上司にでも警察にでも言ってください。僕は逃げも隠れもしませんから」
優紀、深くお辞儀をして、去っていく。
ひとみ、深く溜息をして、ロビーの天井を見る。
ひとみ 「……参ったね。まさか、ああ出るとは……」
あゆみ 「どうするの?」
ひとみ 「逃げられた」
あゆみ 「……」
ひとみ 「あのとき、カモが消えたとき、やめておけばよかったのか?」
あゆみ 「……」
ひとみ 「あゆみ、ごめん」
あゆみ、首をふる。


○古びた雑居ビルの外観


○同・診察室
宇賀井、あゆみの頬を診察している。
ひとみ、ベッドに腰掛けている。
宇賀井、デスクに向かいながら、
宇賀井 「鬼にひるまない奴がいたか。(卑しく笑う)クックック」
ひとみ 「……」
宇賀井 「潮時だな」
ひとみ 「上客が減るよ」
宇賀井 「あいにく、お前のような鬼はいないが、雑魚ならいくらでもいる。(卑しく笑う)クックック」
ひとみ 「……」
宇賀井 「もう辞めとけ。その方がお前も楽になるんじゃないのか?」
ひとみ 「……」


○フラッシュバック・リビング
元、寝ているあゆみにキスをし、体を触っている。


○フラッシュバック・居間
香織 「あの子もきっと男を狂わせるよ」


○現在・診察室
ひとみ 「知ったような口聞くな」
宇賀井 「(卑屈に笑い)クックック。あゆみちゃんも可哀相に。こんな鬼みたいな姉をもって」
あゆみ、左右に首をふり、否定する。
宇賀井 「(卑しく笑う)クックック」
ひとみ 「大物引っかけたら考えるよ」
宇賀井 「そんなにうまく行くか? 今までが出来すぎなんだよ」
ひとみ 「大丈夫。コレ使うから」
宇賀井、ひとみを見る。
ひとみ、スマホをかざしている。
宇賀井 「ああ?」
ひとみ 「時代よ」
ひとみ、ニヤリと笑う。


○タクシー車内
並木道を走っている。
優紀、食い入るように外を眺めている。
東京タワーが見える。
優紀 「あ、ここで降ろしてください」


○歩道
優紀、キョロキョロと何かを探しながら歩く。
コンビニが見える。
すると、コンビニからひとみとあゆみが出てくる。
優紀、二人の後をつける。
二人はマンションへ入っていく。
優紀、二人がマンションに入ったのを見て、小走りにマンションの前まで来て、見上げる。


○マンションのリビング
カレンダーは七月。
ひとみ、あゆみの両頬を触り、
ひとみ 「目立たなくなったね。傷みは?」
あゆみ 「少し」
ひとみ 「そう」
あゆみ 「でも、大丈夫」
ひとみ 「ひと月に二回はやりたくないけど、
八月からは、もう今年は終わりにしたいから。
行けるかい?」
あゆみ、屈託ない笑顔で頷く。
ひとみ 「じゃぁ、今夜、引っかけに行くか」


○繁華街の風景(夜)
ひとみとあゆみが歩いている。
ひとみはスマホのツイッターを見ながら、
ひとみ 「いいカモがいる。しかも一人だ」
あゆみ 「どんな人?」
ひとみ 「芸能人よ」
あゆみ 「芸能人?」
ひとみ 「サングラスしてるけど、大杉潤が一人で飲んでるらしい」
あゆみ 「大杉潤?」
ひとみ 「最近、アイドルと浮気して、離婚協議中のおやじよ。ロリコンだからカモにはうってつけよ。お金もあるし、やりやすいよ」


○雑居ビルの外観(夜)
ひとみとあゆみ、雑居ビルの中に入り、エレベーターに乗る。
優紀、エレベーターに乗った二人を見届けて
から、エレベーターの前まで来て、エレベーターが五階で止まるのを見る。


○同・居酒屋
ひとみとあゆみが入っていく。
店員の「いらっしゃいませ」の威勢のいい挨拶。
ひとみとあゆみ、テーブル席につき、回りを伺う。
大杉潤(53)、カウンターで一人飲んでいる。
ひとみ、大杉潤を見つけ、あゆみに顎で示す。
ひとみとあゆみ、席を立ち、大杉潤のところへ行き、さりげなく声をかける。
ひとみ 「もしかして、大杉潤さんですか?」
大杉、ひとみとあゆみを見る。
大杉  「そうだけど」
ひとみ 「やっぱそうだ」
ひとみとあゆみ、はしゃぐ。
ひとみ 「妹のあゆみが大杉さんのファンなんです!」
あゆみ 「握手、してくれませんか?」
大杉  「ああ」
大杉、あゆみと握手する。
あゆみ、喜ぶ。
ひとみ 「今、一人なんですか?」
大杉  「まぁ」
ひとみ 「良かったら、ここで一緒に飲んでもいいですか?」
大杉  「んん、ああ、かまわんよ」
あゆみ 「やった!」
優紀  「やめた方がいいですよ」
ひとみとあゆみ、後ろを振り向くと優紀が立っている。大杉も優紀を見る。
大杉  「誰だ、君は」
優紀  「後でお金、せびられますよ」
大杉  「……」
ひとみ 「……」
優紀  「この人たちと関わらない方がいい。必ず面倒なことになります。特にあなたは離婚協議中でしょ」
ひとみ 「ちょっと! 何言ってるのよ!」
ひとみ、優紀を睨み付ける。
大杉、ひとみと優紀を見て、
大杉  「面倒はごめんだ!」
大杉、席を立って店を出て行く。
ひとみとあゆみと優紀が残る。
ひとみ 「何? 尾行してたの?」
優紀  「止めに来たんだ」
ひとみ 「何言ってるの?」
あゆみ 「……」
ひとみ 「行こう!」
ひとみ、あゆみを連れて店を出る。
二人の後ろ姿を見送る優紀。


○繁華街(夜)
ひとみとあゆみ、足早に人混みを歩く。
ひとみ 「全くついてない! あいつは疫病神よ!」
あゆみ 「今日は?」
ひとみ 「明日明日。出直しだ」
二人は人混みの中に消えていく。


○マンションの外観(朝)
ひとみ、ラフなカッコでマンションから出てくる。すると、優紀がひとみの背後から声をかける。
優紀  「あの、もし」
ひとみ、背後を見る。
ひとみ 「(呆れ顔で)あんたもしつこいね」
優紀  「……」
ひとみ 「尾行したり、何、ストーカー?」
優紀  「違います。話がしたいんです」
ひとみ 「話? 昨日の詫び? それとも示談に応じる気になったの?」
優紀  「違います」
ひとみ 「じゃぁ何? こっちも忙しいんだけど」
優紀  「……」
優紀、もじもじする。
ひとみ 「何?」
優紀、手で太ももを叩いて気合いを入れて、
優紀  「あの、自分、あゆみさんが好きな
んです!」
ひとみ 「はぁ?」
優紀  「好きだから、あゆみさんを殴るわけないんです!」
ひとみ、あっけにとられる。
ひとみ、吹き出し、そして、笑う。
ひとみ 「何を言い出すかと思ったら」
優紀  「本気なんです!」
ひとみ 「ちょっと、いい加減にしてよ」
優紀  「ほんとに本気なんです!」
ひとみ 「(不機嫌そうに)何言ってるの。人の邪魔して。ちょっと都合良すぎない?」
優紀  「あれは、本当の事、知りたかったから」
ひとみ 「じゃぁ、知って満足でしょ」
ひとみ、優紀から去ろうとする。
優紀、強引にひとみにメモを渡す。
優紀  「これ、僕の連絡先です」
ひとみ、立ち止まって優紀を見る。
ひとみ、呆れ顔で面倒くさそうにメモを無造
作にポケットにつっこむ。
優紀  「ありがとうございます」
ひとみ 「別に、何もしてないよ」
ひとみ、優紀をチラッと見て、立ち去る。


○マンションのリビング
ひとみとあゆみ、テレビを見ながら、弁当を食べる。
ひとみ 「あゆみ、昨日の男、どう思う?」
あゆみ 「あのおじさん?」
ひとみ 「違う。邪魔した男よ。ほら、オリエンタル石油のカモ」
あゆみ、手で口を触り、虚空を見上げながら考える。
あゆみ 「そうだなぁ……。はじめ会ったとき、優しそうな人に見えたけど」
あゆみ、思い出し笑いして、
あゆみ 「外見が気弱そうに見えたから優しそうに見えたのかな?」
ひとみ 「そうだね。弱っちそうに見えるも
んね」
あゆみ 「でも、あんな邪魔してくるんだから、芯は強いのかな?」
ひとみ 「……」
あゆみ 「それとも誠実な人なのかな?」
ひとみ 「誠実」
あゆみ 「よくわかんない(微笑む)」
ひとみ、席を立って、ベランダに向かう。


○同・ベランダ
ひとみ、タバコを吸い始める。
ひとみM「確かに誠実かもしれない」


○回想・部屋
病床の久志。
久志「ひとみ、あゆみを頼む! 母親のように肩身の狭い思いはさせたくない。あの子を幸せにしてやってくれ」


○現在・ベランダ
ひとみ、タバコを消して、ポケットからメモとスマホを取り出す。


○駅前の風景(夜)
電車が走っているのが見える。


○居酒屋店内(夜)
ひとみ、カウンターで一人飲んでいる。
あゆみ、テーブル席でサワーをチビチビ飲んでいる。


○回想・ベランダ
ひとみ、スマホを持って、
ひとみ 「駅前の居酒屋で飲んでいるから、そこに来な。あゆみを一人で待たせるから、あとはうまくやりな。いいね」


○現在・居酒屋店内
あゆみ、一人静かに飲んでいる。
ひとみ、離れたカウンターのところであゆみを見ている。
ひとみ、腕時計を見る。
ひとみ、渋い顔をする。
あゆみのところに、学生A、Bがあゆみに近寄る。
学生A 「ね、さっきからずっと一人でいるけど、誰かと待ち合わせ?」
あゆみ 「……」
学生B 「もしかして彼氏?」
あゆみ 「違います」
学生B 「じゃ、俺たちと一緒に飲まない?」
学生A 「飲もうよ!」
あゆみ 「いいです(断る)」
学生A 「そんなこと言わずに一緒に飲もう」
学生A、あゆみの腕を掴む。
ひとみ、あゆみの席にやってきて、
ひとみ 「この子、私の妹なんだけど、あんたたち何? もしかして学生さん?」
学生B 「当たり!」
学生A 「目黒大の三回生です」
ひとみ 「(顔を逸らして呟く)雑魚が」
学生A 「なら、お姉さんも一緒にどうです?」
ひとみ、学生Aを睨んで、
ひとみ 「(見下すように)社会人になって、高給取りになったら考えてやるよ」
学生A、B、罰悪い顔をして、ソッと立ち去る。
ひとみ、あゆみの向かいの席に座る。
あゆみ 「どうしたの? なんかいつもと違う」
ひとみ 「そんなことないよ」
あゆみ 「何かあるの?」
ひとみ 「いや何も」
ひとみM「やっぱ怖くなったか? 考えてもみろ、彼は将来を嘱望されたエリート。こんな恐喝まがいで生計を立ててる女に本気になるか?……(ふ、と気がつき)いや違う。騙されたんだ! そうだ。あいつに仕返しされたんだ! 騙している私がまんまと騙されるなんて」
ひとみ、急に一人、笑い出す。
あゆみ 「どうしたの?」
ひとみ、笑いながら、
ひとみ 「何でもない。帰るよ」


○歩道(夜)
ひとみとあゆみ、居酒屋から出てきて、タクシーを拾おうと手をあげる。
目の前でタクシーが止まる。
後部座席から優紀が慌てて降りてくる。
優紀  「すみません、遅くなって。会議が長引いちゃったもので」
優紀、タクシーの運転手に支払いをする。
ひとみ 「じゃぁ、このままタクシーに乗ってウチで飲もう」
ひとみ、優紀を後部座席に押しやり、あゆみも乗せる。


○マンションの外観(夜)


○同・リビング
テーブルに缶ビールやワイン、つまみが置いてある。ひとみたちはそれを飲みながら、
優紀  「あのどっきり見た?」
あゆみ 「見た」
優紀  「あれ、いつみても面白いよね」
あゆみ 「でも、ちょっと下品じゃない」
優紀  「いや、どっきりはあれぐらいやらないと面白くないよ。面白かったでしょ?」
あゆみ 「面白かったけど」
ひとみ 「あゆみは、ああいうの苦手なのよ」
優紀  「いやぁ、あれは最高だったなぁ」
優紀、思い出し笑いをする。
あゆみ、優紀の笑顔につられて笑う。
ひとみ、微笑みながらワインを飲む。
楽しそうな三人。


○マンションの外観(深夜)
月が見える。


○同・リビング
あゆみと優紀、眠っている。


○同・ひとみの部屋
ひとみ、鏡の前で両手にナックルインナーグローブをはめている。
ひとみ、鏡を見て、
ひとみ 「これで何もかもおしまいにする。けじめをつける。これが私の通過儀礼だ」
ひとみ、部屋を出て、リビングに行く。


○同・リビング
あゆみと優紀、寝ている。
ひとみ、二人に近寄る。
ひとみ、優紀の頬を軽く叩いて優紀を起こす。
優紀  「んん!?」
ひとみ、優紀が声をあげないように、手で口を押さえ、立つように頭を振って合図する。
優紀、寝ぼけながら、ひとみについていく。
ひとみと優紀、あゆみから離れたリビングの端に行く。
ひとみ 「あんた、ほんとにあゆみが好きなんだね?」
優紀  「好きです」
ひとみ 「本気?」
優紀  「本気です」
ひとみ 「あんた、あゆみを幸せに出来る?」
優紀  「出来ます。あゆみさんを絶対幸せにしてみせます。大切にします」
ひとみ 「その言葉、信じていいのかい?」
優紀  「約束します」
ひとみ 「なら、私は何も言わない」
優紀  「あゆみさんと付き合ってもいいんですね」
ひとみ 「私は何も言わないと言っただけ。付き合えるかどうかは、あんたの努力次第」
優紀  「がんばります」
ひとみ、優紀から目を逸らし、両手でナックルインナーグローブを撫でる。
優紀、ひとみのナックルインナーグローブを見る。
ひとみ 「もし、あゆみを泣かすようなことがあったら、ただじゃすまないよ」
優紀  「かまいません。そのときはボコボコにしてもらって結構です」
ひとみ 「カッコつけるんじゃないよ」
優紀、ひとみを見ている。
ひとみ、両手にはめているナックルインナーグローブをジッと見てから、ゆっくり外し
始める。
ひとみ 「じゃ、もうこれであゆみを殴るこ
とはないんだね。おしまいにしていいんだね」
ひとみ、顔をあげて優紀を見る。
ひとみ 「(あなたのこと)信じていいんだね」
優紀  「はい」
ひとみ、両手から外したグローブに目を落とし、肩で大きく息を吸って吐く。
優紀  「……」
ひとみ、グローブをジッと見ながら、
ひとみ 「(実感を込めて)ああ、ずっと胸につかえていたわだかまりが、やっと取れそうな気がする」
ひとみ、顔をあげる。一筋の涙が流れている。
優紀、穏やかな優しい顔でひとみを見る。
少し離れたところであゆみが背を向けて寝ている。
あゆみ、目を開けて、声を殺して泣いている。
そして、目を瞑る。
あゆみの目から涙が止めどなくこぼれ落ちる。


○山麓が見える大自然
快晴。


○同・川の風景
鮎を手づかみ出来るやな漁の仕掛けがある。
そのやなの上に、あゆみ、優紀、ヨチヨチ歩きのあゆみの子がやなに打ち上げられた鮎を手で掴んでいる。
楽しんでいる三人。


○オフィス内
ひとみ、デスクに向かい、パソコンで仕事をしている。
すると、スマホに写メが届く。
ひとみ、写メを見る。
あゆみと優紀とあゆみの子が、鮎を掴んでいる写真。
ひとみ、微笑む。
上司  「阿部君、ちょっと」
上司が手招きをしている。
ひとみ 「はい」
ひとみ、上司のデスクに向かう。


  〈終〉

旧題「おとり鮎」

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