散歩

最近、夜適当にそこら辺を歩き回るという習慣が出来ました。
ベッドでYoutube Shortを垂れ流してみてるより有意義な時間を過ごせているように感じているのでとても良いです。

歩き回っているときは好きな音楽を聴いたりラジオを聴いたりしています。
家でじっと画面を見つめているより内容がすっと頭に入ってくる気がします。

時々考え事をしながら歩いたりもしますが、いつもは考え事をしていると何かしなきゃいけないような焦燥感にかられるのに、歩いているおかげで歩幅が大きくなる程度で済んでいます。

歩くってめっちゃ良いかも。

この間久々に母親と電話しました。
大人になってから自分の近況を報告するのに抵抗がなくなった気がするし、母側もきっと今まで子どもの自分には隠していた問題を共有してくれるようになりました。
きっと自分が小さい頃も色んな問題があって、見えないところでどうにかしてくれてたんだと思います。

大人になるにつれ、自分の周りを取り巻く問題がたくさん見えてきて、世の中に対して常にだれかが怒っていて、「俺たちは理不尽に不幸な目に遭っている」と肩を組まれているような錯覚に陥ります。
不安を覚えるとその心の隙間に入り込もうとする何者かが出てくるので、そうはさせまいと自分で情報をかき集めてみたりもするけどもう悪循環だし時間は過ぎていきます。
そんな中で歩いていると意外と自分に関係なかったんじゃないかという気がしてきて、「知らんがな」って思いながら該当のツイートをブックマークから削除します。
それの繰り返し。

子どものころに将来の夢に巡り合えず、成人してから本格的に音楽を始めたので、早い段階で自分の夢に巡り合えた人たちのことが羨ましいと思ったりもします。
大人として考えなきゃいけないことを抱えながらやりたいことに向き合うって大変なことです。
いや俺が生きるのがへたくそなのはそうだと思うんですけどね。

この間、「作曲して完成品を公開できるのは、それだけですごいことだし尊いことだ」みたいな感じの文言を目にしました。
他人に対してなら近いニュアンスのことを言えるけど、自分に対してはそうは思いませんでした。

だって曲いっぱい聞いてもらって褒められたいし。

自分が好きで聞いてる曲と、それを作るクリエイターさんたちはほんとに素晴らしくて、それを生み出すまでの人生も含めて尊いと思います。(悪いことをしていなければ)
生きてて偉い。

でも自分に対してはそうは思えない。
当たり前ですよね。

自分の曲が誰かの脳内で居場所を見つけてなんか役に立って、それを知ることが出来てようやく音楽をやっている意味になる気がしてます。

あんまり現実社会に居場所があるように感じていないのでそうやって自分の居場所を作りたいんだと思います。

いつか自分に対しても生きてて偉かったんだって思ってみたいですね。

歩いててぼんやり考えてたことを文字におこしたらこんなになった。

歩くってすごい。

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