その後の話〜過ごし方と不育の原因〜
24wで娘とお別れをしてから3週間が経った。
その後の経過も色々と記録していこうと思う
3週間ゆっくりできたかというと正直微妙な所だった。
2人の育児はあるわけで。
旦那も義母もかなり手助けしてくれて、育児の負担はいつもに比べてないなりに多少はある事
それと
実は主人の扶養から抜けて国民健康保険へ切り替える間のタイミングに起こってしまったので、まさかの無保険のまま入院していた。
その後の手続きで病院や区役所、税務署に通っていた産院へ支払いへ行ったり。。
結果的に死産の場合でも出産一時金は出るので、今回の入院での支払いはなかった。
子供は死ぬわ、分娩費も負担となると色々と精神的にきていたところなので国には感謝している。
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精神的な所では、その日によってかなりの浮き沈みがある。子供の事で笑える日もあれば、順調にいっていればまた赤ちゃんを抱っこできていたのにと悲しくなる日も。
一番しんどいなと感じるのは、お腹が大きくなっていたので周りが妊娠していたことを知っている人が多く、ダメだったと伝える事が度々ある事かもしれない。
子供が死んだ事を言葉にする事が辛いと言うより、相手に「あ、やってしまった!言ってしまった!」と気まずい想いをさせてしまうことが申し訳なく思う。
個人的には色々聞いてくれて全然構わないのだけど、みんな触れずに接してくれる事が言葉にできないけどなんかくるものがある。
まぁ、しかし聞いてくれたとしても勝手に込み上げてくるものはあると思うので、逆に気を使わせてしまう気もするし、仕方ない事と思う。こればかりは時が解決してくれるものかなと。
一度目の死産の時はひたすら悲しくて何もやる気はおきず毎日泣いて過ごしていたが、今回はそういうわけにもいかない。
我が子の事を想って泣くと言う事が明らかに減っている。もっと悲しんであげて一人で過ごしたいと思うこともしばしばあるがこれも仕方ない。
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3/3は産後の検診があった。
産まれた直後は臍帯が細かった事が原因だろう言われていたが、他の可能性が出てきた。
不育症の原因の一つとして挙げられる
抗リン脂質抗体症候群の可能性がありますと。
抗リン脂質抗体症候群(antiphospholipid syndrome, APS)は血中に抗リン脂質抗体とよばれる 自己抗体 が存在し、さまざまな部位の動脈 血栓症 や静脈血栓症、習慣流産などの妊娠合併症をきたす疾患です。
自己免疫疾患の一つで度合いによっては難病指定にも入っている。血栓症になりやすく、妊娠すると血が巡らなくなると、簡単に言えばエコノミー症候群になりやすかったりする病気といわれた。
血液検査の数値が明らかに高かった。
抗カルジオリピンIgG 37.7
(通常10以下)
この数値が高い状態が12週続くと確定診断がおりる。
現段階ではあくまで可能性があるというだけで、どうなるかはわからないが。
死産2回に、流産3回もしていればまぁ該当しそうやなとは思っている。
もっと早くに原因がわかっていれば子供が死ぬ事はなかったのかもしれないと悔いが残る。
ひとまず、3/22に下肢に血栓がないかの検査をするらしい。今は血栓がない事を祈るしかできない。
人間、生きていたら色々とあるもんだな
とりあえず生ビールは美味いと感じれているから良かったよ
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