第4回 日本の人材紹介のはじまり
日本において人材紹介はいつから始まったのか?
急に人が欲しい!という業界があるのは今も昔も変わらず。転職エージェントとして最初の過程を知っておくのも悪くなかろう…と調べてみた。
時は江戸時代、雇用主と労働者の主従関係ができあがる。
雇用主と労働者の関係っぽい原点は戦国時代まで遡る。(寄親寄子)ただ、まだその頃は人材斡旋を積極的に行っているような人はいなかった様子なので、確実に人材紹介と言える事業者が存在しはじめた頃__江戸時代のお話。
超高速!参勤交代
藩の取り潰しを目論む、理不尽な江戸幕府老中の命にあえて従い、家臣らと共に知恵を振り絞って激短参勤交代をやりきる藩主の映画。(佐々木蔵之介主演。超面白い。)
この参勤交代が人材紹介という事業が確立されるきっかけになったとは、中学生時代の私は知る余地もない。大名って大変だよね。くらいにしか思っていなかった。
手配師・口入屋(くちいれや)
参勤交代は莫大な費用がかかることもそうだが、とにかく人手が必要だった。参勤交代による波及効果で更に人手が必要となる。
①大名行列組むのに3000人も準備できない
文明発達してないからってそんなに人連れて行かなくてもいいんじゃないか?江戸幕府も上納金だけあれば十分だったんじゃないか?とは思うが、参勤交代の大名行列は数百人~数千人規模だった。
藩の奉公人だけではとても賄えない人数。さあどうする?
②大名が過ごすのに屋敷が必要だよね
東京出張に来た地方支社の偉い人をビジネスホテルに1年以上とか滞在させられないよね。というわけで、江戸で大名が過ごすための武家屋敷ができあがる。
大工の親方おおわらわ。屋敷建てるのに人が…!!
③インフラ整備
江戸は急激に人が増加…人々が暮らすために、道路とか色々インフラも整備しないといけない。あれ?土地も足りない、埋め立てしなきゃ……江戸にそんなに働ける人いたっけ…!?
というわけで、江戸のあっちこっちで労働力が必要になってきてしまったのである。
そこで人材を斡旋しましょう!と現れたのが、手配師や口入屋(くちいれや)と呼ばれる人達。私達の始祖的パイセンである。
今の介護業界の如く、鬼のような求人数に対し、働きたい人が全然来ない…有効求人倍率5倍くらいあるんですけど…ということはなく、求職者は大勢いた。
地方で働こうと思っても仕事が無い、給料が安いというのはこの頃から変わっていない。仕事を求めて地方から人々が殺到した。
地方にまで斡旋をかけていた手配師の皆さんの営業力にも驚く。ネットでクチコミ拡散とはいかない時代である。
ちなみに参勤交代の奉公人は賃金が高く、今でいう地方公務員的な立ち位置になれる!ということで、庶民から大変人気だったらしい。
こうして江戸の経済が活発化し、日本の中枢として一気に発展していったのである。
人材紹介事業者が日本の発展の一役を思いっきり担っていたとは。
裏の顔、女衒(ぜげん)
江戸に人の流入が増え、求人の内容は主に力仕事であったことから、男性の労働者が多かった。
新しい街づくりには必ずセットになっていた「遊郭」もできあがる。
有名なのは映画、吉原炎上でお馴染み吉原遊郭。電球バリーン。
治安維持のためということで、公的許可の下運営されていた。
集められる女性は主に地方の貧困世帯の若い女性。身売りをして遊郭という籠の中で働かされていた。
中には上昇志向で花魁目指し、自ら…という女性もいたかもしれないが、ほとんどは貧しさ故、家族を食べさせるが故、だったろう。
女衒(ぜげん)と呼ばれる人材斡旋業者が遊郭にある置屋と女性(というより親元)の仲介に入り、取引を行っていた。
人材紹介事業とは呼びたくないが、このような人材斡旋の形があったこと(おそらく水面下でいまだに存在する)も、人材紹介事業に関わる人間は知っていないといけないことだと思う。
世の中のための存在でありたい(理想)
江戸時代の手配師や口入屋がどれだけ良心的な人材紹介を行っていたかは定かではない。
しかし、悪質過ぎる斡旋を行っていたら、きっと江戸の発展は無かったと思うので、貧困者の救済と雇用促進を主としていたと信じたい。
我々現代の転職エージェントも、時に売上ノルマを課され、うっかり自分の売上のため…が主軸になってしまっていることがある。
仕事を探す人々のため、人を雇用することで業績を伸ばす企業が増え、世の中が発展するための存在と考えたら…なんてビッグな仕事をしているのだろうと一層やりがいを感じられるのではなかろうか。