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高倉健×菅原文太|0才のボクへのギフト

兄は33歳の誕生日を迎えた朝、自宅のトイレで倒れ救急車で運ばれた。当時僕がトップモデルを目指して上京したてでお金が無く、兄の家に居候していた事が不幸中の幸いですぐに救急車を呼べたのだ。救急車で運ばれる兄の表情は、どこか安らかで、救急隊に「きれいな顔してるだろ。ウソみたいだろ。死んでるんだぜ。それで。」と言われるまで、僕は兄の心臓が活動を止めている事に気が付かなかった。

人の死というものは不思議なもので、今まで思い出さなかった事まで思い出させる。僕が、床屋で前髪を切られすぎて杉山公園で砂場に転がる犬のフンを、木の枝でツンツンしてた時、兄が僕を励まそうと鉄棒で大車輪してくれた思い出とか。当時は兄が狂ったかと思って、前髪の事なんか忘れられたけど、僕は救急車の中で、なんかジブリで同じような光景を見た事があると、その映画のワンシーンを思い出してやっと涙が出た。病院に着く頃になると救急隊も思い出したかのように仕事を再開し始め、僕と救急隊のやり取りに嫉妬でもしたのか、あっさりと兄の心臓は活動を再開した。

思い返せば、兄貴は寂しがり屋だった。6つ離れた兄は、僕が小学校1年生の頃、よく僕と友人との遊びに着いていきたいと駄々をこねた。仕方なく一緒に友達の家に連れて行っては、テレビゲームをしてよく遊んだもんだが、兄は容赦なく6つ離れた小学生達を次々とゲームで負かしては、よく泣かせていた。今思えば、兄がプロゲーマーとして生計を立てているのも、納得ができる。

病院に着いた兄は、連日徹夜(夜通しゲームの練習)が続いていた事もあり、一般の病室で眠りについていた。神奈川から駆けつけた両親も、その寝顔を見て安堵していた。両親と僕は兄のベットを囲み、唐突に母が僕の名前の由来について話をしてくれた。

僕の名前である「健太」は、父親が「高倉健と菅原文太の名前から一文字ずつもらった」と聞かされており、それをよくクラスの女の子に自慢していたが、(女の子達の反応はイマイチだった)本当は違うのだと母は言った。

僕の本当の名前の由来は、幼少期からアレルギーや喘息に悩まされていた兄が、「弟には健康に育って欲しい」と“健太”と名付けたそうだ。母の隣で父が必死に否定を繰り返していたが、僕はなんだか納得がいった。小さい頃の記憶の中に、喘息の症状で息苦しそうに気管から古い管楽器のような音を出している姿や、吸入器を咥え、母に背中をさすられる兄が鮮明に残っていたからだ。

当時の僕は吸入器を見ていつも羨ましいと思っていたし、何だかかっこいいマシンを兄が使いこなしてるのを見て、密かに「自分も…」だなんて考えてたこともあったけど、何故だかそれはきっといけないことなんだと、言葉に出す事はしなかった。

そんな風に思っていた事に申し訳なさを感じながら、ベットで眠る兄を見て、感謝の気持ちが込み上げてきた。僕はこの世に生を受けた瞬間、最高のギフトを手にして生まれた。僕は幸せものだ。いつか僕にも子供が生まれたのなら、子供が理解できる年になった時、自分の名前に誇りが持てる名前をつけてあげよう。そうだ、兄のように、自分がどんなに辛くても、周囲の人にギフトを与えられるような人になれるよう、男の子でも、女の子でも「恵」という字をつけよう。女の子なら、「メグミのミ」を取って、「メグ」と名付けよう。兄のように身にならない事でも人にギフトを与えられるよう「ミ」を取って。

そんな気持ちに答えるように兄がモゾモゾと身体を動かした。この気持ちを素直に伝えよう。僕が兄に近づこうとすると、布団の中で鈍く破裂音が聞こえた。だらしなく寝返りを打つ兄に振り回されるように布団がなびくと、隙間から不快な臭いがした。やっぱり僕は父の言葉を信じる事にした。


※この物語はフィクションです。実在の人物や団体などとは関係ありません。 

※名前の由来に関しては、事実です。


「最後まで読んでくれた」その事実だけで十分です。 また、是非覗きに来てくださいね。 ありがとうございます。