「生きる意味」より、自分の内側の芽を育てよう

大切な存在が突然いなくなって、生きる意味が分からなくて涙が出る日が続いている。
何のために仕事頑張って、つまらない日も慎ましくやり過ごしているのか。
だってその先に、頑張ったり耐えたりした先に、光がないのに。
光がないんだったら、耐える意味もない。全てが無意味。生きる意味がわからない。ただただ、無の世界。真っ白で何もない。ポツンと、無意味な自分がただ1人虚しく立っている。

でも、ふと思った。
外に生きる意味を見出すことは、危険だし危なっかしいし、本来は間違っているんだろうなと。
「このために!」というのが見つかって一時期安定したとしても、もしまたそれがふとなくなってしまったら。

だから、それは違うんだろうなと。
外に見出そうとしてしまうけど、何か大きなもののためにって、なぜかいつもそっちに思考がいき考えてしまうけど、違うんだろうなと。

なぜ自然と自分の内側に目が向かないんだろう。
元々そうしてくれていれば、こんなにいつも生きる意味を考えたり、無力感を感じたり、混乱したり、焦ったりしないのに。

何年も経って、やっと少しずつ気づいた。
外じゃなくて内なんだろうなと。

内、内、内側。
生きがいを見つけてはダメだ。それがなくなったときに、喪失感で崩れるから。
もちろん好きなことを見つけることは素晴らしいことだけど、中身が空っぽなのに、それで満たそうとすると、それが生きがいだと思ってしまう。
まずはしっかり自分の中身を自分で満タンにして、小さな芽を、きちんと育てて、大きく太い木で満たしてあげて、そこからだ。

芽を育てよう。芽を育てよう。
外の光に手を伸ばしがちだけど、それは幻想。
自分の中に目を向けて。芽を育てることだけに集中。

私の中には、生まれたてのように小さい若葉が見える。
こんなに生きてるのに、まだこんなに小さいのか。笑
外にばかり手を伸ばしていたからだな。

この芽を育てるには、何を肥料として与えればいいのか、全然浮かばないけど。
多分自分の根本となる土台をしっかりと癒し、整えれば、成長するはず。

まずは何よりそこだ。
心理学で言えば、両親との関係とかだと思う。それ以外にも何か見つかるかもしれないけど、まずはそこから、一歩一歩。

1ヶ月後、2ヶ月後、どう育っていくかが少し楽しみだ。





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