積読解消プロジェクト 第1回 『諏訪式。』

あなたの積読が他の人の価値になる

今日の積読投稿者 アキラさん

今日の積読は東京都豊島区のアキラさんの1冊、小倉美恵子さん著『諏訪式。』です。

アキラさんはマーケティングや、コミュニティ運営のお仕事をしています。新しい議論や人が生まれる場作りの仕事を通じて、最近のアキラさんの関心はコミュニティから、カルチャーに移っているそうです。そんな中、どうして「諏訪」という特定の場所から人や企業が生まれ続けるのかが気になり、本書を手に取ったそうです。ですが、アキラさんは好奇心が旺盛な上に、友人も多い。自分でも読みたい本があるのに、他の人からのお勧めも気になるため、つい積読になってしまうそうです。

「1人でできることは1人でしない」
今日はこの『諏訪式。』をアキラさんの視点「特定の場所とカルチャー」「なぜ信州人がカルチャーを生んでいるのか」という観点で開き、一緒に読んでみましょう。

著者 小倉美恵子さん

 『諏訪式。』の著者は映画プロデューサーで作家の小倉美恵子さんです。『オオカミの護符』という映画で数々の映画賞を受賞しています。都市化やグローバル化で、土地の歴史や文化と人が分断されることをテーマにした映像作品や書籍を発表しています。小倉さんご自身も川崎の農家のご出身で、川崎や多摩丘陵が宅地開発や工場建設で変貌し、原形を失ってしまったという経験を持っています。

 小倉さんは映画のロケで諏訪を訪れたのをきっかけに、諏訪がセイコー、岩波書店、湖池屋など、全国規模、世界でも活躍する企業や人を生み続けていることを知ります。どうして諏訪にはそんなことが可能なのか?諏訪の力を解き明かすための執筆を開始し、9年の取材をまとめたのが本書です。

 諏訪文化とは何か?何がキーなのか?諏訪人はどのように育つのか?アキラさんのテーマと的がかなり重なる本書、さっそくアキラさんの視点で本書を読み進めていきましょう。

第1章 シルクエンペラーと東洋のスイス

●信州人の企業
「岩波書店、筑摩書房、みすず書房、養命酒、新宿中村屋、セイコーエプソン、ヤシカ、チノン、ハリウッド化粧品、ワシントン靴店、日比谷松本楼、ヨドバシカメラ、タケヤみそ、信州一味噌、清酒真澄、すかいらーく、湖池屋・・・」
日本中のだれもが知るであろう、これらの会社や店の創業者は「信州人なのだ」p6

確かに諏訪発祥の企業は全国規模、世界規模に発展しています。何かありそうですね。


私は流行りの店が来ることを喜び、それが町の価値だと考えるようになった。それから間もなく、残された山林や畑のほとんどが宅地に代わり、顔なじみのおじさん、おばさんが営んでいた地元の小さな店は消えた。
無自覚に外からやってくる真新しいものをありがたがっているうちに、「町は誰かが作るもの」という他人任せな気分が支配し、地域の主体性、ひいては自分自身の主体性をも明け渡してしまっていた。
近代化の過程で、地域住民が主体性を失わずにあり続けることがどれほど難しいか…。                         p7

地域、もっと言えば自然と人の心は繋がっている。原風景が失われることは、目に見えない断絶・喪失を引き起こす。これが主体性を保ち、人や仕事を生み出し続ける文化とどう不可分なのか・・・。

川崎を含め、東京近郊の近代産業はそれ以前の歴史とは断絶している。
中略
ところが、諏訪では、江戸時代の地場産業から近代の製紙業、戦後の精密基幹産業から、IT、メカトロニクスと言われる現在に至るまで、その主体は地場絵の諏訪人たちであることに驚かされる。
中略
セイコーエプソンや三協精機、チノンといった大企業も、その始まりは、「味噌蔵」「製紙工場」「寒天工場」といった、かつて諏訪に栄えた産業の「遺産」を土台として生まれている。これは外からやってきた企業には考え付かない発想で、ここにも「ものづくりのDNA」を読み取ることができないだろうか。  p11

「味噌蔵」「製紙工場」「寒天工場」を生かすところにも得体のしれない諏訪ismがあるということか?

私は諏訪の庶民がどのように「精密機械」を扱う技術を習得したものか不思議でならない。なぜなら川崎の場合、百姓が大企業の工場と対等に渡り合うなどということはできなかった。耕すべき畑を失い、恵み多き海を埋め立てられた百姓は、保証金を元手に細々と暮らすか、工場に雇い入れられるのが精一杯だった。また、ベッドタウンとして爆発的に人口の増えた北部丘陵地域でも、百姓は天井知らずに値の吊り上がる「土地」に依存し、先祖伝来の田畑を宅地に換え、切り売りしていきながられてきた。
―中略―
ところが諏訪の百姓は、悲しむどころか自らの才覚で近代の足場を築き、育て上げ、意気揚々と地元に生きてきた。  p14
「諏訪にあるもの」と「諏訪にないもの」の融合。この時、「諏訪にあるもの」の側に重心を置くことで、「主体性」が保たれた。私はそこに諏訪のDNAを感じる。  p16

核心に迫るための問題設定。続きを。

●諏訪式 北澤工業の場合
当時のバルブは外国産がほとんどで、国産のものは粗悪品が多かった。そこで北澤國男は頻繁に発生するバルブの故障の修理を請け負うことを思い立った。一九一九年に「北澤製作所」は、長男の國男を筆頭に、次男の友喜ら四人の兄弟で始めたという。家族経営の小さな町工場だったのだろう。
この小さな工場が大躍進を遂げていくのだが、その目配せに國男の鋭い感覚が見て取れる。バルブの修理を重ねるうちに、その破損原因が諏訪の寒冷な気候風土にあることに気づく。そこで、寒冷地にも耐えうる「諏訪式」という肉厚で頑丈なバルブを独自開発してしまう。その結果、世界的な需要を生み、北澤製作所は「北澤工業」となり、「東洋バルヴ」へと急成長を遂げたというのだ。    p27

諏訪の厳しい気候に耐えるなら、他にも耐えるのは分かるが、どうして諏訪式が世界にも通じると判断できたのか?自分たち基準にしてみたら当たった?


●丁稚奉公 前近代的なるものの再発見
「可愛い子には旅をさせろ」という諺があるけれど、単に旅行させるという意味ではない。旅の語源は「他火」という説もあり「他火にあたる」つまり、「人様の懐に入って御厄介になる」ことの大切さを説いた言葉だといえる。前近代的な主従関係でもある方向制度は、決して民主的なものとはいえず、使用人が不要に扱われる場合もあったようだ。
―中略―
今では誰もが企業に就職するのが当たり前と考え、「仕事」とは会社から与えられるものと思っている。
―中略―
日本の近代化は一朝一夕に行われたものでなく、むしろ前近代的なものを存分に観に宿した世代が、現代の礎を築いてきた。「前近代」というものは、封建的、閉鎖的、非科学的といったマイナスイメージの中に押し込められたまま、戦後はほとんど顧みられることはなかったが、むしろ近現代を生み出したエネルギーの源とみれば、前近代にこそこれからの大きなヒントがあるのではないだろうか。  p30

諏訪的な文化が、旅=他火という考え方、丁稚奉公という前近代的な制度と通じているのでは?という分かる。しかし、丁稚的な文化継承と不可分かどうかは、あくまで著者の問題提起。後半の風土を宿す体、「手放すべき因習」と「共有すべき軸足」のほうが説得力がある。

●諏訪式2 中山社
富岡製糸場の噂を聞き付けた三代目武居代次郎は、大工らとともに富岡製糸場の技術を忠実に受け継いだ松代の六工社などに視察に出かけ、なんと三三分の一の低コストで100釜の器械製糸工場を作ってしまった。その名は「中山社」。富岡製糸場の解説から3年後のことだ。
代次郎達の「マジカルにしてミラクル」な偉業には、数々の工夫と発想の転換が見られる。まず、レンガや石材、ガラスなど、主に(富岡製糸場の)建物に使われた資材は高価で調達が難しいため、積極的に木材に置き換え、動力は川に水車をかけ、水力を得ることで、石炭への依存を低めるなどの工夫を凝らした。中山社が画期的であったのは、煮繭に使う蒸気釜を備えたことと言われる。これも石炭に寄らず、薪を炊いたであったと思われる。 p38

ここでも元の仕組みを生かしながら「諏訪式」への翻訳が成功している事例。富岡製糸場という明治政府が官費を投じた当時最先端の施設を低コストで諏訪式にする。よく観察しつつ、大胆に諏訪という特有の土地を生かしたものに変換する「諏訪文化」の本質に一歩迫っている。まだ「諏訪ism」には奥がありそうだ。

社会の都市化、グローバル化が進むほど、人はお金で物を買う「消費者」に身を置かざるを得ない。お金への依存度が高まれば、収入を得るために職を得なければならない。ところが、仕事は機械や海外の安い労働力にとって替わられる。近代化の恩恵を得て、いよいよ人は充実した生き方を求められるはずだったが、実のところ、より強い「不安」にさいなまれるようになっている。 p52

都市化は歴史との分断、グローバル化は土地性との分断。文化の大きな要素が歴史と土地にあるとするなら、長く何かを生み出す文化ほどその2つと生身の人間とのつながりが保持されている。

小林勇からは「岩波茂雄先生の故郷だからといって本が欲しいなんてセンチメンタリズムだ。岩波書店はもっと広く本を届ける責任がある」と、けんもほろろに断られてしまった。冷林さんの胸に「センチメンタリズム」という言葉が突き刺さった。
―中略―
二人は意を決して、その日の午後に再び岩波書店を訪れる。すると今度は岩波茂雄の次男で店主になったばかりの岩波雄二郎が彼らを迎えた。同年代の雄二郎は青年たちの意に共感し、「文化の種を諏訪にもお分けしたい」と言い、後日、念願の寄贈の約束が諏訪にもたらされた。
―中略―
「人が背負う」姿に、諏訪の人達はひとしおの思いを持っている、という気さえする。そこには「郷愁」や「センチメンタル」の一言で片づけてはならない大切なものが宿っていそうだ。諏訪のモノ作りが得意とする「軽くて小さなもの」。そこには「人が背負う」という感覚がDNAに刻まれ、ものづくりに反映されているように思うのだ。

身につまされる部分。自分も含め都会人は冷静に論理的に、が金科玉条になっている。センチメンタルという言葉には、発する側に他者に共感すること、されることへの不安が裏にある。特に都会人は共感への恐怖が強い。諏訪文化には共感への恐れではなく、共感のジレンマを乗り越えるコストを引き受ける文化があるのかもしれない。

武居代次郎の「諏訪式」、「北澤國男」の「諏訪式」という独創性に富んだ発送には、自分の足場に引き寄せて考える「強い引力」が不可欠だ。引き寄せる力の強さは、「根」の深さに比例する。厳しい風土に向き合って先人の姿こそ、「諏訪人」の本当の強さの秘訣なのではないだろうか。
二つと同じもののない風土に向き合うことが、個性の源泉であり、他者と深くつながる道でもあった。

第2章 ゴタたちが編んだ出版ネットワーク

しかし「それ以上に」と言えるほどに、郷里・諏訪の朋輩達もまた極めて高学歴の者が多い。諏訪からは毎年コンスタントに東大、京大をはじめとした最高学府に多数の学生を送り込んできた。岩波茂雄がアカデミズムに近しいのは、諏訪の百姓そのものが高い向学心を持ち、アカデミズムが身近に感じられたことが根本的な要因ではないだろうか。

諏訪らしさ、にはこの向学心があるのはありそう。
ちなみに国立大学の合格率はよく知らないが、人口当たりの図書館数、貸出数では長野は上位5位に入っているはず。

信州人に「学者や文化人が多いのはなぜか」と尋ねると、必ず「貧しかったから」という答えが返ってくる。「貧しいから教育に力を入れるんだ」と。しかし、凡庸な成績だった私からすると、「貧しい地域なら他にもあるし、貧しいことと成績は関係あるのか…」と反論したくもなってくる。
―中略―
学問を身に付ける以前に、諏訪人は「なんとかやってみよう」と取り組み始めると「何とかやり遂げてしまう」のである。この「何とかやり遂げてしまう」の本当の意味が分かるまでに時間がかかった。つまり、「ド根性」で力に任せてやり遂げるというのではなく、「手を換える」「目先を換える」「考え方を変える」という柔軟な思考と繊細なアプローチ、そのうえでの「やりぬく精神力」に鍵がありそうなのだ。それは対象をよく観察することから導き出されてくるものらしい。
諏訪「山浦の百姓」は、田畑に行くにも本を携えていったというけれど、こうした向学心や観察眼の土台は、諏訪の厳しい風土によって培われたものではないだろうか。その寒冷な高地でより良い収穫を上げようとすれば、日照、土壌、降雨降雪、霜や積雪などに注意を払い、作物の種類や種、苗も選ばねばならない。
―中略―
残念ながらその時点で、温暖でのっぺりとした多摩丘陵出身の私などには、とうてい冬を越せそうにない。実際、岩波茂雄が一高時代に下宿していた東京田端でそのあたりの百姓のやることを見ては「まるで遊びごとのようだ」と言っていたと阿部能成は伝えている。
さらには諏訪人は、すべてが凍てつく冬に「寒さ」を逆手に取った「寒天づくり」などの離れ業も導き出す。
この「自力で考え工夫する力」こそが諏訪人の真骨頂だろう。こうした人たちがさらに高等教育を受けるのは、都会に出て大集団の中で右顧左眄しながら生きるのではなく、文字通り「独り立ち」するための選択なのではないだろうか。実際に学者や教育者、出版人、ジャーナリスト、芸術家など、より個人の才覚が求められる仕事に就く人が多い。

諏訪の環境的制約の中で生産性を最大化するための観察眼、どの土地に行っても「諏訪だったら・・・」と考える、観察する、という半ば本能と化した思考回路はDNA=文化と呼ぶにふさわしい。頑固な感じもするが、文化には良いも悪いもないからこそ突破力がある。これまた本質に迫る部分。

「目利き」とは、目先の損得勘定や論理的、分析的な思考から生まれるものではなく、心に宿した「風土」に照らして考える力と言えるのではないだろうか。

「諏訪の観察眼、審美眼」、ここまでもっている生粋の諏訪人なら、確かにセンチメンタル、と都会人に切って捨てられるのは納得いくまい。

東京が元気だったのは、まぎれもなく地方が大いなる恩恵を与え続けてきてくれたからに他ならない。水も食料も人材も…。日本列島の分厚い風土は、「お金」などでは測りようもない資源を、時に無償で供給し続けてきてくれた。 p114

東京はまさに「分断」の町、分断や一般化をありがたがるという特性がある。でも、本当は地方の豊かさを消費しているだけでは?という著者の問題提起というか、チャレンジテーマか?東京はもっと故郷を故郷のままにうまく付き合えるか、内包できるか。どんなビジョンなのか?文化はただのアンテナショップではないはず。

第3章 ”空”なる諏訪湖の求心力

●新住民と旧住民の断絶とはどんな光景か?お互いにどう見えている?
生まれ変わった我が町に移り住んできた人の多くは、「通勤に便利」という理由でやってきた。つまり、この土地を自らの意思で選んだわけではなく「いずれはもっといいところに移りたい」と思っているかもしれない。そんな彼らが住む「コンクリートとアスファルトの上」からは、「旧住民」の私たちが築いてきた地域の文化や暮らしは、目に映ることが無かった。
大多数を占めるようになった彼らの「目に映らない」ということが、旧住民の意識にも大きな影響を与えた。私も含め、旧住民は自分たちの文化を「まったく価値のないもの」「時代遅れの因習」と思い込み重荷に感じ「できれば手放したい」と考えるようになっていった。
自文化を「過去の遺物」としか見られず、そこに何の価値も見出すことができなければ、 それは地に着いた自分の「軸足」を放棄するに等しいことなのではないだろうか。土地に根ざした自分たちの文化や、ものの見方を失い、一方に同化、吸収されることを意味するのではないか。逆説的なようだが、それは文化や価値観の違う人たちと、しっかり向き合い、「違い」をこえて本当の意味でわかり合い、新たな道をひらく可能性を失うことにもなるのだ。手放すべき「因習」と、共有すべき「軸足」のみきわめは難しい。その手がかり は何なのか。

ここにもまた共感を畏怖する都会人=新住民の姿か?逆に言うと文化を消す方法は、文化の所有者に自ら捨てさせること、無価値なものと思わせることと分かる。共感しないで済むコストはしわ寄せがいっているということ。
ただ後半の「しっかり向き合い」には個人的に異論あり。対話の必要性は認めるが、盲目的に分かり合うことを目的にするのは多くの場合、無自覚に偽善と排外主義を隠ぺいする。ある種の「いいかげんさ」「不真面目さ」ではないかと?本書で追ってきているように、文化は良い悪いではない、身勝手な性質を持つ。共存するには一定の距離が必要、くらいのニヒルな構えのほうが結果、新しい道が出てくるのでは?

祖父母や両親は、屋根葺きも、畑の畝を切るのも、あるいは種子を播くにも、足の歩幅や腕の長さ、手指で距離を測り、脚や膝の丈、指の節などで深さを測っていた。いわゆる「人体寸法」だ。わが家の畑は家族の身体がモノサシとなってデザインされる。家族の使う鎌や鍬といった農具も近隣の鍛冶屋がそれぞれの背格好や使い癖に合わせて仕立て、修理をしてくれたものだった。お隣りの家や畑は、お隣りの家人の寸法でデザインされる。いわば村中がてんでバラバラの規格で作業をしているのだが、全体から見ると、風土と調和し、心に沁み入る風景となる。一方、ビルや建売住宅をはじめ、自動車や生活用品に至るまで、今や世界共通の規格、基準によって建てられ、作られている。判で押したように同じ建物が整然と並び、公園がデザインされている区画もある。これを美しい、あるいはスタイリッシュと思う人もあるかもしれない。しかし、風土とは馴染まない。その規格そのものが風土の理を離れている、と私には思える。同じ「人間」から発しているにもかかわらず、この違いはどこから来るのだろう。大原則として、人は「生き物」であるがゆえに、大いなる風土の循環に即さずには生きることができない。その反面、風土を克することに邁進して顧みることがないかのようにも見える。一つ言えることは、故郷の山が切り崩されたとき、私はまるで自分自身が傷つけられ。深く抉られるような痛みを感じた。自分の村のみならず、まったく関わりのない村であっても、山や川、萱葺き屋根の家や田畑が重機で潰されるのを見るとき、同じように身を切られるような痛みと無念を感じた。それは私一人の問題ではなく、恐らく都市で生まれ育った人であっても山や川、海が汚れ、傷つけられる姿を目の当たりにしたとき、同じように心に痛みを感じるものなのではないだろうか。むかし話や伝説の多くが風土を擬人化して語られることが多いのは、本来、人に備わる「風土と響き合う」本性を養う働きがあるのではないだろうか。そして「懐かしい」という感覚は、「風土に馴染む」ものづくりに関わる大切な心の動きに思えてならない。

ここも著者の問題提起。「人体寸法」というのはものの見方を変える面白い意見。そして本書の1章の主張のリフレイン(以下)

「町は誰かが作るもの」という他人任せな気分が支配し、地域の主体性、ひいては自分自身の主体性をも明け渡してしまっていた。

誰か他の人が作るには、統一化された単位や規格で設計される必要がある、でないと再現性が無い。再現できる価値は、市場で流通させることができる。金で買える風景、風土が陳腐化しやすいのは交換可能だから。

幸運なことに、私たちがロケで諏訪に滞在中に藤森照信さんがご実家に戻られるという。ご本人にお目にかかり、史料館を案内いただくことができた。"ものがたり"を感じさせる原初的な外観は「日本的」という範疇をえているが、不思議に周りの景観と馴染んでいる。これについて照信さんは、「諏訪の伝統家屋をモチーフにしようと思ったけど、この辺の民家は(歴史を遡っても)たか だか江戸時代なんだ。神長官にまつわる建物なんだから縄文をイメージした。するともう日本とか越えちゃう」と言った。「そうか。遡れば国境も何もないんだ!」と、急に眼前が開けたような気がして納得してしまった。照信さんも縄文も“プリミティブ”だけれど新しい。
諏訪湖を挟んで上社側から藤森照信さん、下社側から伊東豊雄さんという現代日本を代表する建築家が同時期に輩出されたことは興味深い。恐らく、お二人とも、初めから足元を見ていたわけではなく、むしろ広く世界に学び、専門を究められる中で、ご自身の「個」を掘り下げ、突き抜けたところで“たゆたう”源泉と繋がり、インスピレーションを受け取ることができたのだろう。そこまでの「表現」を持ち得た時、風土の記憶は更新されて人々の心に届くものとなるのだと思う。

芸術の超人間性理論、霊性という意見は慎重に扱うべきだが、文化の継承にはいくつかの偶然性の重なり、神秘性があるのかもしれない。

わずかこの五〇年の間に、「旧住民」と「新住民」が、交わらぬまま混在してきた多摩丘陵。そこには表立った争いこそないものの、互いの価値観や生活スタイルの違いから、本当の意味で交わることがなかった。「旧住民」の多くは、田畑を売って「地主さん」と呼ばれるようになったが、土地の神社や寺を守り、その土地ならではの文化と歴史を背負った人々であることは、コンクリートとアスファルトの上に住む新住民の目には映らなかった。旧住民もまた、自分たちが担ってきた集落の自治にまつわる文化を「新住民」とともに担うものとは考えなかった。今も、その矛盾を抱えたまま都市や都市周辺の「土地ならではの基層文化」は消えつつあり、地方同様に、都市の中でも旧住民の文化は「限界集落」化している。
「旧住民」が風土に根ざす軸足を見失えば、「新住民」に同化して消滅してしまうだろう。 そうなれば、自分自身の言葉を紡いで対話することすらできず、本当の意味での共存はさらに難しくなるだろう。

ここは3章冒頭のリフレイン(以下)

手放すべき「因習」と、共有すべき「軸足」のみきわめは難しい。その手がかりは何なのか。

この間の断絶をそもそも言語化できていないのはなぜだろうか?まず言葉にできない問題。言葉にできなければ理解されない。そして、手放すべき「因習」と共有すべき「軸足」を見極めて実現していくことが文化の継承なら、そんな仕事はどうやったらできるのか?諏訪が文化が存続している場所だとするなら、藤森さんや伊藤さんのような原風景を刷新できるカルチャーリノベーター(と呼んでみる)が出てきてくれることが理想だけど・・・。「深い愛」と「生かされた恩返し」無しには成しえない仕事。これは4章に続く「風土を宿す体」でないと成しえない。

諏訪湖は、岡谷市、下諏訪町、諏訪市の三つの地域にまたがっている。かつては茅野、 富士見の方まで諏訪湖が広がっていたと考えれば、諏訪湖を取り囲むように、人は円座しているようにも見える。諏訪人は時折、「皆、自己主張が強くて他者を認めようとしない。かつての諏訪に市町村がまとまることができない⋯⋯」と自嘲することがある。人間だけが集う場所には上下が生まれ、利害が生じる。しかし、諏訪湖に意識を向けて、神や仏を宿らせることで諏訪は結び合ってきたのではないか。諏訪湖は中央構造線とフォッサマグナの交わるところであり、建御名方神と洩矢神の対峙に象徴される稲作と狩猟採集の文化がせめぎ合い、融合してきた場であり、東と西がぶつかり合い拮抗してきた日本列島のヘソであり、“空”でもあるのだ。

後半のフォッサマグナの箇所はオカルトっぽいので置いておくとして、「空」の概念は面白い。日本NPO協会の理事で場作りのエキスパートとして知られる加藤哲夫さんが『市民の日本語』という著作の中で「場の技術と文化」として紹介しているネイティブアメリカンのトーキングスティックと通じる概念。以下引用

「場の神様」というか「場の精神」に向かって話すというのに近いのだと思います。誰かをやっつけるのではなくて、「神のいる場に向かって真実を話すんだ」
諏訪にも立場を超えて話し合いをするための「コミュニケーションテクノロジー」が継承されているのかもしれない。

「地元学」とは、水俣病を経験した水俣市の吉本哲郎氏が提唱した地元民による地域の再 発見、再構築のための実践哲学で、公害と水俣病をめぐる「運動」によって風土も、人間関係もズタズタになってしまった水俣で、「風土を知る、地域を知る」ことから「もやい直し」(地域の絆を結び直す)をすることを目指して始まった試みだ(「地元学」の提唱者としては、 東北を拠点に活躍する民俗研究家の結城登美雄氏も挙げておきたい)。私は当時勤めていたヒューマンルネッサンス研究所の仲間と吉本哲郎さんの家に泊まり、水俣の山を川を、そして海を歩き、そこに生きる人々の暮らしに触れた。そこに蓄積されていた知恵の深さと厚さに出会い、仰天した。「海を見れば山がわかる。山を見れば人がわかる」、その端的な言葉は、海と山と人が分断されてしまった水俣を見事に繋ぐ言葉であり、忘れかけていた百姓の暮らしと感覚を呼び覚ましてくれた。さらに地元の人間にとって「当たり前すぎて気付けないこと」に、ただただ仰天する「ヨソモノ」は、それだけで大きな役割があるという"逆転の発想"を持つ「地元学」を面白いと思った。

水俣の再考、地元学は面白いし、文化の問題とつながりがありそうだ。ただここでの描写や洞察に特に深いものは無い。他で書いているのだろうか?

第4章 人と風土が織りなす地平 科学と風土編

●自然の活用と征服の分岐点
三澤は、諏訪の製糸業の成功の背景にある「地域の力」について解明を試みた。製糸業をスタートアップするのに、諏訪は恵まれた風土を有していた。
最初の頃は、原料やエネルギー、人材も諏訪の域内で賄えていたものが、どんどん事業規模が拡大する中で、「天然自然の天恵」ではとうてい賄いきれない産業に膨れていく。その過程を三澤は実際に見聞きしている。三澤は製糸業の発展に対して否定的に捉えていないが、規模の拡大により、水の供給が足りなくなり、諏訪湖の水位が下がり、水質も悪化しているといった事実は書き記している。これは天恵を活かして循環する「風土産業」として優等生だった製糸業が、"スピンアウト"していくターニングポイントを捉えたものとも言える。市場経済の土俵では、むしろ“スピンアウト”を「成長」と捉え、社会的な評価や信用が上がっていく。製糸業の土台は「蚕」という生き物を相手にする不確定な要素に満ちている。いかにその不安要素を克服し、均一化、効率化、工業化するかが、国際競争力を培う上で重要であり、「成長」のカギでもあった。

この見方はポイントかもしれない。スタートアップ時に利活用していた生態系を壊してでも成長するには代替可能な生態系を作る、つまり「人体寸法」をやめて、規格や一般的な単位で作り直す必要がある。スタートアップや新規事業はそこまでして成長したいのか、風土を活用していなくてもそれまでの生態系を守りながら運営する「風土産業」なのかをどこかで問われる。

●満州に資源を求める中の地方論
三澤勝衛は、この時代をどのように乗り切ろうとしていたのだろうか。「今日、地方の疲弊は相当深刻である。地方の持つ文化が、その地方の風土性に立脚することを忘れて、いたずらにいわゆる都市文化を追従してきた結果であり、地方性に即した文化の建設ということが、もっとも正しい地方振興の意義」だと言っている。彼はあくまでも、その土地で暮らしを成り立たせようとしていたのだ。風土に良し悪しはなく、やせ地であればやせ地に適した栽培をすれば良いと言い、たと えば、ソバや桃、桜桃の名所はやせ地にあると言っている。信州で桃の産地として知られる北佐久は、浅間山の噴火で積もった軽石が五、六メートルも堆積したところだと例を挙げている。
「風土に働いてもらう。風土を産業の要素に織り込んで働いてもらうことこそ大切なので す」とも言う。いずれにしても、人為的な操作を加えず、その土地(風土)が天然自然に持つ力「天恵」を引き出す農業や産業を望ましいと三澤は考えていた。自らの暮らす風土が持つ特性をしっかり見極めることで、その活かし方がわかり、生産性を上げることができると 三澤は説く。それは、「満州などに出て行かずとも、自分の土地をしっかり見極め、正しく 活用すれば暮らしを立てることは可能なのだ」と看破していたと同時に、変節した信濃教 育会への反骨でもあったように思われる。

失敗しがちな日本企業の海外進出。国内市場が縮小するから満州へ、という戦前の安直な戦略から進歩していないのかも。手のかかる風土産業の育成よりも力業の海外進出が失敗の連続というのは自問したいところ。

筆が止まってしまったのは、諏訪にまつわる膨大な資料に圧し潰されそうになりながら、 「世間に認められたい」という我欲に囚われていたのだと気がついた。 諏訪は行くたびに洗い清められるような清涼感が魅力だった。それは澄みわたる高原の気候によるもの⋯⋯と思っていた。ところが、諏訪の海苔商いの出稼ぎ衆が、商いの成功を「自分の才覚」と奢らずに、「諏訪明神」のお蔭だとして、御湯花講を組み諏訪大社に毎年お参りをするようになったように、この生真面目で信心深い人たちの心根は今の諏訪人にも生きていて、それが清らかな心象を生むのではないか⋯⋯と思うようになった。考えてみれば、『諏訪式。』に登場した現世に生きる人や彼岸に渡った人、彼らが諏訪湖を取り巻くように相集い、私は彼らが語りかけてきたことを筆記し、とりまとめたに過ぎない。
今を生きる人間だけが「世の中」を作っているのではない。先人の智慧や思いは風土に刻まれ、耳を澄ませば聞こえてくることを諏訪は教えてくれた。
「商いの成功を「自分の才覚」と奢らずに、「諏訪明神」のお蔭だとして」

この心。何かに生かされている、ということほど人を突き動かし、導くものは無いし、文化の継承条件ということが伝わってくる、ような気がする。


アキラさんはどんな人か ~アキラさんの視点で読んでみて~

「風土」「身体」「人体寸法」といった固有性を表すキーワード、「諏訪だったらこうするな・・・」とすぐに諏訪に引き付けて考える諏訪人の思考回路、諏訪湖を“空”として中心にすることで頑固な諏訪人がまとまっていく歴史―諏訪が人や企業を生み出しながら固有であり続けられる「諏訪文化」の本質に迫る具体的な理由をスムーズに見つけられたのは、アキラさんの視点のお陰と思います。

タイトル「諏訪式。」の通り、他の土地ではより便利なもの、都市的なものが地場のものを飲み込んでいったが、諏訪では「諏訪式」となって、むしろ全国、世界に輸出されていった、というターニングポイントに迫る時、アキラさんの「カルチャーが生まれ続ける場の秘密を知りたい」という好奇心がより具体的に、本を読ませてくれました。浮かび上がらせてくれたと思います。

予備知識もあまり必要としない読みやすい本なので、私が漫然と読んでいたら、歴史や郷土読み物としてサーっと消費してしまったでしょう。この本に対して、具体的に「読みたいこと」を教えてくれたアキラさんの好奇心に感謝です。

固有の場所から人や物を生み続ける「カルチャー」に関心がある、というアンテナで発見した本書ですが、アキラさんの直感は当たりです。


アキラさんはマーケティングとコミュニティ運営の仕事をなさっているのですが、アキラさんの関心は「人が自発的に動く」というところにあるように見えます。マーケティングはある属性の人に絞り、購買したくなるようにする「人を動かす」科学で、外から操作するようなところがあります。

一方コミュニティからカルチャーというのは人が内発的動機で動いていくことを前提にする「人が動く」科学です。「文化」というテーマなら文化人類学や社会学のような分野が近いですが、血が通った感じではないですし、、実践的でもありません。その点では今回の『諏訪式。』はアキラさんの欲する情報の真ん中に近いのかもしれません。

本書の最後の言葉、これをアキラさんお送りしたいです。

今を生きる人間だけが「世の中」を作っているのではない。先人の智慧や思いは風土に刻まれ、耳を澄ませば聞こえてくることを諏訪は教えてくれた。

先ほど「人が動く」科学、と言ってしまいましたが、アキラさんの関心である「固有の場所から生まれるもの」という点からすると、「人以外」の部分、人間の外側に広がる自然、歴史なども含めて捉えていく必要があるように思います。『諏訪式。』は風土や人物を通じて諏訪文化の見えない部分を描いていますが、最後のこの一文は今思うと含蓄があります。私が漫然と読んだら、本の締めに気障な文章を持ってきたな、と思ってしまうかもしれませんが、アキラさんの視点で見ると、著者の小倉さんが実感としてそう思っているのだ、と思えてきます。

積読診断

この本が積読になる理由は、良書だから、だと思います。キャッチーなカバーとタイトル、明確なテーマ、中身も読みやすい良い文章で、きちんと編集された構成、佇まいからしてちゃんと作られた良心的な本感がにじみ出ています。がしかし、実は良本こそ一番積読に陥りがちです。

理由1、読むのに予備知識がそれ程必要ない、つまり読みやすい本です。読もうと思えばよめます。
理由2、一方で読み込みたいタイプの本です。特にアキラさんのようにはっきりと「読みたいこと」がある人だと、ここから諏訪文化とは何か、何かを生み続ける文化の源泉とは、という問いの答えが読めます。しかし、それには読書中に自問を続けながら読む、つまり集中する必要があって、それなりに労力が必要です。でないと本の内容、つまり著者の関心に引っ張られるか、自分の主張と重なる箇所から、自分の妄想に脱線して疲れてしまうからです。

つまり、関心のあるテーマだし、読みやすいので読もうと思えばいつでも読める、だからとりあえず買っておこう、という選択になりやすいタイプの本です。これは私も大いに身に覚えがあります。

実際、アクの強い本の方が開いてしまうし、好きか嫌いか、すぐに仕分けられます。また、一見して読みやすい漫画やコミックエッセーは抵抗感なくその場でパラパラ開いてしまうでしょう。また、厚めの本だと、マニアの解説が出てきたり、SNSで感想が飛んできたりして、知る手掛かりがあるんですけど、このあたりの本は意外とAmazonの適当なリビューしかなかったりして、再度開くきっかけが少ないのも一因かと思われます。

検査結果

アキラさんは「読みたいこと」がはっきりある人です。本書のように良書を発見する力もあって、ご自身の好奇心に自覚的です。一方で本書のような読みやすいけど読み込めるタイプの良書は溜まりがちなのも事実。読みやすくていつでも読めそうだし、関心のあるテーマだから、とりあえず買っておこう、というノリです。

それ自体はよいことなので、好奇心はそのままに積読の対処としていくつか提案です。
-自分が本に期待することを意識する。
良書でもだれる箇所はあって、本書の場合、1章は抜群に濃くて面白いのですが、4章は結構だれてます。緩急をつけて読んでいくのもいいですね。そのためには自分が本に期待することを意識するといいです。本の扉とかに書き込んでおくのもいいかもしれません。大事なのは形式ではなく、忘れたころに意識し直せるようにしておくことです。読書は著者との時空を超えたおしゃべりです。自分と違う相手の話が面白いと主張に飲み込まれてしまいますし、自分と本の主張が重なりすぎると今度は自分の妄想に脱線して、集中が途切れがちです。その辺に迷わないようにする羅針盤のようなものを持っておくことです。もちろん、この辺は柔軟に考えて、どっぷりはまりたい本ならはまっていいと思います。全部にやると疲れると思いますが。


-頭の中を吐き出しておく
また、読みながらキーワードをメモしたり、考えたことをメモしておくのも良いです。おそらく似たような本を買ってしまうこともあると思うのですが、少しでもメモしたりアウトプットしておくと、似た本を買っても同じ議論に巻き込まれないので、似たような本を買わなくなったり、読み飛ばす部分が分かったりとメリットが多いです。全部の本にやる必要はありませんし、メモも全部取っておかなくてもいいので、頭の中身をメモ用紙に吐き出して、PCでいうところのメモリーを開けておく状態を作ることをお勧めします。相手の話を聞くだけでなく、自分の言葉もはさむ余地がないと、飲み込まれてしまうので。

繰返しで恐縮ですが、本を読むのは著者との時空を超えたおしゃべりみたいなものです。生身の人間なら、心身ともに相手と心地よい距離がいい感じに保てていれば、話していても疲れませんね。本も同じと考えて差し支えありません。

推薦本

石牟礼道子 著 『新装版 苦海浄土』
水俣病患者の声を記録した文学です。『諏訪式。』の小倉さんのテーマでもある資本や都市化に人や文化が暴力的に断絶されることを伝えるという点でも金字塔的作品。声も出ない動けない状態の患者の声を記録する、というノンフィクションでありフィクションという形をとった作品なのですが、文化の断絶という暴力が当事者たちにとっては「理解もできず、ゆえに言葉にもできない、つまり理解されない」という言語上の問題であると同時に社会的問題であることを、文学テーマとしても形式としても表現しています。『諏訪式』の最後の一文、

今を生きる人間だけが「世の中」を作っているのではない。

という部分とも隣接するテーマです。

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ジャレド・ダイヤモンド著 『銃・鉄・病原菌』
長い地球上の歴史で、どうして現代は西洋文明が優位になっているのかを論じています。西洋文明礼賛ではなく、合理的科学的に説明しており、説得力があります。なぜ諏訪が都市化に完全に飲み込まれないのか、という点と、『銃・鉄・病原菌』の西洋文明が優位な理由には通じるところもあれば、一見違うところもあります。しかし、比較して考えると近しいことを言っていると分かります。その上で、諏訪の特異性、脆弱性が見えると、実践につながるのかもしれません。

遠州港s機

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編集後記

「コミュニティ」と「教育」というゆる縛りだけど、一発目から『諏訪式。』という面白い投稿が来てよかったです。ずらされ具合も、本の面白さもこのプロジェクトにふさわしい。

「コミュニティ」と「教育」というテーマなので、その2つの直球が来てくれるのはもちろん期待しているのですが、もう1つ、投稿者さんが「自分にとってはこの本も「コミュニティ」と「教育」のテーマです」と思える本を投稿してきてくれることも期待しています。

この直球と変化球両方欲しい、というのが伝わるかどうかが、運営側としては運営の楽しさみたいなところに繋がるかなと思っているし、積読を社会問題として広く全員で解消していこう、というコミュニティの心地よさにも影響するんじゃないかと思っています。

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