忌明け

 明くれば夜の様をかたり 暮るれば明くるを慕ひて 此月日頃千歳をすぐるよりも久し       『雨月物語』

 

 東の空がほんのりと明けそめている。
 山稜の影を覆う夜気に朝靄が立ち込める。細い枝を繁らせる木々の葉が仄白い露を滴らせたまま、陽が差すまでのいっとき、音もなく静まっている。稜線の上で明らむ空が、最後の夜闇を押し込めたように濃くなる境がある、その境を、窓に額を押しつけるようにしてほのぼのと眺める男の顔がある。
 古びたアパートの一室の、部屋のほとんどを占めるベッドに腰を落ち着けて、夜が明けるのをもう長いこと待っている。絶対に外へ出てはならないと言い渡されてから、これで数えて四十二日、一日ごとに数えはしたが、数えるだけで待つこともしなくなり、ただ時を時として送り、犯した罪も忘れ、忘れたからには清まり、自身がなにものであるかいぶかる色をときおり目に浮かべかかるがそれも長くはつづかず、子どものような丸い目で空を眺めている。
 濃紺がやわらいで地平の薄明に溶けかかり、あとは陽が覗くのを待つだけになったころ、廊下から戸を叩く音が細く鳴る。ひかえめに、間遠にくり返される音が部屋に籠もって反響すると、男の顔がほんのわずか張り詰める。
 聴いてはいけない。
 誰が来たか、みてはいけない。
 布団を被って耳を塞ぎ、そのままやり過ごすこともできるが、やがて身を起こし、薄暗い廊下を渡り、ドアの内側から留め金を外して戸を開く自身の背がすでにみえている。いつ動くのか知れない身のうちをはかるように息をひそめて、明けかかる山の端をみつめている、まばたきをする目の裏に、女の白くまるい腕が長い影を落として、ゆらゆらと揺れている

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