引用 柄谷行人『定本 柄谷行人文学論集』

ヘーゲルは、欲望とは他人の欲望だといっています。つまり、欲望とは他人の承認を得たいという欲望である、ということですね。ここで、欲求と欲望を区別します。たとえば、腹がへって何か食べたいというのは欲求であり、いいレストランや上等のものを食べたいというのは、すでに他人の欲望になっています。性欲も生理的に欲求としてあるでしょう。しかし、美人にしか性欲をおぼえないという場合、それは欲望ですね。そもそも「美人」の基準などは客観的にあるのではなく、文化や民族によって違うし、歴史的にも違います。「美人」とは、他人がそうみなしているもののことです。すると、美人を獲得することは、他人にとって価値であるものを獲得することですから、結局その欲望は、他人に承認されたいという欲望にほかならないわけです。だからといって、自分の気持を変えることは難しいでしょう。実際には、純粋な欲求とは稀です。ある極限的な状況で、食物であれば何でもいいと思うことはありうるでしょうが、そうでなければ、基本的にわれわれは欲望の中にあるのであり、いいかえれば、すでにそこに他者が介在しているのです。
 私たちは、模倣的であってはいけない、オリジナルでなきゃいけない、自発的でなきゃいけないなどと言います。しかし、われわれが何かを目指すときには、誰かがいつもモデルとしてあるわけです。それは、われわれの欲望が他人に媒介されているということと同じです。自発性・主体性というけれども、自己や主体というものがすでに他者との関係を繰りこむことによって形成されている、といってもよいでしょう。(柄谷行人『定本 柄谷行人文学論集』より「漱石の多様性」,岩波書店,pp308-309)

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