1 ある町の素描

 

 ・・・・・・夕陽の沈んだ空から色が失せていき、街路に落ちた墨色の影が濃くなるころ、おまえはその町をおとなうができる。
 町は宵闇とともに姿をあらわし、曙光とともに消えていく。
 町は刻々と際限なく広がるひとつの完全な球体であり、路傍の乾いた犬の糞である。
 町は、時刻さえ見誤らなければ、望むものは誰でも足を踏み入れることができる。たいていのものにとってほんとうになにかを望むことが、きわめてむずかしいというだけで。 
 住人は夕方に目を覚ますと、まず煙草を呑む。この町で煙草を呑まないものはいない。首が据わらない赤子のまるまると瞠る目の先には煙につつまれる父母の朧気な顔があり、家から外へ遊びに飛び出す子供らの手には煙管と火打ち石が握られている。タールに爛れて石炭のようになった二つの肺が火葬場で焼かれるまで、彼らはそれを離さない。
 路面に点々と並ぶ街路灯が光ると、ほどなくして家々の窓が開け放たれ、奥から紫煙がもうもうと沸きたつ。この町の煙草の煙はつねに空気よりも重いので、腐臭に似た甘いにおいの煙が壁に沿って滝のように幾筋もなだれ落ち、町中を走る陰気な細道まで辿りつくと、けものの群れのように這いまわりだす。建物が不自然に高くひしめきあっているのはこの煙を避けるためにちがいなく、地上近くに住むものは起きるやいなやしかめ面で窓を閉め切り、表の道に充満する煙が薄らぐまで苛々と耐えしのぶ。ときおり窓の内の沈黙から囁きが漏れるのを、窓辺に立つ階上の人びとは耳にする。口端から漏れる煙が裸体をくねらせるようにもうもうと伸びていき、いっとき西陽に照らされて白く光ると、壁面を這いながら眼下の暗闇のなかへゆっくりと溶けていく。それを夜になるまで茫然と見送る。・・・・・・
 この町を住処に決めたものは、たとえばこの毎夕の煙の落下に慣れなくてはならない。同時にまた、影のように黙って路地を歩くこと、隣人に気配を悟られないこと、口を明けて笑わないこと、陽が昇るたびに姿を亡くすことに慣れなくてはならない。しかしそれら無数の不文律をひとたびからだに染みこませてしまえば、この町で暮らすことは何よりも容易におこなわれる。町の外で何が起きようが、おまえはこの場所の営みに沿うことができる。あるものはそれをこの上ない幸福だといい、またあるものは際限のない苦しみだというが、それはここで話す事柄ではない

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