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八十八の反転の世界

リーディングマスター・まさみちとanamu lidii9がお届けする、お遍路の道行きを「見えない世界を交えてお届けする記事」です。

難所である12番札所・焼山寺を越えたら、一息つけました。

弘法大師空海の思いを読み取ったら、「直で歩くべし!」とばかりに、トントン拍子に物事が整い、八十八カ所巡礼の旅に来ております。

4日目の行程は13〜16番札所まで。

12番札所、焼山寺の後も様々な心の問題がどどーんと押し寄せて、心に出てくるストレス系もあれば、肉体に出てくるストレスもあり、学びある行程が夜でも、朝でも続きます。

ささ、初日、二日、三日目にも伝えました、繋がり方が半端なかったそれぞれの札所! その4です!

13番札所、大日寺では、十方向と、それを包む全体とを合わせた11箇所に意識を合わせるイメージでの繋げ方。(東西南北とその斜めの方角に上下を合わせた十方と、それを全部含んだ11に意識を合わせたもの)

14番札所、常楽寺では、ルービックキューブの27個の四角いブロックを想定し、その8つある角のブロックと中央のブロックの9つに合わせるイメージが基本的な繋げ方。

15番札所、國分寺では、天上に薄く厚みのない円盤、自分に対して中心にいて、地下に薄く厚みのない円盤を合わせてイメージする繋げ方。

16番札所、観音寺では、5cmほどの深さのプールに座していて、そのプールには親族など知り合いが同じように座しています。心の乱れがその水面に波となって現れています。それを鎮めて明鏡止水でいられるようにして行こうとイメージする繋げ方。

12番札所で、反転する世界に来た為か、身体に劇的に現れるダメージが激減しました。面白い現象です。

歩き遍路は、荷物が多い方が学びやすくあるとは思いました。

こうして私はノートパソコンを背負っているので、重い方です。みなさん軽々した装備の方もいます。郵送で泊まる先々に送っておくなどするとか良いようです。

荷物が多い分、移動中は背負い続ける負荷がある為、それが全部足に来るのです。日常にはない体験の連続がそこにはあります。

これが未知なる体験であり、肉体には新鮮そのものだけれど、誰もそんな負荷ある世話をしてくれた体験がないと、大変な事になります。

幸いにもド素人を4人引き連れて(+1人はベテラン者)、富士山登頂を果たしたことがあり、肉体を壊さないように歩かせることは心得ていたのですが、あの時とは違い、真っ先にダメージの中に堕とされるのはanamuさんより私の方でした。

とはいえ、私には法力もあり、全て祓い清めれば済むものです。

しかし、反転した世界は内ではなく、外に問題が現れます!!!

14番札所に向かう途中に、anamuさんが手袋を片方、落としていることに気づき、拾いに戻りました(本人は先に行く気でいたようです)。

この落とし物や、忘れ物も「心が置き去りにされた」「心が見捨てられた」と思い込んでいる病んだ心の片鱗が具現化しているものの為、心を治さないと再び落としてしまう可能性があるので、癒やさないと話になりません。

手袋

13番札所から出た直ぐにありました!

心の座標としては熟知者、7番札所、十楽寺にまつわる問題が浮上しており、それを解き明かして先に進みます。

國分寺

15番札所、國分寺では、住職さんとお話し出来たものの、これでもかって程に話が通じないものでした。まぁ、話した内容も内容でしたけれどね。

後に宿のご主人の話を伺い、「曰く付き」だったようです。
それでもご縁があり、お話しが出来たいきさつと噛み合わない理由を紐解くと、なるほど激しく納得する事実にも触れられて、また次に進めました。

あれこれする間に時間が過ぎ去り、想定では17番札所までを考えてましたが、16番札所で時間切れです。これも17番札所に近づくなという圧がかかってもいるのです。

体の不調という内的な問題と転じ、他者との関係性などで行程が変わるのが外的な問題です。それも心が作り出しているもの。

他人に邪魔された!

ではなく、

他人に邪魔させた!

と考える方が霊的なもの、法術要素は高まりますので、「落とし物」であっても、「コミュニケーション障害」であっても、何かあるから上手く行かない現象だと想像する方が、面白いし紐解けると本当に楽になるし、進みやすくなるので八十八カ所巡礼をする時は心してかかってください。


こうして、歩いてみて様々な事柄が深く見えてくると面白くてたまりません。

ガチャ

これは、6番札所、安楽寺で限定ガチャがあったので、思わず阿弥陀籤(あみだくじ)とした、必ずご縁のあるものを引き当てるとした発想があったのでやりました。

薬師如来の十二神将と、これまた十二という数字。六で得たものが余裕がなくて解説する間も得られなかったことが、十二番札所を越えてから書ける時間に恵まれるというもの。

迷企羅大将(めきらたいしょう)を引き当てており、これが加護&守護してくださっていたんだと、改めて意識を繋げると「確かに側にいる」と感じました。

阿弥陀籤! 的確!!

リーディングすると、他にもサポートついている神将もあと七体いるようです。

十二体全部ではなく、八体が加護&守護です。

これも本来ならおかしなことで、純粋に考えれば十二体の加護&守護があるものなんです。四体の加護&守護が得られないのは、何か理由があるのでおいおい調べていきたいと思います。

薬師十二神将・迷企羅大将(めきらたいしょう)とは、「無理な理想、叶わない希望を“夢”と持たせて頑張らせ、真実を見せずに突き進ませ、疲弊して倒れても、『病に負けるな!』と言われ、『困るのはあなただよ』と、養育出来ぬ自身の育てる力の欠落を子や生徒の責任にして逃れることがあるものです。それを指摘しても不快になるだけで、反発し無限ループにハマって抜け出せないものです。
『みんなの迷惑にならぬよう、精一杯許された範囲で努力して、挫折し絶望し批評に明け暮れる人』を救い出す為に活躍する神明(神将)です。

この祓いの力を授かるには、「感情がエラーを伝える機能器官」と知っている人であることと、負の感情は短期的には制御できでも、長期的に制御は不可能と気づいていることが大切で、「思い知った体験と、二度と同じ辛さを味わわない為に、どこまでもいい人」になってみせる決意を持つと加護&守護が受けられます。

さて、こういう真言密教にまつわる面白い話しも交えてお届けしていきますので、興味関心がありましたら、フォローよろしくお願いします!


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