見出し画像

十二神将を考察する⑥安底羅(あんちら)

リーディングマスター・まさみちです。元々見えないものは見えず、霊的なもの、神秘的なものなど解るはずもないという感覚がありましたが、見えないものを捉える切っ掛けを得てから、自己探求の道を歩み始め、様々なことがわかるようになりました。解らない人の感覚もわかれば、解る人の感覚もわかる為、感じられない人にも導くことが出来るようになりました。普段は、心理カウンセラーとして活動していますが、霊的なものを読み解くレッスンも行っております。(7/88)

時間を越えて過去世や、転生システムなども紐解く力を見出すことが出来たので、この力で薬師如来の十二神将についてリーディングしてみると、何が紐解けるかと興味津々となって記事にしています。

薬師如来は、病気治癒(特に目病)、健康長寿、災難除去、安産祈願、現世利益などで知られている如来です。↓

スクリーンショット 2021-03-11 23.48.38福岡美術館より転載

福岡美術館

リーディングマスターとして、薬師如来が伝えることを降ろしてくると「堅実な道を歩むことの大切さは、茨の道を歩むことの大切さも知らねば得られぬものと心得る力が必要です」と、これまた難解なことをメッセージとして伝えてきております。

薬師如来さまは、現世利益の仏さまと認識できますが、真摯に向き合うと、根本的な問いかけを突っ込んで来られる厳しい仏さまでもいます。

六回目は、安底羅大将(あんちらたいしょう)です。

スクリーンショット 2021-03-16 22.40.59

十二神将は、個別では大将と呼び、その中でも夜叉と神明というものがあります。

夜叉とは、事なきを得ることを望み、問題にしないことを徹するエゴエゴな姿。

神明とは、道を譲り先鋒の誉れを差し出し、失策しても下で支える目覚めた姿。

少々の事は問題視しないといえば聞こえはいいですが、事なかれ主義に徹しているようでは、問題解決の糸口が見えないものとなり、不満が蓄積し暴発することがあります。我慢は解決ではないと気づき、安定を捨てでも取り組まなければならないものがあることに気づいていく必要があります。

安底羅大将(あんちらたいしょう)は、問題化しないように体験する出来事を過小に評価し、楽観視することで安心を与えれば良いとし、ポジティブな気持ちばかりを優先させることを強要してしまう事なかれの心の姿です。言うに云えない弱者の声を拾い上げ、この人だったら「打ち明けられるかも」という気持ちに立たせてやり、全ての苦悩を受け入れて許すことで救いの道を与える仏の姿です。

は、周りに合わせているようで流されるままの無限ループに陥り、抜け出すことが出来ない自我の束縛に遭い、狂気を正気と見誤っては、取り戻すことの出来ない理性のなさを指します。

安底羅は、不安に押し潰されることが嫌で、湧き上がる恐怖をいかに否定し、心の底から安心したい保証の為なら、何でもしてしまう夜叉を抱いています。友や親でも裏切るようなところもあり、負の感情に流されてしまい、堕落し易く、安心な世界から不安な世界に追いやった相手を執拗に恨むことがあります。
本来は、慎重に物事を推し進め、人の話をよく聞き、疑念を晴らし、わかり合う為に手を尽くし、みんなが心から安らげるよう働きかける神明を示すものです。

悟りを開いた薬師如来の導きを受けている「自分自身は、今の自分に人は頼りたいだろうか?」と問い、「どうすれば頼られる人になるでしょうか?」と、安底羅大将(あんちらたいしょう)を通して薬師如来に祈って、気づきを生み出すものなのです。

自分が薬師如来化するくらいのイメージ力が大切なんですよね。(明王、菩薩、如来というレベルに応じた気づきの起こし方というのもあります)

安底羅大将(あんちらたいしょう)を十人集め、円陣を組んで囲まれているようにし、その中心に自分の肩に薬師如来が小さく乗っかりサポートしてくれているイメージを持ちます。自分が抱えている不安を安底羅大将十人衆に問いかけると、自分の気持ちに代わって薬師如来が代弁してくれる問答が始まるとイメージしてやり取りします。

ざっくり過ぎるほど、ざっくりと紹介しました。

ポイントは、様々な裏事情を知り尽くしている安底羅大将の夜叉と神明が重なり合い、同様に全てを知り尽くしている薬師如来がサポートしているイメージです。

事例として紹介すると、以下のようなやり取りが出てくるものです。

自分「大人は当てにならない」←思っていても口にすることがない思い。
安底羅夜叉「自分の事しか考えていないからな」
薬師如来「大人にどうして欲しいのですか?」

自分「何も期待していない」
安底羅夜叉「言い訳しかしないし」
薬師如来「どんな大人になりたいのですか?」

自分「子どもに気を遣わせないで欲しい」
安底羅夜叉「親のようにだけはなりたくない」
薬師如来「あなたが親なら、子どもの自分にどうしてあげたいですか?」

自分「わからない」
安底羅神明「親を肯定したまま親を越えた姿になればいい」
薬師如来「親を越えた姿を親に見せたら、親はなんと言うと思いますか?」

自分「“ごめんなさい”と言っている」
安底羅神明「胸を張れるだろう?」
薬師如来(微笑んでいる)

というような関わりがイメージ出来ました。
自分と安底羅大将が別の存在となり、言うに云えない気持ちのサポートをしてくれていると思ってください。自分と安底羅大将が重なってもよいです。

安底羅大将を兄や姉など、自分より優秀な先輩といったイメージで、全肯定してくれる頼もしい兄貴分、姉貴分といった感覚に囲まれている安堵感でやり取りするものです。

前回は因達羅大将を紹介しました。

比較してみると、固執する内容の種類が違うことがわかると思います。

環境に影響される因達羅に対し、自分の安心感情に振り回される安底羅とした価値観があると思ってください。

安底羅大将は、育った環境を保守的に関わられることと、改革的に関わられることでも大きく心境は変わるものです。どちらも大事ですし、どちらかに偏るものでもないので、生の感性に従い、気持ちを安心させつつも、革新さにも触れていくことが大切になる仏心です。

人は安定を求めるものでありますが、安定を得るとそれに執着してしまい、諸行無常という絶えず変化し続けている現実を見失うことがあります。日々、変化の連続体の中にあることを忘れ、変化によるトラブルを軽減しようと、問題が発生しないようにする余り、挑戦する人に道を譲ること、挑戦者の失敗に対するフォローと再挑戦出来る支援を忘れがちになるものです。

知識や禁止令などの戒めを覚えるほど、面白味に欠ける人に成りがちでもあります。革新的な心を育てる為にも、無難な安定的な関わりに収まらないように、自らが安定を捨てていける精神性を育てることを大事にしていただきたいものです。


薬師如来をマスコット化して、肩に乗っているつもりでのイメージ化による、自己との対話をしてみてください。何かが、掴めるかも知れません。


では、また。

リーディングマスター・まさみち。



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?