見出し画像

十二神将を考察する⑨波夷羅(はいら)

リーディングマスター・まさみちです。「見えないものが見えるってどんな感覚なんだろう?」 と、不思議なもの神秘的なものに興味関心があるものの、見えやしないし、感じられもしないし、勘も当てにならないし、オーラなども見えない無感覚人間が、「見えないものがわかるようになった感覚」から、様々なことを識別してみようとすればするほど感覚が研ぎ澄まされていき、不可解な見えない世界にも、道理があり、システムが存在し、物理現象と変わりないことが解るようになりました。そんな感覚の持ち主が仏像の種類について読み解いたものを紹介する記事です。(10/88) 

薬師如来は、病気治癒(特に目病)、健康長寿、災難除去、安産祈願、現世利益などで知られている如来です。↓

スクリーンショット 2021-03-11 23.48.38

福岡美術館より転載

リーディングマスターとして、薬師如来が伝えることを降ろしてくると「言葉について深く感じ入ることをしてください。伝わる言葉を持ちなさい。知らない言葉を知ることです。知らぬ人に知恵を授けられる人で在りなさい」と、これが出来るなら苦労はしないことを告げてきています。

薬師如来さまは、現世利益の仏さまと認識できますが、真摯に向き合うと、根本的な問いかけを突っ込んで来られる厳しい仏さまでもいます。

九回目は、波夷羅大将(はいらたいしょう)です。

スクリーンショット 2021-03-18 23.36.16

十二神将は、個別では大将と呼び、その中でも夜叉と神明というものがあります。

夜叉とは、人は疑ってかかるべしと、騙されぬように慎重になり、警戒を緩めず、懐に入れず、どこまでも含みを持ち続ける理想を崩せぬエゴエゴな姿。

神明とは、人を信じ、疑念を抱いたその場で確かめ、多様性を主観で受容し、理想で終わらさず現実化へと無為で行為する目覚めた姿。

人と一定の距離を保とうとする心の働きです。

波夷羅大将(はいらたいしょう)は、問題の本質は変化点にあるとし、余所者を受け入れぬ事や、新しい情報を何でも取り入れることの危険性を知り、情報の出所や、内容の正確さなどを吟味し、不快感がなければ受け入れるが、不快感があるなら拒絶し、考察する余地を示そうとしない心の姿です。全ては自分の未熟さが問題を生み出しているとし、改善する為なら誰にでも頭を下げて教えを請い、信頼の中でしか得られない気づきがあるとし、全てに導かれていると信じて生きて行く仏の姿です。

は、永遠に否定して拒み続ける無限ループに入り、どこまで苦しんでも、そこから抜け出す道を見出すことが出来ない狂気の世界がここにあります。

自分にメリットがあることや、好きな人に好かれること、助けて欲しい相手に愛されることさえ拒んでしまう無限ループがある為、どれだけ切実に救助を求めても、助けられる人の手をことごとく払い除けてしまっている自分がいるのです。

これらを超越した気づきを得る為に、薬師如来の十二神将の波夷羅大将に尋ねる必要があるのです。

繋がり方
自分と波夷羅大将と共に、嫌がり、否定し、拒んだことを、嫌がらず、肯定し、受容して見せた時、どんな未来が想像出来るかをゴールにいる薬師如来の眼差しからイメージします。自分と波夷羅大将と共に対話する姿を未来の薬師如来から見つめ、何に恐れていたかを向き合うものです。

否定的概念に縛られている人は、恐怖を回避せずに、そのまま肯定して辛い目に遭うようなことをした時、どんな想像力を示すか、見つめていくことです。

薬師如来が未来で待ち受けていてくれる為、悩みが解消され、受容されている事実から考えることです。

病気などの事実を見ると、原因となる証拠を調べようとしてしまいますが、病気がそもそもなく、「仮病でしかない」真実を突き止めようとすることの方が、仏との対話では大事であることを教えます。だからといって、科学的事実を見ようとせず、信仰すれば救われるという盲目的な判断に陥らぬ事が大切です。心の対話も科学的に検証可能な物理現象だと扱うことなのです。

それ故に、薬師如来という無の境地から世界を見つめる力により、病気を治すことが出来るという事実を明らかにしていくものです。

事例として紹介すると、以下のようなやり取りが出てくるものです。

薬師如来「家族に対してイライラしてしまうのは何故ですか?」
自分+波夷羅夜叉「許せないことを言ったり、したりするからです」

薬師如来「イライラしてしまう自分をどう思いますか?」
自分+波夷羅夜叉「最低で、“でき”の悪さを感じます」

薬師如来「“でき”の悪い自分をどうすれば“でき”が良くなると思いますか?」
自分+波夷羅夜叉「叩いたり、反省させたり、好きなものを取り上げたりするといい」

薬師如来「“でき”は良くなり、効果が現れましたか?」
自分+波夷羅夜叉「ううん、ダメでした。反発したり、文句を言うばかりで、酷いことばかりしてくるのです。“でき”の悪さを人のせいにしてくるのです」

薬師如来「“でき”の悪さを人のせいにし、許さないままにすると、どんな人になりますか?」
自分+波夷羅神明「相手をイライラさせることばかりして、そのやり方では言うことは聞けないことを強く訴えて来ます」

薬師如来「イライラさせる相手の言うことに従えますか?」
自分+波夷羅神明「はい、年下や我が子でも、尊敬した関わりを持ちます」

薬師如来(微笑んでいる)

というやり取りが出来るようになります。諭す薬師如来のツッコミが、想像出来るように知識が高まることが大切ですし、導いたことのない自分が、導く側の想像力を持つことの大変さも大事になります。

「偉そうにしてはならない」という教えも、「偉いならいい」という嘘偽りがなければいいの(真我を基準にし、人は誰しも尊く偉いと扱うこと)です。仏そのものとなり、偉いイメージを持ち、上から目線で、下ばかり向く自分に、薬師如来となるイメージの自分からそれっぽいことを言わせてみて、考えることです。

「偉いならいい」という薬師如来のサポートを受けているとするなら、「導かれました」という結果を想像してもいいものです。それで悩みが晴れ、気が楽になるなら、それが一番大切なことなのです。

前回は、招杜羅大将を紹介しました。

真面目に頑張る故に、問題を生み出し、無限ループにハマり込んでいる状態から抜け出す方法が説かれていることがわかると思います。

「イライラさせる相手こそ悪い」と、感じるものの、「イライラしてしまう自分の知性の無さ」を棚上げして、物事の結論を急がないことです。

波夷羅大将は、問題が発生したら、「問題の発生前に戻せばいい」という短絡的解釈に執着してしまい、「覆水盆に返らず理論」が理解出来ないことがあります。「物を盗ったら、罰を受ければ許される」という解釈を持つと、罰の程度で犯罪していいかどうかを考えるようになります。これは、「死罪で構わないから、物を盗みたい」という人にはルールや規律の大切さなどは無効になります。死や刑罰を恐れないようになると、思いやりを感じさせたり、信じさせることが出来なくなり、否定的な概念形成では、一度悪さを始めると、止めどもなく続けてしまうことを伝えてしまう為、刑罰で人の心を制御することが出来ないと気づかせる働きがあります。

「嫌だよ、やめてよ」

という言葉を使う相手が、自分の意見を尊重してくれるならいいのですが、相手が自暴自棄に陥り、自滅覚悟で自分を苦しめる行為に走らせたらそれで人生は終わってしまうのです。つまり、規律や刑罰で、人の心は制御されることのない無法地帯ぐらいに解釈しておくことが大事であることを伝えるものです。

臆病になれと言っているものではなく、相手が自分の想像を超える苦しみに耐えているとするなら、逆ギレされても平気でいられるかを想像する力があると、「イライラする気持ち」などを抑えやすくなります。

また、いつでも「ブチ切れて、鬼悪魔の所業に突っ走ってもいい」と、人生の破滅や世界の終焉を望む気持ちがわかるなら、いつでも殺戮でも虐待でも、復讐の限りを尽くして構わないとし、それにより「冷静な気持ちや余裕が生まれる」ことが解るなら、自分はそれだけ辛い思いを我慢して堪えている優秀な精神を築き上げていると、自身を褒めればいいのです(※絶対に仕返ししない、復讐はしてはいけないと禁じるばかりではなく、人は我慢しかしないと狂い出し、制御の限界を越えると見境のない殺戮衝動に駆られてしまうこともあると心得、そうなる前に精神的ゆとりを持つ為の方便であると教えるものです。鬼悪魔の所業を後押しするものではないと明記し、犯罪行為を正当化するものではなく、自分を追い詰めないようにする工夫の一つです。)

心は緊張ばかりさせても、機能不全となり病気などを呼び込むことがあります。心を弛緩させ、快楽や休息などを自分に与えて、リラックスを持てるようにすることです。


いかがでしたでしょうか?

では、また。

リーディングマスター・まさみち。



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?