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不可解を知ること(共振のメカニズム)

リーディングマスター・まさみちです。見えないものを紐解くことが得意です。

歩き遍路の再開も三日目となり、身体も少しずつ慣れて来ました。
それでも痛むところは痛み、容赦なく次から次へと学びの課題を与えてくれます。

それを私は好んで引き寄せているのですから、毎日が楽しくない筈がありません。

八十二番札所・根来寺(ねごろじ)に着きますと、駐車場の脇に面白い像が建っていました。「牛鬼(うしおに)」というものです。タイトルの写真です。

解説の看板に書いてある内容
解説の看板のイラスト

これを見た時に、「これ本当の意味を知りたいな」と感じまして、リーディングしました。

聡明なお坊さんが修行をしており、里に下りては人々の相談を受けていました。
その中で嫁げなくなっている女性の相談を受けます。
本人が結婚を何故か拒んでしまい、親や周りの勧めには応じられない自分を何とかしたいということを相談していました。
このお坊さんが自分の中に強烈な性的欲求の衝動にかれるようになってしまうのです。何度も相談している内に、女性も「お坊さんならもらわれたい(嫁になりたい)」と願い出てしまうようになり、お坊さんの自身の衝動のまま女性を抱いてしまいます。
二人は深い安らぎのを得てしまい、これまでの観念や教えが「正しいとは感じられない」ように感覚に変化が訪れてしまったのです。
しかし、相談してくる女性を修行の身の坊さんが抱くということは許されることではありません。手を出してしまった自分を恥、女性に謝るだけ謝り、家に帰らせます。厳格な親を持っており、メンツがとても重要とする家柄でした。結婚は家同士の繋がりだけは絶対的に守らなければならないと考えている為、娘の意思は尊重してやりたいけれど、家柄を抜きに婚姻はないという考えの父親でした。「坊主と結婚」などはもってのほかだったのです。
寺に戻り和尚や周りの者たちにそれを打ち明けることも出来ず、ただ「僧をやめる」と言い残して、一人山に逃げ込むことにしたのです。
女性の親の知るところになり、「娘の心を奪った相手を許すまじ」と人手を集めて「坊主狩り」を始めたところ、坊主の返り討ちに遭うのです。
何度討伐しようとしても、坊主に逃げられるかやっつけられてしまうのです。
このお坊さんはめっぽう強かったのです。
普段はとても「牛」のように従順で大人しい人柄が、何をどうすればこれほどの鬼と化すのか、彼を知る人からは聞き及ぶ荒れ具合は想像出来ないものでした。
「許すように」と寺側は手を尽くします。
「許してなるものか」と娘の心を開かせた「坊主が憎い」となり、「退治の依頼となる」流れに至ります。
逃亡を続ける「坊さん」は、自分の行動と心の動きを追い求めて解を得る為に生き続けることを選んでいました。追っ手には容赦なくても、そうでない人たちには優しいため食べ物など助けられて過ごしていたのです。
けれども、弓の名手に見つかり射殺(いころ)されて終わります。
その話を伝えやすいように変えているのが「牛鬼(うしおに)」という姿と話のようです。

このリーディングで「牛鬼(うしおに)」が坊さんの成れの果ての姿とイメージしていただけると良いですね。人がこんな風に言い残されるほど、抱かれた女性はお坊さんを救い出そうと懸命に動いたのです。それをすればするほど父親は坊さんが憎くて憎くてたまらなくなり、殺めることだけに全力を尽くしたのです。

心を閉ざしていると何もかも隔てられているような感覚になり、一緒にいても「楽しい」がわからなくなることがあります。そのモノクロの世界にカラーが舞い込んだような体験をしてしまうと、有り得ない力がみなぎることがあるのです。ただ、そんな女性の話よりも、修行の身の坊主が「魔に魅入られる」とこんな恐ろしい怪物になってしまうぞと伝承では伝えているのです。



今回、この話題を持ち出したのは、「娘に愛を与えた坊さんを殺害して終わらす」という流れが、みなさんの人生の中にも埋もれていませんか? と問いかけたかった為です。

「出家」というルールに従えば、俗世と関わってはなりません。ルールを破って良いなどの解釈を持ち出すなら、「そもそも仏の道などに加わってはなりません」としたルールで縛っています。

人生にいったいどういうルールが流れているのかを根源から辿ってみることが大切だと伝えたいのです。

仏教などに限らず、「教え」や「規律」は普段身近に接しており、モラルやマナーなど、さまざまな常識の縛りや、明確な法律もあります。

真理は「教えを消し去る教え」でもありますので、上記の仏道でさえ消し去る教えが真理です。あらゆるものが「無」に帰するものであるとわかっているから「真理に触れた」と言えるのであり、触れているなら「教えの歪み」を見つけ「消し去る」ことが出来れば悩んでいた人の気が晴れ、スッキリ笑っていられるように変わるのです。

これはやってのけなければ理解されないものです。

Instagramのライブ配信で「願いを叶えます」というやり取りをしました。「真理」に触れて「千手観音」さまからの視点で相手の心が晴れ渡るように閃いて行くものです。

ここで視聴者さまからの「願い」が「叶った人」と「叶えるには努力してね」とが出てきます。質問の内容が救済されるだけのことであるなら、助け出されるでしょうが、具体的な実践によって改善する場合は「方向性を指し示すのみ」に留まります。

物事の本質を知ろうとすること、心を開いていくこと、その為には周りの目を気にして生きることや、親には逆らわないとする限りはうまく生きられなかったりします。この物語のように、越えてはならない一線を越えたことで目が覚めて動き出せた女性がいます。ここでは潰されていますが、「今」の時代なら惹かれ合っている二人が結ばれてはならない決まりごとはあるのでしょうか?

単身の方、結婚願望さえ無くしている人、願望はありつつも相手が見つからない人なども、過去や過去世の時代に親に「愛する人」を潰された体験や、親として子の「愛する人」を潰した体験があると今の恋愛感がうまく行かないこともあります。

まだまだずっと引きずっている哀しみがあるのです。

親の立場で愛し合うことを否定していること。
男性の立場で「無理だ」と諦めていること。
女性(娘)の立場で「親を越えられなかった」と挫折していること。
常識やルールで判別され、「私を見ていない」と感じること。

心の傷の回復は、自分の感覚に頼らないことです。
話の流れや、味方になってくれる人の気持ちを正しく知ることです。

「汝、自身を知れ」

必ず未来は明るいとするなら、「今、引きこもることではない」と気づけるものです。動き出してください。

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