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十二神将を考察する③迷企羅(めきら)

リーディングマスター・まさみちです。目に捉えられない微細なものを見極めて、それを仕事に活かすカウンセリングをしております。見えないものを見る眼識、聞こえないものを聞く耳識、嗅げないものを嗅ぎ分ける鼻識、感じ味わえないものを識別する舌識、触れられないものにも触れて読み分ける身識を使いこなしております。それらを合わせた、意識や、他者との交流の中でしか機能しない末那識(まなしき)や、積み重ねた転生の経験則を活かそうとする阿頼耶識(あらやしき)や、普遍的な気づきを自らにもたらそうとする阿摩羅識(あまらしき)や、そここに臨在する乾栗陀耶識(けんりつだやしき)なども駆使してカウンセリングをしております(十識といいます)。(4/88)

人の精神は鍛えれば阿頼耶識(あらやしき)を通して転生の生い立ちを追うことも出来れば、阿摩羅識(あまらしき)を通して、今訪れている難題が転生の気づきのシステムとしてどのように働いているかを諭してくれようとしているのも解ります。

息を吸うような程に当たり前にそこかしこに存在する乾栗陀耶識(けんりつだやしき)を通して世界を見つめ直せば、病気などの真因を捉えることも出来、また悲しみや怒りを消すことも可能となるものです。

前置きが長くなりましたが、四国八十八カ所巡礼の旅の中で、薬師如来と十二神将と出会い、興味関心を抱きましたので、リーディングして解説出来たらいいなと始めたシリーズものです。

薬師如来は、病気治癒(特に目病)、健康長寿、災難除去、安産祈願、現世利益などで知られている如来です。↓

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福岡市美術館のHPより転載です。

福岡市美術館

リーディングマスターとして、薬師如来が伝えることを降ろしてくると「自分の行いが“動機が存在しなければ動き出せない”と誰が決めたのですか?」と、これまた難しいことをメッセージとして伝えてきております。

リーディングはその都度閃き降ろすものとなりますし、仏像というものも、一人ひとり問いかけに対する解答が変わるものでもありますので、ここで紹介する内容と、自身で培われた知識と合致しないこともあるかも知れません。ご自身の納得出来るものを信じて行かれてください。

三回目は迷企羅大将(めきらたいしょう)です。

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6番札所、安楽寺で限定ガチャがありまして、ゲットしたのがこの迷企羅大将(めきらたいしょう)だったのであります。今回の十二神将企画に繋げてくれた大将であり神将ですね(↑剣と鞘が無いのが残念)。

ガチャ

ググっても、迷企羅の意味がわかる内容らしいものが見つけられなかったです。阿弥陀如来の化身とか?
そのような解釈も捉えられないことはないものですが、状況や立場など限定しないと「阿弥陀如来の化身」とはならないもののように思えます。

↑この記事で、ガチャガチャで出た迷企羅大将(めきらたいしょう)の紹介をしております。
続けて、今一度紹介し直してみます。

十二神将は、個別では大将と呼び、その中でも夜叉と神明というものがあります。

夜叉とは、自分の推察が絶対的に正しいと譲らないエゴエゴな姿。

神明とは、無知の知を実践しており、全ての体験を新たしく見ることが出来る目覚めた姿。

この両方を状況に応じて使い分けたり、自分は神明でも関わる相手が夜叉ということもあり、それを諫めようとしても諫められない問題が出てくるので、薬師如来に助けを求めなければ成り立たないのが大将の弱いところです。それが優れた状態となり、自分を改め、他人も気づきに促せるようになると神将と扱いが変わるというものだとイメージしておいてください。

迷企羅大将(めきらたいしょう)は、子どもに夢を持たせようと表向きの楽しい体験ばかりを重ねさせ、親自身が子に好かれようとしてしまうことです。悩ませないよう、迷わせないようと理想や期待を膨らませるように教育した結果、現実の残酷さや冷酷さを目の当たりにした時、挫けてしまう心の姿を、挫けないようにする仏です。
辛い現実を見ても、妄想に逃避し、自己都合の良いように解釈し、人のせいにすることを正当化し、計画しては上手く行かないことを能力のせいにしては、都合の良い幸福に到る夢を見続ける心の姿です。その眠りきった状態から目覚めさせる仏でもあります。

の文字は、妄想無限ループですから、自分自身の内観では気づくことが出来ない思考の罠にはまっていることを示しています。

妄想と並列した思考が罠にハマっている状態なので、どれだけ内観して自分を見つめても、無限ループから抜け出せない為に、結局は「諦めてしまう」という気づきを起こせずに、苦しみが連鎖することになり、自分に対して可能性を見出せない性格に埋没する恐れがあります。

迷企羅大将(めきらたいしょう)と、薬師如来との対話により、迷いを祓い、人生というものは願わなくても願われていることに気づき、明け渡した心境に至れるとよいものです。

悟りを開いた薬師如来の導きを受けている「自分自身は、無限ループから既に脱出しているので、まだ脱出出来ずにいる自分に知恵を授ける妙法がある」として、迷企羅大将(めきらたいしょう)を通して薬師如来に祈って、気づきを生み出すものなのです。

自分が薬師如来化するくらいのイメージ力が大切なんですよね。(明王、菩薩、如来というレベルに応じた気づきの起こし方というのもあります)

迷企羅大将(めきらたいしょう)を八体イメージし、薬師如来と同化した自分を取り囲むようにします。「自分は繰り返す問題について、誰に従っているのか?」と問いつつ、「仏(純粋なる神意識や、誠実で清らかで、幸福に到らせることが出来る大いなるわたし)に決して従わないとするのはなぜか?」との問いを重ね合わせつつ、「薬師如来の導きの言葉を教えてください」と祈れた時、気づきの対話が出来るシステムが起動して、治る導きが始まるものだとイメージしておいてください。

ざっくり過ぎるほど、ざっくりと紹介しました。

ポイントは、夜叉に墜ちている迷企羅(めきら)という妄想に取り憑かれているエゴエゴの自分を無視し、迷企羅(めきら)という神明に目覚め、成すべき事を知っている仏そのものになっている自分と共感しているかのように設定して、それを薬師如来がサポートしてくれて気づきを促してくれるやり取りがあるイメージをするってことです。

事例として紹介すると、以下のようなやり取りが出てくるものです。

迷企羅夜叉「私は未熟だ」←頭によく浮かぶ雑念
薬師如来「どこを未熟と言うのですか?」

迷企羅夜叉「全部!」
薬師如来「全部という内容を1つでも2つでも良いので聞かせてくださいませんか?」

迷企羅夜叉「全部って言ったら、全部!」
薬師如来「では、未熟な全部を今、取り除きました。何が残っていますか?」

迷企羅夜叉「何も理解しようとしない自分」
薬師如来「何も理解しようとしない自分を理解していますから、迷企羅(めきら)さん、あなたが理解者ですから、どうして欲しいのか代弁してみてくれませんか?」

迷企羅夜叉「相手にやらせて、愛されていることを確かめたい」
薬師如来「その方はやってくれますか?」

迷企羅夜叉「やってくれます」
薬師如来「愛されていることを確かめられましたか?」

迷企羅神明「はい」
薬師如来「理解出来ない部分を尋ねることは出来ますか?」

迷企羅神明「はい、わからないところを聞いて実践してわかるまでやります」
薬師如来(微笑んでいる)

といったイメージのやり取りが出来ると、薬師如来と十二神将との間でのやり取りがうっすらわかるかと思います。迷企羅(めきら)は、自分の本音を言い出さないよう誤魔化す夜叉がいます。けれどもそれが味方だと扱いを変えれば、代弁者に変わってくれます。薬師如来は全てを知っている前提で関わることが導きだと知ることです。そして、ここに登場する全ての迷企羅や薬師如来が自分という私の存在でもあるという感じです。

前回は、伐折羅大将(ばさらたいしょう)を紹介しました。

こちらと比較すると、薬師如来との対話の構造が全然違うことが見えてくるのがわかるのではないでしょうか?

それだけ、私たちの意識の使い方や、認識の持ち方、妄想する領域帯は違うのです。

妄想癖とまでは言わなくても、偏屈だったり、頑固だったり、個性とすれば聞こえはいいものの、それでも関わる人も関わられる人も、不快さを覚えてしまうなら、何かしら問題が発生しているものです。棲み分ければ済む話しではありますが、容認できない不快さがあるから、干渉してしまい、トラブルになるのです。

親が子を放置出来ないように、子も親のミスなどを放置出来るものではないのです。それを何とかしようとすればするほど、問題は悪化します。薬師如来に祈り、気づきを降ろせるようにしてみてください。

迷企羅大将は、経験で得られた「理想とする生き方」を押しつけてしまうことで生じる問題を、既に教え与えずとも備わっていると扱い、自動的に身につけさせられると、気づきをもたらす存在です。

簡単に表現するなら、子や関わる相手からお礼や感謝など不要としつつ、批判や非難を受けてもいいから、「あなたならきっと好きなり、役に立つだろうと、感じたから伝えたい」とした関わりのことです。った時、天のてた通りに私が導き手となり、教えを与えているに過ぎないものです。


さて、いかがでしたでしょうか?

つい、夢見がちな心を諭してくれる存在のようですが、あなたには迷企羅大将の力は必要ですか?

意識の繋げ方、動かし方、高さや幅広さなど、個体数のイメージなども実に様々です。眷属が7000体とも言うほど、軍勢としているようです。眷属の持つイメージなども踏まえてくると、見え方、捉え方、気づきに起こし方も変わってくるものです。意識の取りかかり方一つで、わからないことが、わかることになるものです。

想像力を豊かにしていきましょう。

妄想ではない、創造に繋がる想像力は、クリエイティブ能力に直結するものです。

自分や我が子をクリエイターに育てたいというなら、迷企羅大将を神明として扱えるといいですね。


では、また。

リーディングマスター・まさみち


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