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十二神将を考察する④珊底羅(さんちら)

リーディングマスター・まさみちです。リーディングという見えないものを読み取ることで、隠された真実を紐解いて心の問題を解決する事を専門に行っている心理カウンセラーをしております。この読み分ける力によって、仏像界の不思議を紐解いてみようということでシリーズもので記事を書いています。(5/88)

八十八カ所巡礼の旅、1番札所から22番札所まで歩いたところ、薬師如来の十二神将と出会うご縁をいただいたので、この十二神将とは何か? 薬師如来の力とはどんな風にしたらご利益が得られるのか? リーディングで紐解いたら、何が閃き降ろされるのか、やってみよう企画です。

薬師如来は、病気治癒(特に目病)、健康長寿、災難除去、安産祈願、現世利益などで知られている如来です。↓

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福岡市美術館のHPより転載です。

福岡市美術館

リーディングマスターとして、薬師如来が伝えることを降ろしてくると「自身の価値基準を変えてはいけないと誰が“そのようにしなさい”と命じたのですか?」と、これまた難解なことをメッセージとして伝えてきております。

薬師如来さまは、現世利益の仏さまと認識できますが、真摯に向き合うと、根本的な問いかけを突っ込んで来られる厳しい仏さまでもいます。

四回目は、珊底羅大将(さんちらたいしょう)です。

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ググることを諦めました。

十二神将は、個別では大将と呼び、その中でも夜叉と神明というものがあります。

夜叉とは、自分の生き方は自分で決めると譲らないエゴエゴな姿。

神明とは、心を空にすることで、相手を受け入れ、慈愛を持ち、力になる方法を共に探してくれる目覚めた姿。

一見、「自分の生き方は自分で決める」というのは格好いい台詞ですし、問題がないように思えます。これが神明が伝える内容ならいいのですが、夜叉が言っているので病み病みの重病人が医者に向かって「お前の指図は受け付けぬ!」と息巻いているイメージを持って欲しいのですね。エゴのプライドにかけて、豪語している姿なんです。

日本語は特に文脈や行間を読み取らないと、誤解し易いものですから、一部分だけを切り取るとややこしい問題を発生してしまうものです。ですから、「夜叉(エゴ)」と「神明(純粋さ)」と識別することで、文脈に込められているものが変わることを教えてくれるものなのです。

別の表現で言うなら「ごめんなさい(エゴエゴ)」「ごめんなさい(純粋なる気持ちを添えて)」という括弧書きの部分が変わると、同じ「ごめんなさい」がニュアンスが随分と変わることがわかると思います。

リーディングというものは、これを識別する力です。

珊底羅大将(さんちらたいしょう)は、自分の解釈のみで自己完結してしまい、先入観や偏った状況証拠だけを集めて価値基準を作り出してしまうのです。この価値基準に賛同するなら味方、同意出来ないなら敵意があるとみなし、「ここに居られないようにしてやる」などと意識、無意識に関わらず追い詰める行動に出ている心の姿です。そうした固定観念に囚われた中からでも、手を差し伸べて根底の支えになり、気づきをもたらす存在にもなりうる仏の姿です。

は、関わる人も全員が同じ価値基準に従っている為、客観視を失っている無限ループを示しており、敵対する相手に相談を持ちかけない限り、無限ループから抜け出す切っ掛けが得られないものです。

物事を考える上で、「周りの人も全員間違えているとしたら?」という発想や着想を得られる人、自分が幻覚に囚われている「目覚めていない眠っている状態かも?」と考えられる力を持つようになります。

珊底羅(さんちら)は、深い深い根底の部分までも、価値基準が染まり上がってしまい、そんじょそこらの理念や理想では覆すことが出来ない民族的な概念くらいにイメージするとわかり易くなるかも知れません。しかし、民族レベルでも、国際レベルで見るなら、差別は良くないし、風習文化だといって開き直っていいものだけではないものもあります。これまでの時代も、色々な文化が入り乱れているように、これからも入り乱れて、より良いものに高まっていけるといい筈です。

悟りを開いた薬師如来の導きを受けている「自分自身は、無限ループそのものを解体出来る妙法がある」として、珊底羅大将(さんちらたいしょう)を通して薬師如来に祈って、気づきを生み出すものなのです。

自分が薬師如来化するくらいのイメージ力が大切なんですよね。(明王、菩薩、如来というレベルに応じた気づきの起こし方というのもあります)

珊底羅大将(さんちらたいしょう)を上に置き、薬師如来と自分を重ね、珊底羅大将を下にも置いてイメージします。上(珊底羅)、中(薬師如来)、下(珊底羅)というイメージで並べ、自分という薬師如来は上手の気持ちと、下手の気持ちを繋ぎ合わせた時、本当はどうしたかったのかを閃き降ろせる準備をするイメージです。心を空っぽにするようにしておくことです。

ざっくり過ぎるほど、ざっくりと紹介しました。

ポイントは、夜叉に墜ちている珊底羅(さんちら)というみんなに迎合しているエゴエゴの自分の思惑を知り、珊底羅(さんちら)という神明に目覚め、この状況下で気づいて動けるのは自分しか居ないとした仏そのものになっている自分と共鳴出来ると、薬師如来がサポートしてくれて気づきを促してくれるイメージです。

事例として紹介すると、以下のようなやり取りが出てくるものです。

珊底羅夜叉下手「何を偉そうに」←よく頭の中によぎる独り言。
珊底羅夜叉上手「こんなこと思っちゃいけない」←頭の中でキャンセルする独り言。
薬師如来「思いつくまま、眺めてみると“偉そうに”することがそんなに気に障るのですか?」

珊底羅夜叉下手「何も解っていないくせに」
珊底羅夜叉上手「身勝手も程があるよね」

薬師如来「思いの限り、打ち明けてみたらどんな気持ちが出てきますか?」

珊底羅夜叉下手「誰も信じないよ」
珊底羅夜叉上手「横暴が許される筈がないわ」

薬師如来「誰も信じず、許されないなら、何が起きると思うのですか?」

珊底羅夜叉下手「殺されるに決まっている」
珊底羅夜叉上手「恥をかくに決まっている」

薬師如来「殺されないように、恥をかかさないように、気遣っていているのですね?」

珊底羅夜叉下手「誰があんな奴気遣うものですか」
珊底羅夜叉上手「袋叩きに遭えばいい!」

薬師如来「そんなに嫌いなのに、関わる理由を教えてくださいませんか?」

珊底羅夜叉下手「もっともらしいこと言うから」
珊底羅夜叉上手「信憑性あるような生意気なこと言うから」
薬師如来「それは、もっともらしいではなく「もっともなこと」でよくて、信憑性あるようなことではなく、真実だと感じているのではないのですか?」

珊底羅神明下手「私、信じているんだ」
珊底羅神明上手「私、認めていたんだ」
薬師如来「生意気とは、きた志を持つ覇だという解釈を持てると、立場や肩書きの有無ではなく、真実を示していることかどうかが大切だとは思いませんか?」

珊底羅神明下手「はい、肩書きの有無で判断する先入観がありました」
珊底羅神明上手「はい、口に出さなければ、それは理性的だと思い違いをしておりました。改めます」

薬師如来(微笑んでいる)

といったイメージのやり取りが出来ると、薬師如来と十二神将との間でのやり取りがうっすらわかるかと思います。珊底羅(さんちら)は、自分の価値基準こそ絶対だと口にしなければバレずに平気だと様子伺いする夜叉がいます。自分の内面の卑しさや、いじめ心に気づき心底「やめたい」と願えれば、それを改める流れを呼び込むことが出来ます。薬師如来は全てを見透しており、建前だけではどうにもならない問題さえも導き、答えを与えてくれる存在だと知ることです。そして、誰の中にも珊底羅といった固定観念や自己完結して心を開くことが出来ない部分があると知ることです。それを薬師如来という私が「納得出来るまで取り組みましょう」と心に呼びかけるものなのです。

前回は迷企羅大将を紹介しました。

比較してみると、心の無限ループも様々存在することがわかると思います。

薬師如来に対して上下で挟んでイメージすることも、言われてみなければ取り組まないものでもあります。これは下手の我がままを上手が制する形であるのを、上手も下手に乗じて、言いたい放題言わせてみようという作戦です。

すると本音の本音が見えてきて、気づきを促す薬師如来さまが側にいて、「本当は違うよね?」とサポートに入ってくれるから、エゴエゴにブレーキをかけ、本音に気づく流れを呼び込むという感じなのです。

自身の純粋さに触れること、気づくことが大事なのですが、人の心は身勝手なもので、想定するところから物事が訪れるのは許せるけれども、想定外だと許せなくなるものです。

これって、未来を予知できているなら許せるが、予知できないと憤怒してしまうようなことを言っていることに気づけるか? です。

人の行いを人災と捉えるか、それさえも自然と捉えるかによって、仏心を養えるかどうか道が別れます。薬師如来は治療してくれる仏さまです。自然治癒の力を授かりたいなら、人のせいにする心を改め、自然の流れのワンシーンと扱い治せると、見落としていたものにも気づけるものかと思います。

珊底羅大将は、見よう見まねで周りの人たちを信じて形成した価値観が、実は未完成なものだと気づき、自分がその中で唯一問題に気づいた人だとわかり、立ち上がることで問題解決へと舵を切ることが出来る存在なのです。

社会や組織というものは、内側だけでは見えなくなる盲点を抱え持つこととなり、変化を促すには、よそ者という外側から指摘される着想が改革を呼び込むことが出来るものです。しかし、よそ者だからと口出ししてはならないと、その社会や組織の仕組みや形成してきた歴史を大事にしようとすると、社会や組織は古くなり腐ってしまう事だって起きてしまうのです。

外の風を招き入れること、外の風として吹き抜ける存在として活躍するのが珊底羅大将だとイメージ出来るといいですね。


いかがでしたでしょうか?

これまでの流れと、これからの流れを考えられるようになると、俯瞰しているようで、敵視している自分の心に気づけると、珊底羅大将の加護が得られるようになります。

会社の人や、友人との関わりにおいて、何か意固地になるような事は起きていませんか?

では、また。

リーディングマスター・まさみち



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