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お遍路再開しました

リーディングマスター・まさみちです。目に見えないものや、耳に聞こえないものを聞き分けるなどして、潜在無意識や深層心理などを紐解いたり、霊的な存在と扱われる神仏の声などを科学的な見解から解き明かせないものかと洞察を深め、実際に心理カウンセリングとして有効性を確認しております。

八十八カ所巡りの旅が再開されました。

お遍路さんです。歩き遍路です。

なまりになまったこの身体をまた一から鍛え直すべく、歩き始めます。

初回は1〜22番札所まで。

二回目は22→23〜33番札所まで。

三回目は33→34〜49番札所まで行く予定です。

前回の歩き遍路も終盤になると身体が馴れてきて、楽になってきたところで終わり、その鍛えた身体も終わった直後から運動しなくなるという状態になり、自分でもここまで「動かない」ことは珍しいものだと思ったものです。

ともあれ、「動かない」まま、運動しないまま、三回目の歩き遍路スタートです!

33番札所・雪蹊寺(せっけいじ)から歩き始めて34番札所・種間寺(たねまじ)まで歩きました。

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妻の一声から、八十八カ所巡りがスタートし、お遍路の本質的な意味を「見えないもの」「聞こえないもの」「嗅げないもの」「味わえないもの」「触れられないもの」を紐解いてみると何が解るかと調べたくなったというのもあります。

数字にまつわる神秘的なものごとも探っている中、この八十八カ所巡りというものの真理を見極めたくなりました。

1〜22番札所までの間は、この22の数字にまつわる霊的な意味合いを紐解いて納得した次第です。

「ソウルフル・ワールド」の映画の中で出てくる22番のこじらせ具合が、まさに22であり、徳島県と高知県の一区切りが23番札所であるのも今なら解ります。

23〜33までの11の区間は、どの数字的意味合いも「こじらせている」ようなものが続くのも感じられました。

お遍路と共に、自分たちの人生の学びも進んでいると感じるしかない日々でありました。

歩いている最中も進みますし、休んでいる時も進展する流れをとても感じていました。

詳しく話し出すと、とてもじゃないけれど書き切れないものがあります。

自殺者の救済

歩き遍路をしていく中で、本日やっと「封じられてきた想念の渦」から抜け出せました。

これが33番札所から、34番札所に移動する中で気づいた体験でありました。厳密には歩き出す前、空港で高知へ向かう前の段階で「気づき」がもたらされ、閉塞的な概念から抜け出して、「自殺」にまつわる因果関係の全てを紐解ける感覚に到りました。

長かった。

というところが私の感想ですが、「死ぬしかない」という感覚に染まっている人や、他者からの救助を拒んでしまう相対的関係の中で、どうしたら「救済」出来るかを模索し続けて来た中での一つの道を開けたと感じたのです。

まだまだ形に表すまでには到りませんが、自殺で亡くした遺族や、埋めようがない喪失感や、自殺してしまいそうで怖くてたまらない人たちに救済する道を与えられそうです。

精神的なものと、肉体的なものと、どちらも重要なものですが、わたしは見えない精神的な部分を担わせてもらい研究しています。

歩きの中で身体にかかる負荷や、精神的な歪みなどを拾い集め、気づきに変えて行き、それを今後のカウンセリングに役立てていくものです。

リーディング心理学

見えない精神的なものは、文章など形に表すには膨大すぎる情報量になるものと、記録で残す限り「真理」になり得ない難しさがあるものです。

今、直接問われ、今、その場で応答することで成立する真理だからこそ、紐解ける心の謎があるものです。

それをどうすれば伝わるか?

どのようにすれば獲得出来るのか?

それを転生を股にかけて人々に伝えようとしてはいるものの、困難の連続であるのはいつの時代も同じだと感じているものです。

現世転生

転生したら異世界だったではなく、転生したら今生だった。

という身も蓋もない普通のことですが、前世やたくさんある過去世の体験を思い出せるようになると、今生は今生の物語を生きるだけであり、繋がり合う過去現在未来であるなら、どの時代も楽しく生きていられるといいと思うので「真理」やら「霊的本質」を提供したいと思うのです。

八十八カ所巡りは、そんな真実を見失い、現実こそ大切だと「純粋性」を見失っている愛の欠乏感で生きることは「多分違うと思うから止した方がいい」とアドバイスしようにも、「需要」がなければ聞く耳を持つ人も少ないものです。

私の魂の課題は、「自殺者の救済」であったり、「心中者の救済」であったり、「一家心中の救済」であったり、「冤罪者の救済」であるなど、あまりエンターテイメント性の少ないものなので、欲望を満たす感じではないので世間全体では興味関心が薄いところではあります。

でも、有名人が自殺されてしまうと騒ぐのは「成功者が自殺する」という概念が薄いからであり、自殺のメカニズムはそうした成功や金銭があるなどとは関係がない部分でもあります。

故に、現代の秩序立てられた世界に「愛がなくても生きていればいい」という概念ではダメだというところから、「愛は不可欠なもの」に扱い直せる世界に道を開きたいのであります。

34番札所・種間寺での薬師如来との対話

参拝の方法が、時計をイメージしてください。

1〜12時の部分に人がいます。

真ん中にも自分がいます。

1〜12に立つ人は、自分の家族、親族、自分自身で良いです。

真ん中に立つ自分も、12箇所に立つ他の人も、四方に背中合わせてくっついているイメージを持ちます。←↑↓→前後左右に向いている。

人数としたら52人いるようなイメージになります。

このような同時に複数人を意識する「意識の使い方」が心の問題の救済に役立つものです。

この52人が四方を中心と時計のしかるべき角度に立ち、イメージする意識で「病んでいる部分の治し方を教えてください」と問いかけると、仏(薬師如来)と繋がりイメージが浮かんでくるものです。自分自身に知識や知恵が乏しいと、伝わる内容が粗雑になる場合もあるため、専門知識を有しているほど精度の高い閃きを受け取ることが出来るものです。

神仏との対話は科学的根拠から逸脱しないものです。

ただ、相対性の関係など、時間や関係性など意識の働きは目に見えないものを含めると膨大である為、人の意識では捉えきれないものでもあるので、神仏に頼り最適な方法をダイレクトに降ろさせる方法があるのです。

神仏の閃きを、自我はとても邪魔立てするので退行催眠など、自我意識が働かないようにしている状態の方が精度の高いものを閃き降ろせます。

意識的に自我を除外する方法が仏教など様々な手立てが考案されているものなので、瞑想を始め、心理的によいものは取り入れると良いです。

大切なのは、目の前にいる人が改善しているかどうか? が大切なところです。

この世界は、神仏さえ「怒る」ことを示したりしている為、「真理」がなんであるかが解らない状態において、正確な物事の判断など取りようもないと知識として持ち合わせておく必要があります。

本質は、どんな立場や状況からも「目覚められる」ものだと心得ることで、「34番札所の薬師如来が凄い」とかではなく、どこでも「凄い」ものなのです。

学び取れる人は、どんな環境や状況下でも学べるものだという真理を見失わないことです。

実践して身につけてい見てください。

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