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世界平和を祈る遍路歩き

リーディングマスター・まさみちです。心理カウンセリングをしております。見える証拠では捉えようがないものを読み解き、改善へと導き、無意味な執着だったと気づかせて笑い溢れる平和な境地へと到らせることをしております。

34番札所・種間寺から、35番札所・清瀧寺へと参り、お宿「汐風」というところまで歩いて来ました。

前日泊まった「はるのゲストハウス」の女将さんとお話しして、認知症の話題が出ました。

認知症の問題

認知症の話題が持ち上がることからも、自分にもまだその問題を100%解き明かしていないことが伝わってくるものです。

自殺にまつわる様々な事例から、未然に防ぐに到れる道のりもリーディングで紐解ける段階に入り、「やっと、本来の道に戻ってこられた」という感覚からお遍路が再開しております。

宿泊1日目の晩に、「認知症」の話題です。
天からのメッセージだと受け取り、これを解き明かしなさいと解釈しました。

早速、その方から受け取れた情報を紐解くと以下のようなものが届きました。

①陰,008,哀しみを思い出さないようにしている。
 陽,013,失った者は還ってこないから、心は哀しみで空白です。
陰陽,021,哀しんだ自分が自分で解らなくなっている姿を世の中に示して「思い出してもらえない姿」となって生きている。
②陰,009,失った愛する人は還らない。
 陽,012,過ぎたことは思い返すことはしないで、思い出したい気持ちを怒りで封じている。
陰陽,021,何もかも解らなくなったら幸せだと信じ、解らなくなった姿で生きている。
③陰,005,愛する人の心が壊れている。
 陽,016,不快を感じさせるものとは関わりたくない。
陰陽,021,何も感じたくないでいる。
④陰,004,哀しい思いをしたので愛さなくなりました。
 陽,017,私などいなくなれ。
陰陽,021,無邪気に何もわからないまま素直に生きられたらいいのに。
⑤陰,003,誰も私の深い哀しみなど解ってくれない。
 陽,018,こんなにも大切にしていたのに、あの人はもう還ってこない。
陰陽,021,消えてなくなりました。
⑥陰,014,無価値感に閉ざされて何も考えられない。
 陽,007,悪いことをしたなら処罰されて苦しみ抜かねばならない。
陰陽,021,引き裂かれる心の痛みで気絶したままでいる。
⑦陰,019,生きる希望も何もかもなくしてしまっている。
 陽,003,虐げられている現実を否定したまま、それを幸せだと言い聞かせている。
陰陽,021,踏みにじられた世界のまま、そこが平和の世界と思い込み嫌いを好きに履き替えて生きている。
⑧陰,013,失った伴侶の喪失感に気が狂い、ずっと自分の至らなさを責めている。
 陽,008,二度と愛する人を失わないように秩序という名の檻の世界に閉じ込めて、互いの嫌がることをやっては「解ってくれない」と嘆き悲しむ。
陰陽,021,本当に好きになる人とは一緒にならなければ、哀しむことはないと目を真実から逸らして生きている。

このような八方向が深いネガティブな喪失感に囚われ、大切な伴侶を失った感覚が強烈にあり、そこから目を逸らし続けることで認知症が発症していると天が知らせてくれるものでした。

他の方の認知症事例をリーディングしても、過去世など古い体験談の中で、「最愛の子を自殺で喪失した」「親を自殺で失った」「親を知っている人に殺された」など、家族が理解出来ない「死」を迎えた時の哀しみが起因していることが解りました。

わたしは、自殺の真因を解明し、再発防止出来る世界に移行することが目的です。ここでも、伴侶や我が子を自殺などで喪失した体験が「認知症」と関連付いていることが解りました。

今世の話ではない辺りが、根深い問題として考えられます。

数字がどれも21でまとまる辺りが深淵さを感じずにはいられません。

終わりと始まりが重なり合う数霊とも言えるものですが、「愛なき世界を終わらせ、愛ある世界を生むもの」とした意味合いが、認知症の方は、「愛なき世界が終わることなく続く」としたイメージがあります。

記憶がなくなっている時間は、本人は無自覚である為、ある種幸せです。

困っているのは認知症の周りの方々です。

もちろん、後々に「認知症だったよ」と告げられると、自分の記憶喪失している間の出来事を知れば哀しくなるもので、冷たくしたいわけではないと解ると、上手にあしらうことなどできるものです。けれども、本質は「発症したくない」ものです。

この記憶障害となる八方塞がりを一度に解き明かすことが出来れば、閉ざされていた感覚に陥らなくなり、健全でいられるのです。

近くに認知症の方はいませんか?

そして、その認知症の方の側に、失われた伴侶や、かつて親子だった絆を持つ人がいるかも知れません。

世界平和を祈るならば、最愛の人を失ったまま心を閉ざした者のの心を開く道を作らなければならないと感じました。

心を閉ざした人は、仏の声さえ聴こうとは思わなくなる人もいます。

救いを求めない人もいるのです。

そのような方にも届けられる力を授かる為にも、八十八カ所巡礼の旅を続けるというのもあります。一歩一歩踏み出していく歩みの中に、「気づき」が秘められているものです。

否定では積み上げられない世界を、肯定のみで説明しきれる世界の創造をもたらそう!!

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