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一つずつやる 散支大将像⑦

心と言葉の研究者 リーディングマスター・まさみちです。リーディング心理学という独特の手法を使い、意識しても治せない心の問題に取り組んでおります。独自研究していたところ、顔を見上げてみると仏教の中に同じようなことが書いてあることに気づき、習わなくても同じ結論に辿り着くものなんだとわかりました。(47/88)

自然と一つになり、人との関わりにおける心の動きを観察していたら、「悟りを開く」などという体験に辿り着きました。ただこれは人に説明するのも難しいもので、「人は誰でも悟っている」という言葉や「悟りを開いたと口にする者は悟って等いない」という解釈もわかる為、他人によって識別困難なものでもあるとわかるだけにどうすることも出来ないものです。

取り立て、この二十八部衆という数は、私が独自に研究していた心の領域においても28という概念を用意していただけに、同じ概念に違いないと思ったものです。

リーディングレッスン講座というものを作り、リーディングの手順を教えることをしています。その中で「第十一章・最愛者講座」なるものの中に、28の概念を取り入れて解説し、教えています。

7×4=28 とした考え方に基づき、7は7仏のことであり、一般に知られている解釈としてチャクラの分類と同等のものと、解釈しています。

4は、五蘊の「受・想・行・識」と「色」の心の領域の方を抽出し、それをチャクラごとに「受・想・行・識」7分類したものです。

①〜⑦までを「行」
⑧〜⑭までを「想」
⑮〜㉑までを「受」
㉒〜㉘までを「識」

と扱い、解説していくものです。

千手千眼観音菩薩とも呼ばれることもある千手観音は、一つ一つの物事を丹念に調べ上げて、紐解いていくものの意識の在り方を具現化した像です。

脳内に湧き上がる雑念一つとっても、ただ消し去るという「瞑想」などして心を精妙に整える行法も大事であるものの、「何故発生しているのかのメカニズム」を発生する根源的な体験は「いったい何が元でそうなったのか?」そして「それが内観などや、学び深き僧侶たちでも到達不可能なものは何か?」といった疑念を解き明かして行く道に入れるかにあります。

真理に到達すれば、全てが相対的で質の高低や、解釈の幅や、認知や定義の間違いなどがあると、あらゆる誤解や行き違いまでも解明し、修正出来る力を持ちます。

その力を手にする上で、習った言葉ではない、閃いた言葉を持てるかどうかにかかります。教わりつつも、その教えを手放せる心境とはどういうものかを体得する必要があります。

私は悟りたくて取り組んだものではなく、キネシオロジーなどの肉体が持つ生体機能の神秘に触れ、それが仏教では「阿吽」として仁王像などに表現される世界だと解った時、古来から心と身体を一体化させることを知らせようとしてくれていたとわかり、結果的に「悟っていた」と云うべきものだと伝えておきます。

ただ、そこで云えることは、この心の研究者としてリーディングの道に入り、「人は鏡」と改めて考えたとき「世界中の人が自分の映し鏡だ」と気づき、「世界中の人に映し出される自身の心を治すこと」命題だと解ったのでコツコツとその道を歩いて来たら、「悟っていた」というところまで来ただけのことです。

四国八十八カ所巡礼の旅からはじまり、東寺の二十一体の立体曼荼羅を紐解き、三十三間堂の千手観音の秘めたる思いをリーディングで紐解くことで、「悟りを開いた」存在というものは、このような事がわかり、時代と共に必ず廃れるものだと解っているから「仏像」という形に言葉に成らない思いを残して伝承しようとしたものです。

仏教を学ぶ方には、至極当然のことかと思いますが、大切なことは習うなら仏そのものとなり、悩み抱える精神疾患を持つ人を救済して回って欲しいと切に願うものです。

ただ、学びの段階や気づきを与えるタイプがあり、天、明王、菩薩、如来などに成りきれる人(坊さん)が、その段階での学びに道を与えることをするものです。

私は、大日如来がわかりますから、千手観音菩薩もわかります。ただ千手観音菩薩の内容は奥深くありすぎるので二十八部衆を通して伝える眷属とした扱いをするものです。

散支大将像(さんしたいしょうぞう)⑦

散支大将

心の解釈は、人それぞれ全く違う構成が為されると考えておく方がよいものです。

人が話す価値観を否定すると、相手の持ち合わせる様々な世界観や背景までも否定してしまい易くなり、賢くなるか? 愚かになるか? と考えると、人の話しを肯定する方が賢くなり、否定する方が愚かになり易いものです。

聞いた話しを、肯定することと、信じることは別です。

否定することと、信じることは別ですが、心は否定することを信じてしまい否定をした自分を信じることで、価値観や概念が固定化され、頑固になるものです。

肯定することが出来ると、後々に自身の解釈の間違いに気づき、「許さない価値観」から「許す価値観」に変えることが出来ます。

これが、否定するところから入ると、後々に自身の解釈の間違いに気づいても、「ごめんなさい」と自分の否定した事実に対する謝罪をしなければならず、それが達成可能な事であれば出来ますが、「相手が死んでいる」時や、「不特定多数の前で否定した体験」である時は、謝罪する相手と関われなくなると、「間違っていたと気づきながら、謝っていない状態」が発生します。

これが「自分自身を不審に思う」「自分を信じられない」などの根源的な問題の一例です。

①満善車鉢(まんぜんしゃはつ)を裁く⑦散支大将(さんしたいしょう)

自分を信じられなくなると、人を信じる土台も築かれることがなく、間違いと気づいていながら「謝れない後悔」「罪悪感」を生み出し、「二度とこのような真似はしない」という決意が、「裁く心を育て」てしまうのです。

自分の知りうる知恵知識で相手を判別して、「善いことをしよう」と意識する一方で、「それは悪いことと裁いてしまう心」があり、結果的に「強欲」な人を見かけることとなります。

「私は善い人(行)」、「相手が悪い人(想)」、「みんなは善いことをして守っているが、その人は悪いことをしているから悪い人(受)」と判断するもので、「悪い人を見過ごしては、私が悪い人になるから私が裁くしかなく、私は正義だから善いのです(識)」と判断してしまい、「強欲」さを目撃しては、苛立ちを隠せなくなったり、「そんなことをしてはダメ」と躾(しつけ)のつもりで怒鳴り散らすことをしてしまうのです。

「善悪」超越する知性を宿すまでは、悪を裁く正義に酔いしれ、加害者に回っている事実が見えぬまま続けるのです。

②乾闥婆(けんだつば)を諫(いさ)める⑦散支大将(さんしたいしょう)

子や後輩が、何かを頑張ろうと勉めようとすると、親や先輩などは老婆心から「そういうやり方はよくない、こうしなさい」と教えることがあります。

この時、力関係があり、上を敬わなければならないという条件が課されていると、その指導が「不必要なもの」であっても、子や後輩が逆らうことは許されないものです。

親や先輩は、「善いことをした」と子や後輩の育成に世話を焼いていることとなるものの、子や後輩は自分独自のやり方や方法論を実験することが出来ず、自分独自のコツ勘を手にすることが出来ないジレンマに陥ります。

親や先輩に逆らいたくもなく、言い返す力もなく、思いやりから助け船を出してくれていると教わるほどに、自分の個性が消え去っていきます。

それでも我慢をすると、親子の関わり、先輩後輩の関わりにおいて、太鼓を協力して叩いても、いい音色が鳴らなくなります。男女における夫婦の関わりにおいても同じ事が云えます。

我慢するしか手立てが無くなる思いは、抑圧されたストレスが何かによって発散されていきます。

そのストレスが発散される方法の多くは「暴食」という食い意地に走ることになり、自分の親や先輩や大切な人に逆らうことを抑止するエネルギー源を確保するのです。

「過食症」などでも出てくることがあり、「理性的に生きる」という抑圧が、「相手の方(親や先輩や伴侶)が正しく、の方が正しい筈などない(何故なら、立派だから、稼いでいるから、技術があるから、賢いから、自分に出来ないが、相手は出来るから)とした価値観の元、“苦しみながら食べる”という行為」を止められずにいます。

心は謝りながら、身体は謝れていない姿を晒すのです。

様々な依存症の大元となるものです(買い物の依存、アルコール依存、薬物依存など)

自分より力ある相手に逆らった「否定した体験」の後に、「肯定したい気づき」が訪れながら、力ある相手に謝れなかったことが、「暴食」という姿をさらし続けて許しを請うているのです。

目に映る「暴食」「買い物依存」などの異常行動を見て、「許すよ」と、力ある存在が胸の内を察して、無条件に許し切ることが出来ると解放されるものです(見せかけではダメです)。

人は条件を取り払うことが困難である為、太鼓を鳴らしていい音が鳴るように気持ちを一つに合わせるような「許し」“与え、受け取り、見守り、全てを支える関係”に至れば、治るものです。

③難陀龍王(なんだりゅうおう)を拒む⑦散支大将(さんしたいしょう)

人との交わりは、男女の結びつきに至ります。

地域(山)と地域(海)が結びつくと、交流が始まり、新たな出会いは夫婦(川)を生みます。

二人の思いが一つになっていても、地域(山)と地域(海)の風習や文化の違いを二人(川)が背負うこととなり、地域(山)の夫の思いを地域(海)の妻が受け取れないことや、その逆が生まれ、仲違いが始まります。

地域(山)のルールや概念は譲れません。

地域(海)のルールや概念は譲れません。

夫の気持ちを妻が汲み取れなくなることが起き、妻の気持ちを夫がわかってあげられなくなります。

その両家のストレスはどちらかが背負うこととなり、「許されないこと」を体現して、それを「許してもらうことで和解」生み出す流れ発生します。

それが「色欲」という課題です。

夫であれ、妻であれ、自分の気持ちを受け止めてくれる人がいなくなると、それは自己存在の不安定さとなり、その散漫とした心の拠り所を求めて支える存在と出会い、惹かれ合うことが生まれてしまいます。

「浮気」や「不倫」といった理解してはならない問題が生じ、双方の問題と解釈することはなく、一方の問題として裁かれることになるものです。

一時的なものと許しても、根本は当人ではなく、地域(山)と地域(海)の風習や認識のズレから引き起こされるものなので、二人の両親や一族の解釈が新しい解釈(川)の発想に転換出来ると治るものです。

そっちはそっちこっちはこっちと、分断せずに夫婦の間に生まれた子を中心に「和解しかない」「親睦するしかない」といった地域(山)も地域(海)も地域(山→川→海)と地域(海→川→山)と風習や認識が混じり合ったものとなれば良いものです。

「色欲」「無課金ゲーム」や「賭博、課金ゲーム」「一人の時間(伴侶や家族の理解が得られない一人の時間のこと)」などでも見られます。

かつて「裁かれ」身をもって「悪い」と知っており、それでいて止められないメカニズムを解って欲しくて、制御出来ない問題があることを大切な人に知ってもらい、助けて欲しいと懇願している姿「悪さをする行為(浮気、不倫、ゲーム、一人の時間(伴侶や家族の理解が得られない一人の時間のこと)」です。

心は制御出来ると信じている人には、「色欲」の存在は目の届かないところに排除したい為、切り捨てて終わります。離縁や、絶縁や、施設に入れるなどで終わらします。

「わかっていても止められない」ことを「止められるだろう」というイメージを持っている人は、心の中で「カチン」と来ることや、「イラッ」と感じる反射的に湧き上がる反応そのもの「今すぐ制御して二度とカチンもイラッも来ないように直ちに実行しなさい」と言われて、出来るものかどうかを想像することが出来ると、この「色欲」の問題の根深さは深淵の闇を覗き込むような途方もないものです。

人に迷惑がかからぬよう「一人でいる時間」に逃げ込むことで、伴侶を望まないことや、異性と関わりを断絶することが最良の方法だと「自分を信じられなくなった心」はそのように決めて動かなくなるものです。

「色欲」苦しみを共有出来る伴侶や、地域(山)や地域(海)の協力が持てると、解決の道は開きやすくありますが、ゴミを捨てるように、心も切り捨て、病巣を切り捨てるように、人も切り捨てる手段しか持ち得ないこの社会に、救いの手を差し伸べられる慈愛を持てる人でいて欲しいと願います。

④五部浄居(ごぶじょうい)を嫌う⑦散支大将

人は相手の問題が自分と関係あるという知識がありません。

人は鏡だと知らされていても、それを認知したところで、改める術が見出せないものです。

自分はミスにより、反省し改善して失礼のないように改めた体験があると、自分が改まるに至った経緯と同じ事をするものです。

「怒られた」から自身を反省し改めて来た人は、人を怒って育てようとします。それは「不信」生み出し、「憤怒(破壊)」で返されて関係が終わります。

「悲しまれた」から自身を反省し改めてきた人は、人を悲しませてしまう方法で育てようとしてしまいます。それは「不満」を生み出し、「憤怒(貧困)」に陥る目に遭わせられ、関係が終わります。

「嘲笑された」から自分を反省し改めてきた人は、人を嘲笑してしまう方法で育てようとしてしまいます。それは「怠惰」を生み出し、自分も「憤怒(怠惰)」に陥り、関係が終わります。

「恐がられた」から自分を反省し改めてきた人は、人を恐がるような方法で育ててしまいます。それは「貧困」を生み出し、言うことを聴いてきた結果何も出来ていないことで「憤怒(不満)」をぶちまけ、関係が終わります。

「憂えた」から自分を反省し改めてきた人は、人を憂えるような方法で育ててしまいます。それは「破壊」を生み出し、人生を台無しにされた「憤怒(不信)」をぶちまけることで関係が終わります。

「間違えた体験」を親や先輩などが、『憤怒(怒り、悲しみ、嘲笑い、怖がり、憂う)』することで「間違いを正せた」と錯覚してきたことが原因です。

親や先輩も既に錯覚しており、間違った育て方をして来た連鎖のツケエンドレスで続いているのです。それを業(カルマ(行為))と呼ぶのです。

どうか、取り引きや、比較や、感情的な憤怒(怒り、悲しみ、嘲笑い、恐れ、憂い)などを使うことなく、愛を示して欲しいと願います。


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⑤と⑥の解説が続き、まとめがあります。

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