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リーディングマスター・まさみちです。お遍路を歩きながらnote記事を書いております。職業は心理カウンセラーをしており、共感する力で深層心理を紐解き、気づきを与え歓喜し合える人生のサポートをさせていただいております。

日々の生活は「変化の連続である」と、表現することも出来ます。

あるべきものが「突如壊れる日」が訪れることもあれば、その逆で「思いがけない素敵なことが起きた日」などもあります。

この世界は一つの事例として「本音と建て前を使い分ける」ように教わったり、覚えたりすると「どんな心理状態でも、相手の前では笑顔を絶やさずにいればいい」としてしまうことがあります。

人と接している間は幸せを感じられるから平気でも、離ればなれになると不安でたまらなくなることもあります。そしてその不安でたまらない自分が「たまらなく嫌い」になることもあり、その件で人に相談したくないと助け出す手立てが無くなります。

何より相談を断たれるのであり、こちらの情報を寸断して受け取らないままだからです。接点が設けられなければ、相手に関わることも出来ません。

「自殺」からの救済を命題にして今生は生きるとなると、「自殺」まで追い詰められる人の立場に立つ必要があります。

擬似的に「自殺衝動に突き動かされる」体験をしなければならず、死なないで踏みとどまる体験に到らなければ改善する道も探せません。

そして踏みとどまるだけでなく、改善する道まで開かなければ「自殺予備軍」の目に止まり、「自殺したい発想そのものを消し去る」までに到れば、自殺はやめさせられます。

過去世で自殺体験があると、今世では自殺しにくくなる免疫機能は働いています。それでも、今世は今世です。どうであれ辛いものは辛いです。逃げ出したくなる衝動の中、どうやったら止められるか考えなければなりません。

先日、お礼とお別れとも受け取れるメッセージを受け取りました。

その方の心理状態を読み取ると、見えてくるものがあります。

①,陰,012,誰も私を愛してはいない。
  陽,002,愛など見えないものなど信じない。明確な物理的証拠だけを信じて生きて行きます。辛いと認めなければ辛くないから平気です。
陰陽,014,ずっと私だけが仲間外れのまま、嫌われ者で生きていればいい。こんな自分大っ嫌い。
②,陰,015,哀しくて何も考えられない。
  陽,016,自分の悪いところが表に出ないようにいじめ抜いている。
陰陽,031,無価値感のまま、誰にも必要とされずに死んでしまえばいい。私なんていなくなれば良い。
③,陰,017,嘘だけついて生きて行けば誰をも喜ばせるに違いない。
  陽,083,相手が喜びそうな言葉や関わりを続けたら、続けられなくなった。
陰陽,100,好きになった人からは愛されたくない。好きな人に負担をかけてないのに死なれるのが嫌だ。
④,陰,019,いつでもあなただけの一番愛される存在でいたい。
  陽,001,私そのものがいなくなれば一番物事の流れはうまく行く。
陰陽,020,好きな人と共にいられない世界ならいらない。

といった心境に塞ぎ込まれていると、関わっていた人の関係を全部断ち切りたいと思うようになります。関わりを断つと、断ってはじめて見えてくる世界もあります。

自暴自棄になったところで、何一つ改善しないとわかっていても心理状態が閉じ込められる感覚が生まれるなら、心理治療が必要です。

上記のような精神状態の人が気づかなければならない物事は、「自分が培ってきた常識が通用しない」という常識を身につけることです。

常識という言葉そのものが、万人が理解出来る解釈のことです。

特定の人しか認識出来ないものであれば「非常識の人」になります。

心を治すことに「非常識」が必要であるなら、その姿になってみることです。

上記の①〜④の心理状態をずっと陥らないように否定し続けていても、否定することが出来ない程まで追い詰められて心が折れてしまうと病んでしまいます。

みんなが正しいばかりではない

特に人付き合いなどになると、この人に通用しても、あの人には通用しないこともあります。許してくれる人もいれば、許さない人もいます。

誰が見たって「絶対にこの解釈の方が正しい」と正義感を出して議論することもないものです。言い負かすことが正しいと思い込んでしまうのです。

そこに許しや愛はありません。

しかし、自分の育てた価値基準を、他者との関わりで変えさせられるような憂き目に遭ってしまうと、心は頑なに開くのを拒むようになります。

「私は間違った生き方はしていない」として、「変えてみようよ」と促す声かけに、断固拒絶で返してしまうのです。

既にうまく行っていない現実が起きていたとしても、ただ自分が追い詰められてしまうため、自分を責め、自分をいじめ抜き、知っている常識で自分を裁きまくり、自己否定が良くないと知りながらも、自己否定せざる得ない感覚から抜けられないのです。

このような自虐が発生するのは、不特定多数の人や、友人とは良好なコミュニケーションが取れても、親密な関係や家族になるとこの限りではないことがあるのです。この他者と身内との関わり合いの差を埋められないため、必要以上に苦しんでしまうのです。

これが厄介な思い違いを引き起こします。

他人とはコミュニケーションが成立している為、家族間やパートナー間で引き起こされるトラブルは自分の解釈の問題としては見えないのです。

自分に非がないと自覚してしまうため、相手側に問題があると疑ってしまうようになります。相手に問題があるなら「他者を責めることで正気でいられる」ものですが、自分に問題がある知恵がついてくると心痛な目に遭うだけになります。

こうなると「死にたくなる」ことも生まれて来ます。

「人付き合いからのミスコミュニケーションが生まれ、喪失感が起き、言葉の整理がつかなくなる」と、誤解が誤解を呼び込み、我慢するばかりが続き、悲壮感に呑み込まれて全てを投げ捨てたくなるものです。

これらストレスは分量として自分と同じ体重の存在を背負って歩いているイメージになります。自分の体重が倍になる生き方など、途方もなく辛いものです。それ故に「自殺」の可能性が高まるものです。

自殺に到る最大の難関は、見えない価値基準に強制的に縛られており、繊細な人ほど体感でわかるものの、解き明かし方がわからない為、苦悩に付き合うしかないものです。

こうした「自殺」がよぎる人に必要なワークは、「最高に人生がうまく行きました」と自分に言葉として浴びせるとよいものです。すると大量の不満が脳内に浮かぶようになり、それを言葉で吐き出して行くと不快感が最終的には軽減されます。全てを洗いざらい吐き出すことが出来ると、「うまく行く」感覚が訪れるように変わり、ワークが終了し「自殺」の価値観が軽減していきます。

抱え込んだストレスが、ストレスを生み出し、ストレスを呼び込み、ストレスが膨れ上がる為、とてつもない心労が蓄積され苦しい故に自殺することもあります。

軽度であるなら「引きこもり」などで済み、回復する道のりを探している状態の方もいます。

重度に陥り易い人として、善悪二元論にこだわっている人がいます。

「いい人」と「悪い人」がいる前提での解釈は多くの人が思うようなものではあるものの、「清らかなもの」は「穢れやすい」という因果関係があるため、「穢れないように防ぐこと、守ること、戦うこと、秩序をもたらし裁くこと」をするに到ります。

「悪いことをしたから裁いていい」とした発想は、やがて他人に向けられていた攻撃が自分に向けられるように変わると止めどもない報復として我が身を襲うため、正気が保てなくなる時があるのです。

そんな苦しみのなさ中に、手を差し伸べてくれる人がいる時「感謝」の感覚が浮かぶか、「詐欺」の感覚が浮かぶかというと、愛溢れる人に触れるほど「詐欺」が浮かび上がりやすいと知識として知っておく必要があります。

この愛してくれ、助け出してくれる人にほど「詐欺」とした感覚が湧き上がり、不平不満が噴出する因果関係を知っていなければ、助かる道もありません。しかしながら、搾取する相手や詐欺行為を本当に働く人に「感謝」や「好意」を抱いてしまう場合もあるとはわからないものなので、窮地に陥ると助かる道が本当にわからなくなるものです。

失われない回復方法は、二元論をやめることがまず挙げられます。

「悪い人はいない」と盲目的に信じろというものではありません。

自分の中にどうして二元論が成立しているのかを考えていく必要があります。

それ以前に、自分自身の中に「否定的感覚は幾らでも持てる」ものの、「肯定的感覚は幾らでも持てる」とはならないバランスの悪さを知ることです。

このバランスの悪さに気づけると、自分は何も知っていないことに気づけるようになります。

そこから学びが始まります。

誰かに助けてもらおう、救い出してもらおうとすると、弱くなり、情けなくなり、一番可哀想な存在として泣き腫らすような体験に身を浸すことをしてしまうものです。

人前でさらすのは恥ずかしいとすると、一人部屋の中にこもり、「しんどい、辛い、苦しい、死にたい」という気分が滅入る呪文を脳裏で唱えて寝るばかりの毎日が続いてしまうのです。

自分の姿がここに書いてあったと気づけると、気づいた意識があなたの真心です。

こんな寝たきりの自分を創造したいのではなかったと奮起してみてください。

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愛が届きますように。




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