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十二神将を考察する⑤因達羅(いんだら)

リーディングマスター・まさみちです。普段から見えないものに関心を持ち、花の精霊や、神社で良く見る聖獣(青龍・朱雀・白虎・玄武・麒麟)などを識別し、それらの力を借りることで気づきをもたらしたり、誤解を紐解くなどして、心理カウンセラーとして働いております。(6/88)

そんな見えないものを認識する力で、薬師如来の十二神将を紐解いたらどんな意味合いが降ろされるか興味津々となって記事に書き込んでおります。

薬師如来は、病気治癒(特に目病)、健康長寿、災難除去、安産祈願、現世利益などで知られている如来です。↓

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福岡美術館より転載

福岡美術館

リーディングマスターとして、薬師如来が伝えることを降ろしてくると「与えられている状況下から動き出すしかないものですから、不平等さを嘆く前に立ち上がりなさい」と、これまた難解なことをメッセージとして伝えてきております。

薬師如来さまは、現世利益の仏さまと認識できますが、真摯に向き合うと、根本的な問いかけを突っ込んで来られる厳しい仏さまでもいます。

五回目は、因達羅大将(いんだらたいしょう)です。

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十二神将は、個別では大将と呼び、その中でも夜叉と神明というものがあります。

夜叉とは、「自由に生きて何が悪い?」と、欲望に従うエゴエゴな姿。

神明とは、与えられている役割や振る舞うべく行いが存在し、嘘を消し去り、真実の愛と共に生きる為に支える目覚めた姿。

一見、「自由に生きて何が悪い?」というのは普通のことです。しかし、自然の流れに逆らうことや、人の欲望の弱さにつけ込み、劣悪な依存状態に陥らせることは違います。また、欲望に呑まれて自堕落になることも健康な心がするものではありません。

因達羅大将(いんだらたいしょう)は、「欲しい」という渇望する心を取り引き材料に使い、純粋さを穢し、理性を狂わせ、識別能力を低下させ、欲を満たす為だけの行為に邁進させてしまい、変化を拒みたくなり意固地になり、人を意のままに操れないと不機嫌となり、嫌がらせをしては自分の思い通りにさせようとする心の姿です。心根の解釈の歪みに気づき、全てを概念を吐き出して心改めることで真実の愛へと導く仏の姿です。

は、自我の思いのままに出来ると錯覚する無限ループのことで、全てが繋がり合い、自分の思考一つ自由に出来ていない事実に気づいていない状態のことを指します。

因達羅は、「こうなったら、こうなる」という因果律といった解釈に執着している為、常識的な概念から抜け出せなくなる問題を抱えています。「人を叩く」→「怒って、叩き返す」という認識を多くの人が持つことを常識と定義すると、「人を叩く」→「ありがとう」という有り得ない結果をもたらすことが仏の役割だとイメージしてください。

また、物事を達成させたいなら、「あれを排除」「これを取り替え」「あっちからこっちへ」「それをこんな風に」といった具合に取捨選択をしていいものを作り上げていきます。達成させる為なら、「嫌なことも我慢する」といった解釈を持っている人がいると思います。しかし、嫌なことは嫌なことである為、どれだけ我慢しても、どこかで暴発してしまうものなので、結果的に達成出来なくなるものです。

因達羅の夜叉は、そうした我慢して頑張ろうとしてもダメになることを伝えるものですし、因達羅の神明は、本音はどう関わろうとしていたのか? 尋ねてみると見落としていた思いに気づけることを伝えるものです。

悟りを開いた薬師如来の導きを受けている「自分自身は、いいものも、そうでないものもも等しく見て、然るべき関わりを持つこと」として、因達羅大将(いんだらたいしょう)を通して薬師如来に祈って、気づきを生み出すものなのです。

自分が薬師如来化するくらいのイメージ力が大切なんですよね。(明王、菩薩、如来というレベルに応じた気づきの起こし方というのもあります)

因達羅大将(いんだらたいしょう)をとても大きな姿としてイメージし、その胸の中心に薬師如来が居て、自分は因達羅大将と同じであり、薬師如来とも同じであるようにイメージします。「真因となる切っ掛けは何だったのか?」という問いかけをするイメージを因達羅大将と薬師如来に投げかけると、対話による気づきがもたらされます。

ざっくり過ぎるほど、ざっくりと紹介しました。

ポイントは、夜叉に墜ちている因達羅(いんだら)という欲に従うだけのエゴエゴの自分の誠実な言い訳を聞き、因達羅(いんだら)という神明に目覚め、真実としての思いを打ち明けて見せる仏そのものになっている自分を高めることが出来ると、薬師如来がサポートしてくれて気づきを促してくれるイメージです。

事例として紹介すると、以下のようなやり取りが出てくるものです。

因達羅夜叉「別に何も困ってないよ」←欲しくないかと勧められたら断る台詞
薬師如来「それは本当ですか?」

因達羅夜叉「本当じゃなくても従いたくないから」
薬師如来「従わなくていいのですか?」

因達羅夜叉「従わなくていいよ、欲しいと感じないから」
薬師如来「どうして勧められたのでしょうかね?」

因達羅夜叉「押しつけて売りたいからでしょ」
薬師如来「勧める相手が自分だとしたら、押しつけたいのでしょうか?」

因達羅夜叉「良いものだから、勧めていると思う」
薬師如来「相手は自分の事を解ってくれない人でしょうか?」

因達羅神明「解ってくれていて、本当に役立つものを見つけてくれた」
薬師如来「誠意を持って接していますか?」

因達羅神明「誠意がありませんでした。もっと話し合います」
薬師如来(微笑んでいる)

というような関わりがイメージ出来ました。
欲と絡むものなので、オススメされることについて問答してみました。
本来はもっと紆余曲折して、本音に辿り着いていくものです。
勧めてくれる相手は、親しい相手と限定した上での内容です。相手が赤の他人であっても、いいものを勧めてくるものです。しかし、時には欲しくなるような仕掛けを組み込めば欲しくない物を欲しくさせる魔術も存在します。
その時だけ、急に欲しくなる感覚になるものがあるのです。
「欲しくないのに、欲しくなる気持ちになること」
これは大変怖いことですが、人は欲しくない物を買えてしまう生き物でもある為、どうにかそうした「欲しくないもの」を退け「欲しいもの」を手に出来ると良いですね。

それには、純粋さに従う因達羅神明でいることです。

前回は珊底羅大将を紹介しました。

比較してみると、民族や文化に根ざす執着から、欲望に根ざす執着との違いが見えてきます。

因達羅大将は、因果関係という証拠や環境という条件下に従うべきものという規律厳しいものに閉じ込めてしまう発想が立ち、言動を大きく制限されます。しかし、規則に縛られると、一方で我慢出来る人もいるものの、その親族に我慢出来ない人を生み出して暴走させてしまいます。過度に禁じると反発や暴発を生むことになる為、価値のない要求や要望などにも応じるなどして、気を緩めるようにしないとより大変な事になることを教えてくれる存在でもあるのです。

ここでは、さらりと紹介するに留めていますが、因達羅大将は、因果関係の大元を辿ることも出来る為、問題の根源を見つけて「何が切っ掛けでこのような事態に陥っているのか?」という追跡調査官のような力も持ち合わせています。

前世など過去世という顕在意識では認知出来ないことも、どんな人でも「昨日のことを覚えるくらいの記憶力はある」というくらいに当たり前に、「前世のことを覚えるくらいの記憶力はある」というような感覚感性も備わっているのが本質なのです。ただ、それを周りも使わなければ、誰も使っておらず、特別な力にしてしまい、当たり前の力にしていないことが力を使うことが出来ない状態に追いやっていると思ってください。

まぁ、前世などの深層心理の問題を紐解かなければ生きられないほど、逼迫した状態でもないので、思い出す必要性もないのが平和な現実とも言えます。

興味関心ある方は、自分で過去世の繋がりなど、転生の歴史を探ってみるのも面白いかも知れませんね。


いかがでしたでしょうか?

薬師如来と十二神将の存在も、手を合わせて拝めばいいってものではなく、それを使っての対話が重要であり、意識の繋げ方、問いかけ一つで解答が変わり、問題の本質を解き明かせる力にもなるので、お寺さんなどに出かけた際には、奉られている仏像を通して、対話してみることをオススメします。

では、また。

リーディングマスター・まさみち。


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