読書記録R5-135『語学の天才まで1億光年』


高野秀行著
集英社インターナショナル2022年9月第1刷発行

高野秀行氏はノンフィクション作家。1966年東京都生まれ。
ポリシーは「誰も行かないところへ行き、誰もやらないことをし、誰も書かない本を書く。」
『怪獣ムベンベを追え』でデュー。

「学んだ言語は25以上!の辺境ノンフィクション作家による、超ド級・語学青春記」だって。
さらに本書の見返りには次のようなことが書かれている。

取材に行く前に必ずその地域の言語を学ぶ。
ネイティブに習う、テキストを自作するなどユニークな学習法も披露。
コンゴの怪獣(ムベンベ)やアマゾンの幻覚剤探し、アヘン栽培などの仰天体験。
言語とはなにか、深く楽しく考察し、自動翻訳時代の語学の意味を問う。などなど。

目次によると、はじめに
に続き

第1章語学ビッグバン前夜(インド篇)
第2章怪獣探検と語学ビッグバン(アフリカ篇)
第3章ロマンス諸語との闘い(ヨーロッパ・南米篇)
第4章ゴールデン・トライアングルの多言語世界(東南アジア篇)
第5章世界で最も不思議な「国」の言語(中国・ワ州篇)

エピローグ
参考文献
おわりに
となっている。

高野氏の行動はアジア、アフリカ、南米などの辺境地帯で未知の巨大生物を探すとか謎の麻薬地帯に潜入するといった、極度に風変わりな探検活動のためであり、そのなかにはノンフィクションの取材も含まれる。だが、目的が達成されるとそね言語の学習も終了すると述べている。
語学(言語)は「探検の道具」であると同時に「探検の対象」にもなっていたという。
そしてこの語学エッセイは期せずして「青春記」にもなっていった。自身の変化と成長は語学によってもたらされた部分が大きいとか。
「言語や言語学としてだけでなく、破天荒な辺境紀行として、あるいは世界の民俗や文化を楽しみながら学べるエッセイとして」と著者は述べている。
確かにその楽しみは味わえた。だが、やはり新たな言語を学ぼうとすると真面目に取り組んでいる。
該当する語学の学校を探して、自分で工夫して学習を繰り返す。教師に例文を吹き込んでもらい、繰り返し聞いて覚えるなど、コツコツと地道な努力を重ねている。

まだこの冒険の早い段階、第二章に「語学の二刀流」開眼!というのがある。
コンゴでの体験で「白人はリンガラ語を話さない」と思われていたのに地元の言葉を片言で話したらウケた。
旅先のローカル言語を話す醍醐味に目覚めてしまったという。
フランス語はコミュニケーションに必須だが、意思や情報を伝達するだけだ。いっぽう、リンガラ語での会話はコミュニケーションを十全にとるにはほど遠いが、地元の人たちと「親しくなれる」のである。
外国へ行って現地の人と交わるとき、コミュニケーションをとるための言語と仲良くなるための言語、この二種類の言語が使えれば最強なのだ。いわば「語学の二刀流」を使いこなす快感を知ってしまった。という。

ところがこの二刀流には「語学の天才」から光速で遠ざかる根本原因も含まれていた。
英語やフランス語で済むところをいちいちそこの現地語を学ぶとなれば、莫大な数の言語を相手にしなければならない。
この彼の言語宇宙は膨張するしかくなったのだ。
コンゴの言語観についての解説も興味深い。
一番上が公用語のフランス語(公官庁、学校、病院)、この下に共通語のリンガラ語(市場、バス、教会、ナイトクラブ)、その下にコンゴ語やボミタバ語などの民族語(家族、親族、村)とピラミッド型にイメージされる。

「どの民族か?」の代わりに「どの言語を話すのか?」を訊くとみんな嬉ししそうに答えてくれる。事実上「言語集団=民族」である。

七年間、大学の学部に在籍し、日本語、英語の他にフランス語、リンガラ語、ボミタバ語、スペイン語、スワヒリ語、ポルトガル語を学んだり喋ったりした。
さらにタイのチェンマイ大学で日本語を教えることになる。
そこで日本でアジア・アフリカ語学院でタイ語の集中講座を受ける。
語学の学習には「近くない」「安くない」「融通がきかない」のが良いという。
さらに語学はスタートダッシュがとても大切。特に未知の言語体系を自分の心身に刷り込むには初期ほど頻度が高いほどいい。ロケット・スタートだ。
彼はここの集中講座が気に入り、中国語とアラビア語も習ったという。(現在はないらしい)

第五章の中の
言語を話すときの「ノリ」もなるほどと思う。

「これはコンゴで始めた「物真似学習法」の延長で、どの言語にもその言語特有のノリとか癖とか何らかの傾向があることがわかる。それが語学では決定的に重要であるということに気づかざるをえない。これを特に話し言葉に関して「ノリ」という言葉で一括する。
言語のノリには文法や言葉の意味使い方のほか、発音、口調、話すときの態度、会話の進め方などが含まれる。」という。

「日本語で考えると、話す態度は目を合わせず、ちょっと恥ずかしげな、おどおどしたような態度をとることが多い。これは日本人が「相手より自分を小さく弱く見せることが礼儀正しい」と思っているから。
少なくとも外国(非母語)の学習者はそれをひっくるめて覚えた方がいい。すると、相手に自分の言うことが通じやすくなり、相手の言うことも聞き取りやすくなる。それが、私の考える言語の「ノリ」である。」
と述べている。

本の最後の方には最近のこととして、自動翻訳ソフトなどにも触れている。
だが、言葉は翻訳さえできればいいのかという問題がある。

通常これほどの言語を学ぶことはないかもしれないが、ここに記されていることは考え方として、私たちが外国の言葉について考えたり、学習しようとする時、参考になるのかもしれない。

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