読書記録R6-53『詩人の旅ー増補新版』

田村隆一著
中公文庫2019年10月初版
(1981年10月PHP研究所より単行本刊行)

田村隆一
1923(大正12)年東京生まれ。詩人。
明治大学文芸科卒業。
戦後詩の騎手として活躍。詩集『言葉のない世界』で高村光太郎賞、『ハミングバード』で現代詩人賞受賞。
他受賞多数。
推理小説の紹介、翻訳でも知られる。
1998(平成10)年没。

目次

隠岐
若狭―小浜
伊那ー飯田・川路温泉
北海道ー釧路
奥津
鹿児島
越前ー越前町・三国町
越後ー新潟
佐久ー小海線
東京ー浅草
京都
沖縄
ぼくのひとり旅論
あとがきにかえて
解説 長谷川郁夫

文体が楽しい。
だいたいいつもアルコールを飲んでいる。
沿線の状況をスケッチするように書いている。
人との交流や眼差しが優しい。
そして、やはり詩人だな~と思う。

解説に次のような記述がある。
(一部要約)

紀行作家・田村さんの脳裡には、「安房列車」の内田百閒と「舌鼓どころ」の吉田健一の二人の存在があったことに疑いはない。三人をつなぐキーワードは、まずユーモア。そして酒である。(略)
田村さんは金色の液体・ウィスキーを好んだが、三人とも究極の味覚は辛口の日本酒。日本の酒文化の粋への深甚たる敬意を抱いていた。汽車は鈍行、あるいは食堂車つきの特急列車、酒とともに過ごす時間の流れが貴い。さらに田村さんには先輩文士二人のレトロな感覚も尊重すべきものだった。そして、文明論の香辛料。三人がそれぞれに戦中・戦後のきびしい現実と対峙したことを思う。

語はどのように甘美でデリケートな抒情語であろうと、それが真の詩であるならば、いかなる最悪の事態に直面してもユーモアの感覚を失わない、文明人のメッセージでなければならない。

とは、若き日の田村さんの言葉だが、詩人はこの戒律を晩年に至るまで、守り続けた。余技のようにも見える紀行の中においても。

解説の長谷川郁夫氏はこのように述べ、さらに言う。
田村さんの旅行のひそかな目的が、夕陽を見ることにあった。

確かに、再訪の地に選んだ若狭。鹿児島。若狭は昭和ニ十年、二十ニ歳の夏を過ごした地。鹿児島は戦時の追懐につながる。

私が個人的に最も興味深く読んだのも若狭。
京都から若狭へのハイヤーの途中、大津の描写が出てくる。
そして浜大津から唐崎。
田村氏は鹿児島の航空隊で予備学生の教育を受けて、昭和十九年の秋に唐崎の海軍練習航空隊に配属されていた!
昨年秋、唐崎に海軍練習航空隊があったと聞いたばかりだ。JR唐崎駅前にはそれを示す石碑もある。

さらに車は進み、上中から小浜に至る区間が若狭文化の中心であるとの記述。
遠敷川の水が奈良の東大寺のお水取りの神事に関係している。
坂上田村麻呂が建立した国宝の明通寺羽賀寺、多田寺、妙楽寺、円照寺など、奈良朝以来の名刹がいくつも現存しているという。

伊那への旅の話も面白い。
特急「あずさ」で野間夫妻と前後の席になった様子。ばら色の雲と飯田線での伊那谷、山々や段丘畠。

この本を読んでいて、途中で何度も読むのを止めて本屋さんに買いにいこうかと思ったが、我慢して最後まで読んだ。

3/29 西野廣志さんからのご紹介。
ありがとうございました。

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