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【Vol.1】 ビジネスを4度、成功させても、まだチャレンジし続ける理由

こんにちは、子安です。

私はビジネスを始めて
29年が経っています。

大学を辞めてから事業意欲が旺盛になり、整体ヘルス事業、海外事業、投資事業、コンサル事業
と様々なビジネスを手がけてきました。

国内だけに留まらず
海外にもビジネスを展開しています。

「自分のやりたいことは
 どんな状況であっても必ず実行する!」

この性格もあり、私の半生をかけて
ここまで来ることができました。

そして、
4回もビジネスで成功させて貰いながらも

尚、「いつまでもチャレンジャーとして
 挑戦していきたい!」

この想いが胸のうちから
いつも湧き上がってくるからこそ

ついに私も5回目の
新たなビジネスチャレンジを
始動することを決意できました。

1992年〜95年:21歳 レストラン、小売事業 成功
1998年:28歳 整体ヘルス事業 国内外展開成功
2017年:47歳 海外事業・投資事業 
2021年:日本地方活性化プロジェクト始動‼️

思い立ったらすぐ行動が私のモットー


これまでにも私は、
コネなし、人脈なし、金なし
の状態から事業を成功させてきました。

例えば、私が整体師を始めた頃は
整体師なんてほとんどいない時代です。

無いのであれば、
学校を作り、生徒や指導者を集める
ところから始めていきます。

そうして何とか形になっていき
年間500人以上の卒業生を創り出し
卒業生の雇用先も私が提供しました。

結果的に10数社、15事業、子会社と
スピード展開に成功しています。

なぜ私がここまでの成果を
出せたのかというと・・・・

ワクワクすることでヒトは
あらゆるものを手に入れることが可能なんだ。と知っているからです。

誰しも楽しみながら生きていれば
結果を引き寄せることができます。

もちろん、私も人生を
楽しみながら生きてきました。

その秘訣は、
素直・誠実であることです。そして好奇心です。

そうすることで、
一人ではなく仲間も集まり、
最高の人生を走ってきました。

経営者になって25年、
多くの成功体験を積むことが出来ています。

今の自分が読者さんに
お伝えできることは、

・魂の叫びを伝え続けること
・私があなたに勝つため方程式を伝えること

この2つだと感じています。

とくに今の若者たちは人生に迷いに迷い、
楽しめていない人が多いです。みたされすぎているからかもしれません。

もちろん、私も迷わなかった
わけではありません。

私は幸いなことに、

幼少期の頃から遊びの開発を創造していました。

だからこそ私のクリエイティブ精神が
養われていったんです。

1970年3月に私は
横浜市南区という街で生まれました。

幼い頃は親の転勤で
千葉県、君津市、茂原市と移り住み

週末はよく、海や山に
出掛けていたのを覚えています。

もちろん、それは
アウトドアライフな両親だったからです。

私が3歳位の時ですが、
通っていた保育園に

シンボルとも言える巨大な象の滑り台が
ドカンと園庭にあったんです。

その巨大な象を相手に仲間たちを集め、
戦ったり、自分達で遊びを開発して、
飽きずに遊び狂っていました。

また、この頃は社宅に住んでいた事もあり、
父親は毎日毎晩、会社の仲間たちを連れ、

夜な夜な自宅に集まり、
麻雀や飲み会を繰り広げていました。

母親もそれに
付き合わされていた感じでしたよ・・・

なので、私は

365日、酔っ払った大人たちに
囲まれているのが日常でした(笑

一人っ子の一人息子なんですが、
今、思い出しても

「大人たちに手荒に扱われながら、
 逞しく育った環境だったなぁ~」

と・・・・・。

小学校に入学すると同時に横浜に戻り、
祖父母と両親との二世帯で暮らし始めました。

小学校時代は、落ち着きのない、
話し好きの、やかましい子供!

という評価でした。

お陰さまで
6年間連続評価を頂きました。

これは治りませんよね~~汗

夢中(バカ)になりきれる
体験を得られた学生時代

当時の私は1年生から
町内の野球部に所属して

そんな落ち着きのない、
話し好きなやかましい
スポーツ少年でした。

夜遅くまで、外で野球や遊びや、探検やらと、全く時間が足りない毎日でした。

小学校6年生の時、
人生最大のモテ期が到来したんです。

「バレンタインデーが最高潮に達し、
 チョコを50個以上貰った」

という快挙を達成しました!!

周りの友人に冷やかされちゃいました。

アレは後にも先にも
モテ期とは、こういう事なんだ。と一度だけ感じる事が出来ました!

良くも悪くもハイリスクだった中・高生時代

中学時代に通っていたのは、
指折りの素行の悪い有名な中学でした。

校庭にはいつも改造バイクにまたがる
不良生徒たちが何人もたむろい、

授業を中断させ、暴れ回る
という光景も日常茶飯事でした。

「やったぜ!自習だ、自習だ~!」

その度に喜んでいたのが私です。

私も決して真面目な学生とは言えず、
ヤンチャなほうでしたので、
振り返るとよく遊びましたね。

一方で勉強には全く興味が湧かず、
遊んでばかりいたため、

成績が悪いことで母親が学校に何度も呼ばれ、
担任に何故か母親が指導されていたようです。

さすがにマズイと気付いたので、
塾に通いながら猛勉強して、

なんとか甲斐あって
地元学区の進学校に入学します。

ここからは部活に目覚めました!

「ラグビー部に所属し、
 毎日遅くまで練習に明け暮れていました」

この時代のラグビーを通じて学べたことは、弱小チームを強くする為の独創性のある練習をクリエイティブすること。また、チームメイトのモチベーションをコントロールする事も試行錯誤しながらやり続けました。

チームワークの在り方も苦労を重ねながら、組み立てていった時代でした。

バカになりきるってことを
覚えた時代でしたね。

難題をクリアする際って、どこか、ユーモアを交えつつ、相手をマネージメントする事って、重要なんですよね。憎めないキャラになりきるのも・・・・。

だから『面白いヤツ、楽しいヤツ』って思われたい気持ちはこの時代、特に強かった気がします。

大人になっても夢中(バカ)に
なりきれることはできる!キャラ変は可能です。

私の幼少期の話から読みとれたように 


ヒトは夢中になることさえ出来れば、

その瞬間からワクワクでき、
夢や希望が自分の中に芽生えて
人生が加速的に楽しくなります。

そのためにも自分が

・本当にやりたいこと ・時間を忘れるもの
・好きなこと  
・夢中になっちゃうものを

自分の内側から
見つけ出していく時間が必要です。

これまで私は人が急成長していき
年齢問わず、ヒトの可能性が広がる瞬間を
たくさん見てきました。

今後も私は、ヒトの可能性を信じ抜き
走りまくりたいと思っています。

自分が夢中(バカ)になれるヒントを
このnoteで書き続けていくので、

自分の可能性を広げたい方は
次回の投稿も読んでみてください。

長文お付き合い頂き有難う御座います!

追伸

起業塾アカデミー開講間近!の記事UPしましたhttps://note.com/re_lifestyle/n/n05950c22692a


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