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ほんとうの私。

誰かに聞いて欲しい話がある。
本当の私と、私の愚かな行動の話。

それは、きっと私の生きづらさの原因であり、私が私を憎む理由。
本当の私は、汚く、醜く、ずるい。

これは過去の話じゃない。
過去も今もずっと私の中にあるもの。
だから、思うようにまとめることが出来ない。
これから続く文章も、きっとまとまりのない分かりにくいものになると思う。

それでも今、心の中から本当の私を引っ張り出してここに文章を書いているのは、もう私という人間を諦めたいと思ったから。

この世から私がいなくなった後だったら、本当の私を知ってもらっても構わないと思った。
本当の私を知れば、誰もが私を嫌うだろうけれど、私がこの世からいなくなった後だったら別にいいかもしれないと思った。
むしろ、私がどんなことを考えて生きていたのかは知ってほしい。

私の記憶が、永遠に私の体という器に閉じ込められてしまうのは怖い。
生きているうちに、本当の私を目に見える形にして自分の中から出してあげることが、私が私のためにできる最期のことだと思った。

この時点で、だいぶ前置きが長いけれど、はじめての投稿だから、少し説明をさせて欲しい。

私はずっとこのnoteを、自分が死んでしまった後に、私という人間はこんなことを考えて生きていたんだと親しい人に知ってもらうための、自分の考えを書き溜めて置く場所として使用しようと思っていた。
言ってしまえば自分の遺書のような、?

普通にメモだったりWordだったりに残しておくことも考えたけれど、結局noteを選んだのは、ただの私のモチベーションの問題。笑

という訳で、内容的には私の考えていたことをただズラズラと並べるだけの、とても個人的なもので、誰かに向けたメッセージではない。
だから私の投稿は、読んでも1mmも利益はない。
ってだけ言っておく。笑


さすがに前置きが長すぎるので、そろそろ本題に入る!



なんの利益もないのに、読み進めて貰えて嬉しい。
ありがとう。


私が憎む私の存在を赤裸々に語っていこうと思う。
私は小さい頃から、自分が人に心配されていると気づいた時、大きな安心感と満足感を得るタイプの人間。

本当に小さい時からそんな子供だった。
だから私は心配してもらうためだけに、何度も何度も嘘をついて生きてきた。

心配してもらうためなら、病気になったって入院することになったってかまわない。
むしろ心配してもらえるならなりたい。

私は、本当はそんなことを思ってしまうような人間。
病気と闘っている人、入院している人からしたら、じゃあ変わってくれという感じだと思う。
きっと私には想像もできない苦悩を抱えているんだと思う。
病気になりたくてなった人なんていない。
どうしようもない憤りを感じるだろう。
その人たちのことを考えると、より一層自分が愚かで、わがままで、強欲で、汚く思える。

そんな愚かで、わがままで、強欲で、汚い生き物が私という人間。


私の頭の中はいつも何かしらの妄想であふれている。
たいていは、弱い自分のことを誰かが守ってくれる、助けてくれるシチュエーション。
誰かに心配されるシチュエーション。
言ってしまえば、悲劇のヒロインのような。

可哀想な自分をヒーローが助けてくれる。
そんな想像ばかり。
でも、そんな想像をすればするほど、虚しくなっていくことに私は本当は気づいている。
想像すればするほど自分が惨めになる。
どれだけ想像したって、それが現実になることはありえない。
そしてそんな想像をすること自体、一般的によく思われない。
私はきっと不幸を求めている。
心配してもらうために。
安心するために。
安心できることが幸せ。
私は幸せのために不幸を求めてる。
今この瞬間も、私が求めるものに苦しんでいる人がいるのだから、私が求めているものは、きっと求めるべきでは無いもの。
そして私の言う不幸を求めた先の幸せなんて、きっと本当の幸せではない。

私には、こんなにも恵まれた環境があるのだから、それに感謝して、のびのびと真っ当に、真っ直ぐに生きていけばいいのに。
本当はそう分かっているのに、私は安心感を求めて嘘をつく。


私は今まで、世間一般的に人が心配するようなことが自分に起こった時、うれしいと思ってきた。
心配して貰えるエピソードが自分に出来たと思ったから。

記憶にもしっかりのこっている出来事で、2つ例をあげる。

1つ目。
自分と姉の父親が違うと知った時。
中学1年生の冬だったと思う。
自分の母子手帳を探していた時、たまたま姉の母子手帳を見つけて、勝手に見た。
父親の名前に修正ペンで消された跡があった。
怪しく思った私は姉の幼少期のアルバムや検診の時の紙を漁った。
そして、姉が2歳の時の歯科検診の紙、父親の欄に書かれている私が知らない男性の名前を見つけた。
私が聞いたこともない苗字に続く、母と姉の名前。
見つけた時、1番最初に私が感じたのは、嬉しさだった。
私に不幸なエピソードができた。と。
このエピソードを使って泣ける。と。
大人に心配してもらえる。と。
もちろんショックもあった。
自分と姉の父親が違うとは考えたこともなかったから驚いた。
でも、1番強い感情は嬉しさだった。
呆れる。

私は実際に、当時の担任にこのことを話した。
可哀想な子を演じて。
泣きながら。
かわいそうだと思われたかった。
守られたかった。
弱くありたかった。
心配されたかった。
もっと私を見てほしかった。

中学3年生の冬、別室登校を始めてしばらくたった頃、どんな話の流れからだったかは忘れたけれど、別室の担当だった先生にこのことを話した。
この時は、泣きながらではなく笑いながら話したのを覚えている。
先生は心配そうな顔をして私の話を聞いてくれた。

高校生になってから、信頼できる先生に出会った。
この先も少し出てくるだろうからA先生と呼ぶ。
A先生にも、この話をした。
先生は、「ショックだったんじゃない?」とまた心配そうな顔をして話を聞いてくれた。

ショックだといったけれど、本当はショックなんかじゃなかった。
私にとってこのエピソードは、好きな大人に心配してもらうための道具でしかなかった。


2つ目。
性被害と呼べるのかわからないけど、そういう出来事が起きた時。
中学3年生の秋と高校1年生の春の2回。
どちらも、Bくんという中学の時同じクラスで頼りにしていた人とのことだった。

1回目は、近所の公園で。
最初はただ話していただけだったが段々距離が近くなって、最終的に体を触られた。
上も下も、服の上からも服の中からも、体中触られた。

驚いたし逃げたけど、恐怖を感じたかと言われれば別にそういうわけじゃない。

抵抗したのは、本当に嫌だと思っての行動だったのか、”襲われかけて抵抗した”というストーリーを作り出すための行動だったのか、未だに分からない。

自分を可哀想な子に仕立て上げる道具ができたとどこかで思っていたのかもしれない。
至って冷静だった。
私は冷静に証拠を残そうとその時の一部始終を録音していた。
今でもその音声を無心で聞くことができるくらいに、恐怖という感情は皆無だった。
今でも男性が怖くなることは無いし、フラッシュバックなんかも起きたことはない。

そして2回目は、私の家で。
急にBくんから「暇だから家いっていい?笑」と連絡が来た。
コロナが流行し始めて、休校中のことだった。
いやだといったけど、割とすぐインターホンがなった。
出なければよかった話。
それでも出たのは、また彼に襲われかけることを察していたからかもしれない。
また私は、心配してもらう道具を作ろうとしていた。
案の定私は、また襲われかけた。
体を押し倒され、触られた。
前回よりも確実に力が強くなっていた。
抵抗ができず、さすがに少し恐怖を感じた。
「殺す気?笑」とふざけて聞いた時「うん」という返事が返ってきたのは、さすがにぞっとした。
しばらくすると、急に彼は我に返ったかのように自分のことを責め始めた。
何度も謝られた。

「ごめん」という彼に「ごめんとかただの言葉じゃね」といったのを覚えている。
そういった時の私は、明らかに怒りの感情とともにその言葉を吐き捨てていた。

「もう俺の信頼ないよね」という彼に向かって
「そんなのずっと前からないよ」といった時も明らかに私の中には、怒りのような感情があった。

でもよく考えれば、こうなることを察しておきながらドアを開けたのに、なに被害者みたいなこと言ってんだと思った。



自分と姉が異父姉妹だというのを先生に話したのと同じように、私はこの出来事も何人かに話している。

1人目は1回目に襲われかけた2ヶ月後にできた彼氏。
この彼氏とも一悶着あるのだけど、今回は割愛。


そして、高校生になって、高校の先生2人にこのことを話している。
1人目は女性の先生で、2人目はA先生。

先生に話した時のエピソードは割愛せず、書き残しておこうと思う。


高1の時、クラスの男子がグループラインに性器の写真を送りつけてくるなど、クラスの女子に対するいたずらが過ぎたことがあった。

私はその時ふと、自分を可哀想な女の子に仕立て上げる方法を思いついたのだと思う。
先生が心配してくれるか、どういう行動をとってくれるか気になった。
心配してくれる大人が欲しかった。

わざと手を震わせて、暗い教室に座り込んで動けないふりをして下校時刻を過ぎるのを待った。
下校時刻を過ぎたあたりで、れみがいなくなった!と先生たちが探し始めて、見つけてもらった。
泣いて先生を心配させた。
その日は、後日女性の先生と話がしたいとだけ言った。

これは余談?だけど、担任と話しているとき、当時生物基礎の担当だった先生がわざわざ様子を見に来てくれた時は、とてもとても嬉しかった。


後日女性の先生にクラスの男子のいたずらが過ぎていることを話した。
自分が中学の同級生(B君)に襲われかけたという経験談とともに。
今回のいたずらで、襲われかけたことを思い出して辛い。と。
だからこの前は、暗い教室で立てなくなってしまったんだと。
嘘をついた。
心配してもらうために。

後々A先生とも、クラスメイトからのいたずらの話の延長線で、この襲われかけた話をすることになる。
先生には、怖かったでしょと言われた。
しかし私はその時、初めて人に本音を話してみた。
正直に怖くなかったこと、姉と父親が違うことも知った時嬉しかったんだと、そういう人間なんだと、正直な気持ちを話してみた。
先生は少し眉をひそめて「いや、怖かったんだと思うよ」と言った。
そう優しく言葉をかけてくれたこと自体はうれしかった。
でもあぁこんな気持ち理解してもらえるわけないよな。と改めて思った。
何を期待しているんだろうと馬鹿馬鹿しくなった。自分が嫌になった。

だから「うん。怖かったのかも。どうしていいか分からなかった」と泣いた。
もちろん噓泣きだった。


2つ例を挙げただけなのに、長くなってしまった。笑
でもこれで私の醜さを分かったもらえたと思う。

これだけではない。
思い返してみればこんなエピソードがまだまだ出てくる。

A先生に自傷がバレた時、私はバレてしまったようにふるまっていたけど、あれはわざとバレるように仕向けた。(これは流石に先生もわざとだって察してそうだけど)

幼稚園に通っていた時、避難訓練の後は必ず元気のないふりをした。
そうすれば先生が「どうしたの?」って声をかけてくれることを知っていたから。

これもまた幼稚園生のころ、わざと傷を作って「これどうしたの?」と聞かれたとき、「壁にとげが生えててね、それに擦っちゃった」とかいうよくわからない嘘をついて心配してもらった。(嘘がよくわかんなすぎてちょっとうける)

地震が起きた後は必ず泣いた。
「ママとパパが帰ってこないかもしれない」と言って泣くこともあった。
泣くほど怖いわけじゃないのに。

小学生になって、クラスメイト何人かと教室の端っこで怪談話をしていた時、怖いと言って泣いた。
もちろん先生に心配してもらうための嘘泣きだった。

習い事のレッスン中、毎回体調が悪いふりをした。
友達が心配してくれるのが嬉しくて。

まだ生理が来ていなかったころ、早く来てほしいと思った。
体調が悪ければみんなが心配してくれるから。

鼻血を口に流して血を吐いたと嘘をついて友達を心配させた。

元々鼻血が出やすい体質ではあるけれど、わざと鼻血を出した。
一度鼻血が出れば、すぐには止まらないように何度も傷を付けた。
鼻血なんか出ていないのに、出たふりをして「ごめんちょっとトイレ」と言って輪を抜けたこともある。

自分の体を壊すためにカビを体内に入れたこともある。

前向きに頑張ろうと決めて進んでいた時でさえ、どこかで“年を重ねれば病気になる確率だって上がるだろう”とかいう訳の分からない考えを頭において、それをモチベに生きていた。

挙げればきりがない。

私はそういう人間。
小さいころから嘘ばかり。
息を吐くように嘘をついて生きてきた。
偽りだらけの私は、もう何が自分の本心なのかも分からない。


私が「こんなことがあった」と話せば、みんな「辛かったね」と言ってくれる。
でも私が、本当に辛かったねと言ってほしかったのは、いつだってそこじゃない。
私が本当につらいのは、そうやって人に心配してもらいたくて、人の気を引きたくて、当たり前のように嘘をついてしまう自分の行動そのもの。
でも自業自得。
こうやって、本当につらいのは…なんて言っている今のこの行動すら、心配してもらいたいが故のものかもしれない。
私はもう、自分が分からない。

こんな気持ち、誰にも理解してもらえないことは分かっている。
理解してもらえないどころか、怒りや憎しみを感じる人もいることも分かってる。
分かっているから今まで心のうちに閉じ込めてきた。

こんな考え方しかできない私を、私がこの世で1番憎んでいる。
生きていても、死んでからもこんな私を私は一生許せない。
小さい頃からこんなことを考えて生きてきたのに、私は今更何をどう変えればいいんだろうか。
私は今どういう状況にいるのだろうか。
何から始めたらいいんだろうか。
ぐちゃぐちゃに絡み合ってもうほどけない。
どうすれば救われるんだろうか。
どうすればいいのかわからない。
きっと本当は自分を諦めきれないでいる。
救われることなら救われたい。
でも、自分を救ってあげられるは結局のところ自分しかいないのだと思う。
私は、自分を救うことはできない。
でも、そもそも救いって何なんだろう。
私は救われてもいい人間なんだろうか、そもそも私はすでに救われたところにいるのではないだろうか。
だってこんなに恵まれてる。
不幸になりたがっていたのは、自分。

ここから先は、もうまとまっていないからただ頭に浮かんだことを書き殴る事になりそうだから、この辺でやめておこうと思う。


こんな考え、こんな自分、許されないことは分かっている。
でもほんとうは、誰かに許されたかったし、本当の意味で幸せになりたかった。

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