親愛なる君への追悼文


友人が亡くなった。今年2回目の訃報だった。驚くと同時にどこかで「ああ、またか」と思った。もう聞きたくない。


大学に通っていた頃仲良くしてくれていた内の1人だった。彼は腹黒くて、口は悪く、会えば悪口を言われていた。LINEですら悪口を言われていた。愛のあるイジリなんかではない。本心だったんだろうな。でも、思ったことを素直に口に出すのは悪いことばかりではなくて、良いことも真っ直ぐ伝えてくれた。優しくて、ズバ抜けたユーモアセンスがあった。そこがみんなに愛されていたんだろう。


頻繁に会っていたわけではなかった。年に1回共通の友人たちと飲みに行く程度。誕生日の近い我々は互いの誕生日を祝っては、飲みに行く約束を取り付けていた。来月迎えるはずだった誕生日も祝う予定だったのに。


実感の湧かないまま通夜に参列してきた。広い会場にはたくさんの人が駆けつけていた。会社でも、プライベートでも彼は愛されていたようだった。彼はどうにもうっかり愛さざるを得ない人柄を持ち合わせていた。まんまと愛してしまったうっかりさんたちの表情は悲しみに暮れていた。そりゃあそうだ。わたしもそう。


エントランスに並ぶ彼の思い出の数々。婚約者との写真。高校時代に貰ったであろう色紙。彼の好きなサッカー関連の物。飾られた写真のほとんどがあまり写りのよくないもので笑ってしまった。もっと良い顔してよ。ああ、実物がいい人って写真写り悪いって言うもんね、ごめんごめん。

彼が婚約者に宛てたラブレターも飾られていた。見てるこっちが恥ずかしい。ニヤニヤしながら黙読して、不謹慎ながらもザマァみろと思った。早すぎたんだよなあ。わたしには悪口ばっかりだったのに、婚約者には素敵な言葉を書き連ねていて(当たり前だ)、彼にも純粋に人を愛する心があったことを知る。こんな形で知りたくなかった。


彼の人生におけるわたしの存在スペースはきっと「その他」の中のほんの僅かな、あってないようなもんだったんだろう。でも、こんなことになった今、わたしの人生における彼の存在スペースは少し面積を増した。ズルいよなあ。これからは減る一方なのかな。そんなんわたし次第か。


いい思い出ばっかりだよ。君は覚えていたんだろうか。ふとした瞬間に思い出したりしたんだろうか。きっと渋い顔しながら「あ〜 あったあった。懐かしいね」なんて言うんだろうな。都合の悪い思い出は自信に満ち溢れた表情で「ないないない。そんなこと絶対になかった。嘘ついちゃダメだよ」とか言うんだ。脳内再生余裕。ふざけんなよな。最早確認のしようもない。


彼がどんな気持ちでこの世を去ったのかなんて誰にも分からない。悲しすぎるけど、彼がどんな風にこの世を去ったのかも分からない。だから、かわいそうにとか、志半ばで悔しかったろうな、とか軽々しく気持ちに寄り添うことなんて出来ないししたくない。爽やかなJ-POPみたいに彼の分まで生きる、みたいなこともしない。彼の気持ちは、彼の人生は、彼自身がずっと大事にすればいいんだから。わたしが少しだけ触ることのできた、彼の人生のほんの僅かな時間を、わたしが大事にすればいいだけだし。


最期に見た顔は穏やかで、本当に寝ているみたいだった。タッチのあの名言は本当なんだね。起きてくれたらいいのにって、ちょっとだけ悪口も言ってみた。起きないんだな、これが。当たり前なんだけどさ。わたしただの性格悪いやつみたいじゃん。どうしてくれんのよ。最後の最期に棺桶に手を添えながら言った自分の「バイバイ」が果てしなく悲しかった。


帰り道に会場で流れていた、恐らく彼が好きだったであろう曲を聴いてみた。お互いの音楽の趣味も分からないくらいの仲だったけど、それでも仲良くしてくれて嬉しかったな。今の私には君がどれだけいい奴だったかをみんなに伝えることしか出来ないから、そうしてみたよ。うまく伝わったかしら。伝わってなくても怒らないでね。ああ、そうそう、サ行がthの発音になっちゃう滑舌の悪さが嫌いだけど、君のだけは好きだったんだよ。え?それはないって?


その曲は有名で、わたしも知っていたので少し大きめの声で歌いながら帰った。涙は出ないけど、声が震えちゃってあんまり上手に歌えなかった。(そういえばいつか行こうっていってたカラオケも行けなかったな)勝手にリピートになって2回目のイントロが流れ始めたので、「勘弁してよ」と言って絶対に彼が聴かなそうな他の曲に変えた。腰の痛みのせいにして顔を歪めた。