見出し画像

スキキライの元はスキキライ

よいことをしたい

人のために行動したい

称賛されたい

いろいろな【したいこと、なりたいひと】。高い倫理観を持って、「自分はこうでなければならない」と思う人もいるし、人の行動や結果を見て、「あんな生き方をしたい」「あんな人間になりたくない」と思う人もいる。

ひとはそれぞれ別な物差しを持っていて、その物差しは、これまでの自分の人生で出会った人、体験した事の積み重ねでできている。

ということは、

これから先の人生で、出会う人、体験する事で、その物差しの形状が変わる事もありうるわけですよ。

人間は基本的に群れを構成する生物で、一人でいる事が好きな人も、自分の価値観を理解、共有できる人だと判断すればその人を受け入れる事ができるし、みんなでワイワイが好きな人も、どうしても受け入れることができない人と一緒にワイワイはしたくないので、その群れには近づきたくないと思う。

さて問題です。ワタシのスキは何でしょう?

【よいことをする】のが好きなのではなく、【よいことをする人だと誉められる】のが好き。

【人と違う道を歩む】のが好きなのではなく、【人と違う道を歩むヤツだと感心される】のが好き。

【人に道を指し示す】のが好きなのではなく、【迷い子に道を指し示し、感謝される】のが好き。

ようするに【好感を持たれるのが好き】なんです。が、

誰でも万人に好かれたいと言う気持ちはある。はず。けれども、「ちょっとこの人は受け入れられない」という、個人の価値観による人間のスキキライはあるので、「この人に好かれたくない」という感情も湧いてくる。本来は嫌いな人から好感を持たれるのが、その人に対する感情を修正する絶好のタイミングなのだけれども、嫌いの感情が強すぎて、嫌われ続ける行動を無意識に取ろうとする自分が居る。

結局は、【好きな人から好かれたい】のがスタートで、その人を好きになる切っ掛けが、今の自分の物差しで【大好きポイント】の枠に当てはまった結果であって、見た会った瞬間に、「アナタ好きーーー!」ってなってるワケではない。

物差しの基準が、【スキ目盛り】。

逆に、「こんなハズではなかった」「今の自分が嫌い」「自分にこんなことを言ったしたアイツが嫌い」の物差しを持ってる場合は、【嫌いなポイントがあるか】が唯一の判断基準になるので、最良の結果が出ても【嫌ではない】にしかならない。好きな道を歩んでいるワケではなく、嫌いな道に泥を投げつける人生になる。

【好きなことをして生きる】と表明する人の言動が、自分を否定する人たちへの恨み節に終始してしまうのは、物差しの目盛りが【キライ】しか無いから。好きなことができているのなら、特に不満はないハズ。

所属欲求と承認欲求の狭間に揺れている内は、他者からの認識が己の行動、感情に大きく影響しますわな。

目盛りを【スキ】に書き換えよう。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?