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生きてあげてる。

「死にたい人間が生きてあげているから、感謝してほしい。」

先日、彼女が私に向けて発した言葉。
確かにそうだなと思いつつダメージをくらう。
どれだけ本気だったかは分からないし、
こう言われたからといって、
関わることをやめようとは思わない。
だけど、
考えれば考えるほど侵襲的な言葉だなと感じている。
私は、彼女が「生きる」ことに携わっている。

先輩に話したら、
「それは思い通りにならない彼女の無力感の投影だろうね。」
と言われた。
頭で理解できても、
心のダメージが完全に回復することはない。


「死にたい」という言葉は、
「時として暴力的である」と教えてもらった。
彼女は毎日のように、
「生まれてきたくなかった。明日心臓が止まることだけを祈って寝ている」と言う。

一方で、
「人に迷惑をかけるのだけは嫌。最後は体が悪くなって病院で死ぬことが一番迷惑のかからない死に方だと思う。家で腐卵臭がする状態で見つかることだけはしたくない。だって、見つけた人に悪いじゃない。」
とも語る。

私は、
後者の言葉が彼女の本心だと思い(思い込んで)、
接している。

彼女はこれまでたくさんの本を読んできており、
多くの言葉を知っている。
彼女の言葉はウィットに富んでいて、
会話に飽きることはない。
彼女はが手掛ける編み物の作品は、
とても緻密で精巧である。

接していると、
死にたいと本気で思っていないことぐらいわかる。
それでも、思い通りにならないことがあると、
「死にたい」と表出する。
理解していても、時々、面食う。

自分の感情や意識の構造に着目することが、
苦しくも必要なことであることを日々実感。

「私ってどんな人間なのか」
新しい場所に身を置いた今、
ちょっとずつかけらが見えてきている感覚もある。
だけど、
それは「今」この瞬間の私のかけらであって、
明日の私にとってはまったく親和性がないかもしれない。

たとえそうであっても、断片をかき集め続けなければやっていけない。
そんな場所に身をおくと決めたのは自分。

数年後の私が読むための文章として。

2023/9/26




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