何者でもない。
結局、自分は何者でもない。
最近はこんなことを考えるようになりました。
というか、今までの自分が思い上がりすぎていたのです。
看護師3年目が終わろうとしていて、
これまで自分がnoteに残してきた言葉を振り返ってみましたが、過去の自分は偉いかもしれない。
純粋に素直に看護に向き合った結果生まれた言葉がたくさんありました。
働き始めてから、今が一番、心が空っぽな気がしています。なぜ自分がそのような状況になっているのかわかりません。
結局自分は、看護師として看護を好きなフリをしていただけなのか。人が好きなフリをしていたのか。
本当はすごく面倒くさがり。
そんな自分の一面に目を背けてきたことを自覚しています。自分で自分を買いかぶりすぎてきたのです。
日々イレギュラーが起こる現場ですが、3年目ともなれば、それなりに慣れが生じてきます。
どんなことが起こっても、優先順位をつけながら、淡々と対応できるようになってきます。
一つ一つの仕事にかかる時間の見立も実際とズレがなくなりますし、変化が起こってもその先のフローがわかることも多くなって、仕事にかけるエネルギーは少し減ったような気がします。
でも、だからといって、以前の自分がしたかった
「納得いくまで看護を考える」ということをしているわけではない。
一見全うに見える答え探しが上手になっただけ。ちょっとだけスピーディーに考えた風なことを書けるだけ。型にはめることが上手になっただけ。
自分のなすことはどんどん中身が空っぽになっています。本質的には何もできるようになっていない。むしろ退化している。
入職する前、「患者さんが主語」と何度も学び、何度も共感してたけど、気づけばいつも看護師が主語の看護を提供している気がします。組織としてもそれが求められることがある。
ずーーーっと違和感を感じていますが、違和感を感じることに疲れて、麻痺してきたのでしょうか。
自分の思いに気づかないふりをして生きた結果がこれなのか。
結局自分は何者でもなく、社会・組織の一コマとして、ただ流れていく時間に身を任せて体を動かして呼吸しているだけ。そんな風に感じるときがあります。
病んでるようで実はなにも考えてない。
せっかくなので、空虚な自分を残しておこうと思いました。
2023/1/11
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?