沖縄本土復帰50年☆沖縄の記憶をたぐり寄せる
今回は、 今日5月15日の沖縄本土復帰50周年に寄せて書いてみたいと思いました。
私は本土復帰の年に生まれたので今年の秋で50歳となります。(沖縄生まれという訳ではないから復帰っ子とは言わないかな?)
ここで両親のことを初めて書きますと、父は大阪出身で母は宮城出身。大恋愛結婚です。
母は宮城を出て大阪で就職しました。
その職場で父と知り合い恋に落ち私を身ごもります。それが沖縄本土復帰の年、母21歳。
母より8歳年上の父は当時既婚者でしたので、母は産まない選択も考えたそうですが、何やかんやで堕胎も間に合わない時期に入っており、父は離婚して母と一緒になる決意を固めたそう。(父に子供はいませんでした)
母の話によると、沖縄へは本土復帰直後に社員旅行か何かで訪れているということでした。(私がお腹にいる時に)
この流れで行くと、私はその年の秋に大阪で生まれる予定だったようですが、宮城の祖母が体調を崩したため (喘息)、母は急遽帰ることに。そのまま里帰り出産となりました。
父は離婚して母と再婚。大阪を離れて宮城で暮らすことを選びます。結婚記念日は春分の日の宇宙元旦です。(結婚式はしていません)
ですので、今年は両親の結婚50周年の金婚式でもありました。
ということで、生まれる前から私は落ち着かない感じでしたね。。移動移動で、すでに風の時代をやってた感じです(笑)
きっと、どうしても宮城で生まれたかったのでしょう!
驚くべきは母の大胆な行動力です!
さすがは牡羊座です。父はドラマチックなことが好きな獅子座ですし。
宮城で生まれる事を選んだわりに、私はそこに落ち着くこともなく、22歳の時に沖縄に短期で移住後、また宮城に戻り、その4年後に上京。今も東京に落ち着いています。
私が20歳位の時に、沖縄ブームというのがありましたが、当時はそれに完全に乗っかった感じです。
1992年に初めて沖縄旅行をした時に衝撃を受けて、強烈に移住したいと思っていました。
父の知り合いでづてに、沖縄の着物の紅型の染師へ弟子入りの話も来たのですが、沖縄に行く前にまず京都で下働きをすることになる、ということで、父がバッサリ断りました(笑)
当時はかなりショックでしたが、拘束が嫌いな私はきっと逃げ出していたに違いありません!(あれは正しい流れでした)
その後チャレンジャーな私は、自力で西表島に行き民宿で住み込みで働きました。しかし長くは続きませんでした。
使わせてもらっていた部屋が、海の近くのため潮風で窓が固まって開きません。
換気のできないホコリっぽい部屋で生活していたからか、喘息になり咳が多く出るようになってしまったのです。。
まあ、決してそれだけではなくて、色々と頭打ちというか、限界でした。そこに長いこといても発展はないな、と。(特に収入面が厳しかったです)
阪神淡路大震災のニュースをテレビで見た時、宮城に戻ろうと決めました。
当時、西表の海に浮かんだ満月の美しさは今でも記憶に焼き付いています。
この時の満月のチャート
蟹座の満月だったようで、たぶんこの満月を見たと思います。
そして、最近気づいたこと。
私がずっと辛いと感じていた学生時代、中学生からこの西表島で見た満月頃まで、冥王星は蠍座に滞在していました。
冥王星が私の太陽星座にずっとあったこともあり、長い事しんどかったのかもしれないなと...。
その後は敗北感を抱えて宮城に戻り、今度は 画家を目指して地元でまた新たにスタート。喘息が回復するのには少し時間がかかりました。
そんな時に、初めてスピリチュアル(精神世界やニューエイジ)の本に触れて、少しづつ精神力を回復して行きました。23歳の年です。
沖縄はその後、何度か旅行をした程度で、もう10年以上は行ってないですね。
沖縄本島をはじめ、石垣島、西表島、宮古島、竹富島、波照間島は訪れています。
まだ行ってない与那国島には海底遺跡があるので、残りの人生で一度は行ってみたいです。
あの頃のような熱烈な憧れや執着はもうないですが、また海を見たいなとは時々思いますし、今でも沖縄の海の夢を見たりします。
少し書くつもりがだいぶ長くなってしまいました...
この他の西表島の思い出は、別の機会に改めてじっくり書きたいと思います。
ちなみに写真も日記もないため記憶頼りです。
最後までお読み下さりありがとうございました
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Asuka 🦋
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