親が40年以上前にNZへ海外移住した理由
ズバリ、父親がクモが苦手からです。
CloudではなくSpiderの方ですね。
何故クモ嫌いな父がニュージーランドへ移住したかって?
それはお爺ちゃんのふとした言葉がキッカケだったそうです。
小さい頃にあまりにもクモ嫌いの父親がお爺ちゃんにクモが存在しない国はあるのか聞いたのです。
そうするとお爺ちゃんは「ニュージーランドにクモはいない」と父親に告げ、それ以降ニュージーランドの話はあまりする事はなかったが父親の頭の隅には常にニュージーランドという国が気になっていたとの事。
小中高と三重県で過ごした父親は、2浪した後に法政大学へ入学した。
父親は母親と出会い大学中に結婚した。
大学卒業後に父親は銀行マン、母親はパートで狭い部屋で貧乏生活をしながら社会人スタートです。
父親は戦後世代の剣道部に入っていてゴリゴリの体育系の学生時代を過ごした身なのですがある日どうやら日本の上下関係から離れたいと思ったらしいです。
そこで浮かんだ移住先が国内でもなく、近場の国でもなく、太平洋反対側の頭の隅にあったニュージーランド。
母親は大家族の娘でどこへでも着いていけるぞとの事で2人で100万円貯めて海外移住する事を決意。
もちろん当時はインターネットも海外通話も出来ず本や文通でしか情報はない、今は考えられないリスキー気分ですよね笑
ニュージーランドには1人だけ先人の日本人移住者がいてその人に文通で手助けしてもらいながら話を進めていきました。
その方が2人が到着したら送迎からしばらく住む場所と仕事の紹介をしてくれるとても頼れる唯一の現地ツテでした。
2人が100万円を貯めるにはもやしが主食のカツカツ生活を送っていて母親が毎月預金を郵便局に預けに行っていたのです。
当時の100万円は現代の価値だと400万円〜500万円の価値ぐらいでしょう。お喋りな母親は郵便局の方々にも貯金している理由を話していて皆さんも応援して下さっていた。
数年後、狭い部屋で2人暮らしのもやし生活新婚夫婦が遂に目標金額を貯めれました。
100万円貯金の最後の銭を母親が郵便局へ預けに行った時は、郵便局の方々も皆んな一緒に喜んでくれたそうです。
自分はまだ生まれていませんが不思議と頑張っていた親の姿とその瞬間の想像が付くんですよね。
父親は退職届けを出し、現地にいる知人と段取りも付けて、いざ出航。
ちなみに親は英語能力ゼロで本の辞書を使いながらニュージーランドへ行きました。
初めての異国、馴染みのある日本の物は何一つなく、翻訳機は紙ベース。
現地にいる唯一の日本人のツテが現れない。
港のバス停で夜まで待つが現れないまま周りの人気も無くなっていく…
続く
【写真:法政大学在学中に結婚した親】
2人は吟詠部の部長とマネージャー。
仲が良かった2人は友達婚みたいな感じで結婚した。
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