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津野米咲・赤い公園の音楽 16. Canvas

 ”Canvas”は、配信のみのリリースを含めると8枚目のシングルで、2016年2月24日に発売されました。 大きな期待を込めたリリースだったようで、カップリング無しの一曲のみ収録CD(赤い公園の一曲勝負盤~Let’s Listen?~というサブタイトル付き)は当時600円+税、と安価に設定されていました。 また、いつものようにライヴ映像を収めたDVDとの2枚組のもの(赤い公園のライブfeat.おまえら盤~are U ready?~)もリリースされましたが、こちらもメインのCDはカップリング無しの一曲のみです。
 前のアルバムである”猛烈リトミック”がリリースされたのは2014年の9月で、その後2015年の11月に7枚めのシングル(”KOIKI")が発売されていますが、かなり間隔が空いています。
 プロデュースは亀田誠治さん、アレンジは亀田さんと津野さんの連名になっています。 アレンジが連名になっているのはこの頃の赤い公園の楽曲制作のプロセスが、津野さん作のデモ(フルアレンジ済み)→耳コピでバンドリハーサル、この際にメンバーの意見を聞きながらアレンジを調整、バンド演奏のデモを録音→アレンジャーがそこに手を加える→再度バンドで演奏して、アレンジャー+津野さんで編曲を完成させる、という流れであった為だと思います。
 
 津野さんご自身が、”純情ランドセル”のライナーノーツの中で、この曲は亀田誠治さんの2014年の誕生日(6月)のお祝いに”勝手に”作った曲だと語っています。 タイミング的には、初の外部プロデューサーとして亀田さんを迎えた”風が知ってる”や”絶対的な関係”が発売された後で、配信シングルとしてやはり亀田さんプロデュースの”サイダー”が発売される(7月)直前、というタイミングですね。 全然違う歌詞で、春の歌でもなかったそうですが、同じ亀田さんのプロデュースで最終的には春のイメージの曲として完成しました。

1. Canvasの特徴

構成 

 Aメロが一度しか出てこなかったり、サビの後に全く関係のないようなアウトロが続いたりといった初期の曲達とは大きく異なり、イントロ→Aメロ、サビ→Aメロ→ギターソロ→ブリッジ→サビ→サビ(終結部のコードが違う)→間奏→Aメロ→イントロ繰り返し、のように繰り返しの要素が非常に多くなり、ある意味一般的な所謂J-POPの構成に近いものになっています。 ただし、繰り返される度にいかにも赤い公園らしいアレンジが追加されている為、同じものがまた出てきた、という感じは殆どしないと思います。

コード進行

 ボーカルとベースの二本の線を元に作曲するというスタイルではなく、かなりコード感が強い曲です。 Aメロとサビはかなり違う音楽のような印象を受けますが、譜例のように単純化したコードネームで見てみると、基本的には同じコード進行が全曲通して使われている事が分かります。

Aメロとサビのコード進行(簡略化)

  イントロについては全く違うコード進行ですが、下記の部分でAメロ・サビと共通のメロディとコードの関係が出てくるのが面白い効果をあげています。

イントロ、Aメロ、サビ共通のコード進行とメロディの関係


赤い公園的な要素

曲の構成やコード進行は全体的に一般的なJ-POPのイメージに近いのですが、要所要所で赤い公園らしい要素が伺えます。 

  1.  Aメロのバックで鳴っているピアノの上行音型は後半で微妙にボーカルとぶつかっています。 Aメロは繰り返される度にバックのアレンジを大きく変える事で単調になるのを防いでいるようですが、この上行音型はAメロが繰り返される度に必ず出てきて、微妙な”翳り”を与えています。

Aメロバックのピアノの音型


2.  Aメロの繰り返しでは右チャンネルと左チャンネルにパンされたギター(ハモっている)の音型が印象的で、このパターンに出てくる音(B♭のコードに対してGの音、Fのコードに対してDやGの音)によってこれも陰影を与えています。

Aメロバックのギターの音型


3. サビの後のAメロでは今度はピアノの高音のオスティナートが加わりますが、一小節めと三小節めではコードのルートに対してテンションの高い音になっていて、独特の効果をあげています。

Aメロ繰り返しのピアノオスティナート

津野米咲 意識はしていないんですけど、サビの前後のAメロではそれぞれみせたい景色が違いますよね?心持ち的には。イントロとアウトロ、やっている事は同じなんですけど聴こえ方が違う。その間に一曲分の歌詞とメロディがある訳ですから。一曲分のドラマを経て、もう一度聴くアレンジは違うと思いますし。「同じものでも“聴こえ”が違う」というパターン。「言ってる事によって」というのもあり得ると思うんです。1番Aメロで言っている事と、サビを経て2番Aメロで言っている事はきっと違う。同じ事を言っているとしたら「演奏を変える」。違う事を言っているのなら、あえて同じ演奏でもいいかもしれない。歌詞とメロディとその場所が「今、曲の何合目なのか」みたいな。何を経てそこに辿り着いた時の景色なのか、という。 

Music Voice 2016年03月22日


2.  津野さんの意図

津野米咲 「Canvas」最初の4小節は、ギューっと糸が張りつめてて、その後で「ふわんっ」と緩むイメージだったので。

Music Voice 2016年03月22日

上に引用したインタビューは、津野さんの曲作りへのアプローチについてかなり突っ込んだ会話がなされていて非常に興味深いのですが、この部分はCanvasのイントロの音楽的構造を非常に的確に表しています。 実際にこの部分を弾いてみると、4小節めの後半から緊張がとけ始め、E♭の9の和音のところで”緩む”=ぱっと広がる雰囲気を音楽から感じます。

冒頭のDiminish Chord 主音以外が全て半音下がる(主音に近づく)

 特に特徴的な冒頭の和音は、B♭7の主音以外の構成音が全て半音下がったディミニッシュコードです。 ”ぎゅーっと糸が張り詰めている”というイメージは和音の響きはもちろん、全ての構成音が主音に引っ張られて不協和音ぎりぎりのところまで張りつめるという音楽理論上、楽譜の見た目上の印象にも当てはまっています。

 この特徴的な和音で始まるイントロはおそらくCanvas全体を通して一番印象的な部分だと思いますが、この”はりつめて、緩む”というコンセプトは曲全体を通した特徴と言えると思います。 イントロで”はりつめて緩んだ”音楽は、緩んだ感じのままでAメロに続きますが、一点してサビははりつめたような印象に変わります。 Aメロ、サビが繰り返され、最後にイントロのパターンが繰り返されるまで、曲は緩んだり緊張したりを繰り返しています。

津野
これは確実に描きたい景色が自分の中にあって。まさに桜がブワーッて、きれいを通り越して舞ってて、尋常じゃないほどの風が吹いてるっていう。私の都合をよそにきた、鬱陶しいくらいの春。だから、歌詞は《やけに眩しくて 途方に暮れる》の2行だけで本当は済んでしまうんですが、そこに淡々とした描写を足しました。具体的な景色をかたちにするのはあまりやったことがないし、聴き手が同じ景色を思い浮かべてくださる体験も初めてで。
佐藤
制作段階で興奮して話してたもんね。抑揚も大事にしました。Aメロは静かな春なんだけど、サビで桜の花びらが吹き乱れる感じ。蓋が空気でパンと開いちゃうようなのを、うまく表現できたらいいなと。歌ってると思い出すんですよ、自分にとって一番春だった春を。

OK MUSIC 2016年3月20日

 上記のインタビューにあるように、サビでは”桜の花びらが吹き乱れる感じ”をイメージしているようなのですが、上述したように、実はAメロとサビは殆ど同じコード進行であり、かつ、メロディも一部分では共通しています。 また、非常に面白い事に、Aメロは繰り返す度に何度も伴奏のパターンが変わったり、対旋律やオスティナートが追加されたりしますが、サビは目立った対旋律も無く、非常に基本的なバンドサウンドになっています。 サビのシンプルなバンドサウンドが、非常に工夫を凝らしたようなAメロと比較して”尋常じゃないような風が吹いてくる”効果を上げているのが非常に興味深いと思います。

 そして、サビについては下記のようなインタビューもありました。

ー サビに強さが増したとも感じます。初期の頃ってAメロとサビを均等扱いされがちでしたよね。
津野
そう、それが悲しかった! サビのつもりで作ってたのに(笑)。(中略)
表現し切れてなかったんだと思う。その点は今回、プロデューサー陣に助けられてます。

OK MUSIC 2016年3月20日

 私自身は、初期の曲は”サビとAメロが均等扱いされがち”という印象は全く持っていなかったのである意味これは驚いたのですが、津野さんも同意しているのでそのような捉えられ方が多かったのでしょう。 実際には、上記のようにCANVASの方が、コード進行やメロディの近似性から”Aメロとサビが均等扱い”されているように感じるのですが、一般的な印象は正反対という事になります。 
 ただ、実際には同じようなコード進行でも、Aメロのメロディはコードの構成音から大きく離れないのに対して、サビはB♭のコードに対してCの音から歌い始める等、メロディ対コードの緊張感が強いように作曲されています。 結果として、Aメロは穏やかな春の中にいる主人公が、サビでは激しい風の中に一人で佇んでいるかのような印象を与える事(意図した通り)に成功しているようです。

 赤い公園の曲を聴き込むにあたって、今までは初期と最近の曲を中心に(津野さんがセルフプロデュースした曲のみ)を取り上げてきました。 ”公園デビュー”からあと数曲聴いてから次(初めて外部プロデューサーを迎えた”風が知ってる”)に進むつもりが、桜の景色に影響されて順番を飛ばしてしまった為、セルフプロデュースから外部プロデューサーを起用するにあたって赤い公園の音楽の変化の過程をまだしっかりと把握出来ていません。 ただ、自分達の個性は殺さずに、できる限り多くの人にストレートに届く音楽を目指す為に、経験豊かな人々の力を借りた、という事だと思います。 CANVASという形で仕上がったこの曲、当初はどのような曲と構成であったのか、それが亀田さんとの共同作業の中でどのように変化していったのか、非常に興味があります。

3.  津野さんのインタビュー記事について

   今回もこの記事を書くにあたっていろいろなインタビュー記事を読みました。 初期のインタビュー等は既にWeb上から消えてしまっているものも多いようですが、この頃は比較的多くの情報がまだ残っています。 複数の記事を読んでいるうちに、津野さんのコメントに少し矛盾している点がある事に気がつきました。 上述しましたように、ライナーノーツでこの曲は亀田さんの誕生日の為に勝手に作曲した、とご自身で書かれているのですが、他のインタビューでは、日本の春をイメージして”侘び寂びを感じられる”、”ヨナ抜き音階で作った”と語っていました。 
 もしかしたら、亀田さんのために作曲した時点から春をイメージしていたのかもしれませんが、6月の誕生日に春のイメージの曲を作るのも多少不自然な気がします。 また、ヨナ抜き音階はそれこそ”黒盤、白盤”の頃からたくさん使われており、CANVASのメロディはそれらと比較すると通常のメロディに近いように(Fのキーでは本来抜かれるはずのB♭やEが普通にメロディに出てくる)思えます。 だからどうした?という話なのですが、改めてインタビューや雑誌の時々はそのまま鵜呑みにせずに、少し考えて見た方が良いのだな、と思いました。

 別の記事では、インタビューしている方が、CANVASの冒頭の和音の例をあげて赤い公園の音楽に6の和音が多い、という指摘をしています。 これに対して、津野さん(さらに佐藤さんも)、全く無意識であり、気がついてもいなかった、という回答をしているのですが、これも、和音の名前を知らなかったと語っている猛烈リトミックの頃であればまだしも、このタイミングで自作には6の和音が実際に多い事を認識していないとはちょっと考えずらいのです。 ただ、CANVASの冒頭に関しては、確かにベースとメロディの関係は(B♭とG)は六度に聞こえますが、実際には上述の通り、B♭7の7の音であるA♭がさらに半音下がってA♭♭=Gになっているという事と思われますので、実際に津野さんは六度ではなくて七度だと思っていた可能性はあるのかも知れません。