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津野米咲・赤い公園の音楽 22. サイダー

 「サイダー」は赤い公園初の配信オンリーシングルとして2014年7月30日に発売されました。 プロデューサーは前作・前前作に続いて亀田誠治さん。

iTunes Storeで販売されたシングルのジャケット

 この発売と前後して二種類のプロモーションビデオが公開されていますが、どちらも9月に発売される『猛烈リトミック』を宣伝しています。 当時サブスクサービスは無くPVでは部分的にしか使われていない為、全曲を聴くためにはアルバム発売を待つか iTunesストア等でダウンロード購入する必要がありましたが、当時の環境を考えるとダウンロード販売よりはアルバムのプロモーションの為のリリースだと思われます。

 4ヶ月ほど前に前作シングル『絶対的な関係・きっかけ・遠く遠く』が発売されていますが、それと比較しても大きくイメージが違う曲でした。 赤い公園の曲はそれまでも(おそらく日本の音楽界の平均に比べて)メジャー(長調)の曲が圧倒的に多いのですがそれらは比較的ゆっくり目のテンポの曲で、珍しくテンポの速い「のぞき穴」、「絶対的な関係」はマイナーキー(短調)でした。 「サイダー」は恐らくこれまでの赤い公園の曲の中で最速のBPM(200)であり、かつメジャー(長調)の一聴すると翳りのない明るい曲、そして全編通してコードを鳴らすギター、基音に留まるベース、比較的普通なパターンを叩くドラムが合わさって今まで聞いた事の無いような曲になっていました。
 後述しますが、この曲は今までの曲とは違ってなんらかの楽器がコードを鳴らしていないと成り立ちにくいような作曲が成されています。 よって、ギターが一人しかいないライブではギターのリフの部分でなんらかの工夫が必要なのですが、この曲に関しても同期を使ってその問題を解決するのではなく、佐藤さんがギターを抱えてどうしても必要な部分でコードを弾くという方法をとっています。 どうしても二本目のギターが必要な部分はイントロ・間奏・アウトロに限られているので、ギターと歌を両立させる必要はないのです。 これも、作曲・アレンジのプロセスの途中で既に想定したいた物と思われます。

1. 「サイダー」の特徴

構成 

BPM 200固定(ゆらぎゼロ)。
4/4拍子
イントロ (G Major) →Aメロ (G Major)(G Major)→サビ(G major)→Aメロ (A minor)→サビ(G Major)→間奏(ギターソロ G major )→サビ(歌、コーラス、ギターのみ G major)→サビ(G Major)→アウトロ(G Major)
 
 調性としては全曲通してG Majorと思われますが、Gのコード自体はほとんど現れません。 イントロとAメロは基本同じコード進行で、その中でCadd9とE♭M9の往復という浮遊感のある進行が使われ、またサビの前ではいきなりA♭add9のコードが出て来ます。  J-POPの中ではあまり出てこないようなコード進行ですが、ボサノヴァ等では比較的珍しく無い進行のように思えます。 テンポが早くて勢いのあるバンドアレンジになっているので分かりづらいですが、ベースのパターンも特にサビではボサノヴァのパターンが使われているので、夏=ボサノヴァというイメージで作曲を始めたのではないだろうかと思っています。  実際、セミアコースティックアレンジで演奏されたこのライブ映像を見ていただくと、イメージが湧くのでは無いでしょうか。 ベースパターンは原曲とほぼ同じ、ギターも途中に挟まれる経過コードを除けばほぼCD音源と同じコードを弾いていると思いますが、響きはかなり違います。

モノフォニックな音楽構成

 赤い公園では歌+カウンターメロディ・あるいは独立したベースラインで構成されるポリフォニックな作曲法が多くの曲で採用されています。 一般的なロックバンドでは当たり前なモノフォニック(歌+伴奏コード)な曲は赤い公園では非常に珍しく、「サイダー」以前に発表された曲では『公園デビュー』に収録された「カウンター」のサビの部分がそれに該当するくらいであり、全曲通して(歌+伴奏コード)で作曲されている曲は基本ピアノ+歌という編成の「何を言う」くらいしか見当たりません。 「サイダー」から試しに伴奏コード(ギターのコード)を取り除いてしまうと、一体どういう曲であるのか非常に分かりづらくなり、特にAメロ繰り返しでボーカルの裏で藤本さんのベースが冒頭のギターのフレーズを繰り返す部分は、無関係で不協和なメロディを奏でているように聞こえてしまいます(コードを追加してあげると普通の響きになる)。

チャイムの音

 冒頭は学校のチャイムの音(シ→ソ→ラ→レ・レ→ラ→シ→ソ)で始まります。 この音はソを基音として積み重ねるとソ・ラ・シ・レという和音になり、G2あるいはGadd9のコードを構成しますが、add9のコードはこの曲全体を通してキーになっており、ある意味このイントロのチャイムの音を元にして全曲が構成されていると言っても過言では無いかも知れません。

チャイムの音とコードの関係



 また、サビのバックでもグロッケンシュピールでこのパターンが繰り返され、これがバックのコードと絶妙に絡み合う事で、なんとも言えない陰影を与えてるのですが、下記で赤丸で囲んだ2音以外の音は実は同一小節内でギターコードあるいはボーカルメロディに使われている音になっています。

サビのチャイムとメロディ・コードの関係


 このチャイムの音は、全く同じキーとリズムで「潤いの人」のあの長いアウトロで終始鳴り続けています。 「潤いの人」ではこのパターンがピアノで演奏されているので一瞬分かりづらいですが、1箇所だけ本当のチャイムの音が重ねられているので意図としては学校のチャイムの音の再現で間違っていないと思われます。  
 しかし、この曲と「サイダー」の間に直接なんらかの関係があるかどうかについては、あまり無さそうな気がしています。 津野さんは、重要な音はライブの際にも省略する事はできる限り避けて来ていたと思いますが、「サイダー」に関してはチャイムの音はライブでは省略されたままでした。 同期を使う事は、この曲に関しては勢いを消してしまうので避けたかったのだとは思います。 佐藤さんのギターは、たった4ヶ月前にリリースされた「遠く遠く」を弾き語りする為に初めて練習して覚えたという事なのでライブでの演奏も当初は本当に歌を歌っていないところに限って弾いていたようです。 しかし佐藤さんのギターもその後かなり上達したようで「熱唱祭り」の映像を確認すると歌いながらギターを弾いている部分もあります。 サビの間も佐藤さんにギターを弾いてもらえれば、その裏で津野さんがチャイムのパターンをハーモニクス等で演奏する事も出来たと思います。 それをしていないと言う事は、この曲にとってチャイムの音が絶対的に必要という訳では無いと考えてもよいかと思います。

2. 三本指コード

 上述のように、この曲は随所にadd9と言う少し変わったコードが使われていますが、津野さんはこれらのコードをかなり独特な方法で鳴らしています。 元々ギターを始めた時、今までピアノで弾いていた和音をギターに置き換える事で演奏法を覚えて言ったとのことで、あまり一般的ではないコードの押さえ方をしているようなのですが、独特かつ合理的なその手法の一部について津野さんはファンクラブサイト『赤すぎる公園』の中の「独学堂」と言うご自身が担当されている連載コーナーの第一回で説明していました。 既にファンクラブサイトは閉鎖されてしまっているので私自身のメモに基づいて簡単にまとめておきますと、津野さんのポイントは以下のようになります。

1 もともとFのようなコードは手が小さかったり力が弱いと押さえにくく、きれいな音が出にくい。
2 しかも、頑張って鳴らしてみてもギターのFのコードは低いほうからファ・
ド・ファ・ラ・ド・ファとなっており、ラが一回しか出てこないのにファは3回も出てくる さらに、バンド演奏ではギターがFを弾いている時はベースも大抵ファを弾いているので、ファだけで4回も出てくる。 こんなに主音を重ねる必要はない。
3 よって、バンドで演奏する際のギターは極論を言うとラとドの2音だけ、もしファ・ラ・ドのトライアド以外の音が必要なら(7th等、Fであればミ♭)その音を入れた3音を弾けば必要にして十分な音が出せる。
4 この三つの音を三本の指で押さえ、それ以外の三本の弦をミュートして(鳴らないようにして)演奏するのが三本指コード。

 そして、サイダーは基本全曲三本指コードで演奏できます、とした上でイントロとサビの部分の押さえ方を公開していました。 この部分に出てくるコードでAメロも基本弾けるので、イントロからサビまでをどのように演奏していたか推測できるのですが、この部分に出てくる全部で十種類の違うコードのうちの七種類が、下記のように2つの固定された指の形でポジションを変える事で演奏可能になっています。 

三本指コードのパターン1(三つのコードをカバー)

 「サイダー」のイントロとAメロの前半は、上記パターン1の最初と2番目のコードを繰り返すだけで演奏出来ます(同じ左手の形のままで、3フレット上がったり下がったりを繰り返せば良い)。 上述のように、ライブの場合イントロでは津野さんがギターでリフを弾いている間佐藤さんにコードを弾いて貰う必要があるのですが、これであれば比較的簡単に演奏出来ます。 ギターを始めたばかりの佐藤さんにも安心してステージで弾いてもらえるように配慮した上で作曲されたのでしょう。

三本指コードのパターン2(四つのコードをカバー)

  どちらのパターンも7th或いは9thの音を入れるために第3音を省略しているのが興味深いところです。 (但し、パターン1については、薬指と同じポジションで弦をミュートしている小指で実際にフレットを押さえる事によって第3音を追加するともっと良い響きになりますが本来の趣旨とは違うから無視してください、と言うコメントがついてました)。 バンドでの演奏なので第一音を省略するほうがより合理的とは思うのですが(実際にベースはほとんどの場面でコードの基音=第一音を弾いています)、ギターだけで鳴らして歌ってもちゃんとした曲になるようにあえて基音を残したのかな、と思っています。

3.  津野さんの意図

「かめださん。この曲、けいおん。女子高生、胸キュンだから。」

『猛烈リトミック』特設サイト

 津野さんはプロデューサーの亀田さんにこのように伝えたそうです。 上述のように、この曲は何かの楽器でコードを演奏してそれに合わせて歌えば、極端に言えば弾き語りでも十分に曲の魅力が伝わるように作曲されていますので、さほどテクニックのないアマチュアバンドでもある程度練習すれば十分に演奏して楽しめると思います。 特に若い世代のファンの開拓に注力していた赤い公園ですから、一番の狙いはアマチュアバンドの人たちに楽しんで演奏してもらい、それをきっかけにファンになって貰う事だったのではないかな、と想像しています。

 この夏、初めて夏っていいなって思えたきっかけの曲です。レコーディングしながら、ライブしながら、経験した青春の日々も経験してない想像のなかの青春の日々も閃光みたいにパーッと光って。学園モノのキラキラしたラブソングですね。

『猛烈リトミック』特設サイト

 
 一方で、上記の「独学堂」の記事は以下のような内容で締めくくられていました。

 一聴するとストレートな曲でも、目立たないところ(基礎のところ)にちょっとしたアブノーマルが隠れてる事はよくある(サイダーにおいては9度を含む三本指コードの事)。 それがリスナーの第六感に響いて”なんかいいな”と思ってもらえたら嬉しい。

「独学堂」より、大意。 文責筆者

 これは自作、或いは赤い公園の音楽に限ったコメントではなかったようですが、津野さんにとって普通とは少し違った響きを生み出す為の音楽的な工夫が聴き手の心を無意識であれ掴む事が、音楽を作る上での重要なポイントの一つだった事は間違いないようです。