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自己の不在性とは?

空の聖質の内の一つに不在性というものがあります。

チャネリング「不在性という物があるおかげで存在できる!」

" 引用:(チャネリング)
ノンデュアリティ
自分という存在を突き詰めていっても到達することはなく、自分の不在が在るだけという認識。
軸となる自分がそもそものところでいないので、自分というものがいるという前提によって成り立つ「相手」とか「他人」とかいうのも概念でしかなくなる。

実際にはだれかというものはいない、という発想。なぜかといえば、自分というなにか確固としたものが存在していないと突き止めたから。

唯一あるのは、「気づいている意識」だけで、気づいている意識は意識活動をせず、気づいているだけだという感じ。ただ「在る」という感じ。"

引用元: ワンネス と デュアリティ と ノンデュアリティ の関係性

昔書いた別記事なので、短いポイントだけを抜粋して引用しましたが、サラッと目を通しておくといいかもしれません。ちょっと変なところとかもありますが許容範囲です。

リンク: ワンネス と デュアリティ と ノンデュアリティ の関係性

自己が無いという見え方

存在は在る、認められるますが、それに「自己」というなにかをくっつけられません。投影できません。

自己とかエゴだと思いません。私という意味付けで考えられているかのようなものがいると感じていないです。

私ってなにを指しているの?その私って言う意味を付けている捉え方のものがないです。

自己というとらえ方はありませんが非分離の意識なので、個に執着しません。


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