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ノンデュアリティ 2

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ノンデュアリティのその後を解説しています。トリニティです。
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#非分離

ノンデュアリティ・ルネッサンスとは何ですか?

ノンデュアリティ・ルネッサンスというムーブメントは、「原点回帰」※1 のことでデュアリティの消滅ポイントというか変換ポイントのようなものです。または、ルネッサンスと言うぐらいで夜明けみたいなかんじです。 枠が広くて多方面に及ぶので説明は難しいのと、正解はないです。だけど、知っておけば役立つポイントやエッセンスというものがあるので、それを押さえとこうよ、というお話です。 ※1 言葉通りこれが本当の原点回帰です。原点ぽい「謎地点」に帰るという話ではなくて。原点は「空」または「

自由意志を認める側の視点

続きです。 自由意志を具体的な行為として表現するときに、完全に放置すること、放棄すること、一人ぼっちにすること、というやり方は不適切です。 もっとちゃんと書けば、 手伝いが必要な時以外は自由にさせておくこと。 手伝いが必要だと勝手に決めないこと。 申し出があれば即座に行動に移せること。 途中で遮らないこと。 やる気を何よりも最優先すること。 やる気の腰を砕かないこと。 情熱のままに前進するのをほかっておくこと。(危険行為以外) 進展を覗くことは最小限にする

自由意志を返納するとは何ですか?

さらに続きです。 見習い期間が終了すれば、自由意志の意味合いが一段階濃くなります。 「ワンネス/全体の意思/全体の意図が自分自身を超えてあるのでそちらを完全に優先するという意思が生まれる」、ということです。すると、自由意志というのはなくなるというか、全体の意思は自分の意思なので、そのレベルでは何を選ぼうが全体への奉仕のみになります。 結局のところ、構造からしてすべては光で愛なので全部を受け止めるしかないとなります。自由意志として選択できる究極のものは一体何でしょうか?

『無限』を相手にする

無限を相手にすると言うそれだけのことで、価値が一気に上昇します。または、元の価値に戻ります。 つまり価値がない。価値で表せない。表現できない価値。ということになります。 あまりにもすごい物の価値を測るスケールがないので測れません。小さなものさしでは価値付けエラーが起こるのです。 無限を相手にすると言うただそれだけのことで、途端に今目の前にいるその人が無限の1つのピース、無くてはならない存在、無くてはならない何々になります。 今目の前にいるその人の尊さやありがたさを実感

ノンデュアリティ「一元(非二元)」って何ですか?

非二元というのは二元じゃないよ、ということなのですが、二元じゃないならなんなのさ!っていうのが一元だよ、だけど普通の一元とは真逆だよということです。用語解説をご覧ください。 ノンデュアリティは、「一元=非二元」です。 ノンデュアリティチーム ぼくが個人的に思う、ノンデュアリティというチームは、ノンデュアリティを印象付けた「私はいない」に代表される「空」から話をされる先達たちのことです。空性の側近ですね。ノンデュアリティの立役者で現在(2022)もノンデュアリティのメイン

ノンデュアリティのその後はどうすればいいですか?

クリエイションするときに、分離の意識ベースだと、それぞれ基本的な合意がなくて、各々それぞれにてんでバラバラにクリエイションすることになって不都合があります。かと言って、誰かが決めたルールに賛同するというのはデュアリティの見え方では賛否両論の対立意見があります。 なのでどうするのかと言うと、自分で決めさせるのが一番手っ取り早いです。それをどうするのか、というと『事実』に直面させるということですね。何が事実か分かれば、何が空想か分かるようになります。一番早いです。事実は固定値な