[#3.小値賀島・野崎島]なだらかで、ゆったりとした空気の広がる「小値賀島」と荒廃した「野崎島
2024年9月 夜10時フェリーに乗る前、博多港近くの温泉で風呂を浴び、明朝からの撮影のために体を整える。今回のRaven03は長崎県の五島列島の北にある「小値賀」である。
かつて訪れた地
2010年「長崎教会群関連資産」として世界遺産登録を目的とした写真の撮影で、野崎島の旧野首教会の撮影にきた。その時に中継地点として立ち寄ったのが「小値賀島」である。
野崎島を目的としていた私は、小値賀島の情報は何も持っておらず、宿泊地という感覚で泊まった。実際これと言った観光スポットがあるわけではなく、街の中を少し歩いてみた。長年この風景が残っていることが感じられる。そして、なんとも気持ちよい。
ターミナルにおぢかアイランドツーリズム発行の「ちいさな島で」という、冊子がおかれていた。
表紙には「なんにもないけど心がみちたりる小値賀島のまいにち」と書かれていた。そこには、普通の暮らしの中に、丁寧に生きる人たちの物語が書かれていて、観光地にあるようなきらびやかなものとは違う、心が温まるものを感じた。そのときには時間的に余裕がなかったため、いずれ時間を作って訪れたい!という思いになり、そのときのためにその本を購入しカメラバックにしまった。
私たちRavenの撮影地は各々が、撮影しに行きたい候補地をあげる。14年前にいずれ訪れたいと思っていた「小値賀島」を提案したところ、採用された。
飛行機+フェリーで12時間
今回のプロジェクトのために、溜まった仕事を東京でしていると、1日早く到着しているメンバーから美しい映像がつぎからつぎへと届く。早く私も行きたい!という気持とは裏腹に東京の自宅からは約12時間かかるのがもどかしい。
夜23時45分、博多港からフェリーにて出発。
翌日早朝4時40分小値賀港に到着。
早朝にもかかわらず、先行メンバーが出迎えてくれた。
風はあるものの、天気は良い!
今回の撮影メンバー6人が全員そろい、小値賀島の笛吹港で日の出の撮影から始まった。
小値賀町は17の島々からなり、本島の「小値賀島」を含むほとんどの島は火山の粘性の低い溶岩がなだらかな陸地をつくり、海岸は長い年月をかけて浸食され複雑な入江と海蝕による地形が形成されている。
本島「小値賀島」 に続いて大きい島が、本島の東端から2キロ東に位置するのが「野崎島」である。今回はこの2島を中心に撮影を行うこととした。
前日から入ったメンバーより、想像以上に小値賀島は大きく撮影時間が取られそうだとの報告を受け、初日はメンバー6人のうち「小値賀島」で二人一組の2班で撮影、残りの2人が小値賀島から「野崎島」へ渡り撮影することとした。私のスタートは「野崎島」となった。
野崎島
小値賀島から野崎島へ渡るには町営船「はまゆう」を利用する。
7時25分小値賀発の船に乗り、約30分程で野崎島には到着する。
帰りの便は15時5分で、島の滞在時間は約7時間、見どころが多いわりに時間はすくない。
「小値賀島」が火山の粘性の低い溶岩がなだらかな陸地であるのに対し、「野崎島」は隆起して形成された島で、小値賀島から見える野崎島はこんもりとした2つの山からできている様子が分かる。船で島に近づくと島の周囲のほとんどが急な斜面であり、人がなかなか入っていけそうなところがないのがよく分かる。船は小値賀島とは反対の東岸の野崎港に到着した。
沖ノ神嶋神社と野崎集落
「野崎島」は古くから神道の聖地であった。
島の北部に立地する沖ノ神嶋神社は、慶雲元年(704年・飛鳥時代)に、小値賀島にある地ノ神嶋神社と向かい合う形で創建されたといわれている神社で、遣唐使の航海の安全を祈ってつくられたといわれている。
神道の霊地として一般の人々が生活を営むことのできない島であり、19世紀までに人が居住していたのは、神官の屋敷を中心とした島の東岸に位置する野崎集落の1箇所に限られていた。
沖ノ神嶋神社へはこの野崎集落から歩いていかなければならないが、野崎島内の観光施設の管理や旅行者の受け入れを行うNPO法人「おぢかアイランドツーリズム協会」に問い合わせててみたところ、この時期は歩いていくのは難しいとのことで、別日にメンバーが会場から撮影を行うこととした。
野崎港に到着した我々が目にしたのは、瓦礫化とした野崎集落であった。
昭和30年ごろ最盛期には650人前後の人々が暮らしてたと言われている。
その最後まで島民が残っていた野崎集落も、自前の産業を持たないため徐々に衰退していき、2001年沖ノ神嶋神社の神主であった方が島をでることになり、無人島となった。
事前に写真などでその様子をチェックしていたが、荒廃が明らかに進んでいた。
樹木のあるところは、かろうじて建物がのこっていたりするが、樹木で風雨に守られないような場所は完全に建物の存在は消えていた。
隆起して出来上がった急勾配の野崎島。野崎集落周辺の野崎島東部にはサバンナと呼ばれている大地が広がっている。これは、後年小値賀島が火山により形成された時代に出来上がり、小値賀島と同様にこのエリアは赤土が広がる。
ドローンで上がると、「ゴジラのしっぽ」と呼ばれるノコギリ形状の岬の周辺までは赤くなだらかに広がり、その先の西側の斜面は勾配が急になり土の色が白いことがよく分かる。
野首集落
野崎集落から山を回り込むように野崎島の中心の方へ入ると、野首集落が現れる。
19世紀以降に野崎島へと移住した潜伏キリシタンは、沖ノ神嶋神社の氏子となって信仰をカモフラージュしながら、ひそかに共同体をこの地に維持した。彼らは険しい斜面地を開拓しながら、生活をそして信仰をつづけた。
現在は、その斜面地に石を積み上げ開拓した跡を見ることができ、その中心地の丘の上に旧野首教会が佇む。その姿は草原の中に荒々しく積み上げられた石の上に鎮座する姿は雄々しく、厳しい禁教時代の信仰のみが支えとなっていた潜伏キリシタンたちの思いを感じざるを得ない。
世界文化遺産について
世界文化遺産「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」とは、キリスト教が禁じられる中で日本の伝統的宗教や一般社会と共生しながらひそかに信仰を続けた潜伏キリシタンの伝統の証しとなる12の構成資産からなる遺産群のことである。
「野崎島の集落跡」は、その構成資産の一つで 潜伏キリシタンが信仰の共同体を維持するに当たり、どのような場所を移住先として選んだのかを示す4つの集落のうちの一つとなっている。
野崎島のアイコン的存在である旧野首教会自体を世界遺産の建物だと思っている人が多いのだが、上に記した通りこの教会は世界遺産の対象ではない。設計者でもあり施工者でもあった鉄川与助が建てたこのレンガ造のこの教会の姿はかつての潜伏キリシタンたちの厳しさの中に凛とした志を表すかのように美しい。
野崎島は世界遺産など歴史を感じたり、日本の中でも独特な美しい風景を持つ場所ではあるが、突如人工的な工作物が突如現れる場所がある。それが野崎ダムだ。
実はこのダムの水は野崎島で使われるのではなく、海を渡った先の「小値賀島」の農業用水を確保するための灌漑用ダムなのである。先に記した通り、小値賀島はフラットな土地であるため、水の確保で苦労していた。そこで、高い山があり、水の確保が容易な「野崎島」に建設されたというわけだ。
野崎島は、小値賀島の現在は水、かつては薪炭林として利用されてきた。生活するには小値賀島は便利ではあるがインフラ的には野崎島に頼らざるを得ないところがあり、なくてはならない島となっている。
野崎島には灌漑用水用のダムがあり、海底のパイプラインを通じて小値賀本島の耕地に給水されている
15時過ぎ、まだじっくり撮影したいところではあったが、「やまゆう」の乗船し、小値賀本島に戻る
和牛の産地である小値賀と風景
小値賀島にもどると、他メンバーが夕日の落ちる景色が美しい場所があると言って、長崎鼻まで車で移動した。そこは、小値賀らしいなだらかな台地の先に海が見えた。大きな空がひろがり、個々の牛たちがそれぞれの時間を楽しんでいるように過ごしている姿が印象的である。
小値賀は和牛の産地としても有名で、島のあちこちで牛が放牧されている景色が見られる。
なだらかな勾配がある地形は牛にとっても過ごしやすいそうだ。
民泊からの出会い
1日目の宿は「おぢかアイランドツーリズム」さんを通して、民泊をおねがいした。
民泊にしようと思ったのは、小値賀に長くお住まいになられている方から地元話を聞きたいと考えていたからだ。
しかし、ホームページをみると3年前に小値賀に移住されてきた「福善寺」というお寺の住職さんということで、一瞬予定が違ったかなとおもったが、良い意味大きく裏切られることを知るのであった。
その夜、私達の活動を住職ご夫妻に説明し、早速撮ってきた映像を編集しお見せしたところ、「これは良い!!ターミナルに大きなモニターがある。そこで映したい!」
など、大盛りあがり
そして、住職と話をしていくうちに
住職の前職は自治体で都市計画などに携わっていて、小値賀町でも町づくりのアドバイザーとして活躍をされていて、人間力あり、人脈あり、行動力ありというフルスペックのお方で、翌日の朝からいろいろと町の関係者に連絡をとってくださり、その日の夜にお堂で上映会をやることが急遽決定した!
たまたま、泊まることになった先にこんな方がいらっしゃるとは!
この日は、夜の上「映会の準備に入るチーム」と「撮影をするチーム」に分かれて作業をおこなう。
小値賀で捕鯨など営なんだ豪商小田家の屋敷「小値賀町歴史民俗資料館」を訪れた
この日撮影チームはまず「小値賀町歴史民俗資料館」を訪れた。
「小値賀町歴史民俗資料館」は、江戸初期に壱岐から小値賀に移り住み、捕鯨、新田開発や酒造業を営み、小値賀に大きな富をもたらし人々に貢献した豪商、小田家の築約250年の屋敷を町が譲り受け、一部新館を併設して1989年に開館されたもので、雰囲気も展示内容も素晴らしい。
「小値賀町歴史民俗資料館」のある笛吹は、小値賀町の政治、経済、文化、交通の中心地であり、 かつて栄えた土地柄を偲ばせる古い街並みが残っている。江戸時代においても平戸藩の押 役所・代官所などの機関が置かれ、平戸藩の五島領地経営の中心地であった。 旧本道筋を中心に江戸期から昭和前半期にかけて建てられた家屋が多く存在しており、造 り酒屋、活版印刷所、商家等の家屋などとともに入り組んだ細い道は漁師町特有の複雑さを 感じさせる。「小値賀町歴史民俗資料館」の入口
住職に「小値賀町歴史民俗資料館」の学芸員さんをご紹介していただき、映像を見ていただく機会を得た。数々の小値賀の映像を見てきただろう学芸員さんでさえ、今回の映像は見たことがない小値賀の景色であるとのことで、私たちのドローンによる映像の価値を改めて感じた。
町中でのドローン撮影
小値賀島の集落においては漁業者集落である「浦」と農家集落である「在」に大別される。 「浦」は海側に密集して存在し、「在」は比較的広い敷地を有するなど、対照的な集落景観と なっている。 特に笛吹地区の街並み景観は、「小値賀町歴史民俗資料館」を中心に古い木造建築が軒を連ね、年輪を感じさせる。
笛吹地区周辺でドローンを上に飛ばすと、黒光りした勾配屋根の連なりがとても美しく感じた。そして、建物が密集している感覚はより一層感じられた。
小さなドローンとはいえ、町の中を飛ばすには許可が必要である。
私たちは、事前に町と協議をし町中でドローン撮影の許可を得て撮影することになった。
1間にも満たないような路地が多くある。路地は狭いながらも明るさがあり、小綺麗な街という印象だ。小道を抜け、ふっと見ると港が広がっている。その道を抜けて撮影できるのは、マイクロドローンならではの映像となる。
お寺で上映会を開催は大盛況
19時「福善寺」に町の人々が集まりだした。
急遽決まった上映会、当日に声をかけ、子どもからお年寄りまだ30人を超える人々がお堂に集まった。
1日2日で撮影したものを数時間で編集をしたものだが、集まった人たちからは「改めて小値賀の魅力を感じた等」との感想をいただく。
我々が撮影している鳥の目線で見る景色は、何十年も現地にいても見ることができない景色であり新鮮なのだ。
感動の古民家で宿泊
2日目は、古民家を用に改装した宿に泊まった。
ここは東洋文化研究家のアレックス・カー氏のプロデュースによって、島の暮らしと共にあった、築100年以上の古民家を趣や日本の美はそのままに、快適な空間にリノベーションした施設である。
失礼ながら、こんなところに、こんな素敵な宿があるのかと正直驚いた。
都会や海外から来た人間が十分に満足かつ想像を超える質を提供されたと感じるレベルである。
最終日のはずが
3日目は、最終日の予定であったが、メンバー二人がもう1泊し、撮りきれなかった野崎島の沖ノ神嶋神社の「王位石」と舟森集落跡を船をチャーターし撮影に挑んだ。また、現地の小学校によばれドローンの話などを行った。
最後に
今回RAVENの参加者は6人。基本的に二人一組で撮影を行っていたので、他の人達がどんな映像を撮っているのかが分からない。夜などに、それぞれが撮ってきた映像を見せあったりするのだが、皆が他のメンバーの映像を見て、「スゲー、カッコいい!」といいつつ、悔しがるメンバーもいたり面白い。
腕も人間的にも最高のメンバーがそろい、最高の映像を制作しつつ、お互いが刺激し合っている姿が素敵である。
このRAVENのメンバーが作り出す世界を少しでも多くの人達に届けたい。
Yuichi Higurashi
参考:
・「ちいさな島で」おぢかアイランドツーリズム
・「おぢか島旅」おぢかアイランドツーリズム
・小値賀町景観計画
・野崎島の集落跡 ガイドマップ
・小値賀諸島の文化的景観