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かがり火は消えるか?【続編…E】

※この作品は闇夜のカラスの企画小説「かがり火は消えるか?」の続編です↓



「ウミヒコ、カヤ!」
 俺達は驚き振り向いた。松明を持ったヤヒコが駆けてくる。カヤの力が弱まった隙に俺はそれを振り払い、薪に駆け寄るとかがり火にくべた。火は勢いを取り戻した。カヤは俺をギッと睨みつけ
「ウミヒコ!わたしを選ばなかったこと、許さぬ!」
と叫び、身を翻して駆け出した。砂浜の上を遠ざかる後ろ姿は、夜の闇にみるみるうちに溶けてゆく。
「カヤ!」
 ヤヒコは呼びかけ、後を追おうとしたが、俺はその腕を捕まえた。ヤヒコと目が合うと、おれはかぶりを振って見せる。……カヤの姿はもう見えない。おれはヤヒコを砂浜に座らせ、その隣に座った。そして今までの顛末を話した。

 ヤヒコは村長の息子で、おれの半分の歳だが目端がきく。真っ直ぐな気性が少しカヤに似て、力で周囲を押さえつけようとするタツノヒコと剃りが合わず、何度も衝突していた。村長の手前、タツノヒコも表立って何かしてくる事はなかったが、ヤヒコがもう少し成長すれば、そのいがみ合いが争いの種になるかもしれない。

 ヤヒコは、周囲の大人が寝静まってから、食べ物を持って様子を見にやってきたのだ。
「夜に、海に近づくのは危ないと言われただろ」
 おれはヤヒコが持参した干し芋を齧りながら諭すと、ヤヒコは鼻で笑った。
「カヤの言うことは分かる。おれもタツノヒコが嫌いだ。あいつら帰ってこなけりゃいいんだ」
「そんなことを言うものじゃない」
 ヤヒコはおれを睨んだ。
「ウミヒコだってあいつのこと嫌いなくせに」
 ヤヒコは膝立ちになると、おれの肩に手をかけて揺さぶった。
「厄介払いの好機じゃないか、なんであんな奴を庇うんだよ!」
「それでも死んでいいってことにはならない。タツノヒコ達はたった今も、命がけで戻ろうとしてるんだぞ」
「……なあ、この火が消えなければいいのか?……おれが火守をすれば、ウミヒコは行けるのか?」
 おれはハッとしてヤヒコの顔を見つめた。おれ達はしばらく無言で見つめ合う。やがてヤヒコは大きく頷いた。
「そうだ、それしかないよ。ウミヒコ、おれが火守りをする。……カヤを追いかけて。多分、西の浜から入って登る鹿山だ。前にカヤに聞いたことがある。鹿山から谷沿いに行くと、皆がまだ知らない道があるって」

 そう聞いて、おれの心はぐらぐら揺れた。走り去るカヤの後ろ姿が目の前を過ぎる。気がつくとヤヒコの腕を握っていた。
「カヤとおれが居なくなっているのが知れたら、お前は仕置きされるだろう。でも、カヤが心配だ。しばらく頼めるか。必ず戻る」
「おれは村長の息子だ。命までは取られない。ほら、これ持って行って」
 ヤヒコは干し芋の包みをおれに押し付けた。おれは頷くと、ヤヒコが持ってきた松明に、再度、火を移した。

 松明の明かりでカヤの足跡を照らし、跡を追いながら後ろを振り返った。かがり火は既に遠く離れ、闇の中の一点の光になっている。浜が途切れて森になり、おれは斜面を登り始めた。火事になってはまずいので、松明の火を消す。強い風に煽られて雲が走り、途切れて月が姿を現した。

 山のこの辺りは、狩で良く入る場所だ。木はまばらで、月光があれば、何とか進める。森の中を慎重に登ってゆくと、裂かれた布の切れ端が結びつけられている枝が目に入った。近づいてよく見ると、まだ新しい。カヤの服の切れ端だ。おれが追ってきた時の為に目印をつけてくれたんだろう。胸に安堵が満ちて、力が湧いてくる。

 切れ端が付いた枝を三つまで辿った時、先の方で何か獣が暴れているような音、枝が折れる音が聞こえた。握った枝に何かが付いていて、べっとりと手を汚す。匂いを嗅いでみた。血だ。
 焦る気持ちと恐怖が拮抗する。獣の咆哮と幹を引っ掻くガリガリという音が聞こえた。
 大きな熊が後ろ足で立ち上がり、木の上の何かに吠えている。上に目を凝らすと、幹が揺れた拍子に僅かに声が聞こえた。カヤだ。熊は体重をかけて幹にのしかかり、木は大きくたわんで揺れていた。このままでは振り落とされるか、幹が折れるか、どちらにしてもカヤは逃げ切れそうにない。

 おれは腰の鞘から石刀を引き抜き、後ろから熊に駆け寄って首筋に切りつけた。厚い毛皮に阻まれて手応えがない。熊は驚き、幹から両手を下ろして木から離れた。
「ウミヒコ!逃げろっ」カヤの絶叫を意識の端で聞きながら、おれと熊は対峙した。まともに戦えば勝ち目は無い。とにかくカヤから熊を離さないと。ここからなら走れば谷までそう時間はかからない、はずだ。何とか誘い込んで落とせないだろうか。

「こっちに来い!」
 おれはわざと、後ろを向いて走り出した。熊は追いかけてくる。熊の方が人より早く走れるし、こちらは視界が効かない。なるべく木が密集しているところを通り抜けて、木が障害になってくれる事を願いながら走った。
 すぐ後ろから地響きと熊の荒い息遣いが聞こえ、おれはジグザグに走り、木の間をすり抜ける。恐怖にパニックになりそうな心を押さえつけ、必死に谷への道を思い出そうとする。暗さで足元が見えず、尖った木の根や石を踏みつけて草鞋はボロボロになり、足の裏から血が出ているが痛がる余裕がない。捕まったら終わりだ。早く、早く。

 幹をすり抜けようとして服が引っかかり、思わず熊の方を見ようとした時、熊に飛びかかられて押し倒された。その勢いのままおれと熊はゴロゴロ斜面を転がり、地面が急に落ち込んで崖になっている場所から投げ出された。おれと熊は崖を転がり落ち、途中で木にぶつかって衝撃で息が止まりかける。顔に血が流れるのを感じながら、熊がそのまま崖下に滑り落ちてゆくのを見ていた。

 立ち上がる力はもうない。身体中が酷く痛む。
 夜明けが近い。周囲は薄皮を捲るように徐々に明るさを増してゆく。次第に意識が遠くなる。

 何かが、ここで意識を手放したら、もう戻れない、と告げる。

 カヤは無事に逃げただろうか。

 逃げろ。お前を押さえつける全てのものから。遠くへ行け、あの山の向こうへ。
 ……おれが届かなかったところまでも。



   *      *      *      *      *      *

「ヤヒコ様」
 タツノヒコの声で俺は振り向いた。
「先ぶれが来ました。狗の國の使者が、まもなく到着します」
「宴の準備はいいか」
「はい」
 俺達は村の入口に向かった。タツノヒコは右足を引きずっている。戦での負傷だった。頑健な身体と膂力が自慢の男だったが、走れなくなり、狩が出来なくなった事で、村での力はだいぶ弱まった。そのせいか俺が村長を継ぐ時も、争いにはならなかった。入口の両脇には村の男達が並んでいた。全員素手で武器は帯びていない。

 彼らの列に挟まれるようにして、入口の所に、小柄な先ぶれが立っていた。先ぶれを表す大きな羽根の付いた飾りを頭に着け、狗の國のものが他の地に赴く時いつも被る、恐ろしげな狗の面を被っている。背中には身体に不似合いな大振りの刀を斜めに背負い、面に穿たれた穴から、強い目の光が見えた。
 俺は向かい合い、相手の言葉を待った。村は昨年、狗の國との戦に敗れて、その属領になっていた。属領のものから話しかけることは禁じられている。

「鹿山の村の村長に申し上げる。こちらからは十三名。開拓と開墾を教え導く者。武器を鍛え、織物を作る職人。狗の國の言葉の読み書きを教える者。ここを豊かにし、今後の交流を容易にするための施策である。のちに細かい取り決めをする」
 先ぶれの声は甲高く、子供の声のようだ。俺は応えた。
「然るべく。遠路はるばる、ようこそ。どうぞこちらへ」
「私はここで待つ。馬の世話を頼む」
 俺の合図で、馬番が先ぶれの乗ってきた馬を牽いていった。俺達は同じ場所に立ったまま、黙って使者の到着を待った。

 彼方に土煙が見え、面を被った一団が現れた。俺は目を凝らした。先頭の使者は、女、だろうか。男と同じ服装だが、長い髪と細い腰が近づくにつれ明らかになる。女の腕と足には目立つ傷痕がいくつもあった。俺は驚いた。女が政(まつりごと)に関わるとは。
 村の前で一団は止まり、全員が馬から降りた。女は最後にひらりと飛び降り、スタスタと歩いて先ぶれに呼びかけた。
「先に休んでいろと言ったろう」
「属領になって間もない國で油断はできません」
「彼らはこれから、私たちと手を携えていく。まずは私たちから腕を開き、歩みよって行かねば」
「…………」
 使者は肩をすくめると、俺に向き直った。
「鹿山村の村長どの。出迎え大義。……長口上は抜きにしよう。まずは休ませて頂きたい。皆と馬を案内してくれまいか」
「勿論です」
 俺と使者、先ぶれの三人は村の奥へ進み、一団の者たちもそれを追って次々と歩み入る。並んだ男達は進み出て、馬を小屋に連れていく者、やってきた一団を広場に案内する者で慌ただしい雰囲気になる。

 俺達は家に入った。先ぶれは入口に留まる。見張るつもりだろう。中に入ると使者は外套を脱ぎ、面を外した。俺は驚愕した。
「カヤ!?」
「ヤヒコ。見違えたな」
 カヤの顔には斜めに大きな傷跡があった。カヤは俺の反応を面白がるような顔で話し始めた。あの後、後を追って来たウミヒコが熊と姿を消したこと。山を越えて狗の國に入り、暫くは男の姿で暮らしたこと。戦が始まると、兵士として志願したこと。狗の国では女も兵士になれる。武勲を立てれば褒賞が貰える。戦場で何度も死線を潜り、やがてひとかどの武将として名を挙げたこと。

「女は男の十倍は働かないと、同じ見返りは貰えない。何度も死にかけて、血も涸れるかと思うほど辛かったよ。……けど後悔したことはない。欲しいものの為に戦うのは楽しい。ここに居たままでは、それすら出来なかった」
「…………」
「雉子國といずれ事を構えることになるだろう。それを見越して、兵糧の準備を急いでいるところだ。ヤヒコ、協力して欲しい。仕事は適性を見て決める。女でも戦う術を学び、男でも布を織って貰う。だが先ずは開墾だ」
カヤはテキパキと話したが、一旦口を閉じると、俺をじっと見た。
「……ウミヒコは、ここに居るのか」
「居る。けど……カヤが知ってるウミヒコじゃない」


 村はずれの荒家の中にウミヒコは座っていた。虚ろな目で、ノロノロと網を編んでいる。カヤが近づいても顔を上げようとしない。
「……魂が死んだんだって。村の爺さん達は言ってた。頭を強く打つと、身体は元気でも、たまにそうなるんだって。話ができない。食べたり用を足したりも、人が促さないと自分からしない。言われたまま動くだけの人形だ」
「…………」
 カヤはゆっくりウミヒコに近づきしゃがんだ。そっと相手の両手を握り、優しく作業を止めさせる。ウミヒコはカヤの顔を見た。表情は虚ろなままだ。
「ウミヒコ。カヤだ。迎えに来た」
 カヤは数瞬、口を閉じた。その顔が歪む。
「遅くなってすまない……本当は怖かったんだ。お前が私を恨んでいるんじゃないかと……私は……戦場で大勢の人を殺した。ギリギリの命のやり取りを何度もした……お前に会うまで死ねない。ずっとそう思って耐え抜いて、やっとここまで来たのに。今ほど恐ろしい気持ちになったことはない……どうか許して。私を許して」
 涙が溢れて頬を伝う。
「償わせて。私をずっと、お前のそばに居させて欲しい……お前が許してくれるなら」
 カヤはウミヒコの顔を両手で挟んで、顔を近づけた。
「ウミヒコ!」
 カヤが大きな声で呼びかけた。ウミヒコの手が上がり、カヤの涙を指で拭った。……彼の喉が動いた。何度か唾を飲み込むような動作の後、口を開いた。
「(カヤ)」
 声は出ていない。口がそう動いた。
「ウミヒコ……?」
「……カ……ヤ」
 しわがれ、ひび割れていたが、確かにウミヒコの声だ。俺は信じられない思いで見つめた。虚ろだった目には確かな光が灯っている。出し抜けに腕を掴まれた。先ぶれが腕を引っ張ったのだ。


 俺は腕を引かれるまま家を出た。肉を焼く匂いが漂っている。広場では宴の準備が進んでいる様子で、賑やかな気配が伝わってきた。
 先ぶれが面を外した。予想通り、子供だ。俺が何か言う前に、相手は口を開いた。
「私の國では“人の恋路を邪魔するものは狗に噛まれる”という言葉がある」
「それが?」
 先ぶれは狗の面を脅すように俺に突きつけた。
「噛まれたくないだろ」
 先ぶれは俺から手を離し、敏捷な身のこなしで広場に向かって走りだした。
「……っは」
 俺は苦笑いし、クソ餓鬼が、という言葉を寸前で飲み込んだ。

(完)
※5042文字



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【D表明の勇者の皆さまへ】
皆さまの作品をまとめてご紹介する記事を今週の土曜日にアップ予定です。時間があいちゃって申し訳ないです💦あと文字数オーバーごめんなさい(自分で制限を儲けて自分で達成できないって……カッコ悪っ(^_^;)a)
投稿作品と合わせて、皆さまの小説をひとつ、紹介させて頂きますです。
ほんとうにありがとうございました😊


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