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おばさんと電車と死体【リレー小説/⑪】

「なるほどねえ。そうやって説得するわけだ。まるで宗教の勧誘だな」
 不意に声が響いて場の空気を打った。おばさんは表情をこわばらせて、後ろをふり返った。
 CATがそこに立っていた。ふたつに切り離されたはずの身体は元に戻っているが、首から上が大きく変わっている。
 ぼくの頭ではなく、黒い猫の頭になっていた。被りものじゃない本物のリアルさ。無数に生えた細く繊細なヒゲ。まばたきをする眼。黒い艶やかな毛並みのなかに、金色の瞳がきらめいた。

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 CATの頭をみておばさんは歓声をあげた。
「わっ!なにその黒猫頭、かっこいい!!……ねえ、あなた何者?今まで会ったことない感じがするんだけど」
 CATは、黒くなめらかな毛で覆われたひとの手で、自分の髭に軽く触れながら
「井上君が名前から連想して、この見た目になってるんだと思うね。私はCAT、警視庁サイバースペース対策班のものです。大場千鳥おおばちどりさん、捜査にご協力お願いします」
「警視庁……」
 おばさん、いや大場さんは驚いた顔をしたが、すぐ不敵に笑った。「私はひとを殺したけど夢の中なんだから、バーチャル殺人でしょ。実際には誰も死んでないのに、なんの容疑で捕まえるつもりなのかな」
「威力業務妨害と傷害教唆の疑いがあります。あなた方がウサギ、赤シャツ、山猫と呼んでいた人たち。本名は宇佐美ゆうこ、近藤漱石、山根幸太郎といいますが。二ヶ月前に宇佐美と近藤、先月に山根が傷害と殺人未遂の容疑で逮捕されました。三人ともこの施設を頻繁に利用していたことがわかっています。三人と篠田、中嶋、そしてあなたは、同日同時刻に、ドリーム・アリスという共通のキーワードでダイブインしている」
「……」
「通常ならキーワードが重複したからといって、複数人が同じ夢を共有することはない。ここで起こっていることの原因はあなただ。あなたはドリームダイブを始めた当初、“夫”“殺人”というキーワードでダイブインしていた。ダイブするたびにご主人を殺していたのかな。離婚後、あなたは以前にも増してダイブに入り浸るようになった。そして自分の能力に気づいて、友人の中嶋と遊戯を始めた。お互いに殺しあう殺人遊戯だったのではないですか。ふたりだけでは飽き足らなくなったのか、施設のネットワークを通じて、他人の夢に侵食し仲間を増やしていった。さっきの三人と篠田だ。同時刻にダイブしている大勢の人間のなかから彼らが選ばれた理由はなにか。……6人の共通点は、ドリーム・アリスを始める前から、あるキーワードでダイブを繰り返していたこと」CATの瞳がきらりと光った。「“自殺”」

 大場さんは大きくため息をついた。
「ねえもしかして、そういう細々したこと警察にリークしたのは赤シャツじゃない?」
 CATはわずかに頭をそらした。
「リークじゃなくて証言ですよ」
「やっぱり。前に、このネタで小説書いていいかって訊かれたことあるもの。やめとけって言ったんだけどね、日記とか書いてたんだろうなあ」
 大場さんは目を伏せ、刀を持っていない方の手を頬にあてた。
「三人とも捕まったって?そっか、現実世界でもやっちゃったってことかあ」
「さっきあなた井上くんに言ってましたよね。夢の中で殺人と自殺を繰り返すことで、死への抵抗を少なくすると。人を殺してはいけない理由のひとつはですね、問題を解決するために一度殺した人間は、次も殺す可能性がずっと高まるからです。二度殺すと三度目はほとんど抵抗がなくなる。ドリームダイブもそれに近い効果があると考えられます。篠田はいずれ現実で事件を起こすでしょう。非常に危険だ」
 CATは両手をひろげた。
「ドリームダイブがはらむ危険をあなたは可視化した。いま規制にむけて有識者の議論が始まっています」
 大場さんはキッとなって叫んだ。
「そんなの困る!ダイブできなくなったら困る」
「私に言っても仕方ないし、ここで是非を議論したところで始まりませんよ。さあ、そろそろ彼を現実に返してあげませんか。お話は署でじっくり聞きますから」

 ふたりの視線がぼくに集まり、はっと我に返った。CATの語る内容にすっかり聞き入ってしまって自分の境遇を忘れていた。そうか、生体ハッキングってそういうことだったのか。ん?しかし分からないことがひとつあるぞ。ぼくは思わずこう言った。
「でも、おかしくない?ぼくはキーワードに自殺も殺人も入れてない。なんでハッキングされたんだろう」
 CATは頷いた。
「そう、そこが業務妨害の根拠で。一年ほど前からこの施設で、人が傷つけられたり殺されたりする場面を見た、キーワードは入れてないのにってクレームが入るようになったんだ。予想だけれど、大場さんがネットワークに介入する影響で、混線が起こっているのではないかな。混線が起こると互いの夢の一部が重なって、のぞき見してるみたいに、相手の夢の景色が見えてしまうらしい。大場さんと仲間たちの殺戮&自殺ショーなんて見たらトラウマものだろう。……キーワードが重複してると起こりやすいのかもしれない。今回の電車と海とか」
 大場さんは持っていた刀を砂の上に投げ捨てた。
「ねえCAT、さん。立ち話もなんだしさ、座って話さない?」
「……いいでしょう」
 CATは指をぱちりと鳴らした。するとすぐそばにテーブルセットが出現した。さっき大場さんたちが座っていた白いパラソル付きのやつじゃない。黒くて細いスチール製で、背もたれや脚が優美な曲線で構成されている椅子と、同じくスチール製の小さな丸いテーブル。ヨーロッパのカフェを連想させる。大場さんはかなり驚いて、それらとCATを交互に見た。
「あなたも私と同じ力があるんだ……!」
 CATは椅子に座りながら、ぼくらにも座るよう身振りでうながした。
「私はAI……ネットワーク犯罪対策用プログラムです。毎日のように新しい知見を蓄積していますよ。ウィルスにもいろんなタイプがありますねえ、ネットは広大だ」
 そういいながら金色の猫の瞳で大場さんを見つめた。大場さんは笑いながら椅子に座った。
「ウィルスって私のこと?」
「ある意味では」
 CATはテーブルの下で足を組んだ。普通に人間の足に見えるけど、ズボンと白いスニーカーの隙間にのぞく足首の肌には黒い毛並みが見えた。ふたりの平静な言葉のやりとりの底にひややかな空気を感じる。
 ぼくも椅子に腰かけた。大場さんがいつの間にか抱えたお盆から、白いカップに入った紅茶を三つテーブルに置いた。CATはその様子をじっと見ている。大場さんは澄ました顔でカップの紅茶をすすると、にっこり笑って言った。「どうぞ召し上がって」
 ぼくは湯気の立つカップを手に取ろうとしたが、CATが黒い手をぼくのカップの上にかざした。
「飲まないほうがいい」
「え、なんで?」
「彼女が提供するものを身体の中にいれる行為はハイリスクだと思う」
 ぼくはぎょっとした。「さっきスイーツ食べちゃったし酒も飲んじゃったけど」
「さっきとは状況が変わった。彼女は私に敵意を持っている。なにか仕掛けてくるかもしれない」
 大場さんは傷ついた、という顔をして「ひどーい」と声を上げた。そして視線をぼくに向けた。
「そもそも私が中嶋やマイメロちゃん、ほかの三人を殺したのも、お願いされたからだよ。あなたも見てたよね。確実に生き返れるなら、試しに死んでみたい人は大勢いるの。そういう好奇心って人間なら当たり前だと思う。私がやってることってむしろ人助けなんじゃないかな。ねえ井上くんはどう思う?」
 答えに窮していると、CATが代わりに答えた。
「あなたの犯罪を立証することは確かに難しい。だけど、これまでのあなたのふるまいを見て、あの三人にどういう働きかけをしたか大体分かったので。放置すれば重大事案につながる可能性が高いと判断しました。すでに現実世界では、あなたの身柄を押さえてありますよ。抵抗は無駄です。いたずらに事態を引き延ばさず、井上くんを解放してください」
 ぼくは声を上げそうになった。確かに言われてみれば、ぼくも大場さんも現実世界ではドリームダイブの装置に繋がって寝ている状態なのだから、すでに袋のネズミみたいなもんだ。だったら今すぐつかまえればいいじゃないか。
 すると大場さんから表情が消えた。彼女は低い声でいった。
「警察は現実世界で、私のヘルメットを無理やりひっぺがすこともできるのに、そうしないのはどうして?井上くんがいるから?」
 大場さんの強い眼の光にぼくは動けなくなった。場の緊張が一気に高まり、CATは鋭い声で警告した。
「ここの場面も私の眼を通じてリアルタイムで録画されてる。抵抗はやめろ、あなたが不利になるだけだ」
「今更そんなことを気にするとおもうの、この私が。自分の死すら何度も経験しているこの私が」
 だしぬけに周囲が真っ暗になった。髪が逆立ち耳元でびゅうううと風が鳴っている。頭上にあいた丸い穴の向こうに、CATの驚いた顔とこちらに伸ばした手が見えたが、みるみるうちに遠ざかって、小さな光点になって、闇にまぎれた。
 足元の地面が消えて穴に落ち、ぼくはいま、闇の中をどこまでも落下しているのだった。

第⑫話に続く→

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