見出し画像

おばさんと電車と死体【リレー小説/⑧】

「ああ本当、どれだけ沸いてくれば気が済むんだよ」
 すぐ目の前からひどくダルそうな声がした。男性がいた。中肉中背の、よく鏡の中で見る死んだ魚の目をしたぼくだ。目の前のぼくは、真っ赤に染まったサバイバルナイフを持っていた。

 ぼくは、刃渡り20センチほどの赤く染まったナイフから目が離せない。ナイフを持って目の前に立つぼく(ややこしいので「ぼくB」と呼ぶことにする)は、ぼくを頭の先から足までジロジロみると、顔をしかめた。
「お前か元凶は。やっばい、ありえないダサさ。こんなんがワサワサいるとかメンタルに超ダメージ入るんだけど」
 ぼくと同じ服装(ブルーグレーのフルオーバーパーカーに黒のワークパンツ、白いコンバースのスニーカー)のぼくBは、ナイフを持ったまま両手を上にあげると、その場でくるりと一回転した。すると、フルオーバーパーカーは派手なラメ入りピンクの蛍光色に変わり、下半身は足にぴったり吸いつくように細くなって、黒いスパッツズボンになった。凝った模様のスニーカーはブランドものの高価なやつだ。そしてぼくは、ぼくBの顔を見てびっくりした。不機嫌そうな表情はそのままで、ショートカットにピンクのメッシュが入った若い女の子になっている。つけまつ毛と濃い化粧で彩られている顔は、化粧を落とせばまったく違う顔になりそうな感じだ。
 女の子は自分のパーカーに触れて満足そうにうなずくと、くるりと向きを変え「ちょっとぉーおばさーん!もおう、あいつら歩くの速すぎだっつうの」と大声でわめきながら、おばさんと男の方へ歩き出した。
 そして、砂浜に横たわる大勢のぼく(ちょっと癪だけど便宜的にモブと呼ぶことにしよう)……モブは、それぞれがゆっくりと起き上がりつつあった。4、50人くらいか。身体についた砂を払っているもの、頭を振って立ち上がるもの、伸びをするもの……何人かは首や腹から血が出ていたが傷を気にする素振りもなく、ぞろぞろ陸地の方へと歩き出した。どうやら、おばさんと男と女の子の後を追っているようだ。他に行くあてもないので、ぼくも彼らの後ろを少し離れてついていった。自分の後頭部を眺めるのは、すごく変な気分だ。

 白いリゾートホテルの建物が見えてきた。周りには背の高い椰子の木が立ち並び、建物の後ろには緑色も鮮やかな森があって、それは途切れることなく、てっぺんまで緑に覆われた山並みに続いている。うっすら森を覆う緑色の霧のなかにまぶしく輝く建物の白。コントラストが美しい。
 ホテルの建物の前の砂浜に、白いパラソル付きの四人がけテーブルセットがふたつ並んでいて、おばさんと男と女の子はひとつのテーブルセットに座り、もう片方は誰も座っていない。彼らはそこに座ってくつろいだ様子でコーヒーを飲んでいる。おばさんは、ぼくと目を合わせると手招きした。周りのモブはぼくと同じ顔をしているのに、おばさんはぼくを見分けているのだろうか。招かれるまま近づき、空いている席に座った。モブがひとり、さっと近づいてきてメニューを手渡した。
・コーヒー
・紅茶
・水
 品目はこれだけだ。ぼくはコーヒーを注文した。
 周りのモブ達は、いつの間にか腰に黒いギャルソンエプロンを巻いていて、当たり前のように、しずかに立ち働いている。僕らのテーブルの近くに長テーブルがセットされ、その上に大きなホールケーキと、カットフルーツや小さなサンドイッチが盛られた大皿が並べられた。モブたちは、取り皿にそれらを少しずつ取り分けると、テーブルに人数分置いた。女の子とおじさんとおばさんは、これまた当たり前のように、添えられたフォークでそれを食べ始めた。ぼくは途方に暮れる半分、好奇心半分という心持ちで、フォークを手にとって桃をひときれ口に入れた。柔らかくてみずみずしい果実は口の中で溶けて消えた。
 皿をあっというまに空にしたおじさんは、モブに自分の皿を見せておかわりを頼むと、もうひとつのテーブルの方を眺めて言った。
「ウサギと赤シャツ、あと山猫も。しばらく見ないな。なあマイメロ、おまえ会ったか」
 マイメロと呼ばれた女の子は手元のコーヒーカップを見下ろした。乾いて骨ばった細い指に、服と同色のラメ入りネイルが鮮やかだ。彼女は小声で答えた。
「……見てない。リアルが忙しいのかもだし、リアルに金がないかもだし」
 おじさんは、おばさんの方を見て、何か知ってるか、と目で尋ねた。おばさんはのんびりと応じた。
「いっちゃったのかもねえ」
「いったって、どこにだよ」
「あの人たちが本当に行きたかったところに」
 女の子とおじさんは顔を見合わせると、なにごとか考え込むように海に視線を向けた。ぼくはその様子を眺めながら考えた。ウサギと赤シャツと山猫?誰かのあだ名だろうか。それにこの話ぶり、この人たちはドリームダイブのなかで会っていたってこと?
 ぼくは本格的に混乱してきた。目の前の人たちはぼくの想像上の人物というにはあまりにも真に迫っていたし、現実世界で知っている誰かに似ているわけでもない。夢の中のキャラクターじゃなくて実在の人物としか思えない。そんなことが起こり得るのかな?
 AIドリームダイブって結局は、個人の夢のはずだ。装置が脳に電気信号を伝えて“脳に夢を見させる”仕組みって聞いている。映画を観るのと違って、自分の脳にあらかじめ入っているイメージしか見ることができないはずなのだ。もちろん、他人と夢を共有するなんて不可能なはず……それともぼくが知らないだけで、有料会員向けに複数人が同一の夢にダイブできるサービスがあるのかな。でも、だったらぼくがここに混じっているのは変だ。年会費を払ったりしてないし。
 ぼくが考え込んでいると、不意に斜め後ろから突き出されたコーヒーのカップがぼくの肘にぶつかり、こぼれたコーヒーが腕にふりかかった。ぼくとおばさんは同時に「あ」と声に出した。ぼくにコーヒーをぶっかけた形になったモブは「大丈夫ですか!?」と叫んだ。
「タオルと着替えが向こうにあります!ほんとにすみません、ちょっとこちらに来ていただけますか?」
「えっ……」この世界なら、どんな染みも手でパタパタはたけば綺麗になるんじゃ?と思ったけど、モブが汚れた方の腕を取って軽く引っ張ったので、ぼくは仕方なく席を立って、彼についていった。テーブルを囲んだ面々のなかでおばさんだけは、もの問いたげな目つきで僕らを見ていたけど、なにも言わなかった。


 ぼくとモブは、アンティークな和洋折衷デザインのホテル内に入った。モブは勝手知ったる様子で歩いてゆく。屋内は、いつだったか旅行雑誌で見た高級旅館みたいだった。深いえんじ色のカーペットと白い壁が続く廊下には、繊細な格子模様の装飾と、重厚な木製のドアが交互に並んでいる。ドアには部屋番号が刻まれた真鍮のプレートがはまっている。ひとつのドアの前でモブは立ち止まり、ドアを開けた。
 部屋も隅々まで綺麗に整えられている。モブは早足で部屋を横断し、クローゼットの扉を開けて、棚から白いシャツを取り出した。そしてそれを、皺ひとつないベッドカバーの上に放り投げた。彼のふるまいの荒っぽさに少々ムッとしながらも、シャツを手に取ろうと近寄ると、モブは「君が着るのはそっちじゃない」と、ぴしりと言った。ぼくは驚いてモブを見て、彼がエプロンの紐を解き、パーカーを脱ぐのを見てさらにギョッとした。えっなんだコレ、どういう展開!?狼狽えながら見守っていると、上だけタンクトップ姿になった彼は、ぼくをみて苛々と眉間に皺を寄せた。
「君も早く脱いで」
 ぼくはあわてた。「嫌だ!なんで自分自身とエッチせにゃならんのだ!」
 モブは不機嫌そうな表情のまま、白いシャツを手に取って身につけ始めた。
「私だってそんなつもりないよ。服を取り替えるんだ。顔は同じだから入れ替われるかもしれない。まあ、そんな単純な手でクイーンを誤魔化せるか、かなりあやしいけどね。やるだけやってみよう。さ、いま私が脱いだほうを着て」
 ぼくは驚愕してモブを……自分そっくりの男を見つめた。こいつはぼくじゃない。中に誰か別の人間がいる。また新キャラ登場?いい加減にしてくれよ……ぼくはうんざりして、コーヒーの染みがついたパーカーを脱ぐと床に放り投げた。そしてベッドに腰を下ろした。
「なんかさ……なんなのこれ。全然楽しくない。目覚めたら速攻クレームいれなきゃ気が済まないんだけど」そして白いシャツに着替えた相手を睨みつけて、叫んだ。
「イジェクト!」
 しばらく待ったが何も起こらない。あれ?いつもこの言葉を口に出すと目覚めることができるんだけど。もう一度。「イジェクト!……おーいイジェクトだってばよ!イジェクトおお!!」
 白いシャツに着替えたモブは、腕を組み、ぼくを観察するみたいに見下ろして言った。
「やっぱり目覚められないんだな。まあ、そうか……ねえ井上吐夢いのうえとむくん。落ち着いて聞いてほしい。君はここの夢主に間違いないんだけど、いまこの場所をコントロールしているのは君じゃないし、ドリームダイブセンターでもない。……いや厳密にいうと、センターは現実世界で君のヘルメットを脱がせることはできるけど、君は昏睡状態のままになってしまう可能性もあるんだ。簡単にいえば、君はセンターでダイブ中に事件に巻き込まれたんだな。非常に稀な事例で前例がなくて、夢主の君にどういう影響があるのか予測がつかない」
 驚くあまりに麻痺したようになって、目の前の白シャツ姿を見つめた。やっぱりこれは異常事態なんだ。ぼくは呆然とつぶやいた。
「いったいなんなんだ……お前は誰なんだ」
 モブと目が合う。自分の顔のはずなんだけど、通常のぼくよりずっと知的に見える。彼はわずかに首を傾げ、口を開いた。
「私は警視庁サイバースペース対策班の捜査官だ。さっき外にいた中年の女性、ドリームダイブの世界ではハートのクイーンと呼ばれているらしいんだけど、現実世界で起こった三件の傷害事件に関わっている可能性が高い。その傷害事件の容疑者の名前は、宇佐美うさみゆうこ、近藤漱石こんどうそうせき山根幸太郎やまねこうたろう。全員がここの、AIドリームダイブのヘビーユーザーだった」
「……ウサギと赤シャツ、山猫……」
「おそらく、容疑者の呼び名だと考えて間違いないだろう。そしてさっきまで一緒にいた男性と若い女性、中嶋康二なかしまこうじ篠田巴しのだともえは、傷害事件の加害者になる可能性が高い。それから、もしかすると君も。君はたった今、ハートのクイーンに生体ハッキングされている状態らしい。これ以上、侵食される前にクイーンを止めなければ。協力してほしい」
 せ、生体ハッキング?警視庁の捜査官?マジか。いつもの夢よりもさらに非現実的だ。なんだよ生体ハッキングって。どうしてぼくが巻き込まれなきゃならないんだよ。てかさ、無事に目覚められるのか?協力っていったいどうすれば?……でも、ようやく口にできたのは、この質問だった。
「ぼく、今まであなたのことをモブって呼んでたんですけど。なんて呼べばいいんですかね」
 白シャツはニッと笑った。
「私はAIなんだ。現実世界の身体は存在しない。不正検出対処AI……ネットワーク内の不正行為やウィルスを見つけて対処するプログラム。デバッグプログラムの特別なものという方がわかりやすいかな。警察ではCATと呼ばれている」
「CAT?猫のキャット?」
「プログラムの内部で悪さするネズミを捕まえるのが役目だからね」


第⑨話に続く→

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?