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ミルグラム ムウ考察

はじめに

 DECO*27×OTOIRO×山中拓也による視聴者参加型プロジェクト『MILGRAM』の登場キャラクター、楠夢羽の考察です。

考察を行ったのは、宗教観を担当したのはみるやね(@milg_mnym )、心理方面を担当したのはらと(@RatoRato934 )です。

⚠️誹謗中傷、否定的な意見はやめてください。
特に、tosで引用する形で誹謗中傷はしないでください。実際にtosで引用して考察を悪く言われたということが実際にあり、考察をしている私達がとても傷ついた出来事があるので、控えて頂けると幸いです。

ムウ 第一審曲『アフターペイン』

ムウ宗教観考察

ムウちゃんは映画『エミリー・ローズ』で出てくる悪魔憑きの話が元になっている可能性がある。エスくんに絡めて説明したい。
 まずは映画『エミリー・ローズ』のあらすじ、『エミリー・ローズ』の元になったとされるアンネリーゼ・ミシェルについて記述する。

エミリー・ローズ

『エミリー・ローズ』(The Exorcism of Emily Rose)とは
2005年に制作されたアフリカ映画で、ジャンルはホラー・サスペンスである。(「ホラーではなく実話である」ともされている)。
監督スコット・デリクソンで、主演はローラ・リニー、ジェニファー・カーペンター。
上映時間は120分になる。

『エミリー・ローズ』あらすじ
何一つ不自由のない暮らしで、奨学金も給付され大学に進学し、安定した生活を送っていた19歳のエミリー・ローズ
ある日の晩、大学寮で眠っていたところ奇妙な現象に襲われる。真夜中の午前3時、焦げ臭い匂いで目を覚ました彼女は突如として何かに押さえつけられるようにしてもがき苦しみだしたのだ。その後、彼女には幻覚、幻聴が起こるようになる。そして遂には発狂してしまう。医学的治療を行なっても治る兆しを一向に見せない彼女は、それらを悪魔の仕業だと確信。地元の地区神父であるムーア神父に助けを求める。神父も事態を重く見て彼女を救うべく、祈りによって悪魔との対決を試みた。しかし結果は失敗。エミリーは死亡してしまう。
悪魔の存在は信じられることなく、エミリーの死亡はムーア神父によるものと疑いをかけられてしまい、神父は裁判で裁かれることになる。弁護士のエリンはそんなムーア神父を救うべく奔走する。
(wikipediaより)

アンネリーゼ・ミシェルについて
アンネリーゼ・ミシェル (Anneliese Michel、 1952年9月21日 - 1976年7月1日)は悪魔に取り憑かれたとして有名な女性。ドイツ出身。
1968年の16歳頃から震えなどの異変が身体に出始め、精神科医に「てんかん」と診断される。薬を処方され暫くは落ち着いていたが、やがて普通のてんかんの症状を逸した症状が出始め、幻覚を見たり、身体を何かに持ち上げられベッドに何度も叩きつけられる。彼女の意思とは関係なく物凄い力で体を動かされたりする。 薬を飲んでも治まらず、やがて蜘蛛や蝿を食すようにもなり、自傷行為が酷くなる。とても本人の声とは思えない声で汚い言葉を吐いたり、彼女が知りもしないラテン語を喋るようにもなった。彼女は自分が悪魔に取り憑かれたのだと考えた。
1973年(20歳)の時、両親はついに教会に悪魔祓いを頼むが拒まれる。 医者にかかり再び薬を処方されるも症状とその現象は悪化していった。1975年、22歳の時、ようやくヴュルツブルク司教会は悪魔祓いの許可を出し、カトリックのエルンスト・アルト司祭(41歳)とアーノルト・レンツ(67歳)がエクソシズム(悪魔祓い)を行う。司祭が「お前は誰だ?」と心に思うと、悪魔は返事をし、名を名乗った。アンネリーゼにはなんと6体もの悪魔が取り憑いていた。この際の肉声テープも存在する。

・彼女についてた6体の悪魔
1ルシファー(堕天してサタンとなったとされる地獄の王)
2カイン(アダムとエヴァの息子。アベルという弟を殺し、人類最初の殺人者とされる)
3ユダ(十二使徒のひとり。キリストを裏切った)
4ネロ(キリスト教徒を迫害し後世暴君と評されたローマ皇帝)
5バレンティン・フライシュマン(1572年から1575年にかけてエットレーベン教区で司教を務めたが堕落した聖職者であった。4人の子供を持つも、女、酒、暴力に没頭し、司教館で撲殺事件を起こしたという記録を残す)
6ヒトラー(近代史のドイツの悪名高い独裁者)
(6を覚えておいて欲しいです)

2時間以上にわたるエクソシズムでマリアに関する言葉を悪魔に言わせて悪魔祓いは成功する。
しばらく後、アンネリーゼ・ミシェルはマリアに出会い、「悪魔に取り憑かれて苦しんでいる人が大勢居る。その為にもう一度悪魔に憑かれたまま、命を捧げてくれ」と頼まれる。 彼女は悩んだ挙句、マリアの言葉に従うことにする。
そして悪魔に再び憑かれ食事も摂らなくなり1976年7月1日他界した。23歳であった。まだ若いのに聖母マリアや悪魔に取り憑かれた人達の為に命を捧げたということで、彼女のお墓には沢山のキリスト教徒が来るという。 尚、その後彼女の両親と神父は起訴され、裁判の結果両親と神父は過失致死で懲役刑、執行猶予6ヶ月という判決を受ける。この経緯は「エミリー・ローズ」という映画にもなった。
(wikipediaより)

エスくんについて

ここでミルグラム実験(Milgram experiment)について説明する。
別名アイヒマン実験・アイヒマンテスト(別名)という。

アイヒマン実験(ミルグラム実験)
→閉鎖的な状況における権威者の指示に従う人間の心理状況を実験したもの
→ 権威者の指示に従う人間の心理状況を実験したものである。
→50年近くに渡って何度も再現できた社会心理学を代表する模範となる実験
 →アメリカ、イェール大学の心理学者スタンリー・ミルグラム(Stanley Milgram)が1963年にアメリカの社会心理学会誌『Journal of Abnormal and Social Psychology』に投稿した。
アイヒマン実験になった経緯

 東欧地域の数百万人のユダヤ人の絶滅収容所に輸送する責任者であったアドルフ・アイヒマンは、ドイツ敗戦後、南米アルゼンチンに逃亡して「リカルド・クレメント」の偽名を名乗り、自動車工場の主任としてひっそり暮らしていた。彼を追跡するイスラエルの諜報機関がクレメントは大物戦犯のアイヒマンであると判断した直接の証拠は、クレメントが妻との結婚記念日に花屋で彼女に贈る花束を購入したことであった。その日付はアイヒマン夫婦の結婚記念日と一致した。またイスラエルにおけるアイヒマン裁判の過程で描き出されたアイヒマンの人間像は人格異常者などではなく、真摯に「職務」に励む一介の平凡で小心な公務員の姿だった。このことから「アイヒマンはじめ多くの戦争犯罪を実行したナチス戦犯たちは、そもそも特殊な人物であったのか。それとも妻との結婚記念日に花束を贈るような平凡な愛情を持つ普通の市民であっても、一定の条件下では、誰でもあのような残虐行為を犯すものなのか」という疑問が提起された。
 この実験は、アイヒマン裁判(1961)の翌年に、上記の疑問を検証しようと実施されたため、「アイヒマン実験」とも言う。
実験の結果は、普通の平凡な市民が一定の条件下では冷酷で非人道的な行為を行うことを証明するもので、そのような現象をミルグラム効果とも言う。実験から約50年後の2015年、オーストラリアの制作会社が、シドニーで役者を用いてこの実験を再現した番組を発表した。


軍服
ナチス・ドイツの軍服とエスくんが身につけている看守服が似ていると軍服マニアの友人が教えてくれました
(白黒の画像しかなかったので憶測ですが..)

六芒星
アンダーカバーでブラックボックスが開くシーン
→よく見ると六芒星が描かれている

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ダビデの星(ダビデのほし)は、ユダヤ教、あるいはユダヤ民族を象徴するしるし。二つの正三角形を逆に重ねた六芒星(ヘキサグラム)といわれる形をしておりイスラエルの国旗にも描かれている。

エスくんとムウちゃんの関係性

ここでムウちゃんとエスくんのドラマパートを思い出して欲しいです。
(ここからはドラマパートネタバレになります、ご注意ください)

 数秒の間があったあと、ムウちゃんの声音が低くなり、様子が明らかに変容したシーンがあります。そこで、ムウちゃんはエスくんを追い詰めていました。

先程までエスくんの看守服がナチス・ドイツの軍服と似ていると言ったことや、ミルグラム実験を行った理由がナチス・ドイツのアイヒマンが普通の人間だったのにとある条件下では残酷になるミルグラム現象を検証する為に行われたものであると証明するものであるということを説明しました。
 アイヒマンはヒトラーの部下で関係も良好だったとされている。エスくんが身に付けている看守服がナチス・ドイツの軍服だとしたら、エスくんはもしかしてアイヒマンである可能性がある(ミルグラム実験がアイヒマンの経緯でできた実験だから)
 ムウちゃんがエミリーローズが元になってるとしたら、取りついた悪魔の中にアドルフ・ヒトラーの存在がいる。

だからエスくん(アイヒマン)をムウちゃん(ヒトラーの人格)が追い詰められたのでは?

 悪魔憑きと精神反応

ムウちゃんの囚人楽曲『アフターペイン』から

痛みの中で会いましょう 私だけの居場所
心隠す死化粧 解き方は内緒

曲調が変化し、不穏な雰囲気が作られる。
歌詞の中には「痛みの中で会いましょう」という歌詞があるが、此処についてまず考察をしてみる。

「痛みの中で会いましょう」
ということは痛みの中でしか会えない
=痛み付けられる事が必要
=ムウちゃんが持っているものはマゾヒズムでは?

マゾヒズム
肉体的精神的苦痛を与えられたり、羞恥心や屈辱感を誘導されることによって性的快感を味わったり、そのような状況に自分が立たされることを想像することで性的興奮を得る性的嗜好の一つのタイプである。

しかし、痛め付けられると同時に「会う」ということはその瞬間に、エスくんを追い詰めた瞬間のように、相手を痛め付ける、追い詰めるサディズムに変わるのでは?

サディズム
苦痛や不快をこうむる他者を見ることで快楽を得ることを意味する。

その事からムウちゃんはマゾの状態から、サドの状態になる、つまり両方を兼ね揃えたサドマゾの可能性がある。

普段はいじめられる側でいることを受け入れているが、ふとした瞬間に相手を追い詰め攻撃するようになることからムウちゃんはサドマゾの可能性がある。

「痛みの中で会いましょう」
という歌詞から、痛め付けられることでサディズムの自分とマゾヒズムの自分が入れ替わる

「会いましょう」という漢字を考えて
「会う」「ま」という文字を抜き出してみると
「会いま」⇒「あうま」⇒「逢う魔」
「逢魔」と言葉遊びができる。

有名なもので
逢魔時と言われるものがある。
夕方の薄暗くなる、昼と夜の移り変わる時刻、黄昏どきのことをいう。
魔物に遭遇する、あるいは大きな災禍を蒙ると信じられたことから、このように表記される。

⇒移り変わるという表現がある
⇒ムウちゃんもマゾの状態からサドの状態へと移り変わると踏まえるとこのような言葉遊びもできるのでは?

そして歌詞を作成しているのは、かの有名なDECO*27さんです。
他にも『妄想感傷代償連盟』でも同じような表現が使われていたり、DECO*27さんの傾向的に「会いましょう」という歌詞の中で似たような言葉遊びをしている可能性があります。
そして「しょう」の部分を「症」「消」など漢字を当てはめてみると「症」という漢字が傾向に含まれている可能性があります。

『痛みの中で逢魔症』という言葉遊びも可能ではないでしょうか。
悪魔の声による刺傷 返す刃は遺書

「悪魔の声による刺傷」という歌詞があるが、
「ししょう」という言葉は他の漢字に置き換えられる。
「死傷」「私消」「私傷」「嗤笑」「師匠」など様々な漢字に置き換えられる。

「刺傷」
→鋭くとがった物を体に突き入れ貫通させる事
「私消」
→公共の金品を勝手に私用に消費すること
「私傷」
→公務中でない時に受けた傷
「嗤笑」
あざけって笑うこと。冷笑。物笑い。
「師匠」
→ 学問・技術・遊芸を教える人。
「“あなた”が好きよ」

ここでいう「“あなた”」とは?

①ムウが殺害した女の子
→同性愛的に好きな可能性

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②「ムウ」自身説
→いじめを受けていて可哀想な自分のこと

「好き」という言葉

I love YOU.
動詞の意味
love
1 愛する,かわいがる,惚れている
2〈神などを〉敬愛する,崇敬する.
3〈動植物が〉〈…を〉好む,必要とする.

愛している以外にも尊敬している、尊敬、必要としているなどという意味合いがある。

では、loveの対象は?

YOU
you:貴方、貴方達

普通文章で「I love you」とする
(つまり、youは小文字で現れるのが普通)
だけど此処でははっきりと強調されている。
しかも、you=貴方だけではなく、“貴方達”も含まれる

彼方(あなた)と読む時もある。
彼方(あなた)の意味
①離れた場所・方向など。向こう。あちら。
②以前。昔。
③ 対等または上位者に用いる。あちらのかた。あのかた。

つまり、ムウちゃんが好きって言ったのは?

「好き」以外にも「隙」「空き」「透き」など置き換えが可能です。

き【透き/隙】

1 物と物との間。間隙(かんげき)。すきま。
2 引き続いている物事の絶え間。合間。ひま。
3 気のゆるみ。油断。また、つけいる機会。
「相手の—につけこむ」「—をねらう」「—を見せる」

手にかけた女の子だとしたら、「隙」があったから殺したという可能性はあると思います。

歌詞考察&精神反応考察

悪魔憑きを踏まえつつ、考えられるもの

・多重人格(非憑依型)
・演技性パーソナリティ障害

多重人格(非憑依)

多重人格

2つまたはそれ以上の、他とははっきりと区別されるパーソナリティ状態によって特徴づけられた同一性の破綻である。文化によっては憑依体験と記述される。症候は他の人によって観察される場合もあれば、本人から報告される場合もある。解離性健忘を伴う。

非憑依型
あまり明白にならない傾向がある。
患者は自己感覚が突然変化したと感じることがあり,おそらくは自分を主体ではなく,自分の発話,感情,および行動の傍観者であるかのように感じる。多くの患者では反復性の解離性健忘もみられる。

非憑依型
→憑依型より気付いて貰いにくい。統合失調症と誤診されやすい。大きな災害時に非憑依型の人が増えたという統計の結果があり、認められるようになった。

悪魔憑きのことを踏まえると「6」個の人格が存在する可能性があります。
悪魔憑きは海外ではよく多重人格と診断されていた。(Wikipediaより)

「悪魔がとりついてるんです!」と訴える人の97%は精神疾患の場合が多く、男性よりも女性に多い傾向があります。
悪魔憑きや悪魔祓いの話は下のサイトを見ると分かりやすいと思います。

歌詞にも「悪魔による刺傷」とあります。悪魔によって刃物って突き入れて貫通させるということ、つまり悪魔の人格が殺した可能性。
(悪魔の人格を否定しないとムウはまた再犯を繰り返す可能性が高い)
アンダーカバー内のムウちゃんが登場するシーンで、階段の段数を数えると「6」つ。

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多重人格の人によく見られるのが解離と言われる症状。

解離性障害
⇒自分が自分であるという感覚が失われている状態。
例:)ある出来事の記憶がすっぽり抜け落ちていたり、まるでカプセルの中にいるような感覚がして現実感がない、いつの間にか自分の知らない場所にいるなど
様々な症状があります。

解離の表現として硝子がよく使われています。

硝子に覆われた世界から外(=自分をいじめている人達)を見ている。
自分、硝子、外の人達と世界を切り離して、
まるで硝子で切り離された場所から現実を見ているというのが分かるような表現を使われている
『アフターペイン』の中ではムウは油時計の硝子の中にいる。

油時計

例えば、瓶がストレスゲージだとします。
その瓶がマックスになってその時にストレスがさらに強くなることがあるとします。
その瓶が割れたことを心は無かったことにしようとして、その割れた瓶をさらに新しい瓶に閉じ込めます。

これが多重人格の始まりです

DIDの人は、自分を守るために頑丈な殻の中に篭ってしまうもの。その殻はすごく分厚くて硬い。

<解離障壁>

自己システムには、幼少期にトラウマを抱えた人々の内なる“家”にはしばしば、多くの考えや感情、身体感覚、情動(秘密にされた、あるいは恥ずかしさと共に体験された強い感情)があり、まるで鍵つきのドアと厚い壁によって隔たれているかのように、自己からも他者からも隠されている。セラピーを進めていくうちに、自分を恥じることが減り、自分自身を受容しやすくなって“内なる家”に至り、より開放的な“間取り図”を手に入れることができるようになります。
トラウマ治療を急いで行おうすると、この壁は、すなわち“解離障壁”に阻まれ、作業が行き詰まってしまいます。治療の行き詰まりや“ルーピング・堂々巡り”は、ある事柄が本人によって否定されたり、認めるのが辛すぎたり、強烈な羞恥心を感じたり、するため解離してしまった場合に起こります。“パーツ”に語りかける自我状態療法を用い、トラウマとなるある記憶における“自分自身の反応”を恥じていることにアプローチします。

<健康な境界と解離障壁との違い>

心的外傷を体験していない人は、思い出そうとすれば、ある自我状態やそのときに起きたことを、別の自我状態にあるときでも思い出すことができます。深刻な心的外傷歴がある人の場合は、解離が“健忘障壁”を作ってしまい、そのため自己のさまざまなパーツの間を自由に行き来する能力が著しく損なわれます。
アクセスしにくい自我状態を表すものとして“交代人格”、自己のパーツ同士の仕切りがそれほど強固でないとき、それを単に“自我状態”としています。交代人格ではパーツの切り離しが非常に明瞭で、他のパーツの生活についてほとんど覚えていません。

橋も解離障壁として考えられる。

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油時計

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ムウは教室にいる
=教室以外で過ごしている意識は無い
=つまり意識が途切れ途切れでは?

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天秤のような形をした髪型の外ハネちゃん
→リミッター人格

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外ハネちゃんが写真の中にはいない

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第一審で罪全てが明らかになる可能性はないから外ハネちゃんは実在していないムウちゃんの中の人格の可能性(人格は自分と異なる姿かたちをしている子も存在する。)

外ハネちゃんについては色々可能性があるので、まだ第二審第三審を待ちますが...

アフターペインにて、聞こえる四種類のムウの声

四種類の声質のごめんなさい

3:07「ごめんなさい」
→啜り泣く声(左側)

3:11「ごめんなさい」
→子供っぽい声(右側)

3:14「ごめんなさい」
→眠そうな声(左側)

3:17「ごめんなさい」
→かなり冷たい声質(右側)

この時に聞こえる「ごめんなさい」は人格達の声では?

後ろから囁く「消えて」
2:52
(イヤホンをつけて聞くと左後ろから聞こえる)

歌詞

ムウの歌詞で出てきた「昨日」を「機能」に置き換えることが出来る。

明日には行きたくない 昨日は忘れた

機能化→DIDでは大切な言葉

誕生日

ムウの誕生日の時に、ユノに
「ムウの誕生日なんだから、言われる前に自分から言いにきてほしいなぁ」と言っているが
普段のムウと変わらないように見えて、子供の人格のムウが出てきていた可能性がある。

バースデーイラスト

→円形のケーキ
→DIDの人の部屋の説明で出てきたものである。

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歌、ドラマパート、ノイズボイス

ムウは歌の中では「私」、ドラマパートでは「ムウ」
→別の人格が出ていた。

ノイズ
「貴方が悪いんだよ、私に酷いことするから」

ハルカとの関係性

「ハルカ」と呼ぶ時と「ハルカくん」と呼ぶ時がある

2020/6/12→ハルカくん
2020/8/01→ハルカ
2021/6/22→ハルカくん

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DIDの人同士は仲良くなれる、共鳴するという特徴がある。
→だからハルカとムウは仲が良いのでは?

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橋渡し

「私」がいなくなれば消えればよかったの

という歌詞で、私の部分を「橋渡し」を置き換えられるのでは

MVでも橋のシーンが出てくる

はし‐わたし【橋渡し】

1 橋を架けること。
2 両者の間に入って、とりもつこと。また、その人。仲介。仲立ち。「取引の橋渡しをする」

リミッター人格を消したということでは?

普通の人達は自分の中で「あーでもない」「こうでもない」と話し合って一つの結論を出すことがある
漫画でよくあるが、脳内会議と呼ばれるもののようなイメージ
→DIDの人達は、その会議の人が居なくなってたり、欠けてたりする。特に感情の共有が難しく、さらに記憶や意識の共有が難しい。
→泣きながら笑う、怒りながら悲しむといった風に泣く、笑う、怒るなどを同時に出すことが難しい。

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区画化

After painだが、ペインは同音異義語でpaneという単語がある。

英語で「枠」や「区画」などの意味を持つ語である。

DIDでは、水密区画化という言葉がある

水密の状態に作られた区画。
船体をいくつかに区分し、浸水や火災が生じた場合にその区画だけで食い止められるようにしたもの
解離における水密区画化の表現は船の船底から水か侵入した際にすぐに水没しないような構造。
解離のケースである危機的な状況に似ている。
解離性同一性障害(多重人格)の人格の数とその本能的システムは、水や火によって、侵入した災害に対し、区画を閉鎖することで中枢機能を守り、『危害から時間を稼ごう』という仕組みに似ている。

ムウのMVでは水路の区画化が進んだ川が出ている。

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後ろの部分を見るとタイルが区切られている。
→区画化がいえる。

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ムウは多重人格になるまでの過程表現

人格は感情であり記憶であるため、全くの別人になるというのは誤解で、その人の一部が出てきてるだけである。

DIDの人は隠すのが凄く上手。
人格交代をしていたとしても、誰かに気付かせたりしない。若干、芝居がかった動作をすることもある。
自分が多重人格だと見破らせない為に(気持ち悪がられる為)、病的な嘘をつく傾向もある
どうしてそんな嘘をつくのかといえば、「気持ち悪い」と言われるから、だから、自分を守るために絶対に他の人に悟らせたりするようなことはしない。
そして、自分の存在が消されてしまうと常に疑っているため簡単には正体を明かすことはしない。
分かりやすく表に人格達が出てきてくれたら心理学者は要らないし、治療はもっと進んでいる。日本は他の国と比べて本当に治療があまり進んでいない。

その人の一部であって、感情や記憶を人格化したのが多重人格です。
別の人間になったという訳ではなく、その人の感情であり記憶であり、一部です。人格を消してしまうというのは、その人の個性を感情を消し去ってしまうことになります。人格を消し去るのではなく、どうしてDIDになってしまったのかという過程を見据え、どういう役割で動いてくれている子なのか、意義を認めてあげることがとても大事です。

ムウがかなりわかりづらい(同じDIDのハルカははっきりとスポットライト、水に沈む描写があるのに対してムウは水密区画の話を使うことになり、気付くのが難しかった)

だから、DIDの非憑依型だと考えた。

以上は実際に現場で働き、DIDの人を見ている精神科医の方、そしてDIDである相方が勉強したところになり、書店に並んでいる本にはあまり記載されていません。引用は厳禁です。

https://bsd.neuroinf.jp/wiki/解離症

演技性パーソナリティ障害

演劇的あるいは性的誘惑による行動によって、自己に過剰に注目を引こうとする行動様式のために、対人関係が不安定になるといった機能的な障害を伴った状態である。
過剰に誇張された感情表出も特徴である。

『アフターペイン』では不可解な点がいくつか存在します。

・オレンジ色の光が差す(=放課後や朝の可能性)時間で、ぶちまけられた弁当
・水をかけられているのに一切濡れていないムウ自身やムウの制服

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弁当を開く時間帯は殆どが昼
(ムウが早弁、放課後に食べるなら話は別だが)殆ど残った状態で恐らく陽の光的に放課後にぶちまけられているというのは不自然。

特に不可解なのは
バケツの水をかけられているのにも関わらず、ムウの制服は一切濡れていないし、ムウ自身も濡れていません。
それに加えて、
「私も悪いところはあるからさ」
という歌詞が『アフターペイン』ではありますが、いじめを受けていたという人の傾向で、『自分が全て悪いせいでいじめを受けていた』という考えに陥りやすいのですが、この歌詞からだとムウにはそれは無いですね。
どちらかといえば、いじめをしている側の発言だと思われます。
他にもドラマパートで「何でもするよ」という言葉を言っていたが、赦される為なら本当に何でもできるということである。声質が変化したのも、演技してる仮面が剥がれたからとも考えられる。

つまり視聴者側に「いじめを受けていた」というのを認識させる為に、いじめられっ子を装っていた可能性が高いと思われます。
⇒「いじめ」の被害者を装っていたら、赦されますからね。そう計算して彼女はいじめを受けたフリをしていたのではないでしょうか

つまり、いじめを受けていたかのような芝居をしていることから演技性パーソナリティ障害の可能性を疑いました。

しかし、いじめを受けているのに弁当のことや水をかけられても濡れていない制服とチグハグ=いじめを受けていたと見せかける演出では?

MV考察

最後のシーンで「なんでいるの?」「ブス」「空気読め」といった内容の黒板の方は被害者の子で、花が置かれているのは被害者の子の机である。そのことからその子がいじめられてたことがわかる。
その黒板の前でムウは花を持って笑ってる。
髪型も被害者の子に寄せている。
そのことから、これも演技性人格障害で説明できる。
ムウはいじめられてた被害者の子になりたかったのでは?

いじめられてる=みんなの気を引いてる
→だからいじめられるように仕向けた=マゾ)

一つの可能性として、いじめられてた被害者の子と同じ立場になったムウにとって、その子が邪魔だったから殺した可能性がある。

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時間がずっと「四時」を指している。

映画『エミリー・ローズ』ではよく時計が登場する。

アフターペインの中でも二回教室に置かれた時計が出てくるが両方とも、四時を指している。
⇒四時に人格が切り替わっている可能性がある

クレプトフィリア

 簡単に言えば、窃盗癖。
 黒板の落書きに「少年院にいけ」というものが書かれていました。少年院にいけという言葉は中々出てこない言葉です。だからそれ相応の事をした可能性があると考えられます。

 ムウはドラマパートで「何でもする」という言葉を言ってることから、赦される為ならなんでも出来るということだと解釈できます

イブサンローランは婚活リップです。
婚活リップは一つがとても高く、大体は3500〜7000円の間の金額になります。
高校生の女の子が高額な婚活リップを使うのも違和感があるし、『余り物だけど良かった?』というLINEの文面から余るほど持っているのもおかしいと感じます。
もし実家が婚活リップとか化粧品を扱う会社だったとしても、家が経営してる商品を盗んだ可能性があるとするならば、クレプトフィリアに該当します。売り物である婚活リップを余るほどは渡さないと感じました。

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ドロップモーション

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油時計は時間測れるものでは無い。
時間を正確に測るとしたら砂時計の方が正確に時間を測れる。
だから、いじめられててその限界が来たというわけではないと考えた。

油は砂よりゆっくり落ちてくることから長くゆっくり苦しむようになってて、それがいっぱいになったからマゾの状態から、サドに切り替わった。
切り替わった瞬間の象徴が割れたドロップモーションだと考えられる。

『緑のスライム』

その悪意の毒液をいとも不浄なる洪水のごとく人類に注ぎ出すものなり。 (一部抜粋)

汚染された川などを思い浮かべると、緑色に濁った川などが思い浮かぶと思います。
『緑』には嫉妬と言う意味が含まれますし、化け物が倒された時に出る血が緑のことが多いため、緑色の液体は悪者の血や穢れたもの、悪意のある象徴として考えられます。


(ムウの足元に落ちている縄の考察)

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エミリー・ローズの話で取り憑いた6人の悪魔の中にユダが含まれます。

イスカリオテのユダ----30枚の銀貨と1本のロープ
銀貨30枚でイエスを裏切ったことと、縄で首をくくって自殺したことを示しています。
ユダがイエスを裏切った後、使徒たちは、イエスの公生活から、ずっと生活を共にした弟子の中から、12使徒の1人となる使徒を選びました。それがマティアです。

条件反射

瞳孔の動き...トイレから出て歩いていく女の子を見上げた時にはっきりと瞳孔が動いていた。

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この時刺された女の子が、いじめの主犯とは考えづらい。
いじめられる様子を撮影して笑ってたわけではないし、スマホを踏んづけてたのは別の子でもしいじめられててそれを我慢しててその我慢の限界が来たとしたら、傍観者とかより主犯を殺した方が自然だと考えられる。

何故撮影してるとこに居なかったり、スマホを踏んづけるといった行動をしたりしているいじめっ子の中に居ない子が殺されたんでしょうか?

誕生日

ムウ 7/5

花言葉
Lavender(ラベンダー全般)
「devotion(献身的な愛)」「silence(沈黙、静寂)」「distrust(疑惑)」
Lobelia(ロベリア全般)
「malevolence(悪意)」
ハナマス
「悲しくそして美しく」
ペンステモン
「あなたに見とれています」

星言葉
アダーラ【Adhara】
⇒(おおいぬ座ε星)
→ 恋にのめり込むロマンティスト

終わりに

まとめ
ムウは宗教観として悪魔憑きの話、映画『エミリー・ローズ』が使われていると考えました。

その中で悪魔憑きは海外で精神疾患と診断される例が多く、ムウで有り得るのは
① 非憑依型多重人格か②演技性人格障害
である。
① 非憑依型多重人格
悪魔憑きはよく多重人格と診断される。
『エミリー・ローズ』の元になった話では6体の悪魔が取り憑いているという話になるが、ムウは6人の人格がいる多重人格の可能性がある。弱々しいムウが看守のエスを追い詰めていたシーンがドラマパートで見られることの説明になると思い、この説を考えた。
②演技性人格障害
ムウのMV『アフターペイン』で不自然な時間に散らばった弁当箱、水をかけられたのに一切濡れていない制服などからチグハグなMVから、いじめられっ子を演じて赦されようとしていた可能性がある為演技性の可能性を考えた。

ムウとエスの関係性について、ミルグラム実験が生まれた理由に触れた。エスはミルグラム実験(別名:アイヒマン実験)の被験者であるため、アイヒマンとして考えられる。

そして『アフターペイン』の歌詞考察や、出てきた縄、ドロップモーション、リップ、瞳孔の動きなどから様々な可能性を考察した。

最後にムウの誕生日の花言葉や星言葉に触れた。

以上でムウ考察は終了です。

【感想】
恐ろしい子!!!
悪魔の人格を否定しないと再犯率高いと感じました...それにしても恐ろしい

2021/05/05 

2021/09/07 精神反応 追記

精神反応について

私達の考察では、実際に存在するものを扱っています。その為、説明するべきことがあります。何故、精神疾患という言葉を使わずに精神反応という言葉を使うかという理由について説明します。
まず、精神疾患という書き方は人によっては本当に傷付いてしまう言葉です。私自身や相方は精神疾患を抱えています。その二人で精神疾患という言葉やその病気だから否定するという意見を見てると苦しくなるから、だから二人で使わないと決めました。それに、ミルグラムという囚人を裁くシステムの中で、もし何か名称をつけられたもので苦しんでいる方がいて、ミルグラムに来たと仮定して、その時に自分が持っているものがあるから、だから赦さない、否定するというのを見た時にとても傷ついてしまうと思います。なので、否定するという意見を出す時は、これから先その思想や考え方で、周囲と軋轢を産んでしまい孤立してしまう、その為また同じようにヒトゴロシを繰り返してしまうなどの可能性を相方と沢山話し合い結論を出しています。そして実在するものを扱うからには、サイトの内容だけではなく論文や実際にその精神反応を持っている方達、そして精神科医の先生(相方の知人)に話を聞いて話し合いながら考察を出しています。サイトで拾い上げてきた情報だけでは間違った知識を広めてしまう可能性があるのでよく議論しています。間違った知識や誤解は人を一番傷付ける方法です。なのでできる限り誤解を産まないように、精神反応についてを理解していただけたら幸いです。そして心因反応という言葉がありますが、心因反応と表記した場合、専門家の方達のお目汚しになってしまう可能性がある為、その言葉の使用は避けています。
精神反応という言葉を使うと、精神疾患という限られた言葉を使用するより、反応という表記をすると「誰にでもあることなんだ」と知って貰えると思い、精神反応という言葉を相方と作りました。精神反応とは相方と作った造語になります。
 精神反応はそれぞれの人が生きてきた環境によってできるあくまでも過程にしか過ぎないものです。家庭環境が違ったら、周囲の人との関係が違ったらもしかしたら同じように道を踏み外してしまう可能性は誰にだってあります。
 精神反応は自分とは違う病気を持った人間ではなく、同じ「人」が持っている個性であり、特徴です。決してこれを持っているからダメではなく、向き合ってその精神反応になった過程を見つめていくのが精神解剖だと思っています。アンダーカバーの歌詞でもありますから。
 精神反応はそれぞれの環境で生きてきた「人」の個性であり、特徴なのでできる限り寄り添って考えていきたいと思っています。
また、実在するものを取り扱っていますが、これを持っているから犯罪を犯すという差別を助長させる気持ちは一切ありません。精神反応は、「人」がそれぞれ持っている特徴であり、個性です。キャラクターではなく、様々な個性や特徴を持つ「人」として、私たちは向き合いたいと考えています。

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