ミルグラム アマネ考察
はじめに
DECO*27×OTOIRO×山中拓也による視聴者参加型プロジェクト『MILGRAM』の登場キャラクター、桃瀬 遍の考察です。
考察を行ったのは、
宗教観を担当したのはみるやね(@milg_mnym )
心理方面を担当したのはらと(@RatoRato934 )です。
⚠️誹謗中傷、否定的な意見はやめてください。
特に、tosで引用する形で誹謗中傷はしないでください。実際にtosで引用して考察を悪く言われたということが実際にあり、考察をしている私達がとても傷ついた出来事があるので、控えて頂けると幸いです。
アマネ 第一審曲『おまじない』
アマネ考察 宗教観
階段の上の石が積まれたように見えるもの
最後のシーンで目に映っているのもこの石積みのようなもの。
地蔵菩薩
忉利天に在って釈迦仏の付属を受け、釈迦の入滅後、5億7600万年後か56億7000万年後に弥勒菩薩が出現するまでの間、現世に仏が不在となってしまうため、その間、六道すべての世界(地獄道・餓鬼道・畜生道・修羅道・人道・天道)に現れて衆生を救う菩薩であるとされる (六道能化〈ろくどうのうげ〉)。
賽の河原
有名な話で、賽の河原という話がある。
この階段の上の石積みも同じような形に見えると思います。
死者が亡くなったときに渡る川=三途の川。その川のほとりにある河原を「賽の河原」という。
・賽の河原では、親より先に亡くなった子供たちが、親を悲しませた罰として河原の石を積み続けている。(石を積むことで功徳を積みその功徳を送ろうとしている。仏教では昔から仏像を作ったり仏塔を建立したりすることには大きな功徳があると考えてきた。)
・しかしその石積みに終わりはなく、積んでは鬼に壊され、積んでは鬼に壊され…といった苦行が永遠と続くのである。歪んだ塔では見苦しく、とても供養にならないといって、これを崩すのである。だから子どもらはまた一から石を積み重ねて塔を作らなければならない。
最初に出てくる階段のシーンで石が積まれている場所があるが、そこが賽の河原と似ている。
・そうして繰り返される賽の河原の悲劇も、最後には地蔵菩薩の登場によって子どもらは救われることになる。
「娑婆に残りし父母は 今日七日(なのか)や二七日(ふたなのか) 四十九日や百箇日 追善供養のその暇に」という歌詞があり、亡くなってから7日ごとに勤められる初七日法要、二七日法要、三七日法要……そして七七日法要(四十九日)を経て中陰法要が明け、その後に百箇日法要がやってくる。故人が亡くなってから百日目に行われる百箇日法要の別名は、卒哭忌(そっこくき)。泣くことを卒業する日、つまり涙をぬぐう日である。
MVに出てくる動物は子供
親を残して先に死んだ子供が三途の川の傍で石を積む、それが何度も出てくるから子供が関係していると考えられる。
仏教観
五行 (仏教)=菩薩がする5つの修行。
涅槃経では聖行・梵行・天行・嬰児行・病行。
起信論では布施・持戒・忍辱・精進・止観。
アマネちゃんは起信論が当てはまると思う。
布施(ふせ)
他人に財物などを施したり、相手の利益になるよう教えを説くことなど、贈与、与えることを指す。
持戒(じかい)
決まりを守ること
歌詞より
「破っちゃうだなんて悪い子はめっだよ」
忍辱
恥を耐え忍んで、心を動かさないこと。
精進 1.(仏教)雑念を去り一心に仏道修行すること。 2. 身をきよめ行いを慎むこと。 3. 肉類を食べず菜食すること。 4. その事に打ち込んで努力を続けること。
止観
心の動揺を払って一つの対象に集中し、正しい智慧を起こして仏法を会得すること。
服装
地蔵菩薩
最初の服装が地蔵さんが着てるものと凄い似てる。帽子も地蔵さんについてるものに似てる。
地蔵菩薩からの閻魔大王(服装チェンジ)
閻魔(えんま)
仏教、ヒンドゥー教などでの地獄、冥界の主。冥界の王として死者の生前の罪を裁く神。日本の仏教においては地蔵菩薩の化身とみなされ同一視されている。閻王ともいう。
→閻魔王の法廷には、浄玻璃鏡という特殊な鏡が装備されている。この魔鏡はすべての亡者の生前の行為をのこらず記録し、裁きの場でスクリーンに上映する機能を持つ。(Wikipediaより)
この辺は行いを見ていて記録をつけている、スクリーンを見ているように見えますね。
そのため、裁かれる亡者が閻魔王の尋問に嘘をついても、たちまち見破られるという。司録と司命という地獄の書記官が左右に控え、閻魔王の業務を補佐している。
アマネちゃんが良いもの、悪いものを自分基準で決めて選別していた可能性がある。
アンダーカバーより「道理」
アンダー
信じるだけでいいの
約束を破る道理などない
“UNDER”
Just need to believe
There is no reason to break a promise
道理という言葉はそもそも仏教の言葉
「道理」
=「物事がそうであるべき順序」
「どうりで(道理で)」の意味と使い方
=「物事の原因や理由に、該当する点があるのが分かること」
=物事が起きた原因に該当する点があることに気づくこと、因果関係に納得がいくことを表す。
=「道理で」とすることで、「物事の道理がそうであることが分かって腑に落ちること」を表す。
破るという表現は子供特有。
約束(道理)を破るというのは、正しくは造反する、背反するという表現を使うがアマネはそれを破ると言ってる。
謀反/反乱/反逆 の関連語
造反する
体制に逆らうこと。「造叛」とも書く。「造反した不平分子」「造反有理」
背反する
道理、約束、信義に背くこと。「悖反」とも書く。文章語。「信義に背反する」
大人びた年頃の子供の可能性が高い
(そこまで皆さんが挙げている考察ほどIQが高いとは見受けられない。)
つまり、アマネちゃんは自分自身の意思で、全てのことを決めていたことがわかります。
ドラマパートでDNAで善と悪の判断と言っていた
DNAはその人特有の生まれ持ったもの
「周りの教育の影響があったから」というより、自分の中で判断して自分の意思で判断したと思われる。
錫杖
・仏像では地蔵菩薩などが持物として持つことがある。
・遊行僧が携帯する道具の一つである杖。梵語ではカッカラといい鳴杖、智杖、金錫等がある。
・銅や鉄などで造られた頭部の輪形に遊環(ゆかん)が6個または12個通してあり、音が出る仕組みになっている。シャクシャク(錫々)という音から錫杖の名がつけられたともいわれる。
・仏教の戒律をまとめた書である『四分律』『十誦律』などによれば、この音には僧が山野遊行の際、禽獣や毒蛇の害から身を守る効果があり、托鉢の際に門前で来訪を知らせる意味もあるという。
・教義的には煩悩を除去し智慧を得る効果があるとされる。
・錫杖の長さは通常170センチメートル前後であるが、法会、儀礼の場で使われる梵唄(ぼんばい)作法用の柄の短いものがある(手錫杖)。
アマネちゃんが持っていたもの。
(酒瓶にも見えてくるな...)
虹
◎虹は神聖な象徴 /仏教文化圏
・仏教文化圏においても、虹を神聖な象徴とする文化がある。
・仏教では、釈迦が天上界から降りてきた際に、虹が関わっているという伝承があります。
・仏教国のブータンなどでは、虹と聖者を結びつけて、解釈すると聞いたことがあります。
鐘
「おまじない」の中で、鐘の音が聞こえる部分がある(2:01〜)
鐘を鳴らすことの意味
・鐘の「チーン」という音は、人々の邪念を払い、祈りや供養の心を極楽浄土に届けるともいわれている
・この鐘を鳴らすタイミングですが、お経を読み始める時やお経を読んでいる最中、お経の終わりに鳴らされるのが一般的。
自分の解脱よりも他者の救済を優先する利他行とは大乗以前の仏教界で行われていたものではない。
紀元前後の仏教界は、釈迦の教えの研究に没頭するあまり民衆の望みに応えることができなくなっていたとされるが、大乗の求道者は、阿羅漢ではなく他者を救済するブッダに成ることを主張し、自らを菩薩摩訶薩と呼んで、自らの新しい思想を伝える大乗経典を、しばしば芸術的表現を用いて創り出していった。
四苦八苦
ここのシーンは四苦八苦
仏教で、生(しょう)・老・病・死の四苦に、愛別離苦・怨憎会(おんぞうえ)苦・求不得(ぐふとく)苦・五陰盛(ごおんじょう)苦の四苦を加えた言葉。(サイト様から引用しました)
同じシーンが繰り返されている
アマネちゃんの思い通りに行かなかったことをこうやって過度に表現されてる
⇒まるで過度な折檻を受けているかのように見せている
入滅・仏滅
入滅
偉い人(=徳を積んだ人)が亡くなること
仏滅
全てに凶であるとする日
誓います やぶっちゃうだなんてわるい子は めっ!だよ
めっ!だよのところが滅だよ→入滅と関係ある?という興味深い考察をみるやねの友人の方が考えてくださいました。
畜生道
「三途」
仏教の世界では、3つの苦しみの道があると考えられていて、これを三悪道という。
3つの地獄道、餓鬼道、畜生道という三悪道があるとの考えに由来している。
地獄道=相手を傷つけ殺し合う世界
「火途(かと)」=火や炎に焼かれること
餓鬼道=刀で虐げられる世界
=「刀途(とうず)」と呼ばれてる
畜生道/鬼畜道(傍生(ぼうしょう))
=人間を中心に据えて他の生き物を傍らに置くあり様を指し、人間同士もその能力や資質によって他の者を支配する差別の世界を示す。
アマネちゃんは自分以外の子供を動物として見てますね。うさぎや犬、猫といった可愛らしい動物を出す演出に思えますが、これは仏教の考えで、畜生道というものがあるのでそれに当てはまるかと思われます。
三途は三悪道からなる苦しみの道に由来する
そこから派生した三途の川はどのようなものか?
⇒三途の川という概念は、仏教が広く伝わった東洋や日本だけに存在する考え方ではない。
→例えば、オリエント時代の神話宗教や古代ギリシャ神話でも、現生と死後の世界は川で隔てられているという考え方が存在した。
→この世とあの世が、川という境界線で分けられているという概念は、世界的に広く存在する。
三途の川は現世とあの世を隔てる境目にあるとされる川である。
ここのモザイクがかかったシーン
「川」というものを表す表現を調べてみたら、横に流れる線みたいに表されることが多いと出てきた
→「おまじない」の最後のシーンで画面全体にモザイクが入る下の画像のシーンがあるが、モザイクが横から流れている
→これは「三途の川」を表すのではないでしょうか
また、三途の川と密接に関係しているのが、「賽(さい)の河原」
賽の河原とは三途川の手前にある河原で、親に先立ち冥途の旅に出る子どもはこの河原に立ちより石積みをしなければならないとされてるもの。
これも一種の言い伝えに過ぎませんが、「法華経」に説かれる「童子の戯れに沙を聚めて仏塔を作る」によるという説もある。
三途川の名称は、今日の日本においても各地に現存している。群馬県甘楽町を流れる白倉川の支流、千葉県長南町を流れる一宮川の支流などには、いまもその名が刻まれている。
MV&歌詞考察
教育番組の対象は?
「おまじない」は全体的にE〇レ風のMV構成になっていますね。
アマネちゃんを周囲が洗脳しているように見える構成になっています。
まず、教育番組とはそもそも。
テレビに出演してる子供の姿を見せて、出演している子供だけではなく視聴者自身も一緒に教育するものになります。
これは放送番組の基準を調べてきました。
教育番組と教養番組、どちらも当てはまる可能性があるので両方を載せます。
こっちはテレビ朝日です
教育番組とか教養番組などの基準は「視聴者」に向けている
教育(または教養)番組として「おまじない」を見せているとしたら、
対象は視聴者である看守の私達。
タイムラインで真っ向勝負と述べていて、
もし、自身が赦すになることが勝負の勝ちだとしたら、
看守達の教育(洗脳)終了☆ということではないでしょうか
(そして私達の依代であるエスくんは記憶が無い存在...洗脳しやすい)
「かみさま」について
Dear wise one, Am I worthy?
“Dear wise one”
親愛なる頭の良い人
かみさまとすると漢字に変換すると
「上様」と「神様」
かみ‐さま【上様】 の解説
1 身分の高い人の妻を敬っていう語。奥方。
2 近世、商家や一般の人の妻を敬っていう語。おかみさん。
3 近世、上方で、隠居した良家の老女を敬っていう語。かみさん。
他にも、教養がある人のことを上様という。
神様
1 神を敬っていう語。
2 ある専門分野について、特にすぐれた知識・才能・技術を持った人。
アマネはどうして「神様」と言わずに「かみさま」というのか?
他の「かみさま」で変換できる可能性がある。
ちゅっ!
ちゅっというのはキッスのことですが、「ちゆ」というひらがなにすると「治癒」という言葉遊びができますよね。
つまり、「いい子」しか治療しないということでは?
「もういい子になるしかない」
おまじないの歌詞の中でもういい子になるしかないですよって出てきますが、区切りによって意味が変わるのが面白かったので、みるやねの友人の考察を載せます。
誓います もういい子になるしかない!ですよ
もう「いい子」になるしかないですよ
なのか
もういい「子」になるしかないですよ
なのか
意味合いが違ってくる。
自分に言い聞かせてるもありますが、
誰かに聞かせている言葉にも聞こえる。
後者だったら怖いですよね。
マーブリング
色の意味
まず橙色
橙の正のイメージ
個性を出したいときに使えます。
笑顔が作りやすく、表情が豊かになります。
橙の負のイメージ
使いすぎると、くどくなったり、しつこい、ケバケバしい等といった印象になります。人情に厚いところがおせっかいだと思われることもあります。
効果
ショックを吸収する
私たちの体の周りには、オレンジ色の電磁場があると言われています。何かショックな出来事があった場合、それがずれると言われています。
オレンジはそういった過去のトラウマやショックから解放してくれる役割があります。
オレンジが気になる場合、何かショックなこと、辛いことに直面している場合があります。そういったマイナスな状況から脱出し、喜びに満ちた生活を与えてくれる手助けをしてくれるのがオレンジです。
そして、楽天的な印象をあたえ、陽気にみえるます。
消化、新陳代謝をよくする作用があるため、食欲を増進させ、血管や自律神経を刺激し身体を活動的にします。
紫の効果
紫の効果には複数の意味が見られる。
精神力が高い、神秘的、ミステリアス、集中力を高める、催眠効果があるなど計8個の意味がある。その中の『催眠効果』が特にここでは意味があると思う。
【紫】高貴さ優雅さを表す。集中力アップ、鎮静効果。リンパ管や心筋、運動神経の働きを抑制する。
有名なものはサブリミナル効果
サブリミナル効果
⇒人間の無意識にメッセージを働きかける手法の1つ。
⇒非常に短い時間に刺激したり、刺激を非常に小さくしたりして、人間の潜在意識に影響を与える効果のこと。
私たち人間には顕在意識と潜在意識がある。
顕在意識は私たちが認識できている意識のこと
潜在意識は私たちが普段認識できていない意識のこと
サブリミナル効果とは、私たちが認識できない刺激を潜在意識に与えて影響を及ぼすことを目的としてします。
紫という色を使うことで、あたかも視聴者にサブリミナル効果(と似たようなもの)を与えたということになる
所謂洗脳状態のこと
このことからMVが視聴に対して洗脳をしている
このシーンで
「祈れば治る的なことをリヨネが言ってた」
「周囲が異常で、心優しいアマネを折檻し洗脳して猫(子供)を見殺しにさせた」
「怪我した人に手を差し伸べてはいけない」
などという認識を強めた。
☆リヨネは「もうすぐ医者が来るから」「ずっと痛いのは続かない、治療をすれば大丈夫」とか励ましてる可能性があるのに、祈れば治るからって子供をリヨネや他の大人達が放置しようとしたという根拠はありますか?
☆人を救う為に宗教はできたのに、どうして怪我をした人に手を差し伸べるという行為が折檻受けてしまうのか?という疑問が自然に消滅していた
⇒つまり、認識が意図的に操作されていると思います。
登場キャラクター
登場キャラクター
ガチャタ
ユウリ
ゴザケ
リヨネ
ガチャタ
まだ分からないけど
叔父さんや兄、近所に住んでいる人
かなり模範生の可能性がある。
ユウリ
アマネの親族?
此処で集めていたお金は何のために集められていたか?
高額医療の寄付金の可能性
お金を医療費の為に集める企画を作ってその企画通りに働いている人では?
ゴザケ
アマネの父さん、或いは、師匠や話を聞きに行っている人とか。
服装的に、仏教の人だってわかる。
リヨネ
リヨネ
医療業務に携わっている可能性がある姿
新人の看護師さんや職に就いたばかりの情報を伝える医療事務の人の可能性も?
リヨネのコンセントモチーフがインフォームドコンセントを示している可能性あり
インフォームド・コンセント
⇒医師と患者との十分な情報を伝えられた上での合意
此処の会話
暗転
(照明が落ちてくる描写がある)
⇒何かがあって頭を打ったことは確か
⇒ゴザケとリヨネが話している
頭を打って痛い、このままずっと痛いままなのか、という不安や頭の治療を受けるって聞いた場合の不安などで泣いてる
⇒ずっと永遠に痛みは続くことは無いから大丈夫、治療も怖くないよ、これからお医者さんを呼んでくるから少し待ってて、少しの我慢だよとリヨネが伝えている描写
アマネが痛がって苦しんでいる様子を見て「今すぐ痛みから助けてあげたい」と思って勝手に治療を行う
頭の傷ということに対しての治療はかなり繊細で、難しい治療
⇒素人目では特に難しい。危険なことになる可能性が高い。
⇒応急処置や治療が少し間違えただけでも命を落としてしまうこともある。
アマネは救急セットを使ってはいるが、素人目で治療を勝手に行っている
⇒自分は周りの友達と違うから治療を「治療をしますよ、だって私は治療ができますから」と考えて勝手に応急処置をしてしまった。
⇒医療の知識がない子供の治療によって、返って猫の子はかなり危険になってしまったのでは?
リヨネという医療従事者に相談せずに、独断で治療を行っていたのが何か問題だった
昔に使われていた表現が「雷が落ちる」という言葉です。父親から雷が落ちるという、今の意味でいえば怒られるという表現。
リヨネからは雷
勝手に治療を行ったことに対して雷を落としている
ゴザケからは水
水といえば頭を冷やす、頭冷やして冷静になれという表現
ユウリ、ガチャタからはお叱り
勝手に治療を行ったことに関して、アマネを叱っている
このことがアマネからしたら苦痛だった
周囲の大人達が、自分が間違ってると言われたアマネ⇒すごく激怒したのでは?
持っているものが雷が入ったステッキに変わる
(アンダーカバーでアマネが持っている瓶のようなものと酷似しているステッキ)
服装が閻魔のものになり、つまり目の前の人達が悪い子って対象になったから「メッ」した
⇒つまり、殺.......。
誓います やぶっちゃうだなんてわるい子は めっ!だよ
ステッキを笑顔で振り回し、振り下ろすアマネ
ステッキを振り下ろしたタイミングでキラキラが舞いましたね。つまり、ステッキ(凶器)を笑顔で目の前の大人たちに振り下ろ.......
そしてその時に飛び散った血..........
ノイズの入り方が可笑しい
歪み方が可笑しい
チビぐらむ劇場が最初の様子と違う
他の人たちから見たら、絵空事でしかない。
つまり作られていたもの、アマネがぶっ壊したもの。
アマネからしたら最後に自分を否定したものだから、アマネからしたら可笑しい
⇒だからノイズが入って歪んだ
⇒周囲の大人達は間違ってるという認識の現れ
夢占い
投げキッス
ピエロ
鐘の音
鐘の夢は、大事な人生の転換期が迫っていることを暗示する夢です。
何度も鐘が鳴る夢を見たら、大きなチャンスが到来している合図です。逃さないようにしましょう。
また、あなたが独身だった場合に鐘が鳴る夢を見たら、もうすぐ結婚の時期が迫っていることを意味します。
あなたが鐘を鳴らす夢を見た場合は、近々大きな決断を下すということを意味しています。
着ぐるみ
人形やぬいぐるみの中は空洞になっているため、魂が入りやすいと言われることもあるように、着ぐるみの中には「見えない人物の魂」が入っている象徴として夢にあらわれることがあります。
そこから読み取ることができるのは『姿は見えるけど表情が分からない、でも心があるのはわかる』といった、どこか不透明な存在をあらわしています。また、何か存在はしているけど意思の疎通が取れない存在としても考えられていて、主に対人関係による、心を理解し合うことができない状態にこのような夢を見ることができます。
精神反応
祈禱性精神病
迷信、まじない、祈祷や宗教的要因などで起こる精神障害
人格変換、宗教妄想、憑依妄想などを発し、起こる自己暗示性の精神異常である
(Wikipediaより)
・囚人楽曲の名前が「おまじない」
・「かみさま」が頻繁に出てくること
・エスくんに対して「貴方が間違っている」と言うほど自分の信じてることが正しいと信じ切っている
・ドラマパートに少し触れてしまうのですが、終盤のあのアマネちゃんの声音が一気に変化した恍惚とした感じも該当する
TLでミコトくんと話した時に話が聞けなくなるほど違う世界に没頭している状態ですね
祈禱性精神病と、アマネちゃんの世界の見え方を考えてみました。
この状態ではアマネちゃんはヒトゴロシは悪いことじゃないと思ってる可能性が高く危ないと思います。
否定をして考え方は間違っていると教えてあげないと更に再犯を犯してしまうと思います。
メサイア・コンプレックス
(messiah complex)
メサイアとは救世主のことを指す言葉。
→自分は劣った人間だという気持ちと、自分は人を救える優れた人間だという気持ちが入り混じって生じる反応。
→「自分が救われたいから他人を救う」
「人を助けることで自分の存在意義を確認する」
「他人を救うことで優位に立とうとする」
などの行動を取るようになる
「人を救おうとする」という点において、一見するとメサイア・コンプレックスが由来の行動は好ましいようにも思えます。
しかし、メサイア・コンプレックスに突き動かされた行動は、相手がありがた迷惑と受け取る場合が少なくありません。
助けられる側からすると、一応ありがたいことではあるけれど、本当にこちらのことを思っての行動ではなく、自己満足であることが明らかな行動である場合が多いです。また、本当に相手のためを思っているわけではないので、相手がその援助の申し出を断ったり、注文をつけたりすると不機嫌になったりします。
MVに出てくる子供達が動物の姿で現れている
(畜生道の部分で触れた)
アマネちゃんの心象抽出だとしたら、アマネちゃんは自分以外の子供を動物として捉えている
→人間以外の犬や猫、兎などの姿として見てるということは、下に見ているということになる。
→だから、上の立場の自分が救うっていう考え方になる、危ない思想と思われます。
(子供だからと言っても怖いな......)
強迫性障害
・かみさまを絶対に信じていけないとダメ
・タイムラインとドラマパートでも触れてたけど、真っ向勝負って言ってたから、審判の結果の「赦す=アマネの勝ち」「赦さない=アマネの負け」
勝ちか負けの2つしかない
ドラマパートよりDNAで善と悪の判断をしてる
信じる/信じない、勝ち/負け、善/悪みたいな考え方がある
アスペルガー症候群
「対人関係の障害」「コミュニケーションの障害」「パターン化した興味や活動」の3つの特徴を持ち、言葉の発達の遅れや知的発達の遅れがない場合を指す、発達障害のひとつ。
アマネはこのタイプの可能性が高い
(フータ以外の)大人に対して話す内容が多い。
→大人に対して、自分の事をよく話そうとする傾向があると感じた。
(フータ....20歳なのに...)
今有力なのが、「遺伝的要因と環境要因が相互に影響しあって発達障害の症状が表れる」という説
「親のしつけ方・育て方が悪い」
「親の愛情不足」といった心因論は
現在では医学的に否定されています。
☆得意な教科が国語、苦手な教科が算数
→女子にありがち。
境界性人格障害又は境界性パーソナリティ障害
・演技的・感情的で移り気な特性を持つ。
・いくつか種類があるが、その中でも境界性パーソナリティ障害の場合は、感情や対人関係が不安定であり、衝動をコントロールすることに困難を抱えています。
最後暗いシーンで、映像を見返している
積み上げられた石がある階段が映されている
自分のしてきたことをモニターを通してみている、現実から逃避している表現から“境界”にいるのかと思ってそれと境界性をかけているかと。
☆この世とあの世という境界にいる菩薩、閻魔
☆国語と算数っていうできるものが両極端
(知っているところと知らないところの差が酷い、言い換えれば興味無いところにとことん興味が無い)
・境界性人格障害
→全てがボーダー、考え方が極端
例えば、「勉強ができない私には価値がない」「物事は全て勝ちか負け」みたいに考え方が極端
アマネは真剣勝負とドラパで言ったから赦す=勝ちで、赦さない=負けと考えてる。
演技性パーソナリティ障害(HPD)
又は演技性人格障害
・演劇的あるいは性的誘惑による行動によって、自己に過剰に注目を引こうとする行動様式のために、対人関係が不安定になるといった機能的な障害を伴った状態である。
・過剰に誇張された感情表出も特徴である。
☆服装がピエロ
☆歌詞でも「いい子にならなくちゃ」と言ってる、いい子を演じています。
(歌詞的に突然いい子になると言い始めた)
☆自分があたかも周りによって無理やり洗脳されていると見せかける演出を行っている。
昔に起きた有名な“とある事件”(名前は流石に伏せさせて頂きますが)をアマネ自身は調べて、それに似たようなことが起きていたち見せかけるような演出を施してたと見られる。
その事件を知っている人はピンと来るはずです。
アマネは審判という真っ向勝負に勝つ為にそのような演出を行っているのが恐ろしいところです。
ナレートフィリア
実況など、状況や行動を常に解説したり、ナレーションをする事に対しての性的嗜好。一般的に性的と捉えられる単語をナレーションするとは限らない。性的な単語への嗜好が強い場合は「コプロラリア(猥語性愛)」として区別される。
・アマネちゃんは結構長めに話す傾向がある
(TLで見ても特にそうだった)
ヒエロフィリア
あまりにも高度な異常性癖。
【Hierophilia:ヒエロフィリア】
・宗教的なロゴやシンボルなど「聖なるもの」と扱われるものに性的興奮を感じる性的嗜好の事。
スーパーチャイルド(SC)
職場などで優等生を演じようとして息苦しさや疲労を感じてしまう心理的要因となっている心の働き。それは、幼少期の親子関係の中で優等生を演じる必要性を感じて演じ続けた結果、自分の心の中に生じます。
「もういい子になるしかない!」
というかなり強迫観念が強い。
自分は周りより優れている、頭が良い、それが当たり前という意識。
だから自分が正しいと信じ切ってるから、知識も無いのに頭の治療をしてしまった
アマネの違和感
MVの違和感
折檻を受ける流れが可笑しい
折檻の意味
《漢の孝成帝が、朱雲の強いいさめを怒り、朝廷から引きずり出そうとしたとき、朱雲が欄檻 (らんかん) につかまったため、それが折れたという「漢書」朱雲伝の故事から》
1 厳しくしかったり、こらしめの体刑を加えたりすること。「子供を折檻する」
2 強くいさめること。厳しく諫言 (かんげん) すること。
これが折檻をする意味になる。
MVを見てみると猫の子が怪我をしてそれをアマネが治療していた。
それを見られていて、それはおかしいから折檻というのは可笑しいと感じませんか?
宗教というものは、人を救う為にできたもの
そして調べてみると、日本の宗教に詳しい相方によると皆さんが考察であげているような“やばい新興宗教”は一切存在しないと言っていた。
そもそも新興宗教でも大体元々あった仏教や儒教、キリスト教などの流れを汲んでいるが大体だから、人を救うという道から逸れることは無いし、手を差し伸べる行為自体を否定する意味が無い。
更に前行われたミルグラムの一周年のトークイベントでも「ファンタジーのヒトゴロシ」は無いと言われていた。
以上のことからアマネの周りが可笑しいという風に、アマネのことを赦す方に「おまじない」の教育番組から洗脳されていませんか?
アマネの思想肯定は彼女からしたら真っ向勝負の勝利を意味する。
アマネが自分以外の友達を動物、つまり人間以下の畜生として見ている
手を差し伸べているのは猫
つまり、アマネは自分の方が立場が上だから手を差し伸べている、自分はお医者さんのように治療ができると強く思い込んで勝手に行動したとしたら?
それを見兼ねた周りから「それは可笑しい。友達には、平等に優しくするべきだ」や「勝手に治療を行っては行けない」と叱られるという流れの方になる方が違和感はないと思いませんか?
虐待を受けていた?
まず実際に、福祉の方で働いている方に話を聞いてみました
被虐待児の特徴として、体が硬直して何も言えなくなって黙り込んでしまうという反応がある。また自分の体や頭を守るように頭を守ったり、体を守るように手を前に出す反応がある。
さて、アマネの反応になりますが
看守エスに対して「貴方が間違っている」と発言するほど、エスに対して強気な態度
どうしてアマネにはそのような態度を取る余裕があるのでしょうか?
暴行などの身体的虐待や精神的な虐待を受けていたら、相手に対してそのような態度を取ることをしません。
その理由は、その態度が相手の癪に触る態度をして酷い虐待を受けてきた人間はそのような行動を避けようとします。(=回避行動)
もし“また”恐ろしい折檻をされてしまったら?
大人に大きな声で怒鳴られてしまったら?
そう思ったら、ただ何も言わずに黙り込んで尋問が終わるのを待つか、エスに対して反抗的な態度を示さずに尋問を終えるはずです。
自分の方が正しいけれど、エスは歳が近いとはいえ、看守という立場。つまり、監獄の中で囚人達を取り締まる立場。
そのような存在に対して刃向かうというのは、自分が体験してきた恐ろしい体罰をまた受けるかもしれない行動になります。
つまり、アマネが虐待を受けていたと仮定したら、アマネがドラマパートでは自ら虐待をされる可能性が有り得るのにエスに対してあのような態度をとった若干アホの子になってしまいます。
そしてもしアマネが周囲の大人に、暴行を含んだ虐待をされてたなら、カズイ、シドウ、ミコトとは会話を行うことはできません。自分より体格が良い大人の男性なので、もし手をあげられたら一溜りもないので....。会話を行う時に弱々しくなってしまったり体が固まってしまうと思います。
そして、精神的虐待を受けていたとしたら優しく見える大人でも、自分に何かをしてくる可能性がありますから、あまり話せなくなってしまうと思います。
いくら怖くはないと強がっても、体だけは竦んだり動かなくなったりするものですから....
ミルグラムにいる大人達を怖がらない?
そしてドラマパートでもエスに取り押さえられて、「暴力ですか?!」と叫んでいます
自分が虐待をされてきたのなら、自分の発言で相手が怒ってそれで押し倒されてその次の瞬間、自分に何が起きるか判断すると思います。
どうして「暴力ですか?!」と叫んで今から自分の身に降りかかるかもしれない事態に鈍感なのでしょうか。
その後「離してください」と泣き声混じりに暴れているように聞こえますが、
自分の発言を押し倒すという形でねじ伏せられて、癇癪を起こす虐待とは無縁な“普通”の子供の反応です。
子供の泣き声で胸が痛くなるというのは良くあります。
しかし、被虐待児だとすると泣いて暴れたらそれに対して更に殴られるという事例が多い中、その行動を取る事が出来ない子供がいるのが現実です。
もしアマネが暴力や精神的な折檻を受けていたら、エスに押さえつけられた時完全に体が動かなくなってしまう可能性が高いと思われます。(そもそも歯向かいませんが)
なので、虐待を受けたという説はあまり現実味が無く、アマネが同情で赦される為の看守に向けて見せかけたものだと思われます。
洗脳説?
強く子供の心を支配する洗脳を行うなら、アマネがもっと幼い頃(言葉を覚え始めた時期)からかけ始めた方が効率がいい。アマネ位の年齢になった時期に洗脳をかけようとすると解けやすい洗脳になる。
自分で考えたり行動したりできる位の年齢の時に厳しい折檻をしました⇒ハイ洗脳!のようにはなりません。
急に「神を信じなさい!」っていうかなり強い洗脳を、短期間で暴行や精神的に追い詰められながら掛けたら、かなり拒絶されて容易に洗脳にはかかりません。
スポットライトの事故
一つのスポットライトが落ちる
天井でスポットライト同士が鉄筋で繋がっているから、一つが落ちたら連鎖して鉄筋まで降ってくるほどの惨事が起きているのではないか?
事故で負傷したのは、本当に一人だけ?
あと、スポットライトが落ちてくる場所って何処?
違和感について
宗教について
宗教はそもそも人を平等に救うもの。
友達を救おうとしたら、それは可笑しいから折檻というのは可笑しい。
アマネに“畜生道”の考えがあって、救う友達を選ぶ、自分が立場が上だから助けてあげるという思想だから周りから叱られた方が自然。
しかし、周りが可笑しいと看守側を洗脳しに来ている。
虐待説否定
アマネが看守に対して「貴方が間違っている」とはっきりいう態度が可笑しい。看守に手を出される可能性があるのに、それを考えてないアホの子のようになってしまうのであまりにも不自然。
洗脳説
強く子供の心を支配する洗脳をかけるなら、今よりもっと言葉を覚え始めた時からの方が効率が良い。
⇒MVのタイミングだと遅すぎる
スポットライトの事故
スポットライト一つが落ちるだけでも、スポットライト同士が連鎖して落ちてくる可能性がある。本当に事故ったのは一人だけ?
誕生日
🌸言葉
誕生花は「カラー」「トケイソウ」「ローダンセ」
Calla lily(カラー全般)
「magnificent beauty(華麗なる美)」「feminine modesty(女性のしとやかさ)」
→金持ちなら有り得る
Passion flower(トケイソウ全般)
「holy love(聖なる愛)」
「faith(信頼、信仰)」
「religious fervour(宗教的熱情)」
ローダンセ
「変わらぬ思い」「終わりのない友情」
⭐言葉
カノープス【Canopus】
⇒(りゅうこつ座α星)
→優しさと強い感受性
タイトルについて
アマネの囚人楽曲「おまじない」について解説を行う前に、歌詞を二つの意味に分けて解釈したいと思います。(歌詞考察の部分でも触れていますがもう一度振り返ります)
「誓います もういい子になるしかない!ですよ」
I swear! I’m going to be a good girl now! That’s it!
「Swear」の意味 「誓う」や「保証する」
“Swear”を「誓う」と訳すのは決して間違いではないが、ネイティブの日常会話では「誓う」というよりは「本当に〜だよ!」や「本当に〜していないよ!」のように、友達同士とのカジュアルな会話で、自分の主張が真実であることを強調するときに用いるインフォーマルな言い方になります。
特に自分の発言が疑われたり嘘だと思われたりしている状況で使われます。
I’m going to... の場合は「前々から心づもりができている、 あらかじめ意志が決まっている感覚」を伝えます。
なので、訳すと「本当にいい子になるんですよ!!」という風に強めている意味になります。
「もういい子になるしかない!」の解釈
区切る場所を変えてみます。
①「もう、いい子になるしかない!」
尋問の回答を見る限り、「模範生」「いい子」という言葉が強調される。アマネはかなり、模範生でいること、いい子でいることに強迫的なほど執着している
ⅰ)名前を書く時
全体的に真っ直ぐになっている
ⅱ)尋問最初 右上がり
名前を書いてる時と比較すると、右上がり
(厳密には文字自体は真っ直ぐだけど、書いてる内に右に上がっていってる)
・右上がりの人の文字を真似してる
→右上がりがはっきり分かる囚人はフータ
→右上がりの文字を書く人は、物事を素直に受け止めるタイプ。物事にまじめに取り組み、向上心もとても高く、与えられたことに対して、真面目に積極的に取り組む。規則、伝統を守ろうとする方が多いので、すこし保守的なところもある。
フータの筆跡と比較
・はっきりと分かる右上がり
→フータの右上がりで文字を書くことを真似してる可能性がある。
ⅲ)右上がりでは無くなって、真っ直ぐになってる
そして今は投票が赦さないがじわじわと増えている
→自信が無くなっていってる?
有り得る可能性
・演技性人格障害
「いい子」「模範生」の仮面を被っていること
・フータの右上がりの文字の書き方を真似する
・マヒルのMVで使用されてたマーブリングを使用している
・スーパーチャイルド
・境界性人格障害
極端な考え方がアマネにはある
模範生であるか無いかという考え方もかなり極端
② 「もういい、子になるしかない!」
尋問
アマネがいってる父親は今はアマネの傍にはいない
→遠くに行ってしまった
→離婚して自分の父親ではなくなった
→死んでしまった
お父さんのいた時がアマネにとって幸せな時期だった。(恐らく今の年齢より幼い時)
頑張っていることとかを褒めてくれてた。
父親が居なくなったら、もう誰も褒めてくれなくなった。模範生でいること、いい子でいることを求められた。
→「かみさま」といって、目の前から居なくなった父親から作り出した想像に縋ることしか出来なかった
スーパーチャイルド、つまり優等生を演じ続けた結果演じ続けるのが苦しくなって幼児退行するしかないっていう考えに陥った。
だから「もういい、子になるしかない」
子供に戻れば、また可愛がって貰えると思っている。父親がまた、帰ってきてくれる、また自分を見てくれる、幸せだったあのころに戻れると思っている。
アマネは変身して魔法少女の姿になる
変身して魔法少女の姿になる。
魔法少女が出てくる変身する女の子が出てくる女児アニメ
(メインターゲットの年齢 4〜9歳)
代表としては、プリキュア
「プリキュア」というタイトルの由来は後述のターゲット層が興味を持つよう「プリティー(PRETTY=かわいい)+キュア(CURE=癒す・治す)」を合わせた造語であり、この名前に至るまで相当の時間を要したという[6][注 5]。タイトルロゴの下に英字(ラテン文字)も併記されているが、作品によりスペルが異なっている。(Wikipediaより)
誓います 守ってくれるいい子には ちゅっ!だよ
ちゅっというのはキッスのことですが、「ちゆ」というひらがなにすると「治癒」という言葉遊びができる。
魔法少女になっているということは、アマネちゃんは子供に戻っている、幼児退行をしているということでは?
第一審で掛けられているものとして挙げられる事
・演技性人格障害
模範生、優等生をアマネが演じ続けること
・スーパーチャイルド(境界性人格障害)
優等生で居続けることの苦しみ
勉強出来てるから価値がある、勉強できなきゃ価値がない
・幼児退行
父親がいた頃の幼い自分に戻りたい気持ち
「おまじない」の意味
大人びたアマネが愛される子供時代に戻るため
魔法っていう奇跡がないと叶えられないことを叶えるため
だから、曲のタイトルが「おまじない」
→子供に戻れるっていう奇跡がなければ、父親は帰ってこない
終わりに
まずアマネの宗教観について。
親より早く亡くなってしまった子供が三途の川の近くで石積みを永遠にするとされ、最後に地蔵菩薩が子供達を救うのが賽の河原の話。MV内で出てくる階段の上にある石積みが賽の河原の石積みと似ている。
アマネは服装からチェンジがあるが、最初は地蔵菩薩の姿をしていたが、閻魔の姿に変わっている。このことから自分自身で善悪の判断をしながら人を選別している。
アンダーカバーで「道理などない」という歌詞があったり、MV内で友人を動物として見ていたりすることから仏教で説明できることが多い。
友人を動物として見ている、つまり、人間以下の畜生として見ているということは畜生道が関係している。
アマネで有り得る精神反応として、メサイアコンプレックスがある。自分が救済者だから助ける必要があると強く思い込んでいる節がある。それ以外は「精神反応」の項目でまとめている。
そして、教育番組風のMVであり、アマネを教育していると見せかけて記憶のない看守、エスを洗脳にかかる教育番組「おまじない」である。
サブリミナル効果という普段私達が認識していない潜在意識に働きかけるものを利用してMVの演出が施されている。それによって違和感が見えづらくなることがある。
例えば、怪我をした友達の治療を施したことであたかも酷い折檻を受けたかのような演出を見せた。しかしそれはよく考えてみると違和感を感じることであり、宗教は人を救うために出来たのに何故手を差し伸べる優しさが罰を受けてしまうのか、という根本的な問題を見落としてしまう。
その演出の罠はアマネは周りによって無理やり歪められたと思わせる手口である。
一周年のイベントで「ファンタジーはない」という言葉を参考にすると
友達に手を差し伸べた優しい子を罰する宗教なんて存在しません。
(怖いです。聞いたこともありません、そもそもこの世界には存在し無いです、怖いです
by宗教観のみるやね)
とある事件に似たと感じた方もいると思いますが、アマネがその事件を調べて、そのように見えるように演出した可能性があります。
だって自分より前に審判を行ったマヒルが「マーブリング」という手法を使用したのを“真似して”いるから。
あとはアマネの誕生花と星をまとめた。
最後にタイトルの意味について第一審と絡めつつ考えた。
感想
みるやねとの共同考察で2人で怖い怖い熱唱しながら、アマネ考察は立てました。
みるやねは寝ました。
ふっつうに囚人達の中でダントツに怖い思想だと思います。自分を正しいと信じ切って行動するって怖いよね。ダントツでおっかない。
ある意味子供で出してくるのが狡いですよね、1回でも大人に暴行されたと“信じてしまえば”、中々それ以外の認識に移れないので...。
でも、子供は嘘を吐きますからね。特に彼女は、審判という真っ向勝負を勝たないと(赦されない)といけないからその為に何か演出をしてきますよね。
いや、こわ。
2021/05/05
2021/05/31
精神反応部分の修正+タイトルについてというまとめ部分の追加
精神反応について
私達の考察では、実際に存在するものを扱っています。その為、説明するべきことがあります。何故、精神疾患という言葉を使わずに精神反応という言葉を使うかという理由について説明します。
まず、精神疾患という書き方は人によっては本当に傷付いてしまう言葉です。私自身や相方は精神疾患を抱えています。その二人で精神疾患という言葉やその病気だから否定するという意見を見てると苦しくなるから、だから二人で使わないと決めました。それに、ミルグラムという囚人を裁くシステムの中で、もし何か名称をつけられたもので苦しんでいる方がいて、ミルグラムに来たと仮定して、その時に自分が持っているものがあるから、だから赦さない、否定するというのを見た時にとても傷ついてしまうと思います。なので、否定するという意見を出す時は、これから先その思想や考え方で、周囲と軋轢を産んでしまい孤立してしまう、その為また同じようにヒトゴロシを繰り返してしまうなどの可能性を相方と沢山話し合い結論を出しています。そして実在するものを扱うからには、サイトの内容だけではなく論文や実際にその精神反応を持っている方達、そして精神科医の先生(相方の知人)に話を聞いて話し合いながら考察を出しています。サイトで拾い上げてきた情報だけでは間違った知識を広めてしまう可能性があるのでよく議論しています。間違った知識や誤解は人を一番傷付ける方法です。なのでできる限り誤解を産まないように、精神反応についてを理解していただけたら幸いです。そして心因反応という言葉がありますが、心因反応と表記した場合、専門家の方達のお目汚しになってしまう可能性がある為、その言葉の使用は避けています。
精神反応という言葉を使うと、精神疾患という限られた言葉を使用するより、反応という表記をすると「誰にでもあることなんだ」と知って貰えると思い、精神反応という言葉を相方と作りました。精神反応とは相方と作った造語になります。
精神反応はそれぞれの人が生きてきた環境によってできるあくまでも過程にしか過ぎないものです。家庭環境が違ったら、周囲の人との関係が違ったらもしかしたら同じように道を踏み外してしまう可能性は誰にだってあります。
精神反応は自分とは違う病気を持った人間ではなく、同じ「人」が持っている個性であり、特徴です。決してこれを持っているからダメではなく、向き合ってその精神反応になった過程を見つめていくのが精神解剖だと思っています。アンダーカバーの歌詞でもありますから。
精神反応はそれぞれの環境で生きてきた「人」の個性であり、特徴なのでできる限り寄り添って考えていきたいと思っています。
また、実在するものを取り扱っていますが、これを持っているから犯罪を犯すという差別を助長させる気持ちは一切ありません。精神反応は、「人」がそれぞれ持っている特徴であり、個性です。キャラクターではなく、様々な個性や特徴を持つ「人」として、私たちは向き合いたいと考えています。
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