総合芸術

久々にmixiなるものを開いたら今から12年前、当時22歳だった僕の記事が出て来てこいつマジで狂ってんなと思ったのでここに掲載します。
もうすでに手遅れでした。多分死ぬまでこんな感じだわ。

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いやね、総合芸術だと思うわけですよ。僕は。

音楽、絵、背景、演出、操作感覚、聴覚、視覚

これら全てが組み合わさって幼い心に訴えかけて来る昔の作品というのは本当に印象的に心に残るものだと思う。

もちろん、今のハイクオリティーな本体が生み出される中、当時は音楽など3~4和音に限られ、今のようなポリゴン技術など当然皆無であり、色も単色で平面的な世界がそこにはあった。

そんな機種的に制約がある中でも、幼い僕らの心には大きな印象と、沢山の教訓を教えてくれたはずである。
限定された和音ながらも今も頭に残るあのメロディー。
今に比べても不思議と見劣りしないあの映像クオリティー。

今のようにゴテゴテっとしたデザインでボタンもいっぱい増えている今の機種と違い、シンプルな長方形型のデザインを手に納め、時には力いっぱい押したり、もしくは体ごと傾いて汗だくになる。その赤と白の本体と同じように、僕らの顔も赤く興奮し、そして終わった後は頭の中が真っ白になるほどの心地良い疲労感・・・

そう、それもまさにコンテニューなど無い1対1の真剣勝負だったから熱くなれたのだ。

さっきから何の話をしているかわかりますか?総合芸術ですよ。

そう、ファミコンはまさに総合芸術!!!!!

考えても見てくださいよ。最近の子供たちは一番最初に手にするゲームの機種は何だか分かりますか?

生まれた時からPS3、wii、ニンテンドーDS、PSP・・・

恐ろしくありませんか!?いきなり超ハイクオリティーな映像でスムーズな操作と共にゲームを楽しめ、しかもミスしたら便利なセーブポイントを使ってお手軽にやり直し・・・

僕はこれこそが「ゆとり教育」の弊害となり、自尊心の足りない子供、忍耐のできない子や、ワガママな子ばかりが育ってしまう原因となってしまうと僕は考えているのです。
これにより、すぐに諦めてしまうニート候補な子達ばかりできてしまい、いずれこの国は滅びてしまうでしょう。

僕は現在22歳で昭和にすると60年生まれ。
(※注:12年前当時の年齢です)
確かにこれくらいの世代は主に「スーファミ世代」とでも言っておきましょうか。
僕が5~6才くらいの時ですでに「ファイナルファイト」や「スーパーマリオワールド」が発売しており、同世代の子供たちはそれに夢中になっていました。

ですが、僕の親はむやみやたらにスーパーファミコンなどという甘ったれた機種を買い与えるほど溺愛な親ではありませんでした。

僕の記憶が確かならば、3歳くらいでもう「グラディウス」をやっていたはずである。

あのゲームはまさしく「ノーコンテニュー」の代表格なシューティングゲームであり、途中でアイテムを取ってパワーアップしながら自分の機体を強化させながら進んでいくのであるが一度敵にやられてしまうと哀れ機体は最弱な状況に陥ってしまう。言って見ればまさに
「戦場で丸腰!戦場でスッポンポン!」
そんな形容がふさわしいであろう。
弱体化した機体で敵の猛攻を3歳の幼い子供が対処できるはずも無く、あえなく撃沈。ゲームオーバーの画面を迎えるわけである。

セーブ機能など無いファミコンという機種。当然もう一度タイトル画面に戻って1からやり直しなんて地道な作業に今の世代の子供たちが耐えられるとはとても思えない。

だが、3歳の僕は諦めず、何度も何度もプレイした結果。1面のボスをノーミスで撃破することに成功した。それは初めて自力でボスを撃退した少年の大きな成長の瞬間であった。
「戦場でスッポンポン!」な子供は今まさに
「戦場で狼!」になったのである。
それは確か4歳のけだるい夏休みの昼間だったであろう。
「やったー!!」と大きな歓声と共に両腕を大きく伸ばした瞬間、母親の持つ掃除機の先端部分がカセットに当たり
「プィーーーー」
と言ったままバグッた画面と対峙した時の絶望感は今でも思い出せるほどの事であった。だがそれもまた人生、僕はそういった喪失感を噛み締めてヒックヒック言いながらテレビでトムとジェリーを体育座りで見る。
そのうち近所の友達がやってきて一緒に山へ虫取りに出かけていく暑い日。
保育所の夏休みはまだまだ長い、暑い日差しの一日だった。

僕にもしも子供ができたら、まずはファミコンだけをやらせようかと思う。

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